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ホワイトマーダー


 書類、書類、書類。

 どこを見渡しても紙の束が積み重なっており、何度も同じような文字ばかりを目にしていくうちに視界が霞むようになった。

 同じ作業をする隣人を見て、よくこのようなものを飽きもせず眺めるものだ、と内心とても感心したものだ。最も、それは相手も同じであったらしい。

「治療経過を確認し、誤りがないかを確認するのは大変だな、そう思わないかな?」

 白衣の男は手元の書類を黒い箱の中に入れて、ひと息つきながらこちらにこう尋ねた。質問の答えなど決まりきっているのに何故聞くのか。

 理由はわかっていた。その質問を何度も手を変え形を変え尋ねるのは意地の悪さも然り、こちらの意志を挫くため然り、或いは、どちらも入り混じった複雑な感情が成り立つものであるのだろう。ぼんやりと考えた。

「愚問です。アクロイド・R・レイモンド」

 お前の考えなどお見通しだと言わんばかりに真っ直ぐと白衣の男の顔を見据えると、流石に男も自身の怒りには触れたくなかったようで、肩を竦め口元を緩ませた。

「覚悟完了というわけか。エレザ殿、セイシェル皇太子殿下は良いのかな」

 エレザ、と呼ばれた若い女は密かに嘆息しながらも素を出さないよう答えた。その名前はあまり出して欲しくないのだが、意思を挫くためにしているのなら、これほど相応しい指摘も無いだろう。

「……いずれ、知られてしまう事でしょう。遅かれ早かれあの人とは決裂する。そこまで物分かりが悪いつもりはない」

 痛いところを突いてくると内心苛立ったが、逆を言えば目の前の男にも人の情があるのだと考えた。

 仕返しにと言わんばかりに今度はエレザと呼ばれた女が返す。

「貴方こそ引き返さないのですか、アクロイド。ご子息や奥方が悲しまれると思いますよ」

 目の前の男に返した内容は、彼が人の情があると考えた理由そのものである。そして、今から行う凶行の根源でもある。

 アクロイドと呼ばれた男は憂いを帯びたまま口を開いた。

「私に力があればこのような事をすると思うかね、エレザ。私にふたりを守るだけの力さえあればこのような所業、許さないだろうね。美しいものを美しいと言えるだけの力があれば、ね」

「……申し訳ない、アクロイド」

 穏やかに振る舞うアクロイドの目に鬼気迫る何かが宿る。有無を言わせない回答にエレザは顔を曇らせて謝罪した。

 あまりにもこちらの覚悟を問うものだから、意趣返しのつもりで質問返しをしてみただけだが、それはどうも男の怒りに火を点けただけの結果となったようだ。

 そうだ、同じであった。アクロイドの語る回答とエレザの内心に宿る覚悟は同じであった。そうであるがゆえに止める手段も引き返す道も喪っていった。

 誰かを踏み躙ってでも、必ず成し遂げると決めていた。

 そうでなければ、あまりにも報われないではないかと心中で叫んでいた。物心ついた時から、報われない悼みばかりをずっと叫び続けていた。

 美しいものを美しいと真っ当に言えるだけの精神があれば、報われないことを叫ぶような惨めな考えなど持たない。アクロイドの返しは悲しいが己は無力であると改めて突きつけられた現実であった。

 その無力さが許せないからこそ、今こうして書類を整理し、黒い箱に入れて、そしてこの大都市に点在するであろう人間の全てを纏め上げるのだ。

 事は慎重に運ばなければならない。水面下でずっと進み続けなければならない。胸に刻んだ逆十字の痛みを堪え続けなければならない。

 それが、アクロイドと呼ばれた男とエレザと呼ばれた女ができる全てであった。

 だから、胸の中にある想いや迷いなど、決して形にしてはならない。幸いにも相手は第二王子である。例え謙遜していても、第二王子の無頓着な性格上、自身の微かな憧憬に気付く事はないだろう。

 良いことだ。もう一度言い聞かせて書類を手に取る。記載されている内容など覚えてはいけない。刻まれている構成など読み込んではいけない。

 まるで機械のように黒い箱と白い箱に書類を仕分ける女の顔はひどくやつれており、隣りにいた男は複雑な表情で見守りつつもやがて自身も機械のように同じ動作を繰り返すのであった。

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