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ジャム(☆)

「りんご」より続いています。

 懲りずにまたスーパーでうっかりかごに入れてしまって、その後テーブルに飾っていた――食べないのであれば、『飾った』としか言いようがない――りんごは、またしてもみずみずしさを失いつつあった。

 果実は一部の表皮が茶色くなっていて、人の傷口が膿んでいるようで妙に痛々しい。

 とはいえ自分の出来ることといったらこうやって飾っておくのがせいぜいで、味が落ちたと容易に想像のつくものに手は伸ばしづらい。そう思う一方、捨ててしまうというのはひどくもったいないような気がしていて(前回同様しわしわに成り果てるまで諦めがつかないのだろうということは容易に想像がつく)、僕は目下『りんご問題』に困り果てていた。


 会社の喫煙所で煙草を吸いつつ、『傷んだりんご 食べ方』と検索を掛けていると。

「お疲れーす」

 雑な挨拶を一つ投げて、同期の女子が白い煙のうっすらと充満した小部屋に入ってきた。

 そして、手で軽く挨拶をした僕のところへ迷わず歩いて来て、わざと間を詰め、肩をぶつけるようにして真横に座る。

 他に人はおらず、ベンチは余っているというのに。

 もう何十回も繰り返されている、ささやかで子供っぽいそのやり方に今更目くじらを立てる程新鮮な怒りを感じるわけもなく、ため息と煙をいっしょに吐いた。

「なになに? りんご?」

「ちょっと、勝手に人の画面覗き込まないでくれるかな」

「ナニソレ、自意識過剰でセンシティブな女子みたーい」

 いきなりずかずかとパーソナルスペースへ入って来て、まったく。――でも、大雑把に見えて意外と濃やかな同期は、こんなことをしても嫌悪感を抱かせない。人当たりがいいというか、人たらしと言うか。同じことを他の人間にされたらきっと不快になるのに不思議だ。難しいと評判の取引先ともするりと馴染んで、それまでのディスコミュニケーションっぷりは何だったんだと周囲があっけにとられるほど密に連携できる術は、ぜひ伝授して欲しいと皆が思っている。

「りんごどうしたー? たくさんもらった?」

 使い捨てライターで火を付けながら聞かれて、こちらも素直に答えてしまう。

「いや……ひとつ買ってみたはいいけど、そのこと自体をすっかり失念していて、傷ませちゃって」

 りんごは『終わったこと』を容易に思い起こさせるアイテムになってしまったから、買い求めたくせ視界に入れないようにしていた、なんて自分でも『センシティブすぎる』と思う。

「へえ、らしくないねー。なんか食品の管理とかキッチリしてそうなのに」

「そうでもないよ。普通に食パンにカビ生やしたりするし」

「ほんとにー? なんか休みの日は一週間分のおかず作ってジップロックに小分けして冷凍庫にズラーッと並べてそうなのに」

「どんなやつなんだよ僕は」

 煙に咽つつ笑うと、「よかった」と同期も笑う。

 なにが? と目で聞くと「なんかさー、ここ何か月かミョーに凹んでたってか沈んでたってか暗かったからさあ」とスパスパ煙草を吸う。女の子のくせに渋すぎる銘柄。アメリカの先住民の横顔が描かれたパッケージは鮮やかな緑で、彼女のベージュのネイルによく映えていた。

 鋭い指摘には応えないままその指先を見ていると、灰皿に吸殻を捨てて、僕より後に入ってきたのに僕よりも早く立ち上がる。そして、「そうそう、古くなったりんごは傷んだとこを取ってジャムにするといいよ」と、扉に手を掛けた。

「待って」

「なに?」

「明日、ひま?」

 気が付いたら、考えるより先に口をついていた。

「休みなのにどうせ暇だよ悪かったわねー」

「悪くないから、うち来てジャムの作り方教えてくれない?」

「ヤダ」

 即答されて、情けない顔になってしまった。すると同期は「あのねえ」と呆れた態で腕を組む。

「彼女いる人ん家に単身で乗り込むなんて失礼でしょ、あんたにでなくお付き合いしてる相手の人にさ」

「あ、別れたから」という言葉は、カラッとした同期につられて自分でもびっくりする程痛みを感じずに言うことが出来た。

「ほんとに?!」

 ぐるっと振り向いて聞いてきた同期に、なんだ、そんなに驚かれることかと思いつつ、「ほんとに。『ここ何か月か』の素だから」と返す。

 なんだ。

 まだまだ駄目だと思ったけど、こうして人に言えるくらいには平気になったんだな。よかった。

 しみじみと噛み締めていると、神妙な面持ちの同期が、「ごめん」とぽつりと口にした。

「デリカシーなかったね私」

「それはいつものことだから」

「言ったな!」

 この明るさが取り柄の人に、僕の個人的なセンチメンタルを伝染させたくはなかったから敢えていじれば、すぐに乗ってくれてほっとする。こういう間合いが、今は本当に助かるし心地いい。

「じゃ、明日はジャムの作り方を教えつつ、カワイソーな同期を慰めてあげるとするか」

「いやそれ絶対傷抉る気まんまんだろ?」

「バレたかー」

 さして慌てもせずに笑って、「また後で連絡すんね」と今度こそ喫煙室を出て行った。


 ガラス戸の向こう、さっそうと歩く後ろ姿を何とはなしに見ていたら突然立ちどまってぐるっと振り向き、大きく両手を振ってきた。つられて自分も片手で挨拶を返せば、満足そうに笑ってまた歩き出す。

 胸の横で上げたままゆっくり萎れる手を、喫煙室の前を通る人に見られて、ハッとベンチに降ろす。

 ――あの人には自分のペースを乱されるなあ。でも。


 駄目になった果実は、しわしわになるまで飾っておいて結局捨てるしかないと思ってた。同期はそれをひょいと拾い上げてくれた。嬉しかった。

 明日は『なんで駄目になったの?』ってずけずけと聞かれるだろう。りんごを持つ手やナイフさばきのぎこちなさを遠慮なく笑い飛ばされるだろう。まいったなあ、とまだそうと決まったわけでもないことに思いを馳せつつ席に戻ると、隣の席の後輩に「なんかいいことありましたか?」と聞かれた。

「いや、特には。なんで?」

「だって笑ってましたよ、楽しそうに」

「……そっか」

 楽しいのか。今、僕は。


 その後はゴシップ好きな後輩女子の「占いが一位でした?」だの「きっとリア充なんだ! そうですよね!?」だのいった追及を全部スルーしつつ仕事した。ひどく疲れた。

 それでも楽しみなことを思い出して、歩きながらマフラーの中でこっそりと笑う。


 駅に着いたら、ジャムと一緒に食べるパン、それからコーヒー豆を買って帰ろう。





17/11/10 誤字訂正しました。

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