Maybe,I want you so badly.
幾ら小手先の調べを奏でて抗おうとも、幾ら数多の施しを与えても、迫る嵐を遮る手段はどこにもない。残るひとつは、自覚した思いを正直に宣誓して、正面から向き合うしか無いのだ。最初から、正面から向き合うしか方法がなかった。
素晴らしい日々を手離したくなくて、あの尊いものを手離したくなくて、胸を満たす暖かさに包まれたくて、何よりも喪う悲しみが胸を焦がす事を恐れていた。
迎えが来るその前に、セイシェルはリデルの待つ待機室の前の扉に立っていた。リデルが束ねた騎兵団は既に偏在しており、トールス家直系第一位の次期当主を南西部の開拓に追いやるまでに至っていた。開拓も軌道に乗り始めた。
自身がティアに承認を出せば、次期当主とティアが結ばれ、トールス家直系は南西部開拓に専念するだろう。
つまり、トールス家の護衛の為に騎兵団を伴う事になり、ハイブライトは手薄になる。リデルはそこで暴動を起こすのだ。
既に下層部の動きは活発化しており、秩序者も大都市から動けない。だから承認を出せと迫っていたのだろう。
いつもは緑色を基調とした偵察用の衣装を身に付け、家紋を外していた。だが、今は『直系の証である深緑と黄金』があしらわれた衣装を身につけ、家紋が刻まれた宝石を中心につける。
「……セイシェル皇太子殿下、お入りください」
リデルの声が響き、セイシェルは目を閉じた。この衣装がどういう意味を表しているのか、黄金を身に纏うことがどういう答えを表しているのか、リデルには十分伝わるだろう。
リデルの想いを受け取る事は出来ないのに、リデルを喪う事を恐れている。あまりにも身勝手で自己欲求の塊のような善意だけをリデルに押し付けてきた。だから、これは、罰なのだ。
「セイシェル皇太子殿下?」
いつまでも扉を開けようとしないセイシェルの振舞に怪訝を覚えたのか、リデルの方から扉を開ける。リデルはそのままセイシェルの腕を引きずるようにして招き入れ扉を閉めた。
わざとらしい音を立てて閂をかけると、体勢を立て直そうとしたセイシェルの襟首を掴む。
深緑を下地に敷き、黄金が生え、中心に赤い薔薇の装飾品が煌めいている。
そうだ、こうでなくては。こうでなくてはこの胸を焦がす感情も報われないというもの。
「セイシェル皇太子【陛下】、お待ちしていましたよ。ようやく、その衣装を身に纏う覚悟ができたという事ですね……待ちわびておりましたよ。いつ、貴方が、私を見てくれるのかを」
「リデル……」
「その衣装で私と相対するという事がどういう意味なのか、分からないわけではありませんよね。貴方は私の宿敵になる、という事ですよ」
リデルの視線に宿るのは敵意と、もう一つ。燃えるような憎しみが真っ直ぐと射抜いている。
そうだ、リデルが胸の内を自身に吐露した時、これほどまでに苦しかったのかとセイシェルは思った。
だが、花を見つめるカインとイリアの笑い声ばかりが焼きついて離れない。
リデルはカインとイリアを薪にして報復しようとしている。それだけは決して、決して【許せない】のだ。どれほどリデルを思っていても。
「リデル、あの時の宣誓は本物だ。私はリデルの共犯者だ……その誓いを翻すつもりは無い」
「……カインとイリアを薪にするな、そう仰有りたいのですね」
「そうだ……だから」
「嘗められたものですね!」
瞬間、リデルは大声を張り上げて相対するセイシェルを張り倒した。完全に体勢を崩し、立ち上がろうとするセイシェルの動きを許さず、彼の上に跨る。
「セイシェル皇太子陛下、やはり貴方には私の想いが伝わらない! わかっていた事ですが、こうも伝わらないなど、もうたくさんだ! ああ、貴方など、貴方などいっそのこと!」
リデルの慟哭が胸を突き刺すように痛む。リデルに寄り添う事は出来るのに、リデルの想いを受け入れる事は、どうしても出来ない。
リデルの想いを受け入れるという事は、カインとイリアを御像にしてしまうことだ。それだけはどうしても堪え難い。
「リデル、すまない……」
「いいえ、いいえ、赦さない。絶対に赦さない! セイシェル皇太子陛下、なぜ、どうして!」
「……リデル……」
空いていた両腕でリデルの背を撫でる。少しでもリデルが暗い道を辿らないでほしいと願う想いに偽りはない。例えその胸が憎しみに灼かれていても、誰かを愛して良いのだと。
リデルには誰かを愛して欲しいのだと願った。リデルはセイシェルの上に跨ったまま、背中に巻き付いていた両腕を引き剥がした。もしも共犯を拒み、敵対していようとも、彼が息絶える瞬間に告げようと思った。
彼は自身の報復の共犯者になった。あまりの喜びに毎日彼を飼い殺した。飼い殺し、少しずつ、自身の存在を擦り付ければ、いつか報われるのだ、と。いつか、その偶像崇拝を切り捨ててくれるのだ、と。
最初から叶わぬ想いを抱き、勝ち目のない闘いに無謀にも挑み、多少手の込んだ自滅行為に入り浸っていたに過ぎないのだった。
自身とセイシェルの関係は最初から破綻していただけなのだ。その破綻を認めたくなくて延命処置を施していた/受け入れていたに過ぎない砂上の楼閣のような繋がりだった。
告げてしまおう。ふたりで歩む道が破綻していようとも、告げてしまおうか。
「……セイシェル皇太子陛下……いいえ、セイシェル。私は、貴方をお慕い申し上げておりました。賤しい私が、眩しくて美しい貴方を愛しているなど、あまりにも烏滸がましいではありませんか」
リデルの両目から涙が零れる。そうか、そうだったのか、と、セイシェルは初めて、明確にリデルの想いを知った。
偶像崇拝を受け入れる振舞にこそ、リデルの怒りや怨嗟があったのだ。悲痛な告白にセイシェルは悲しそうに目を細める。
「セイシェル、お慕い申し上げております。受け入れてくれとは言わない。せめて、私の身勝手な願いを聞いてはくれませんか」
リデルの吐息が掠め、開いたままの口に重なった。その瞬間、扉がこじ開けられる。
「リデル、だめ!」
扉をこじ開けて入ってきたのは、棒を持ったラルク、そしてーー花のように笑うティアの姿だった。ティアはリデルの右腕を掴み、有りっ丈の想いの限りを嘆いた。
「リデル、セイシェル皇太子陛下に触れちゃだめ! そんなのいや! セイシェル皇太子陛下にリデルは渡さない! だって私はリデルが好きなの!」
「ティア……」
驚愕するリデルにティアは何度もリデルの右腕を掴んだまま揺さぶった。
「リデルの馬鹿! 馬鹿よ本当に! 私の想いを決めないで! 私はリデルが好きよ! 例えリデルがトールス家を憎んでいても構わない! 私はありのままのリデルが好きなの!」
「……ティア……」
「セイシェル皇太子陛下、お願い、リデルを奪わないで! 私、オールコットも栄光もいらない! ただのティアとしてリデルの傍にいるわ!」
ティアの叫びを聞いたリデルの両目から大粒の涙が幾つも零れていく。暗き道を征くはずだった。燃えるような感情を薪にして、やがて燃え尽きて灰になるだけの道だった。自身が愛した人は皆、偶像崇拝を受け入れては闇に葬られていく。
「リデル……良かったな……」
セイシェルの喜びがリデルの暗い道を照らしていく。その胸を焦がす感情を消すことはできなくても、その胸を灼く無念が苦悩を生み出してしまっていても。
例え、僅かなひとときであっても構わない。
部屋から飛び込んだキース家が保有している騎兵団の勇士が、血塗れになって飛び込んできた。
「リデル様……大都市アエタイトで……暴動が……」
その瞬間、リデルの両目は開かれる。
「……何? 大都市アエタイト、だと?」
リデルの驚愕に勇士は頷き、倒れた。
「……はい……大都市アエタイトからハイブライトの道が、塞がれて……もうすぐ……ハイブライトにも……」
そこで勇士は息絶えた。リデルは狼狽え、そして一つの答えを導き出した。
「確かに大都市アエタイトの襲撃は予定していたが、なぜ今……まさか!」
その答えにラルクも立ち上がる。大都市アエタイトとハイブライトを結ぶ行路を塞ぎ、分断できる手法が取れる家の生まれは一つしかない。
「……トールス家の派生だ……。セイシェル皇太子陛下、リデルとティアをお願いします! こんな真似ができるのはトールス家派生の同盟者だけです! くっ、とうとうリデルの正体に気付いたのか!」
「ラルク!」
「リデル、大丈夫! これくらいの後始末、つけてみせるよ!」
リデルの制止も振り切ってラルクは駆け出していく。続けてセイシェルも立ち上がり、リデルに告げる。
「私はカインとイリアの保護に行く。リデルはティアを連れて今すぐ逃げろ!」
「……セイシェル皇太子陛下! 行ってはなりません! そのようなことをしたら貴方も……!」
「リデル!」
セイシェルは腰を下ろし、リデルとティアを交互に見やって、そして、満面の笑みで、リデルに向かって真っ直ぐと笑ってみせた。
「君に、光あれ」
万感の思いでそれだけを告げて、セイシェルはラルクと同じように走り出し、そして扉の向こうへと駆け出して、彼の姿は見えなくなった。
弟のように大事にしていたラルクも、眩しさに灼かれて惹かれたセイシェルも、結局は使命を背負って駆け出していく。あのように笑って、故郷を守るために散ることを選ぶのだ。
「セイシェル……行くな……行かないで……セイシェル……」
慟哭しようとして、顔を上げる。花のように鮮やかで、ただ遠くから見ているだけだった春嵐。たまに自身を巻き込んでは去っていく春嵐が、リデルの頬を包んで笑っている。
「リデル、私たちも往こうよ!」
その手を取って、リデルは立ち上がった。もう、ただ愛する人が散っていく姿を見ているだけなど、たくさんだ。
「ティア、力を貸してくれ。必ずセイシェルとラルクを守ってみせる」




