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ボーナストラック

 おなごがすなる断捨離なるものを、男もしてみんとてするなり。

 と、紀貫之みたいに思ってみた。

 年の初めの一月はいつだってやる気だけは満ちているから、それが萎まないうちにと、腐れ縁で、年末に断捨離を無事敢行したと豪語していた水沢(みずさわ)を呼んだ。義理堅いその女はうちには来てくれたものの、リビングで仁王立ちのまま冷たく言い放つ。

「そんなのdo it(テ メ エ) yourself(で や れ)だっつうの」

「出来ない予感でいっぱいだから来てもらったんだよ」

 正直に告白すればハッと鼻で嗤われた。

「情けないなあ、出来る男が形無し」

「水沢、頼むよ」

「帰る、んでもって寝る」

 そうすげなく云って、ソファに置いたクロエの白黒ツートンのハンドバッグを手にした彼女の手首を緩く掴んだ。

「頼むよ、何でもご馳走するから」

 裏拳を繰り出す勢いで離されるかと思っていた手は、予想外にもそのまま僕の手の中にあった。そして。

「……焼肉と云えば、のあの店がいい」と、普段の様子からは信じられないくらい、大人しい素直な返事が返ってきた。それが嬉しくて、浮かれたまま浮かれた提案をする。

「うん、じゃあ初台の個室どう?」

「肉食うのに夜景はいらないでしょ、こっからすぐの路面店でいい」

 浮かれた提案は、それこそ裏拳で叩き落とされた。思わず苦笑が漏れる。

「あのちょい昭和な内装の、地べたの?」

「そう、無造作に肉を食うのにとてもいいよ、あの気取りのない感じは」

「わかった、じゃあよろしく」

「おうよ」

 焼肉が彼女の心の琴線に触れたのか何なのか、よく分からないけどそういうことになった。――よっしゃ。

 僕は小さくガッツポーズ。今日こそ。

 今日こそ、告白する、水沢に。



 彼女とは高校の時からの付き合いだ。

 僕が理系の男子クラス、水沢は文系の普通に男女いるクラス。文化祭実行委員で特殊工作班――もちろん市民生活を脅かす類のことをしでかす集団ではなく、単に文化祭で学校の敷地のあちらこちらに自動シャボン玉製造機やからくりで動くオブジェと云った工作物を作って当日運用する班――で三年間一緒に動いているうちに、好きな映画やバンドが近いことが分かり、それ以来の付き合いだ。

 隔離病棟と揶揄されるように、何故か男クラの教室はどの学年でも違う階に置かれた。そこへ、おすすめのCDやおすすめをダビングしたMDを持って、水沢がやって来る。そして、教室の戸口で『奈良(なら)いる?』と僕を呼ぶ声と、そんな僕らを冷やかしたいのを我慢して生温く見守ってくれていたクラスメートたち。

 あの頃、水沢はショートカットだった。

 ソフト部所属で、いつだって真っ黒で、部活に忙しい合間を縫って嫌な顔一つせず楽しげに工作班の活動に参加して、主に制作物のデザインを担当していた。つい、設計や細部に拘り、作業が遅れがちな僕たちを叱咤激励し、――尻を蹴飛ばす係だったとも云う――、いつも明るい笑顔を惜しみなく振りまいていた水沢。

 そんな、自分が持っていない物を何もかも持っている彼女にひどく憧れた。憧れすぎて、とても好きだとは伝えられずにいた。


 一年のうち、実質稼働期間は半年ほどの文化祭実行委員――ただしその間は他の委員会の比にもならない程忙しい――も、後夜祭でひとまず区切りがついてしまう。

 校庭の真ん中、井桁に組んで作られた枠の中へ、文化祭開催中に回収された使用済みの割りばしや工作班の制作物が入れられ、点火される。

 あんなに時間をかけて作り上げたものが、あっという間に燃えてなくなる。その儚さと美しさに毎年胸が締め付けられた。

 それでも、ただゴミとして回収車で粉砕されるより、いい。

 告白できないまま思いを身の内に燻らせている自分を重ねてそんな風に思った。


 三年の水沢と僕の、最後の文化祭。きっと、受験勉強もあるしこれから水沢は男クラにはやってこなくなるだろう。

 燃え盛る炎を見ながらそう思っていたのに、その予想はあっさりと覆される。

『はい、こないだ云ってたアルバム、落としといた』と、タイトルだけを乱暴な字で書かれたMDを渡されたり。

『奈良確か日本史選択でしょ? 分かんないとこあるから教えて』と、放課後にドーナツショップへと僕を誘ったり。

 嬉しかった。とても、それ以上を望む気持ちになんかなれなかった。

 ――告白して、粉砕したらもう繋がりがなくなってしまう。でも、云わないでいたら、細々とつながりは生きて残る、とりあえず。

 そんな打算で、水沢の『使い勝手の良い異性の友人』を演じきった。


 アルバム収録曲のように、ひとつまたひとつと季節を重ね、僕らは高校生活を消費した。

 結局一度も同じクラスにならず――僕が男クラであると云うこと以前に、理系文系でクラスが同じになる筈もなかった――、水沢が階段を一つ余計に昇って男クラにやって来るのが定番だった。

 部活を引退してから少し伸びた髪と褪せた肌の色は、水沢が奇麗な子だと云うことを隠さなくなっていた。


 おまえ、早く告白しないと掻っ攫われるよ。

 そう発破を掛けてくれる友人もいたけど、失敗して喪うことは何よりも一番恐ろしかった。


 卒業して、それぞれ違う大学へ進むことになった僕も彼女も、地元からそのまま通う組だったことにひどく安堵した。卒業式の後、『これからもよろしく』と、卒業証書の入った筒で胸をとんと押されれば、まるで悪魔か何かと交わした契約みたいに僕の体中を甘い衝撃が駆け巡った。

 水沢は、実現しない約束事を口にしない。だから、彼女が『これからも』と云えば、それは未来も交流が続くことを示していた。

 そして今日まで続いた。


 大学生にもなると、付き合いは高校の時と同様に、とはいかない。学校のカリキュラムもアルバイトも別で、月に二度も会えればいい方だった。

 それがよかったのか、悪かったのか。

 彼女を狂おしく崇拝するような気持ちは徐々に熱を失い、いつしか『彼氏が出来た』とはにかんで報告する水沢を前に、『おめでとう』と、ちゃんと祝福できる自分になった。

 胸の奥底で、泣いている僕がいたことは内緒だ。

 それがきっかけで、何か自分でも区切りがついたのだろう。ほどなくして、僕にも恋人が出来た。そう報告すると『ふーん、よかったじゃーん』とこちらの祝福とは対照的に、投げやりに祝福された。

 互いの恋人を見せ合うようなことはしなかった。付き合っている人に、かつて好きだった人を見せたらきっと思いの残り香に気付かれてしまうから、とこれは僕の側の事情だけど。水沢の側の事情は分からない。

 なので、恋人がいる間は付き合いをコールドスリープさせて――どちらが云い出したわけでもなくそれでいて示し合わせたようなその塩梅の良さがまた切なかったのは内緒だ――、別れれば慰めてもらって、しばらく遊んでもらって、というルーティーンで二〇代を折り返した。


 そして気が付いたことがある。


 僕は、やっぱり彼女が好きだと云うこと。

 大学で勉強して、社会に出て仕事を経験して、高校時代よりは少しは自分に自信が持てたこと。

 彼女は女神じゃなくただの女の子で、今の僕には崇拝する対象ではなくて守ってあげたい、愛おしい存在だと云うこと。


 もし告白して駄目だとしても、喪うものなんてない。重ねてきた季節はそのままちゃんと僕の中に層を作っていて、こうして僕を生かしてくれている。

 だから、きっかけが欲しかった。現状を打破する何かが。

 恋愛攻略本に頼るのも情けないように思えて、ただひたすらに考えて、考えて、考えた。

 考え抜いた末のそれが『断捨離を手伝ってもらう』って云うのは情けなくないのかと云われれば反論のしようもない。

 でも、もう読まない本、聞かない音楽、着ない服、それらを『水沢との思い出がちらとでもあるから』と全て残しておくだけなのは何か違うだろうとようやく気付いた。執着と過剰な恐れは、恋愛感情とは別のものだ。

 ちゃんと、今でも聞く音楽はある。読みすぎてぼろぼろになって買い直した文庫もある。

 ならば、ここいらですっきりしようじゃないか。

 そろそろ、この長い長い片思いを終わらせてもいい頃だ。でないと、僕は一歩も先も進めずに、水沢に似た子を抱いて、水沢への思いを断ち切れないまま不誠実に付き合って、そして愛想を尽かされる、その繰り返しで終わってしまう。



「洋服、お願いしてもいい? 僕が着そうなのは残してもらったら、あとは資源ごみに出すから」と、彼女に寝室のクローゼットを任せた。

「リビングにいるから何かあったら呼んで」と声を掛ければ水沢は「了解―」と返事をくれた。やる気のなさそうな素振りを見せておいて、頼まれごとはきっちりこなす彼女をかわいいな、と素直に思う。

 リビングに戻り、壁一面の棚に収まり切らず、常に床に積み上がって増える一方のCDとずっと所有していたMDの処分に手を付けた。MDは、そのほとんどが水沢のおすすめアルバムをダビングしてもらったものだ。趣味がリンクしている彼女のおすすめは当然お気に入り率が高く、社会人になって金銭的に余裕が出てから、少しずつCDで買い集めていた。なので、そうやって買い直したMDは、処分用の段ボール箱へと移動させる。もらったものをこんな風に処分対象にするのはいかがなものかと思ったが、うちのリビングとCD事情をよく知っている水沢自身が、『MD(コレ)が一番邪魔だね、捨てちゃえ』と何の執着もなく言い放った次第だ。くれた本人がそう云うのなら、僕に異論はない。――そのあっさり具合がちょっとだけ寂しかったのは、内緒だ。

 ダブって所有している以外の、CDを買っていないMD、もういいかなと思えたMDを聞き納めがてら流しつつ、片付けをしていた。


 余り片付けは得意ではないけど、一旦エンジンがかかると没頭してしまう。今日もそうだった。

 雑誌の山に取り掛かる。車雑誌と航空雑誌と工具のカタログ等々、勝手に増殖しているんじゃないかと云ったペースで増えてしまってしょうがないものをえいっと集めて、紐で十字に括る。


 だから、それに気付くのに、随分と時間がかかった。


 この時掛けていたMDは、好きだけどCDを買うのはそのたび迷って保留にしていたアルバムだ。聞き心地が良くて、何故保留にしていたのか分からない。でも、もうひょっとしたらアルバムは流通していないかも知れないな、と思いつつ処分を迷いつつ掛けていた。

 作業に熱中していて、いつしか曲がふっつりと途切れていたのにもしばらく気付かないでいた。

 コンポを見やれば、アルバム終わりを示す曲数と収録時間の表示にはなっておらず、二一と云う曲数と、延々と沈黙が垂れ流され続けていることを示す数字が増えるばかり。その数字はもう、一〇分を超えていた。

 僕は、こういった仕掛けのボーナストラックが嫌いだ。これもCDで買わなかった理由の一つか、と思い当たった。今まで同様聞かないと云う選択肢も勿論ありだけど、その沈黙を超えた先に素晴らしい曲があったらと思うと、今の自分は是非とも聞いてみたくなった。それで、本当に聞き納めだ。

 いつもなら絶対にしないけど、沈黙を我慢して流し続けた。

 そして、とうとう二〇分を超えた頃に、沈黙以外の音が現れた。

 息を吸う音は女の子のものだろうか。ということは、このバンドは男ボーカルだからゲストボーカルか。そんな風に思った。

 紐と鋏と雑誌は一旦脇に置いて、ソファでじっくり聴く態になる。すると。

『……もう、いいかな』

 スピーカーから流れてきたのは、僕の大好きな人の声。

 びっくりして、固まってしまった。また息を吸って、ふうと細く吐く音がした。

『すごく、緊張します。多分、ソフトの試合でもこんなに緊張したことはありません』

 気のせいか、と思いたい僕をあっさりと否定するかのように、その声の持ち主が水沢であることが示された。

『奈良は、こういうボーナストラックが嫌いだから、きっと聞き飛ばすと思って、だからこそ云えます』

 何を? と、僕は、MDの中の一七歳の水沢に声を掛ける。すると出していない僕の声に呼応するかのように、また震える息と、甘い声が降ってきた。

『私は、奈良のことが好きです。でも、当たって砕ける勇気はないの。ずっと、こうしていられればそれでいいから……』

 なんてことだ。僕ら、同じ気持ちだったなんて。――同じに、臆病だったなんて。


 告白は続く。

『いつか大人になっても、私は多分奈良のことが好きです。ずっと好き。――それだけ』

 ぷつんとそれは終わった。


 本当に?


 もしかしたら僕ら、今でも同じところにいて同じように藻掻いているの?

 

 トラップを仕掛けてみた。

 気持ちを聞いていなくても告白すると決めてはいたけれど、聞いてしまった今なお、こんなことをするずるい僕を笑って欲しい。

 何せ一〇年越しの片思い、なのだ。それが、一方通行じゃないと急に知って、まだちょっとどこか信じがたい気持ちだ。だからこれが夢じゃないと教えて欲しい。

 さっきまで掛けていたMDは、音を絞ってあったからきっと寝室にまでは届いていない。

 コンポから取り出したそれをケースに入れて、リビングのテーブルにポンと置いて、僕はソファで寝そべり目を瞑った。あたかも片付けの途中で雑誌を読み耽り、いつのまにか寝てしまい、手に持っていた雑誌も落してしまった、そんな風を装って。

 厚みのある雑誌をフローリングに落とせば、随分と派手な音がする。

「奈良?」と、音を聞きつけた彼女がぱたぱたと、スリッパを鳴らして部屋に入ってきたのが分かった。

 水沢は、ソファで眠りこけている僕を見て、足元に落ちた雑誌を見て、呆れたようにため息を吐いた。

「……ったくもう」

 そう云いながら近付き膝をついて雑誌を拾い上げて、そしてテーブルに置いて。

 その時気付いたのだろう。MDを手にして、「……懐かしいなぁ」と、漏らした。

 僕を伺う気配。そして、「……おーい、奈良、起きろぉ、こらー」と、本気で起こす気がないように小声で声を掛ける。

 いつもの僕は一旦眠るとなかなか起きないから、もし起こしたいなら耳元で大声で呼び、大きく揺さぶるくらいの衝撃が必要だ。それはそう云う場面に何度も遭遇している水沢なら承知の筈だ。

 なのに水沢はそうせずMDのケースを持ったまま、爪でコツコツと音を立てる。そして、独り言を呟いた。

「これ、気付いてたかなぁ、気付いてないよね、だったら態度で分かるもん――やっぱり、聞かれないまま処分コースかぁ」

 どこか寂しげな口調。

 僕の髪を、彼女の指が弄る。

「結局、ずーっとずーっと好きだなぁ、奈良のこと。バカみたい。ちっとも、振り向いてもらえないの分かってるのに」

 その言葉で、やっぱり僕らは変わってないって、分かったから。

 髪を弄る手を、その上から自分の手で覆った。びくっと引こうとする手をそのままぎゅっと握り込む。

「――起きてた、の」

 声からも顔からも表情が抜けた水沢。

「さっきそれ聞いた」

「え」

「一七歳の水沢の告白を、二五にしてようやく聞いた。二五の水沢の告白も今」

「ご、ごめん!」

 立ち上がろうとする水沢を、僕の上で捕獲した。

「謝らないで」

「だって」

 見る見るうちにあふれる涙。奇麗なそれを早く止めてあげたいのに、僕は駄目だな。

「僕も同じなんだ」

「……え、」

「ずっと好きだった。今でも好きだ、水沢のこと」

 そう伝えると、水沢は小さい女の子のようにもっと豪快に泣いてしまった。僕はそんな彼女を胸に抱いて、カンガルーケアのように上に乗せたまま、ポンポンと背中をゆっくりなテンポでたたいて、そして涙をぬぐう細い指先や震えるまぶたにキスをした。


「……これじゃ焼肉食べに行けない……」

 ようやく泣き止んだ水沢のメイクは、大方が僕のシャツに転写された。

 そして懐かしい、高校の時の面影を残した、でも大人な水沢の素顔と初めて見る腫れぼったいまぶたに僕は頬が緩むのを止められない。

「いいよ、何でも作るよ、それとも何か頼む?」

「焼肉食べたかったのに」となおも食い下がる水沢。

「じゃあ明日行こう、初台の五三階の個室、予約するよ」

 そう提案すれば、慌てて「え、いいよいいよ、近所の方で!」と遠慮されたけど、せっかくの最初のデートが昭和な内装の焼肉店と云うのも微妙じゃないか。

「いいじゃない、夜景一緒に見よう。個室なら、手をつなぐのもキスも、したいタイミングで出来るよ」と誘えば、「……誰かと、行ったことあるなら、いやだ」とかわいらしいにもほどがある彼女のお返事。

 そっぽを向きたがる顔を両手で挟んで、キスした。

 多分、一七、八の僕では出来なかったキス。すぐ深く激しく求めたがる自分を宥めて、軽いキスをいくつも落とす。

 ゆっくりゆっくりほんのすこしだけ離れて、そして彼女の鼻先にもう一度キスして云う。

「行ってない。いつか、水沢と行けたらいいなって思ってたから」

 そう伝えれば、憧れてやまなかったあの笑みが、彼女の顔いっぱいに広がった。

「それなら、行ってあげる」

 そんなかわいげのないこと云ったって無駄だって。僕はそれ、恥ずかしがっているって分かってる。そう種明かししてしまうのも大人気ないかと、「はいはい」と流して頭を撫でれば、「奈良のくせに生意気!」と憤慨する真っ赤な顔の彼女と目が合った。途端に、沸騰した薬缶の蓋を取ったみたいに大人しくなる水沢。

「大事にするよ、今まで出来なかった分」

 そう告げれば、「……今までだって充分、大事にしてもらってたよ」と小さな返事があって、それだけでもう堪らない気持ちになる。その思いのまま、彼女を抱き締めた。

「もっとだよ、あんなもんじゃない」

「こわいなあ」

「高一の時から積算して一〇年分だからね」

「奈良、ちゃんと手加減してよね」

 そう云って、僕の頬に触れた手の上に、自分の手を重ねた。

「……水沢の嫌なことはしないと思うけど、ちょっと自信ない」

 正直なところを伝えると、「嘘ばっかり」と拗ねられた。

「え、既にしてたの???」

 慌てて聞けば、長い沈黙の後、ようやくその答えが返ってきた。

「……彼女作った癖に」

「はあ? だってそれは水沢が彼氏作ったからもう駄目だと思って」

「結構いっつも彼女いた癖に」

「……ごめん」

 そっちだって、と云おうとして、また悲しそうな目にあっさり降伏した。しでかしたことはいくら後悔してもなかったことには出来ない。云い訳も無駄だと分かった。だから、項垂れるしかない。

 緩く抱き留めたまま水沢の肩に頭を落としていたら、「……もう、他の人のところに行かないで」と泣く寸前の声で囁かれた。その一言で、僕は簡単に制御不能な気持ちになる。

「行く訳ない」と、噛みつくようなキスをした。


 高校の三年間がアルバム曲なら、その後はオマケのボーナストラックみたいだと思ってた。長い長いボーナストラック。僕の嫌いな、長い沈黙。その向こうに何があるのかも知ないで聞かずにいたことが惜しいけど、今の僕と水沢だからこうしていられるのかもしれないと、はじめてその沈黙の長さに感謝した。

 沈黙の向こう側には、新しいアルバムがあった。それを今度は二人で聞こう。どんな曲だろうかとわくわくする。でも、どんな曲でも君となら楽しく聞ける筈だよ。つまらない曲なら、二人してぶうぶう文句を云おう。切ない曲なら、涙を拭くよ。

 そうしてこれからも時を重ねて、いつしかそのアルバムが終われば、また新しいアルバムが僕らを待ってる。そう思うんだ。


 ベッドで眠り込んでしまった水沢を見て、愛おしさに胸が締め付けられる。――どうして今まで、手を離していられたんだろう。

 頭を撫でる。そのまま首、肩と撫で下ろして、裸の水沢が風邪をひいたりしないように毛布と掛布団をきっちりと着せ掛けた。

 あんなに長く時間を共有していたのに、ちゃんと触れたのは今夜が初めてだった。そして、自分のベッドに眠る最愛の人。

 もう、無理だよ水沢。僕は君を手離せないよ。

 ずっと気持ちを押さえつけていた分、反動がすごいことになってる。

 所有欲、独占欲、それから?


 とりあえず、水沢の奮闘もあって断捨離はひとまず成功を収めた。家の中に余裕が出来たから、ここに越してこないか誘ってみよう。となると結婚の申し出や指輪やご両親への挨拶も必要か。

 一人でどこまでも暴走しそうな未来予想に苦笑する。

 浮かれてしまってとても寝付けそうにない。酒を片手に、パソコンで検索を掛けた。お目当ての品は、やっぱりもう流通されておらず、中古商品で見つけたそのCDをカートに入れた。

 これであのMDは処分してよくなったけど、ずっと僕は取っておくだろう。だって、CDには、君の告白の入ったボーナストラックはないから。


 彼女は『もういいでしょ、捨てて』って云っていたけど、そのお願いだけは聞いてあげられない。

 本当は目に付くところに置いておきたいけれど、それはきっと水沢が盛大に恥ずかしがるだろうからと、印鑑や通帳など、大事なものを入れている引き出しにそっと仕舞った。


 結婚して、彼女もその引き出しを使う日が来るまで、このことは内緒だ。


14/01/29 脱字等修正しました。

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