私だけのきみになってくれないか
ガラス張りの窓に差し込む朝焼けの太陽を背にして自室を出る。紅い絨毯を緩く軋ませて目的の場所へ向かう道中に自身を呼ぶ声がした。
「お、イリア様、ご機嫌麗しゅう御座います! 今日は何処か視察ですか?」
太陽の色彩をそのまま写したような威勢の良い声の少年だった。少年の名前はラルク・トールス。第ニ名家トールスの直系ではあるが本人は気さくで誰に対しても快活な態度を崩さない。
だから、イリアも直ぐに彼の名を覚えた。
「あら、ラルク。今日も張り切ってるわね。カインに会いに行くの」
快活な彼なら自分の今の心境も大らかに受け入れてくれるだろうと思い、気がつけば今日の予定を話してしまった。すると彼はにやりと笑い、直ぐに大袈裟に頷く。
「おお、イリア様、青春真っ盛りじゃないですか。あ……カイン殿は少々赤面症のきらいがありますけれど、きっとイリア様と会えるの楽しみにしてますよ!」
年頃の少年らしい反応に、イリアの沈んだ気持ちは軽くなるのを感じて、少し持ち直す。
ラルク少年と対して、いつも話すカインはといえばこちらを警戒しているのか、あまり口数は多くない。一言二言話して、ずっと自分が彼の傍らにいて、時間が過ぎれば手を振って分かれる。カインは会釈して見送る。相手のあまりにも事務的な態度にイリアは少し自信がなくなったのである。
「そうだと、いいな。カイン、口数が少なくて」
しかし、ラルクはカインの態度を意外にも冷静に分析し、イリアに返答した。
「そりゃあ王城ですからカイン殿もまあ気を張ってるでしょう。俺は大丈夫ですけれどカイン殿はこう、何ていうか、人一倍肩肘張るタイプですから」
言われてみればそうだろう。カインの担当する庭は腕によりをかけた職人達の至極の芸術の結晶のようなものが並んでいる。噴水を彩る庭はもう人々の憩いの場になった。
確かに、カインの緊張感は計り知れない。
「そっか……やっぱり庭師だと気を遣うのかな」
もし、息が詰まるようなら庭師ではなく何か別の任が良いと思うのだが、施策に疎いイリアには皆目見当がつかない。
ラルクも唸りながら考え、そしてイリアに提案する。
「どうでしょうね。ところで、イリア様、カイン……カイン殿と何処か行かれるんでしょう? 兄様が俺の為に仕立てようとした衣服の設計が幾つかあるんですけど、俺、会合とか性に合わないし、ちょっと控え目だしカイン……カイン殿の為に服、用意してくれません?」
そうだ、カインはあくまで一般市民枠で庭師の仕事をしている。ラルクは珍しくカインを紹介された時の話を思い出して提案した。
一般市民であれば、イリアの傍らにいるのに気が引けてしまうのは当然だろう。カインによく似合う衣装でも仕立てれば、流石にイリアを無碍にはできないとラルクは踏んだ。
「どういうことかしら?」
今ひとつ合点のいかないイリアにラルクは自身の提案を話す。
「イリア様はよくお出掛けになられるとか。何かあってもいけませんし、カイン殿をイリア様の護衛につけるの、どうかなあと。これなら合法的にカイン殿と話ができますよ!」
話すきっかけがなければ、会話を発生させる機会を作ってしまえばいい。ようやく合点したイリアの瞳には強い輝きが宿る。
「ラルク、本当?」
「ええ、早速そうと決まればリデル……様とセイシェル皇子に相談です。イリア様も直談判、お願いしますよ! イリア様の勅令ならふたりも首を縦に振りますから! 可愛い妹君の言う事ですし!」
自身も兄を手古摺らせる節はあるのだが、彼女の瞳の輝きと身の乗り出し方には流石のラルクも少し引いた。
「まあ、ラルク! 私、ラルクに相談して良かったわ!」
「じゃあ一緒にセイシェル皇子に直談判しに行きましょう」
「ラルク、ありがとう!」
こうして、勢いよく前進するイリアに引き摺られるようにしてラルクはふたりがいつも談合しているであろう、セイシェルの自室に向かった。
「で、騒がしいと指摘を受けながら此処に来たのか。ラルク?」
セイシェルの自室の扉を叩く前に出迎えたリデルに凄まれ、ラルクは苦笑いした。
中級生の講義中に話を膨らませてしまったらしく、講師から注意が入ったとのこと。ただ、リデルはしばらくしてラルクから視線を逸らし、ため息を吐いた。
「トールス家の人間とは思えない振舞だな」
リデルの小言にラルクは豪快に笑った。
「もっと荘厳にしたほうがいいって? リデル、俺には向いてないって分かるだろ」
笑いながら肩を叩かれ、リデルは頭を抱え、眉間にシワを寄せる。
「兄君は大変だな、手のかかる弟を持って」
兄の名前が出たラルクは忘れていたように兄の話をする。進路が決まり、将来有望な兄は王城に登る事が少ない。まだ未開拓である南西部の開拓に精を出している。
「兄貴? アーサーか。騎士王の生まれ変わりなんじゃないかと持て囃されるくらいには周りを統率して南西部を盛り上げているよ。将来有望な兄貴だ、俺の出る幕は無いな。だ、か、ら、リデルの補佐役としてよろしく頼むよ」
「兄君より出世する事になるが大丈夫か? 南西部の統治よりも王城所属のほうが位としては上だぞ」
「そんなの関係ないね。兄貴は兄貴。俺は俺。何ならラルク・オージリアス・マクレーンに名を改めようかな!」
「……それは、考えておく。それより、ラルク。イリア様を連れてきたという事は何か提案があるんじゃないのか」
傍らで微笑むイリアを見たラルクはハッとしてリデルに提案した。
「イリア様、大変失礼しました! リデル、庭師にカイン・ノアシェランってやついるだろ? イリア様の護衛に当たらせて欲しいんだよ」
ラルクのあまりにも単刀直入な申し出にリデルは流石に訝しむようにラルクを見る。リデル言えどイリアの護衛に庭師を充てがうのは賛成できないといった面持ちだ。
「……護衛ならセイシェル皇太子殿下と私の勅令があるが……」
「イリア様直々の頼みなんだよ! リデルもセイシェル皇太子殿下も多忙を極めてるだろ。カインならイリア様の護衛にうってつけだし、ああ見えて腕はいいから」
「リデル、私からもお願いしたいの。お兄様とリデルにはいつも苦労ばかり掛けてしまって……散策なら庭師をやってるカインの方が都合がいいと思うし、どうかな」
「いいんじゃないか、リデル」
リデルが考え倦ねた様子のまま事態は動かなかったが、扉を開けた主の声によって急展開を迎えた。
「セイシェル皇太子殿下!」
「セイシェル様、本当ですか!」
リデルが敬礼し、ラルクが目を輝かせるとセイシェルは頷いた。
「リデル、確かに私とリデルでは時間が足りない。それにカインは騎兵団の一人を打ち負かした実績もあるだろう」
「そうそう、セイシェル様! カインって強いんですよ!」
「お前は打ち負かされた側だろう。あの時の兄君の顔、恐ろしかったぞ」
一般市民が騎兵団を打ち破ったという噂は一時期、場を騒然とさせる規模になり、上級生が会議した結果、カインは庭師に移されたのだ。最も、騎兵団として挑んだのは何を隠そうラルクその人である。
「でも俺、カイン以外には負け無しだから」
「ラルク殿の言う通りだ。騎士王の生まれ変わりであるアーサー殿の弟君ラルク殿を打ち破ったカインの腕は信じても良いと私は考えた。それに、この話はラルク殿ではなく、イリアが直々に言ってきたのだろう?」
そう言って考え倦ねるリデルからセイシェルは視線をイリアに移し、彼女は強く頷いた。
「お兄様、そうよ。私がラルクにお願いしたの。カインを護衛につけて、カインに相応しい衣服を数着仕立ててって」
「イリアの願いなら断れないだろう」
そう言うと、セイシェルはラルクとリデルを交互に見やって、勅令を出した。
「あまり公にはできないが、リデルとラルクにはイリアとカインの服を何着か設計してくれないか。ラルクはカイン担当、リデルはイリア担当だ」
「わかりました、セイシェル様!」
ラルクはセイシェルに向かって今度こそ敬礼し、リデルも後を追うように敬礼する。
「お兄様、ありがとう!」
花の咲くような笑顔を向けるイリアに、セイシェルは少しだけ困ったように、柔らかく笑ってみせた。
窓から差し込む太陽の光が眩い時刻の話であった。
「これから君が語る夢を、この手で打ち砕いてしまおう。例え君が語る夢が、太陽のように眩くても。光あるところに闇が宿る。暗い道が私に迫る。それでも荒れ狂う嵐の先へ、往こう。ただ一人きりであっても」