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ジュリアン

 太陽が空に昇り始めた頃、いつもの談合室に赴いたイリアを歓迎するように、快活な少年ラルクが待っていた。

「イリア様、お待ちしてました! 今日は大聖堂に行かれるのだとか!」

 わざとらしく持て囃すラルクにイリアは珍しく顔を赤らめ、小声で話す。

「ら、ラルク……今日は、その……」

「わかってますよ。俺の弟分の生誕でしょ。違います?」

「そうよ……カインに見せたいものがあるから……」

 そこまで言いかけてイリアは頬を朱に染めたまま沈黙した。いつも彼女は動きやすい軽快な衣装を身に着けては庭師カインを見つけるために奔走するため侍女が悉く手を焼いていた。

 カインに対する想いは直接的なまでに一途で純粋なために侍女達も微笑ましく見守っていた。

 無論、カインの背景を知らない侍女は流石に存在しない。それほどまでにカインの背景は有名なのだ。あまりにも有名になり過ぎて、カインの末路は凄惨なものになると言われたほどに、だ。

 ラルクもまた、イリアの無邪気な想いを内心では祝福できなかった。カインの背景を知る人々がここまで静寂を保つ理由はただ一つ。

 上級生監督役にまで上り詰めたリデルの勅令があるからだ。もちろん、リデルの勅令が、本当に心からカインの保護を示しているはずなどない。

 リデルがカインを騎兵団に配置したのは故意に、である。そして自身にカインをけしかけて、カインの適性を細やかに精査していた。

 あまりにも無類の強さを誇る為にリデルはカインを称賛し、セイシェル皇太子殿下の護衛につけた。そして、敢えて自身を伴ってイリアを王城に招き入れたのである。

 カインの両親が死した真の理由を明かし、カインをリデルの懐に招き入れ、イリアと婚姻関係になり、膨大な程の劣悪な悪評を二人に仕向ける。

 そして、リデルが二人の嘆きに応え、ハイブライトに報復を仕掛けるのだ。

 つまり、カインとイリアはリデルの策略によって王城に招かれ、リデルが駆け抜けようとする暗い道を整地する為の偶像として祀り上げようとしている。

 だが、一つだけ違和感があった。

 近頃、セイシェル皇太子殿下を見掛けない。

 無論、日が昇っている最中は大都市周辺の視察や南西部開拓のための資金調達、王城の治安維持に奔走している。

 だが、日が落ちてからというもの、リデルが侍女達を連れてセイシェルを迎えに来るのだ。それも日が落ちる寸前に、必ず、である。

 こう何度も同じような機会でセイシェルを迎えに来るリデルの行動にイリアも違和感を覚えたのだろう。そして、リデルの行動に最も違和感を覚えたのは何を隠そうイリアではない。イリアとて、最も違和感を覚えた人物がセイシェルの事を質問されて後から気づいたほどだ。

「ラルク、頼むわね」

 そう言って立ち去るイリアの頬には朱が指したままだが、よく見ると目尻に小さな宝石が煌めいていたような気がした。


 セイシェルに対する違和感をイリアにぶつける相手などカインしかいない。

 本来はセイシェル皇太子殿下の護衛だが、カインの身の上は一般市民である。だからこそ便宜上カインは一応上級生監督役の補佐である自身が監視保護することに決め、同室で過ごしている。そこで気づいたのだろう。

 第二王子であるセイシェルがリデルを迎えに来ることはあれど、上級生の代表に過ぎないリデルがセイシェルを迎えに来ることはどう考えても不自然だ。リデルとセイシェルの関係性を知らないカインだからこそ気付けた違和感なのである。

 いつも自室に戻ってくるカインは一言二言話して、さっさと眠りに就くのだが今日は帰りが遅い。その事もラルクからすれば嫌な予感がするのだ。

 カインがセイシェルの違和感に気付けたのは、彼が担当する庭園区画はセイシェルの自室周りの庭を毎日欠かさず整理していたからだろう。

 通常は白い布で覆ってしまうのだが灯を完全に隠すようにはできていない。自室を訪ねても応答がない様子を見て、彼はセイシェルが発する違和感に気づいたのだろう。そして、彼は真実に触れようとし始めているのだろう。

 ラルクにとっては最悪の筋書きばかりが浮かんだ。リデルの元へ赴けば衝突は避けられないが、カインに真実を告げることもできない。

 ラルクの退路は完全に塞がれてしまった。そして無常にも扉が開いた。

「ラルク、ちょっといいか?」

 開口一番、カインは乱暴に扉を閉め、鍵をかけた。

 鍵がかかったのを確認したカインはラルクに詰め寄ってくる。その顔は明らかに怒りを滲ませている。こういう時のカインは口調こそ柔らかいが実際は手のつけられない激情を持て余している時だ。

「カイン、どうしたんだよ」

「セイシェル様、夜間は何処にいるか知っているか? リデル殿が迎えに来るようになってから自室にいない事が目立つ」

「いやまあ談合じゃないか?」

 間髪入れずに答えたラルクにカインは睨む。人が寝静まった後に同盟者達と取り決めをすることは儘ある。

 それに【リデルは上級生監督役でセイシェルは第二王子である】為、一見すると何も違和感が無い。だが、カインは違った。

「南西部の開拓を始めるまで、上級生監督役はアーサー殿だったと聞いたが?」

 ラルクは内心、心臓が止まるような思いでカインの話を聞いていた。

 カインの推測を翻訳すると、本来であれば王城の政治を担う者が上級生監督役として選ばれるはずである、と。王城から程遠い南西部の開拓を第二名家トールス直系第一位のアーサーが担うのは不自然だ、と。

 大都市の秩序者のように直系が一人しかいないのであれば話は変わるが、二人もいるのにトールス家第二位であるラルクが残り、アーサーが南西部に行くのは矛盾している、と。

 全く正しい推測を述べられたが、此処で認めるのはあまりにも早すぎると考えたラルクは咄嗟に返した。

「兄貴、開拓のほうが性に合ってるんだよ」

 しかし、カインは怒りを増してラルクに言い募る。

「ラルク、嘘を付くな。お前の兄貴、キース家が所有している騎兵団に対して相当辛辣に当たっているじゃないか。流石に一般市民から這い上がった騎兵団には当たらないが、お前の兄貴はラルクが悪い奴に誑かされていると言い募って俺のところに来たんだよ」

「……兄貴」

 トールス家直系の歴史を担う兄にとってラルクは心の支えだった。ラルクもまた、幼くして責務を全うする兄を頼りにしていた。

「それにお前の両親、見掛けないがどこにいるんだ? 直系であるセイシェル様ですらたまに現当主の元に向かったり、アイシア皇太子陛下がラサーニャ皇后陛下をお連れするのも見かける。だが、ラルクが両親を連れているのを見たことがない」

 ここまで言い当てられてはかなわない。ラルクは自身の身の上については正直に話すことを決めて降参し、理由を説明した。そう、これ自体は隠すような内容ではない。

「両親は、小さい頃に流行病で亡くなった。その後はレイモンド殿の世話になりながらトールス家に仕えていた人々の手を借りて立て直していたよ。資産はあったけど大都市はキース家が保有していたから出る幕はなかった。だから手薄な南西部に拠点を置こうと決めたんだ」

「……だったら尚更お前の兄貴は王城にいないとどうする? 誰が開拓資金を調達するんだよ」

 カインの指摘は最もだ。そして、身の回りの関係性を加味しないカインだからこそ正確に言い当てた。それでもラルクはひとまず日常風景の切れ端を話すに留めた。

「……そこはセイシェル皇太子殿下とティア殿に……」

 するとカインは鋭い視線をラルクに向ける。

「そこだよ、そこ。何故『セイシェル皇太子殿下』なんだよ。まるで第二王子みたいに呼んでる。どう考えてもおかしいだろ。セイシェル様はハイブライト直系の血を引く唯一人の御方だ。天地がどうひっくり返っても『ラサーニャ現皇后陛下』の直系である『アイシア皇太子殿下』が後継になる事は不可能だろ。普通は『セイシェル皇太子陛下』と呼ばないか?」 

「……カイン」

 するとカインは寝転がるラルクに跨り、襟首を掴んだ。

「何で『セイシェル皇太子陛下は第二王子に転落した』んだよ。何で『アイシア皇太子殿下が次期後継』なんだよ。答えろ、ラルク。何を隠してる」

「カイン……それは」

「ラルク、答えろ!」

 カインの目には言い知れない怒りが無限に湧き上がっている。それは、そうだ。セイシェルはカインにとって半分血を分けた実の兄である。その兄が自らアイシアを指名し、裏方に徹するという意思表示をした事実がある以上、その理由を知りたいと願うのは当然だろう。

「セイシェル様の御身に危機が迫っているんじゃないのか。それともセイシェル様は『我が身を犠牲にして』ハイブライトを護る気なのか。そうなのだとしたら何故俺に護衛を要求しないんだ!」

「カイン……」

 セイシェルの身に危機が迫っているというところまでカインは既に気づいている。そして、ハイブライトに迫る緊急事態に対して一人で立ち向かうつもりなのだという意図も察している。

 セイシェルはあまりにもカインを侮っていたのである。カインがセイシェルに懐く想いの深さはどう考えても『半分血を分けた兄弟の範疇』ではない。カインはセイシェルを『愛している』のである。カイン本人は自覚がないのだろうが、対象がイリアならもっと冷静に話を聞こうとするだろう。

 間髪入れずに自身に詰め寄るカインの姿勢が全てを物語っていた。

 だが、セイシェルはセイシェルで無自覚にカインやイリアを『迫る嵐の外側に突き放している事』を感じていた。

 そもそもだが、セイシェルが第二王子になった理由は報復を謳うリデルの矛先がカインに向かないようにするためだ。そして、リデルにとってもカインを手駒として育てるより、セイシェルが自身の報復に手を貸してくれる方が手間が省けるのも事実である。

 何と悲しい兄弟愛なのだろう。お互いがお互いを思うあまり、自分達の手で兄弟の絆を引き裂いてしまった。

 それに報復を抱えるリデルを止めることはどう足掻いても不可能だ。

 リデルの生きる道を閉ざした怨嗟の源であるトールス直系の血を引く自分は恐らく、もうすぐ此処からいなくなる。

 自分にはできなかった事だ。トールス直系の血を重んじるあまり、リデルに感謝や憐憫を伝えられなかった。カインには同じような思いをしてほしくない。

 だから、今、この瞬間に伝えておこう。

「カイン……自分の思いに、素直に生きろよ」

 そう言われたカインはラルクの襟首をそっと離したかと思うと急に手首を握られ、強く引き上げる。カインに引きずり上げられるようにしてラルクは身を起こされる。

 呆気にとらわれてカインを見ると、カインは年相応に笑っていた。そう、カインが自分をまっすぐ見つめ、まるで友達を見るような目をしながら笑っているのだ。カインが年相応に笑っている姿を見るのは初めてだとラルクは思った。

 いつもセイシェルとイリアを見守りながら柔らかく微笑むカインばかりを見ていたから、こんな風に笑うカインは見ていて新鮮だった。

「ラルク、お前までセイシェル様のような真似するなって。それに、ラルクって俺に勝ったこと無いだろ! そんな大層な話は俺に一回でも勝ってから言ってくれよ!」

 声を上げて笑いながら自身の頭を撫でるカインに一瞬だけ目を見開き、そしてラルクは咄嗟に返した。

「俺は所詮、後方支援にしかなれないんだよ。実際に作物を作って土地を開拓するのはカイン達だからな」


【これから君が夢見ていた、理想の話を叶えに往こう。例え君の身に迫る、嵐が君を攫っても。君が語る美しい話に、この心は春ばかりを夢見た。君が語る夢の話の先へ。往こう、共に朝焼けを目指して】

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