死後の国で、勇者パーティーのエルフは――自分を殺した魔王に口説かれる
死後の国は、静かだ。
朝も夜もない。あるのは淡々とした業務時間と、ときどき響く書類の音だけ。
「クラリッサさん、新規登録来ました!」
若い同僚が青ざめた顔で書類を突き出した。
書面の上には、赤い転生希望印。
そして、記されていた名前を見て、彼女は眉をひとつだけ動かす。
【申請者:魔王ルフェル・ヴァルト】
「……また派手なのが来ましたね」
クラリッサ・フォルドレア。
生前はハイエルフであり、世界中を旅した冒険者でもあった。
なんやかんやあって、死後は冥界第七転生課で地味に働いている。
死んでもなお仕事とは、と自分でも思うが、
死者は過去を悔やむより、事務を片付けるほうが早い。
彼女は紅茶をひとくち。
「……では面談に入ります。次の魂をお呼びして」
「探していたぞ、クラリッサ!」
開いた扉の向こうから、黒い靄をまとった巨体が現れた。
魔王ルフェル・ヴァルト。
その存在だけで、空気がきしむ。
職員数名が悲鳴を上げて逃げ出す。
クラリッサは無表情に書類を確認した。
「ようこそ冥界へ。転生希望理由をどうぞ」
魔王は、真紅の瞳をせつなげに揺らして彼女を見つめた。
「俺のことを忘れてしまったのか?」
「忘れていません。わたしを殺した魔王その人ですよね」
「覚えていてくれたのか…!」
「はい。転生希望理由をどうぞ」
淡々と事務処理を続けようとする彼女の手を、魔王はしかと握りしめる。
「転生はしない。お前とともにここにいる」
するりと手を解く。
「転生はしないとなると、消滅をご希望ですね。課が異なるので一度扉を出ていただいて階段で……」
今度はさらに強く握られる。
「クラリッサ!!」
冥界の気温が三度ほど上昇する。
魔王が感情を昂らせると、物理的に環境が変化するらしい。
「お前の命を奪う瞬間、俺は恋に落ちたんだ」
苦しげに胸を押さえる魔王の向かいで、クラリッサも胸を押さえていた。いろんな意味で。
生前、クラリッサは勇者パーティーにいた。
魔王討伐を目指して数年。
ついに訪れたその日、パーティーの面々は絶望の淵に叩き落とされる。
魔王ルフェルの強さは常軌を逸していた。
このままでは全滅を免れない。
一番魔力が高かったクラリッサは、自ら犠牲となって皆を逃がし、ハイエルフとしての永い寿命に終止符を打ったのだった。
「単騎で挑んでくるお前の強さと美しさときたら……」
魔王に挑む勇者風情など掃いて捨てるほどいる。いちいち顔など見もしないまま返り討ちにしてきたせいで、「あ!」と思った時にはもう遅かったらしい。
全力の攻撃を、うっかりクラリッサにぶつけてしまっていたという。
一応、職務上記録をとりつつその話を聞いていたクラリッサは、何度もペン先を折り壊していた。
「もう一度会いたかった。一度も死んだことがなかったゆえに随分と探したよ」
「どうやって死んだんです?」
「お前が命懸けで救った勇者にやられた。無論、手加減はしていない」
さらに強くなっていたぞ、と付け足した魔王に、彼女は初めて口元を綻ばせた。
「そう……でしたか。ついに成し遂げたんですね」
「なんと可憐な笑顔……」
「あなたそんな気持ち悪、……ストーカー気質だったんですか。よく魔王なんて務まってましたね」
「これでも頑張っていた。褒めてもらえて嬉しいよ」
「褒めていません」
このままでは脳の血管が一、二本逝ってしまいそうだとこめかみを押さえたその時だった。
突然、扉が勢いよく開いた。
「クラリッサさんっ! 魔王との面談、時間超過してます!」
青ざめた同僚が叫ぶ。
「冥界の温度が二〇度も上がってます!」
「空調、調整しといてください」
「空調じゃありません!」
魔王は動じることなく、淡々とした彼女の横顔を愛おしげに見つめている。
「お前は普段、そんなふうに笑ったり怒ったりするんだな。もっと早くに知っていたら……」
「魔王ルフェル・ヴァルト。こういった湿度高めの展開はご遠慮いただいております。すでに気温・湿度ともに異常値に達しておりますので」
「生前のお前は、戦場で俺に名を問わなかった」
「敵でしたので」
「だからこそ、名を呼ばれた今がうれしい」
立ちはだかる強大な壁だったはずの魔王が、血のように紅い目を伏せている。
彼女はかすかに息をのむ。
「そろそろ時間です。転生か消滅か、決めてください」
魔王ルフェルはひと呼吸おき、クラリッサを見つめて宣言した。
「転生希望だ。クラリッサと」
「転生をご希望ですね。クラリッサと……はい?」
よどみなく動いていたペン先がまた盛大に折れる。
「お前と共に転生したい。ここでの仕事はいつまでだ?」
「なにを言っているんですかこのストーカーは。警備員呼びますよ」
部屋の外から「クラリッサさん!警備員がかわいそうですよ!」という声が聞こえる。
魔王は机に両手をつき、低く笑った。
「すでに転生申請書に署名した。お前の名前も書いておいた」
クラリッサは思わず手元の書類を盛大に破く。
「は?」
別の同僚が慌てて駆け寄る。
「クラリッサさん! 『同時転生希望書』って何ですか!? 見たことない書式なんですけど!!」
「知りません! 勝手に出すな!」
「だって、『両者の同意は後日取得予定』って……!」
「勝手に将来予定立てないでください!」
魔王は満足そうに微笑む。
「では、次の世界でまた」
そう言って、冥界第七転生課を颯爽とあとにする魔王ルフェル・ヴァルト。
取り残されたクラリッサに、同僚たちが慌てて駆け寄ってきた。
「どうするんですかクラリッサさん! 一緒に行くんですか?」
「クラリッサさん、温度が下がりません! あの魔王まだうきうきしたままです!」
「クラリッサさん、転生希望者が長蛇の列になっています! 巻きでお願いします!」
「っていうか魔王って転生できるんだ……!?」
ああ、残業確定だ。
はからずも台風の目のようになってしまったクラリッサは、回らない頭で遠い目をする。
——そろそろ転生を考えてもいいかもしれない。
*
数年後か数十年後、どこかの街の小さなカフェ。
珈琲豆を挽きながら香ばしい香りを楽しんでいたクラリッサの肩を、バイトの青年が軽く叩いた。
「マスター、あの子またきてますよ」
艶やかな毛並みをした大きな黒猫が、窓辺に座って尻尾を揺らしている。
「本当ね。いっそのこと、うちの看板猫にでもしましょうか」
青年は渋い顔をする。
「あいつ俺にめちゃくちゃ威嚇してくるんですよ〜。懐いてるのはマスターにだけです」
猫は青年になど目もくれず、クラリッサを見つめて赤い瞳を何度も細めた。
「随分と可愛くなってしまったものですね、ルフェル」
猫が喉を鳴らす。
珈琲の香りと共に、遠くで冥界の鐘がひとつだけ、やわらかく鳴った。




