ブロマンス
与えられた責務を何とか終えて、監督役だからと宛てがわれた個室に戻る。監督役と数名しか個室は与えられず、あとは宿舎で寝食を共にする。それはハイブライト家に忠誠を誓う為の演習として相応しい。監督役や指揮官が個室を宛てがわれるのは同盟者との談合や補佐役に任命した若き有志の教育者として盃を交わす為の応急処置であった。自身も例に漏れず、補佐役と寝食を共にしている。
その補佐役は、といえば粗末なベッドにも関わらず夢心地で、自身の災いが来ることなど想像もしていないのだろう。幼子のような穏やかな表情で無警戒に眠っているようだ。
日頃向けられている無邪気な信頼を受け取り、半ば呆れたように項垂れては、確かに眠っているのを確認するため傍らに近寄って、寝息を立てる幼い少年を見下ろす。
こんな無邪気な寝顔でいられるのは、お前が天竜人だからだと罵倒すれば、彼は傷つくだろうか。否、否だ。彼は生まれた時からハイブライトに栄光をもたらす雷神の直系として歩んできた人間だ。他者から浴びせられる罵倒くらい覚悟の上で生きてきただろう。それに、彼は、雷神の直系とは思えないほど眩しいくらいに明るくて、楽しくて、華やかで、明朗快活で、煙る視界を通してみてもどこにも欠点がないくらい、とても良い奴だった。
誰が何と言おうと頑なに同級生の傍から離れないのが何よりの証拠だ。ただの同級生であれば彼の血筋を複雑に思いながらも微笑ましく見守る心持ちになれたのだが、あの黒い髪の少年が同級生となると話は変わる。あの黒い髪を見れば少年の正体くらい誰でも分かる。
カイン・ノアシェラン。先代第二王子シリウス・ハイブライトと元妃ソフィア・ノアシェランの血を引くとされる子供だ。あそこまで、闇を思わせる黒い髪は珍しい。
ハイブライト家には一応黒い髪が発露する血があることは調べているのだが、大抵はセイシェル皇太子殿下のように枯れた樹木の色彩が限度だろう。シリウス・ハイブライトを恐れるのは闇を思わせる黒い色彩が、災いを呼ぶからだと言われている。実際その噂はかなり的を得ている。
ハイブライトの華やかさの裏に隠された罪の化身である路地裏、下層部と呼称された場所で生き延びる子供が地に伏せる由来は黒い斑点が現れて、やがて呻きながら息絶えるのだ。あれを恐れずして何を恐れよという。
しかし、黒い色彩を恐れない存在の出現によってリデルの計画は早々頓挫した。
ラルク・トールス。トールス家の直系第二位に位置する少年。それまで騎兵団従軍の中で負け無しだった彼はカインにあっさり撃破された。
元々無邪気な彼は自分を撃破したカインの腕前に惚れ込み、いつも勝負を挑んでいる。これでは埒が明かないとリデルはありとあらゆる可能性理論を組み立ててセイシェルに直談判し、カインを庭師へ転換させた。
しかし、それも上手くいかなかった。何とセイシェルが東の地にいる妹を呼び、護衛としてカインを任命したのだ。もちろん護衛としての太鼓判を押したのも彼だった。リデルの計画は、いつもラルクに妨害されている。
もう、限界だった。無邪気な彼も、そんな彼のまっすぐな眼差しも、自分を気に掛ける分け隔てなさも。温かくて尊いものに触れるたびにリデルには耐え難い痛みが伴った。
「ラルク」
まだ鍛えきれない首に手をかけ、力を込める。このままこの手で、と首を絞めようとするが、なぜかうまくいかない。
「……リデル?」
ハッとして手を離すとラルクはまだ寝ぼけ眼なまま、リデルの方を向いた。
「珍しく期限内に設計図出したから眠くて……もしかしてリデルは今から?」
「……ああ、イリア様の設計図、困難を極めてる」
半分本当で半分偽りの理由を並べるとラルクは手を伸ばし、リデルの手首を握る。
「そういう時は添い寝がいちばんだ」
元々自分のベッドに寝転んでいる癖に我が物顔で布団の中へ引きずり込むラルクの仕草があまりにもおかしくて、あまりにも【あの日】によく似ていて、またしても絆された。
育ち盛りの男二人には狭過ぎるベッドで身を寄せ合って寝るとラルクは他愛のない話をした。
「兄貴はずっと、トールスの栄光を願ってるから、俺のことが疎ましくて仕方ないんだろうな」
「そんなことはない……ラルク」
兄君は騎士王の生まれ変わりだと持て囃されていたが、当人はラルクを気に掛けており、ラルクも南西部に連れていきたいと言ってきたほどだ。それまで彼の兄君とは会釈を交わす程度の間柄だが、自身の補佐役に任命された途端、血相を変えてやってきた。ハイブライト王城に置くのには修行が足りない、まだ自分が監督したいのだ、と。
その兄を一蹴した日から兄君のこちらを見る視線は剣呑なものになり、ラルクに対する当たりも強くなったのだろう。自身にとってはどうでも良い事柄だが、傍にラルクがいることも手伝って何となく考えた。
繁栄のためにあらゆる資産家の買収を進めるトールスからしたら、カインを同級生として親身に思うラルクの性質は合理的ではないだろう。だが、ラルクがこのような性質でなければ。兄君のようにトールスの繁栄だけを願う性質であれば、きっと自身の計画はもっと順調に進めていた。
だとしたら、ラルクを補佐役につけた時点で自身の計画が頓挫するのは運命なのだろう。己の気など知らず、ラルクは愛玩物のように喉を鳴らしてじゃれついた。
「リデル、イリア様の衣装、一緒に考えような」
「……そうだな、よく考えれば手を煩わされていたんだ。このくらいさせてもバチは当たらないか」
あきれたように笑いながら喉を鳴らすラルクの頭を撫でると、ラルクはムスッとした顔で、でも眠気には逆らえなくて徐々に眠りに落ちていく。
今宵の月は半分欠けていて、闇に呑まれてしまい、ここにある窓からは見えなかった。




