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ドリーネの女

作者: 蘭鍾馗

鍾乳洞と幽霊の話。

今度は、少し怖いかも。

「ほら、ここですよ。」


 鳴沢崇は、部の先輩の木下俊郎に地図を見せ、自分がついさっき偶然発見した、あるものについて説明をしていた。彼が所属するのは南部大学のケイビング部。彼が国土地理院の二万五千分の一地形図を見ていて偶然発見したのは、列状に並んだ五つの小さな窪地である。


「あ、これはドリーネだな。こういうすり鉢状の窪地というものは、何らかの特殊な要因がなければ、自然には出来ないものだからね。それが五つも列状に並んでいるとなれば、この下には、もう間違いなくあるね。」

「ありますか。」

「鍾乳洞だ。それも、多分まだ知られていないやつだ。」


「鳴沢君、グッジョブ。」


 ◇


 鍾乳洞は、石灰岩の台地の内部に、地下水の侵食で出来た洞窟だ。


 雨は空気中の二酸化炭素を含むため弱酸性になる。


 その弱酸性の雨水が石灰岩台地の内部を少しずつ溶かして洞窟が出来るのだが、洞窟の上部も同時に雨水による侵食が進み、長い年月の間に小さな水の通り道が幾つも出来て行く。


 そして、その雨水の通り道の大きなものは、やがて鍾乳洞の天井に空いた穴となり、そこから雨水と一緒に地表の土が洞窟内に吸い込まれるため、「ドリーネ」と呼ばれるすり鉢状の小さな窪地が出来る。これが地上に列状に並んでいる場合は、その下には鍾乳洞がある可能性が高いのだ。


「県の図書館で表層地質図を確認しよう。その場所に石灰岩脈があればほぼ確定だ。確定したら、法務局でその土地の所有者を調べて、調査の許可を貰おう。多分、未調査の鍾乳洞だよ。」


 ◇


 地質図については、果たして、石灰岩脈を示す青い凡例ががドンピシャの位置にあった。そして、その土地は、青石村の村有林であることがわかった。

 よし、あとは村の許可が取れれば、調査が出来る。

 但し、未調査の鍾乳洞の調査となれば、大学のいちサークルには荷が重い。そこで部のOBで日本洞窟学会員の、鍾乳洞調査のプロ二人にヘルプをお願いすることとなった。


 ◇


 数日後、鳴沢はケイビング部の先輩の木下と共に、青石村役場を訪ねていた。

 村役場の森林課を訪ねると、森林課の村有林の担当の他に、社会教育課の職員も同席していた。もし規模の大きな鍾乳洞であれば、村指定の天然記念物になるかもしれない、ということで、森林課が呼んだのだった。


 村の職員に木下が説明する。


「つまり、今の段階で、確定ではないけれども、ここに鍾乳洞がある可能性が非常に高い、ということなんですね?」

「そうです。」

「最終的にあるかどうかは、実際に現地を見てみないとわからない、ということですか。」

「そうですね。なので、まずは、入り口を探そうと思っています。そこから入れるかどうかで、また話が変わってきますから。地形図で見る限り、人が入れる入り口があるとしたら、ここです。」


 そこは、「螢沢」という沢の上流端で、地図には崖の記号が記されている。


「ああ、ここなら少し手前まで林道が通じているから、車でここまでは入れる。林道の終点に少し大きな平場があるから、車はそこに止めればいい。」

「なんなら、昼から見に行ってみますか?」

「是非。」


 ◇


 昼食後、森林課の4WD車に同乗させてもらい、螢沢の源流部を見に行った。

 車を降りて15分程歩くと、崖が見えてきた。螢沢は、その崖から突然始まっている。崖の途中には人が入れる程の穴が空いている。その穴の斜め下あたりに砂の中から水が湧く泉があり、そこから出た大量の湧水が、沢の始まりになっていた。


「前はこんな大きな穴はなかったぞ。」

「岩の割れ口が新しい。この間の地震で崩れて出来たんだろうな。」

「どうですか、ここから入れそうですか?」

 森林課の職員が問う。

「いけると思います。今日は装備が無いんで入りませんけど、本番ではここから入ることになると思います。」

 木下が答える。


 崖の穴までは、傾斜が緩く足場もあるため、歩いて登ることが出来た。社会教育課の職員が、崖の穴の中へ石を投げ入れてみる。


 カン・カン・ココン・コン………

 ビィ…………ン。


 最後は、水琴窟のような、不思議な音が響いた。


「奥は広くなっているようです。鍾乳洞で間違いないでしょう。」


 確認を終了して、また車で役場へ戻る。


「螢沢って、ホタルが出るんですか?」

「いや、この沢はホタルは出ませんね。ただ、古い言い伝えがあって、沢の源流に青い色のホタルが出ると言われているんです。」

「青いホタルですか。」

「ホタルは普通緑色でしょ?でも青いホタルを見たなんて話は、私も聞いたことがないですよ。誰も見たことないんです。」


 ◇


 それからひと月程かけて、ケイビング部で調査の準備が進められた。調査は、梅雨明け後の天気が安定した時期を狙う。洞窟内の水位が下がったタイミングが調査しやすいからだ。

 青石村の職員も立ち会いたいと言ってきた。もし状況が許すようならば、可能な所まで入洞したいとのことなので、ある意味これは村との合同調査である。


 そして、調査当日を迎えた。


 ◇


 ザイルやラダー、命綱にライフジャケット、ヘッドライト、それに水やテントなど、調査に必要な道具を満載した車三台で、螢沢の源流を目指す。その日は現場の状況確認とテント設営で終了である。我々は前泊するが、村役場の人は明日9時に来て、それから調査開始となる。


 テントは、鍾乳洞の上のカルスト台地上に張ることにした。台地上は川や池などの水辺がなく、蚊や虻が少ないからだ。ここは木がほとんど生えておらず、ここだけ草地になっていて気持ちがいい。


 機材を入り口近くに置き、テントを張り終えたら、明日に備えたミーティング。天気予報の確認。そして食事。それが終われば自由時間だ。就寝まで、各自思い思いの時間を過ごす。



……………………



 夜になった。


 明日は入洞ということで、鳴沢はちょっと興奮してなかなか寝付けなかった。


 テントの入り口を開けてみる。

 今日は新月で、月明かりがない。

 星がよく見える。

 こんなに沢山の星を見るのは、もしかしたら生まれて初めてかも知れない。そう思った。

 明日は、この下の洞窟に潜るのだ。



 ふと、台地の向こうに目をやると、人がいる。誰かが立っている。

 真っ暗な新月の夜に、人が立っているのが分かったのは、その人を何かの光が照らしているからだ。

 それは、青い色の、蛍のような光。


 言い伝えの青い蛍だ。


 テントから100m程先、その青い蛍が照らす人影に向かって、鳴沢は歩き出してしまった。


 それは、軽率で危険な行為だった。足元が見えない程の暗闇で歩き出せば、最悪、ドリーネに迷い込んでしまう恐れがあった。ドリーネの真ん中には穴がある。それが小さいものならばいいが、そこには、時に人を飲み込んでしまう大きさの穴が開いていることがある。ドリーネに人が落ちてしまうという事故は、各地のカルスト台地で、これまでに何件も起きているのである。


 そんなことは、彼も百も承知のことだ。

 しかし、彼は、その人に呼ばれたと思ってしまった。助けを求められているような気がしたのだ。

 冷静な判断力は、この時既に失われていた。


 やがて、顔の表情が読める程の距離まで近づいた。その時、



   (私を探して)



 そう言われた気がした。

 どういう意味だろう。貴方はそこに居るじゃないか。



   (私を探して)



 更に近寄ると、青い蛍が照らし出すその顔は、若い女性だった。

「危ないですよ」と声を掛けようとした時、彼は足元の地面が傾斜していることに気づいた。


 ここは、ドリーネの中だ。


 次の瞬間、彼は夜露に濡れた草で足を滑らせ、ドリーネの中心へと落ちていった。

 滑落した彼の体は、ドリーネの底で止まった。良かった、大きな穴は空いていなかったようだ。


 ふと上を見上げると、人の上半身が宙に浮いていた。その回りを、青い蛍がゆっくりととんでいた。



   (私を探して)



 声が聞こえた。

 幽霊だ。

 ようやくその正体に気付いた鳴沢は、逃げようと立ち上がった。その時。


 バクッ。


 足元で鈍い嫌な音がして、鳴沢の体が腰まで沈んだ。ドリーネの底が抜けたのだ。

 地面の底で、彼の足は支えを失い、宙に浮いていた。もう、頼りになるのは二本の腕だけだ。

 草をつかんで這い上がろうとする。

 だが、ドリーネの底の土は柔らかく、そこに生える草の根は頼りにならなかった。

 今度は両手を土の中に差し込み、上体を支えながら上に上がろうとした。何とか少しずつ前には進むが、何度目かで土は体を支え切れなくなり、体はまたドリーネの底へとずり落ちてゆく。


 これでは、まるで蟻地獄ではないか。


 そうやって幾度めかの試みに失敗して体が沈み始めた時、青い蛍が、何かを照らしているのに気付いた。

 そこだけ低木が生えていたのだ。


 彼は、ありったけの力で体を持ち上げ、土を掻いてその低木の根を目指した。そして、それを手がかりに体を持ち上げると、低木よりも上の地面は固くなっていた。

 その固くなった土に生える草をつかんで、彼はようやく下半身を穴から引っ張り上げることに成功した。


 助かった。


 脱出したドリーネの底から、岩が割れて落ちていく音が聞こえた。


 ゴン・ガコン……カン……カン…………ドボン


 ビィ…………ン


 最後に、水琴窟のような不気味な音がした。



 そこから、鳴沢は自分のテントに戻った。

 その間、道案内をするかのように、青い蛍が彼の前をゆっくりと飛んでいた。



……………………



 翌朝、調査が開始された。


 OB二人が先行し、ルートを作ってからケイビング部員が中へと入ってゆく。

 そして、100m程進んだその時。


「おーい!」

 OB二人が後続に声をかける。


「人の骨がある!」


 ◇


 人骨は、鍾乳洞の右岸側の壁の途中に、まるで鍾乳石の上に座るようにして引っ掛かっていた。上体は傾き、視線はこちらを見ているかのようだった。

 完全に白骨化したその遺体は、かなり古いものであるらしく、鍾乳石と同化しつつあり、骨の半分ほどは乳白色の鍾乳石に被われていた。


「ドリーネから落ちて、ここに引っ掛かって止まったんだろうね。」

 木下が言う。


 僕も、下手をするとああなっていたんだ。

 そう思うと、背筋に寒気が走った。



   (私を探して)



 不意に、昨日の幽霊の言葉が甦った。

 そうか、そういう意味だったのか。

 だから、僕を助けてくれたんだ。

 鍾乳洞の中の、自分を探してくれるように。


 ◇


 それから、一応警察に連絡した。

 警察は調べはしたが、大変古い時代のものであるのは明らかであり、記録をとっただけでおしまいとなった。


 ◇


 その後、再度調査が行われ、「螢洞」と名付けられたこの鍾乳洞は、村の天然記念物に指定され、中に歩道や照明が整備されて、村の貴重な観光資源となった。


 洞窟の中に入って100m程の所に、何かを避けるように不自然に歩道が曲がった所がある。ここには、最初の調査で発見されたあの人骨が、いまも鍾乳石の上に座るようにして、そのままにされている。

 人骨を取り出すには大きな鍾乳石を破壊しなければならず、天然記念物に指定されたこともあって、そのままにすることが決定されたれた。その代わり、歩道を迂回させて照明が当たらないようにし、遺体の眠りをさまたげないよう配慮した。


 これ以降、青い蛍を見たものは居ないという。


この話は全面的にフィクションであり、自治体や個人の名前はすべて架空のものですからね。

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