その3
スポーツクラブのロビーを一緒に抜け、あたしの車の助手席に座る熊は、なんとも狭そうだ。
アパートの近所で、路上駐車のできる場所はない。
だから本当に、送って帰るだけ。
時々、部屋に寄りたいなと思う。
話し足りなかったり、昭文が上機嫌だったりする時。
だけどお互い仕事も持っているし、別々の生活をしているんだし、それくらいの感情のコントロールはできる程度にオトナだもの。
公園に寄って、缶ジュース一本だけの時間、寄りかかっていることくらいはある。
昭文の大きい背中に背中合わせに座って、まだ秋になる前の、だけど夏じゃない空気を吸い込んだりする。
何も言わないけど、こんな時間は好き。
昭文はあたしを急がせたりしない。
「結婚はすることに決まっている」と言い切るけど、それがいつという期限はなくて、ただあたしがそう決意するのを待っている感じ。
あたしの口の悪さとか、反射的に反論する癖だとかを面白がって、ニヤニヤしながらあたしの顔を覗き込む。
面倒じゃないのかな、あたしなら反論に反論で対抗して、気まずくなるところだ。
「だから、簡単に持ち上げるなっ!」
「説明するより、見せたほうが早い」
木の幹に、涼しくなり始めたっていうのに羽化した蝉がとまっていた。
薄緑に透ける透明な羽を伸ばして、しんとした美しさ。
「うわ、本当に綺麗・・・」
「静音はさ、こういうものをキモチワルイとか苦手とかって言わないな。ヘビは平気か?」
「爬虫類は、やだ。せめて両生類にして」
笑いながら、地面にストンと降ろされる。
あたしを持ち上げるために、ベンチプレスしているわけじゃないでしょうに。
「今度の休みはどうする?」
「蔵の町めぐり。今度こそ、あたしがお弁当作る」
「ふうん?おにぎりとウインナーだけでも、文句は言わないぞ、俺は」
ううっ!悔しい!
実は一度、お弁当を作ると言って、寝坊した実績があるのだ。
今度こそ、あたしだってやればできると言わせてやる。
図書館で、お弁当の本を借りたのは、もちろん機密事項。