それはまだ言えそうにもない
朋樹の彼女は御多分に漏れず、『カワイイモノ大好き女子』だ。今日もデートの最中、もう聞き飽きたそのフレーズを何度も繰り返す。雀を見ても車を見ても、果てにはケーキを見ても「見て見てあれかわいー!」と弾んだ声で言われて、気の長い方ではない朋樹はとうとう「バッカじゃねえの」と口にしてしまった。途端に萎む、彼女の笑顔。
「……すぐそういう事言う」
「すぐじゃねえだろ」
少なくとも、一〇回は堪えた。それ以上はカウントするのを放棄したので分からない。 それを『すぐ』と言われるのは心外だ。
「でもいっつも言うじゃん」
「いっつもはお前だろうが」
カワイイカワイイって、そんな騒ぐほどか? かわいいっていうのはなあ。
まだ当分言えそうにもない言葉が浮かんで、これ見よがしにぷかぷかしながら朋樹の視界を左から右へと流れた(イメージ)。――ったく。
友人が聞いたらドンビキ間違いナシ。家族が聞いたら大爆笑。自分だって、寒イボ出るわこんなの。らしくない内なる言葉をかき消すようにしかめ面して髪を乱暴に掻く。
「そんな怒んなくたっていいじゃん」
朋樹がイライラしていると勘違いした彼女は、すっかり笑顔をひっこめてしまっていた。それでようやく、口も気持ちもがとんがっている彼女のご機嫌をリカバリするのが最優先だと気付く。
「なあ」
「私、なあって言う名前じゃないもん」
「おい」
「『おい』でもないもん」
おお、拗ねてる、壮絶に拗ねてる。困った気持ちとその反対の、今のトゲトゲいじいじした彼女に萌え殺される気持ち。そんなハーフハーフな自分の心をキッチリ隠し持ちつつ、朋樹は彼女の機嫌を一発でなおす大切な呪文を小さな声で詠唱した。
「なぎさ」
「……なーに」
ほらな。口はまだとんがって見せているけど、声がもう丸い。
さりげないふりして手を差し出せば、向こうも『あ、たまたま手が当たっちゃった』みたいなふりをして繋いできた。
「もう怒ってない?」
「最初っから怒ってねえよ」
「嘘」
「嘘じゃねーし」
じゃあなんで、とまだ食い下がる気満々な彼女に「あの風船かわいくないか?」と、雑貨屋の店頭に飾られた物を適当に指差せば、素直な彼女はあっさり「あ、ほんとだ!」と関心をそちらに向けてくれた。
そうして、この日も言えなかった一つの言葉はさんざん心を漂ったあと回収されて、これまでの言葉と同様、後生大事にしまいこまれる羽目になる。
かわいいっていうのはなあ、カワイイカワイイ連発してるお前の事を言うんだ、バカ。