どうして私が出来損ないだとお思いで?
私アイリーン・ブレイアムには、別の世界で生きた記憶がある。
伯爵令嬢という身分にありながら、昔から妙なことを口走っては家族と使用人達を困らせていたらしい。
そんな私が王太子殿下の婚約者になったのは、亡きお母様が「あの子には不思議な記憶があるみたいなの」と王妃様に漏らしたからだ。
勿論それは極秘事項で、王妃様と国王陛下しか知らないこと。
数少ない理解者であったお母様は既に亡くなり、新しいお母様とは冷え切った関係。
その上に幼い頃に婚約者となった王太子殿下も、私のことを「冴えない女だ」と馬鹿にする毎日。
ついには、夜会の席で王太子殿下に呼び出されてしまった。
「アイリーン・ブレイアム、お前との婚約は今日限りだ」
長年寄り添った婚約者とは思えぬ、冷たい言葉。
それもそのはず、我がグリフィン王国の王太子であるジュリアン殿下はいつも「お前のような出来損ないと一緒になるのはごめんだ」とおっしゃっていた。
まるで物語のような展開だ。
王太子殿下の言葉に、今更嘆くことも驚くこともない。
ただ淡々と事実を受け止めるのみ。
「かしこまりました。殿下、これまでお世話になりました」
社交辞令は苦手だけれど、今日ばかりは心からの笑顔が零れた。
どれだけ身分が高かろうが、自分を馬鹿にするような相手と結婚する気にはなれない。
この婚約破棄は、お互いに望んだ結果だ。
夜会の会場から出る足取りは、これまでにないくらいに軽やかだった。
ただ、両親はそうは思わなかったようだ。
後妻である義理の母は勿論のこと、血の繋がったお父様までもが王太子殿下に婚約破棄された私を罵った。
幼い頃に婚約を結んでいた為、他の貴族令息との繋がりもない。
王太子殿下に見放された私は、両親からも捨てられてしまった。
そう。
家を追い出され、家族の縁を切られたのだ。
普通の貴族令嬢なら、路頭に迷っていたかもしれない。
でも、私には二十一世紀の日本で生きた記憶がある。
手に職をつけて、自分で働くことに、何の抵抗もない。
「さ~て、これからどうしようかな」
手切れ金とばかりに、父から多少の金子は渡された。
大きな地図でもあれば、ダーツで行き先を決めるのも良い。
それより、見掛けた乗合馬車にぶらりと乗り込んでみようか。
そうして辿り着いた先は、隣国ホロックス王国のイーグル伯爵領。
外海に面した港町だ。
何と言っても、元日本人ですから。
久しぶりに魚介料理が食べたくなって、ここまでやってきたのだ。
「ん~~~、やっぱり魚は美味しい!」
宿の一階にある食堂で、魚の塩焼きを頬張る。
鰺に似た焼き魚以外に、貝類で作った塩味のスープもある。
久しぶりに食べる魚介類はとても美味しいが、食べ進めるうちに少し単調な気がしてきた。
この世界の調理法はどうもシンプルでいただけない。
衛生面で不安があるので、生で食べるのは流石に避けたい。
ただフライやブイヤベースなら作れるのではないか。
思い立ったが吉日、あの味を思い出すだけで食べたくなったのだから仕方が無い。
「すみませーん、ちょっと台所をお借りしても良いですか」
忙しくない時間を見計らって、宿の人にお願いをしてみた。
仕込みの邪魔をしないことを条件に、暇な時間に調理場の一角を借りる約束を取り付けることが出来た。
こちらの世界でも、市場を歩けば地球で見たような野菜が並んでいる。
ふと見れば、露天の片隅に見慣れた野菜が転がっていた。
「これは……」
「その野菜ねぇ。見たことのない珍しい野菜だからと仕入れたのだけど、いまいち人気がなくて……」
「買います、全部ください!!」
「おやおやまぁまぁ」
露天のおばちゃんが、私の言葉に目を丸くしている。
おばちゃんは珍しい野菜と言うが、私にはとても馴染みのあるものだ。
前世で言うところのトマト――赤い宝石のような実が、そこにはあった。
トマト以外にも魚介とパンと玉葱、ニンニクに似た野菜とワインを買い込んで、いざ厨房へ。
作るのは魚介とトマトの旨味がたっぷり詰まったブイヤベースと、サクサクした食感の白身魚のフライ。
ブイヤベースを作るついでに、フライにかけるトマトソースを作ることも忘れない。
「~~~♪」
鍋にブイヤベースを煮込んでいたら、気付けば料理人さん達に取り囲まれていた。
「なんだ、この料理は」
「真っ赤なスープなんて、見たことない……」
「この赤い色は……この野菜か?」
物珍しそうにしながらも、周囲に漂う美味しそうな匂いに興味津々といった様子。
確かトマトがヨーロッパで食用として広まったのは、十八世紀だったか。
伝来した当初は悪魔の実と呼ばれ、敬遠されていたと聞く。それはこの世界でも同じなようだ。
食べてみれば、こんなに美味しいのにね。
「あのー、良ければ味見してみますか?」
「「「是非!!!」」」
こう見えて、料理の腕には自信があるのだ。
この世界に来てからは貴族令嬢として育って、厨房に立つ機会なんて無かったけれど、前世は学生の頃から地元商店街の洋食店でバイトをしていて、就職浪人が決定した後はそのまま料理人として雇ってもらった。
交通事故で短い一生を終えるまで、毎日ひたすら接客と料理三昧だった。
「こんなスープ、食べたことがない!!」
「まさか、こんな毒々しい色の実がこんなにもスープに合うなんて……」
貴族として庶民よりも豪華な料理に慣れ親しんできたが、この世界の味付けは、ほとんどが塩味だった。
調理法も、焼くと煮るがほとんど。
揚げ物も蒸し料理も食べたことがない。
「こちらのフライも、食べてみてください」
トマトソースがかかった白身魚のフライを差し出せば、こちらもスープ同様に大好評だった。
「なんて美味さだ!!」
「パンを砕いていたよな。それがこんなサクサクとするのか……?」
「信じられない、今までにない発想だ……!」
気付けば、私は流浪の天才料理人として崇められていた。
いやいや、大袈裟ですって。
自分が食べたいから作っただけなのに。
とはいえ、たまたま辿り着いた宿屋兼食堂でそのまま住み込みで雇ってもらえることになったから、結果的にはラッキーだったのかもしれない。
フライとブイヤベースだけではない。
醤油や味噌のないこの世界でも、作れる料理はたくさんある。
いつしか私の作る料理は、港町の名物となっていた。
「ねぇ、リーン。どうやったらこんな美味しい料理を思いつくんだい?」
常連さんからもう何度目になるだろう質問が投げかけられる。
今の私は貴族令嬢のアイリーンではなく、食堂で働く平民のリーンだ。
よく食堂に来てくれるレスリーさんは、金髪碧眼の美青年。
見るからに煌びやかでどこかのご令息って感じなんだけど、本人はまったく気取ったところがない。
どうやらお忍びで食べに来てくれているらしく、度々護衛らしき人達が他のテーブルに座っては、様子を窺っているところを目撃する。
「うーん、思いついた訳じゃないんですけど……」
「でもこんな料理、見たことも聞いたこともないよ」
首を傾げるレスリーさんに、苦笑いを返す。
前世の知識ですなんて、言える訳がないんだよなぁ。
「最近じゃこの店の真似をして他の食堂でもフライ料理を出すようになったけど、味が全然違うんだ」
「あー」
それはそうでしょうね。
揚げ物は、油の温度が大事。
油を使うということまでは仕入れや他の料理人の話で知ったとしても、低い温度で揚げれば衣はべしゃべしゃになってしまうし、高い温度で揚げれば一瞬で焦げてしまう。
「そこは、ほら。企業秘密というやつです」
「キギョウ?」
いけない。またこちらの世界にはない言葉を使ってしまった。
「秘伝のレシピというか、何というか」
「リーン、君はひょっとして……」
ヤバい。色々バレてしまっているだろうか。
その場は適当に誤魔化したものの、その日以降、私が働く宿屋兼食堂には毎日屈強な男性が泊まり込むようになった。
たまに酔ったお客さんが絡んできた時や、私が外で知らない相手に腕を掴まれた時なんかは、いつも彼等が助けてくれる。
ひょっとして、彼等は私のことを守ってくれているのでは……なんて思うようになった頃、レスリーさんが苦々しい表情を浮かべて店にやってきた。
「リーン。君に、登城命令が下された」
「は?」
いきなり何を言うのか、この人は。
「だからホロックス王城に登城するようにと、国王陛下からの命令だ」
「なぜに???」
貴族令嬢だった頃は、社交だのパーティーだのでお城に行く機会は度々あった。
だが、今の私は平民だ。
王城に呼ばれるような身分ではない……はずなのに。
「国王陛下が、リーンの料理をご所望だ」
「ええええぇぇ」
あまりに急ではありませんか。
イーグル領の名物料理ともてはやされているのは知っていたけど、まさか国王陛下の耳にまで入るだなんて。
「俺も一緒に行くから……」
「え?」
しかも、レスリーさんが一緒に城まで来てくれると言う。
外見からしてどこかのお坊ちゃんなんだろうなーとは思っていたけど、まさかこのイーグル領のご領主様のご子息だなんて、聞いてないよ。
彼――イーグル伯爵家の令息レスリー様は私の素性を調べただけでなく、私が転生者であることまで薄々勘付いていた。
いや、彼だけではない。
国王陛下も私が転生者ではないかと考えたからこそ、王城に招いてくださったようだ。
「リーン殿、よくぞこの国に来てくれた。異なる世界の記憶を持つ者は、この世界に莫大な知識と繁栄をもたらすと言う」
「いえ、私はそんな大それたことは何も……」
謁見の間で、国王陛下に熱烈歓迎されてしまった。
いやいや、大袈裟ですって。
確かに前世暮らしていた世界の文明はかなり発達していましたが、私が覚えている知識なんて、たかが知れている。
「何を言う。独自の料理を作り出せるというだけで、其方の存在価値は途方もないのだぞ」
「え……」
隣に立つレスリー様を見上げたら、ニコリと笑みが返ってきた。
おおう、眩しい。美形の微笑み、有難うございます。
「彼女の身は、我がイーグル伯爵家で手厚く保護しております」
ああ。やはりあのお客さん達は、私の護衛として来てくれていたんですね。
「頼んだぞ。リーン殿、出来れば城の料理人達にも其方のレシピを教えてやってはくれぬか」
「それくらいでしたら、喜んで」
転生者とバレて面倒なことになるんじゃないかと心配もしたけれど、どうやら杞憂だったようだ。
「全てお任せください、陛下」
なぜかレスリー様が力強く宣言しているのが、やけに印象的だった。
「本当は、リーンを城に召し抱えるという話も出ていたんだ」
「えーっ」
王都からの帰り道、馬車の中でレスリー様が教えてくれた。
「転生者という存在は、それだけ貴重だからね」
「そう……なのでしょうか」
「そうだとも。リーンは自分を過小評価しすぎだ」
私の言葉に、レスリー様が苦笑いを零す。
「あちこちの貴族家がリーンを養子に欲しがったり、家に招こうと必死みたいだけど」
「え、嫌ですよそんなの。お貴族様なんて、面倒臭い」
私は今の生活が気に入っているというのに。
「リーンも、元々は貴族出身じゃないの?」
「昔の話です。今はもう家とは縁を切って、気楽な平民暮らしを満喫しているんですからね」
「普通は家を追い出されたら、途方に暮れると思うんだけどなぁ。リーンは逞しい」
くすくすと笑うレスリー様の目元は、とても柔らかい。
ああ、偶然訪れた土地の領主様一家が理解ある人達で良かったなぁ。
私は本当に恵まれている。
「俺としても、リーンにはこのままイーグル領に居て欲しいと願っている」
レスリー様はイーグル伯爵様の三男だ。
爵位は継がないものの、騎士として生涯この地を守っていくと決めているらしい。
「だから、リーン」
「……え?」
向かい合って座るレスリー様が、私の手を取る。
ドキンと、心臓が跳ね上がった。
「良ければ、俺と一緒にこの地でずっと暮らさないか」
カァァァッと、顔が熱くなる。
その言葉の意味が分からないほど、流石に鈍くはない。
「私、平民ですよ」
「俺だって爵位を継がず、領地もない身だ」
「まだまだ食堂で働きたいのですが」
「ああ。美味しい料理を作ってくれるのを、楽しみにしている」
レスリー様の声はどこまでも優しく、そして、蕩けるように甘い。
こんなの……断る理由を探す方が、難しいじゃない。
◇◆◇◆◇
「ジュリアン、お前なぜあのアイリーン嬢を手放した!?」
「父上、そんなことを言われても……!」
グリフィン王国王城の豪華な一室。
王太子であるジュリアンは、国王である父バートランドに呼び出されていた。
用件は、ジュリアンが婚約破棄を突きつけたブレイアム伯爵令嬢のこと。
(なぜだ、父上もあの女が役立たずだと知っていたではないか!!)
呼び出した父の意図が分からず、ジュリアンはただひたすらに狼狽している。
「あの女は、社交界でも出来損ないと言われておりましたし……」
「それはそうだろうな。彼女が生まれた世界には貴族が居なかったと聞く」
「は?」
父の言葉の意味が分からず、上擦った声を漏らしながら、ジュリアンが言葉を続ける。
「マナーも未熟で、礼儀もなっていない。社交パーティーでもいつもおどおどとしていて、馴染めずにおりました」
「当たり前だ。それは彼女が転生者だからに他ならん!」
「は……はああぁぁ!?」
そんなジュリアンにとって、バートランド国王の言葉は正に青天の霹靂だった。
「自分の得意なことをさせれば、あんなにも実力を発揮すると言うのに!」
「実力……ですか?」
「お前、まだホロックス王国イーグル領の噂を知らぬというのか」
国王の叱責に、ジュリアン王太子が身を竦める。
「すぐ彼の地に赴いて、アイリーン嬢を連れ戻してこい!!」
「そんなぁ」
こうして独断で動いた王太子に対し、彼の失策をリカバリーする為の命令が下ったのだった。
しかし、彼が目当ての女性を連れ戻せることはなかった。
現地に到着した時には、全ては遅かったのだ。
◇◆◇◆◇
教会の鐘が鳴る。
青天の元、港町中の人々が小さな結婚式会場に詰めかけていた。
「リーンちゃん、おめでとう!!」
「くっそぅ、俺達のリーンちゃんが……」
「でも、領主様のご子息じゃ太刀打ち出来ないよなー」
「リーンちゃああぁぁぁん」
ウェディングドレス姿で手を振れば、泣き声は歓声に変わる。
今日、私はレスリー様の妻となった。
「皆に恨まれそうだなぁ、これは」
会場に詰めかけたお店のスタッフ達や常連客の言葉に、レスリー様が苦笑いを浮かべる。
「あら、レスリー様だって人気があるんですよ」
「そうかなぁ」
「ええ。私の旦那様には勿体ないほどです」
レスリー様の腕に手を絡ませると、碧眼が嬉しそうに細まる。
「毎日リーンの美味しい料理を食べていたら、太ってしまいそうだな」
「ぶくぶく太るような運動量ではないでしょう、騎士様って」
「どうだろうなぁ」
首を傾げる様子から、レスリー様は本気で心配しているのかもしれない。
多少太ったくらいで、私の気持ちが変わる訳もないというのに。
「不安なのでしたら、ちゃんと体重管理をしなければなりませんね」
「よろしく頼むよ、奥さん」
「はい!」
グリフィン王国の王太子殿下がイーグル領を訪問されたとの報せが届いたのは、結婚式を終えて、披露宴の真っ最中のことだった。
「な、な……っ」
彼はウェディングドレス姿の私を遠目で見て、その場に頽れたと言う。
今更私が相手をする義理もありませんからね。
応対は全てお義父様――イーグル伯爵様にお任せしました。
何か叫んでいらしたようですが、私はもう神の前で唯一の伴侶と誓いを交わした身。
誰も私達を引き裂くことなど出来ません。
ましてや、私とレスリー様の婚姻は、ホロックスの国王陛下もお認めになったものなのですから。
出来損ないと言われた私ですが、貴族社会から、王太子殿下の婚約者という身分から解放されて、ようやく自分らしく生きていくことが出来ます。
唯一私を解き放ってくれたことに対してのみ、ジュリアン殿下に感謝申し上げます。
もっとも、直接お会いすることなんて、もう二度とないでしょうけれど。