その3
眉だけ描いたすっぴんのあたしがロビーに降りた時、原口先輩は待ち合わせ用のソファで眠っていた。
待ってるとか言って寝るか、バカ。
そのまま帰ってもあたし的には問題ナイ。
でも灯りが消えるまで、ここで熊が寝ていたら、スタッフさんは困るんじゃないかしらん。
「・・・先輩、寝るんなら、お家に帰ってからの方が良いですよ」
ぼんやりと目を開けた先輩は、しばらく合わない焦点を無理にあたしの顔に合わせようとしてた。
「あれ?篠田?」
「あれ、じゃありません。寝ちゃうんなら、待ってるなんて言わないでください」
「ああ、ごめんごめん。恋人を迎える態度じゃなかったな」
「だから、誰が!」
やっぱり、放って帰れば良かった。
態勢を立て直すべく、ラウンジできっぱり否定することに決め,向かい合わせに座る。
「俺、バナナジュース。篠田は?」
「アイスティー。ドリンク代、持ってくれるんでしょうね」
「今に同じ財布になるんだから、どっちが払っても」
思わず、テーブルの下で足を蹴る。
平然とニヤニヤしてるのが、悔しい。
「幼稚園児に蹴られたって、大して痛くないだろうよ」
「失礼な。幼稚園児ってあたし?」
「体格差、それくらいあるんじゃない?体重、俺の半分くらいだろ」
トレーニングウエアの下の盛り上がった筋肉は、目の前に座るとすごい威圧感なのに、人の良さそうな表情と飄々とした喋り方が、それを帳消しにしてる。
「この際、きっぱり言いますけど」
「おっと。まさか条件を知る前にお断り、じゃないよね」
原口先輩はニヤニヤしたまま、テーブルの上で両手を開いてみせた。
「口を利くのも嫌な相手と、一緒にテーブルについたりしないよね。とりあえずお互いを知りましょ」
先に「結婚」を持ち出しといて、お互いを知りましょなんて、ふざけた話だ。
バカにされてんのか、こいつが真性のバカなのか。
「ってワケで、日曜日に出掛けよう。映画なら、アニメと実写どっち?」
「誰が行くって?」
「あれ、都合悪い?じゃ、土曜日の夕方からで」
・・・頭、痛。
「まさか、あたしに彼氏がいないとでも」
「いるの?」
いや、いないけどさ。いてもおかしくないでしょ、外見も、年齢も。
「言葉に詰まったところみると、やっぱりいないんじゃない。問題ナッシング」
「いないからって何も」
「ま、馬には乗ってみよってとこで、ひとつ」
この熊、意外に口が減らない。