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煉獄

「カインとイリアの、兄を想う絆に免じて暫くは沈黙して差し上げましょう。そして貴方もこれまで通り、日が落ちるまでは自由の身の上です、セイシェル第二王子」

 セイシェルの目の前で正体を現したリデルが突き付けた条件は、半ば籠の鳥のような、然して真綿で首を絞めるような暗澹たる内容だった。

 日が昇るまではカインとイリア、代行者アイシアとその庇護者ラサーニャとの謁見は自由だった。しかし、聖堂や大都市への遠征はリデルと騎兵団を伴うことと、リデルの視界から外れることを禁ずるものだった。

 今は夜。窓から月がよく見える。樹木でできた意匠を凝らしたベッドの中心にはハイブライトの直系である第二王子が手枷と足枷を嵌められ、叫ぶことができないように唇に布を噛まされた状態でベッドに繋がれていた。

 リデルは鬱蒼と見下ろし、繋がれた者の右胸にある紋章をなぞる。

「貴方の血を以て勝利の盃を満たそうとしましたが、何故か惜しいと思いました。そこで私は考えました。空から日が落ちた夜はこうして貴方を繋いで私の元で飼い殺しにしてしまえば良い、と。ああ、その衣、前々から思っていましたが本当に暑苦しいですね」

 襟元を結ぶ紐が外されようとする寸前で藻掻くような抵抗を始めた。白い布は暴れた痕跡が生々しく刻まれ、ベッドの柵に無理矢理吊るし上げられた果てに繋がれた手枷と足枷が掠め、手首と足首は鋭い傷跡が幾つも刻まれている。

「いけません、いけませんよ、セイシェル第二王子。あまり暴れると怪我しますから……これ以上私の忠告が聞けないなら、力尽くでも分からせます。セイシェル第二王子、貴方のその御身がいつまでも美しいままだと思わぬように」

 そうしてセイシェルの口元を覆っていた布を外す。

「リデル……私が信じられないのか?」

 つい先刻、リデルを取り巻く黒い色彩を目の当たりにしたセイシェルは黒い色彩にリデルを明け渡せないと願った。その結果、彼の計画の首謀者として祀り上げられる対象になってしまった。もちろん、自らその選択をした事に何も後悔はない。

 抵抗したのは何もこの身に降りかかる責め苦を想像したからではなく、自身のリデルに対する友情を偽りだと思われたのではないかという悲しみからくるものだった。しかし、リデルは首を振り、今度は寂しく笑ってみせた。

「いいえ、貴方の真摯な姿は誰よりも私が知っている。だから、これは、ただ単に私の願望なんです。眩いと思ったもの、美しいと思ったものを、この手で打ち砕いてしまいたいという私の願望、ですね」

 なるほど、どうやらリデルの自暴自棄は燃えるような焔を発露させたものではなく、その焔を消してしまう程の憧憬であったことをセイシェルは恐らく、ようやく、ここに来て初めて知ったのだ。

 未だ己の身に降りかかる危機が過ぎ去ったわけではないが、リデルの胸の内には暗澹とした怨嗟だけではなく片隅から見守るような憧憬もあったのだと知って場違いにも喜んだ。

「リデル、まだリデルには誰かを思うほどの強さがあったのか……。それなら、私は喜ばしいと思う」

 なるべくリデルの激情を刺激しないように言葉を選んだが、リデルの表情には昏い影が差す。同時に華やかな装飾で彩られ、纏っていた衣装の象徴である紐が呆気なく解かれる。

「イリア様との謁見時、イリア様が無邪気に仰られましたよね。夜伽の手習いはあるか、と。貴方はアイシア様に家督を譲られる関係で、何より私を止めるために夜伽の手習いは学ばなかった。貴方に降りかかる死の影が直ぐそこまで迫っているから、と。まあ、最も、夜伽の手習いというものは貴方が主導するものなのですけど」

 喉から搾り出すような笑い声を上げてリデルは淡々と語る。

 リデルの言う通りだ。元々、彼を止める為に奔走していた身であった為、そう長くない日に自分は帰らぬ人になる。だからそのような快楽を伴う類のものの一切を断ち切った。

 リデルは、影を差す昏い笑顔のまま、自身の手で暴いた美しいものに指先を奔らせる。

「でもそれは、私と共にあってくれるという人間に対してあまりにも残酷な仕打ちではありませんか。だからここで夜伽というものがどういうものか、知っておいてもよろしいのではないですか」

「……リデル……」

「ああ、そのような目をしてはいけません、セイシェル第二王子。そのような目を向けられたら……このまま貴方は本当に私の願望通り、貶められてしまいますよ」

 空気が直接自身の身体を刺激することもあって戦慄のようなものが奔るのだが、自身の身の上を握る主の掌が心臓部に到着した。その瞬間、胸を裂くような、痛みのような感覚が走り、身体を仰け反った。

 胸を裂くような感覚が断続的に発生しているのに、お構いなしに続けられる刺激に耐えられるはずもなく声を上げた。

「セイシェル第二王子、そういえば貴方は私と寄り添ってくれると誓ったのですよね。流石に大聖堂にいたのですから誓約くらいはご存知でしょう」

「リデル……何を……」

「そのままですよ。貴方と私は何時如何なる時でも共にあると」

「それは……そうだが……リデルには、ティアがいるだろう……」

 セイシェルの抗議は的を得ているようで決定的な部分で間違っていた。何故自身がこのような真似をしているのか、どうやらわかっているようで理解していない。

 セイシェルの理解はただ単に【ハイブライトの直系を捕らえて拷問している】のだという範疇であった。そのような温い真似をするほどこの胸を焦がす熱は容易く消えるものではない。

 例えばこの対象がトールス家第二位のラルクであれば闇夜に紛れて切り裂いていただろう。多少の悼みはあれどラルクもトールス家の血を引く人間である。恨みを晴らすための始まりの宴に彼の鮮血を勝利の盃に注ぎ、同胞達の無念を晴らし勝利のための生贄として捧ぐには持って来いの品だ。

 だが、あくまでセイシェルはハイブライト直系であり、ある意味では自身にとって救済者でもある。一般市民に職を与え、追いやられた下層部の人間をハイブライト王城に招いて、喪われた誇りを返還しようとする。

 本当に現当主の血を引く唯一人の後継者なのか?

 その仕草はどちらかといえば大都市アエタイトに降ることを選んだ先代第二王子に類似していたのだ。そして、恨みを鎮めるべく自らを犠牲にして共に堕ちるという末路を迷いなく選ぶセイシェルの、あまりにも救世主に相応しい誇りの高さに自身の胸は引き裂かれるように軋んだ。だからこれは八つ当たりのようなものだ。

「セイシェル第二王子、先程の宣誓は偽りですか?」

「……リデル」

「口でなら何とでも言える。違いますか」

「……それは、そうだが……」

 リデルが本当に昏い道を選び、ただひたすらにその道を駆け抜けると宣言したならば、だ。誓約の証としての、所謂口づけというものを受け入れる覚悟ももちろんあった。

 だが、知ってしまった。昏い影を纏うリデルの懐にあるのは決して陰鬱な煉獄だけではない。朝焼けを思わせるような淡い憧憬が闇に滲んでいるのを間近で見てセイシェルは知っている。

 ラルクを見る目があまりにも優しく、まるで弟を見るような暖かな眼差しであったことも知っている。上級生で志を共にした救済者の責務を果たさんと立ち上がるエレザの勇姿を目に焼き付け、心から祝福していた姿も知っている。

 何より、だ。

 オールコット家の一大事がありながら決して怯まず、太陽の下で咲く花のように笑うティアを遠目から眺めて嬉しそうにしていた姿をセイシェルは知っている。

 リデルの目に灯るのは、決して激しい焔だけではなく、夜に淡く光る星が流れては消える事を、もう知ってしまった。

「ティアの事も、か?」

 口から出た確信めいた追及を聞いたリデルは一瞬真顔になり、そして緩慢に、再び口許に笑みを漏らした。


「……貴方の真摯で誇り高いところ、私は心底憎らしく思いますよ……。わかってください、セイシェル」

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