その6
よく食べて飲む人だ。
酔ってくると口数が減って、にこにこするだけの人になるらしい。
機嫌の良い酔っぱらいは好きだ。
最後に甘いものでも食べちゃおうかなあ、なんてメニューを検討して、顔を上げると目が合った。
「言ったことあったっけ?」
「何を?」
「篠田って、可愛いよね」
はい?なんですか?
他の男から聞いたことはあっても、先輩からは聞いたことのない言葉ですが。
「酔ってます?」
「ちょーっとね(と、親指と人差し指で尺を示してみせた。オヤジくさい)。でも、いつも可愛いぞ」
これはちょっと、調子が狂う。
「何が可愛いって、その向こうっ気の強さとか待ったなしの性格とか」
そっ・・・それは普段、欠点として並べられているものなんですが。
「先輩、潰れないでくださいね。あたし、先輩は担げませんから」
「潰れるほど酔ってない。大丈夫だ、無事に送って行くくらいの理性は残ってるから」
あの、あたしの家、歩くとたっぷり30分はかかるんですけど。
「タクシーで帰るから、送ってもらわなくても。遠いし」
「いや、送る。酔い覚ましがてら歩こう」
「遠いってば」
「山超えるわけじゃないだろ?送らせろ」
ああ、先輩の中では決定事項なわけだ。いや、送らせるのは構わないんだけどさ、実家だし。
「今日、スニーカーじゃないし」
「疲れたら、背負ってってやる」
何を言っても無駄ですか?決めちゃってるんですね?
仕方なく一緒に歩く夜の道。あたしの家とは方向の違う先輩は、多分往復1時間以上。
「先輩だって、帰りが遅くなるばっかりじゃない」
「遅くなるより、名残惜しい方が上」
ご機嫌さんな声だなあ。
延々と歩く道は、大きな通りから少しそれると、長閑な住宅街になる。
歩いている人なんて、もうほとんどいない。
「篠田」
ふいに立ち止まった先輩が、いきなり呼ぶ。
ん?と振り仰ぐと、顔がびっくりするほど近くにあった。
「本当に不便だな、不意打ちもできない」
両頬を手で挟まれて、意図がわかった。
いいよ、少なくともイヤじゃないから。
キスしながら背中に回った掌は、どっしりした安定感だ。
「名前で呼ばせろ、静音」
拒否しないことが肯定の返事だって、先輩はわかっているかしらん。