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ブラックマーダー

 最年少にして人命救済の責務を任された者、エレザ・クラヴィア。紫蓮の花を思わせる高貴な色彩が紅の絨毯に新たな滲みを落とした。

 人々が見守る中、白亜と黄金の色彩を纏う人の声が響く。

「エレザ・クラヴィア殿は道半ばにして人命救済の任を与えられました。我ら白亜の城ハイブライトの全ての人の生命を守る素晴らしき任です。彼女は我らハイブライトの生命を背負い、歩んでまいります。彼女の栄光と未来に喝采を!」

「喝采を!」

 中心に躍り出た紫蓮の女に向けられた拍手の喝采が鳴り響く。紫蓮の女は柔らかく微笑み、一礼した。鳴り止まぬ拍手に祝福されながらもう一度白亜と黄金の布を纏う者の声明が響いた。

「道半ばにして責務を背負うエレザ・クラヴィア殿のお言葉があります。皆様静粛に。皆様心してエレザ・クラヴィア殿の御言葉を聴くように」

 声明が響いて結ばれた途端、あれほど鳴り響く拍手は止み、人々の眼差しが紫蓮の女に向けられる。彼女の口から漏れたのは、人々を貫く閃光のように美しい旋律を奏でる声だった。

「皆様、有難き祝福の数々、本当に嬉しく思います。改めて私、エレザ・クラヴィアと申します。これまで、栄光と発展を極める美しき理想郷ハイブライトの若き有志を同胞として迎え、美しき理想郷を更に発展させる勇士として成長するよう導いて参りました」

「ハイブライトの豊かな大地で生まれ、白亜の城に懐かれながら有志の成長を見守る責務は試練の連続で御座いました。然し、皆様の温かな声援を受け、重大な責務を果たして参りました。私の、雛鳥のような歩みを応援し見守って下さる人々の祝福によって、私はさらなる使命を果たして参ります。皆様の胸に宿る鼓動が、この理想郷の発展につながる様、更に歩んでまいります」

「何卒、私、エレザ・クラヴィアに清き声援を」

『清き声援を!』

 紫蓮の女の口から漏れた可憐で美しい旋律に絆されるように白亜と黄金を身に纏う者も続けて声明を出し、再び紫蓮の女に拍手喝采の音が鳴り響く。

 祝福の音に抱かれた紫蓮の女が深々と頭を下げると喝采の勢いは益々激しくなっていく。だから、人々は見えなかった。

 紫蓮の女の口許に浮かぶ笑みとは裏腹に、その瞳に懐く光が僅かに歪であった様が。


 大都市アエタイト中央部。珍しい雑貨や豪華な衣服、欲望の限りを尽くした食事を演出する煉瓦造りの建物が並ぶ中、白衣を身に纏う男がわき目も振らず歩いていた。

「町医者様だわ。あらどうしよう。ご挨拶しなくちゃ」

「まあ、ご機嫌よう、先生」

 人々の華やかな声を受けながら歩く白衣の男はすれ違う人全てに相対し、柔らかく微笑んだ。

「ご機嫌麗しゅう、マダム」

 返答がくると人々の頬が僅かに朱に染まる。その様子を少しだけ垣間見て、白衣の男は颯爽と歩いていく。艷やかな声など、存在すらしなかったかのように。

 行き交う人々の輪を抜け、静寂が広がる路地裏まで来ると男は白衣を脱ぎ捨てた。すると、男と相対するように歩いてくる者があった。

 青い髪を持つ、黒い衣を身に纏う若き男が白衣を脱ぎ捨てた男の前まで歩いてきて、寸前で立ち止まった。

「おやおや、先程までの態度はどこに? アクロイド先生」

 青い髪の男の声に、白衣の男ーーアクロイドと呼ばれた者は僅かに驚愕した。虚ろに呟く独白は言葉にならない。

「……きみか……きみが……」

「奇跡とも言えますね、私の生存は。そうでしょう、アクロイド先生。実はね、命の恩人がいたのです」

 狼狽える男を前に、あくまでもにこやかな態度を崩さず話を続ける青い髪の男。

 アクロイドは信じられないとばかりに首を振る。

「……シスターが連れていた子、か? まさか、あの子であるはずがない」

 シスター。祈りを捧ぐ天の使者。罪を贖わせる慈悲の番人。アクロイドはシスターの面影を思い起こしながら何度も首を振る。

 しかし、アクロイドの挙動を見越した青い髪の男が現実的な答えを突きつけたのだ。

「間違いありませんよ。レイ・ハーバードというのでしょう。下層部ではよく遊んでもらいました。最も、私の大伯父達が地に伏せる前まではあの子も太陽の下で生きていたのです。私を授かった父母は流行病で無くなり、私はもう天涯孤独。アクロイド先生がいなければ私は生を受け続けることができなかった」

「……きみのことは、悼ましく思っているよ……セディール・クラウディア君」

「おや、覚えていてくださったのですか。でも今は違う。私の名はリデル。リデル・オージリアス・マクレーン。ハイブライトの若き有志を懐く道半ばの未熟な者です」

 アクロイドは目を伏せ、リデルと名乗った者は歪に笑う。

「アクロイド先生、貴方と貴方の御婦人、イザベラ殿の屈辱、此処で晴らす時ですよ。貴方は、人命救助を担う名医でしょう」

「……きみは」

「【道具は適切に使わなければ痛みの原因になり、過剰に持て囃すと破滅に繋がる】のではないですか。アクロイド先生、いつも貴方は寄り添っている。貴方と御婦人を地に落とした事実も忘れてしまった不届き者に対しても」

 リデルの歪な笑みは薄暗い路地裏に濃い影を落とし、寒々とした空気を切るような靴の音がアクロイドに向かってやって来る。

「今更善き人になれないことは貴方も知っているはずだ。御婦人を貶めした輩の怪我を和らげるように【慈悲を与えた時の貴方の顔】を私は忘れていませんよ」

「……きみだったのだな……あれは」

「私は彼に選ばせただけですよ、アクロイド。痛い、苦しい、楽になりたい、立てない、目眩がする、動けない、その無念の胸の内を聞いて同情しただけ」

「……きみは、もう」

「戻れない? 既に死した身である私が戻れる道がありますか。セディール・クラウディアは死んだ。家族も隣人も等しく死んだ。忘却された栄光が求めたものは無意味だと嘲られた果てに。努力する方向を間違ったと、ただそれだけで。栄光が終わるだけならまだ良い。間違ったから無かったことにする。その暴挙、何故、赦されるのですか。その暴挙、決して許せるはずがないだろう! 違うか、アクロイド・ルノーア。かつて君臨した公家の申し子よ」

 暗い道に浮かび上がるふたつの光は、まるで火種のように煌めいていて、それでいて全てを焼き尽くすように激しくて、その激しい輝きを人は焔と呼称するのだろう。

「アクロイド、貴方も同罪だ。もう我らは赦されないのです。この身を薪にして、火に焚べて、諸共焼き尽くすその日まで!」

「……御像になるつもりか、きみは」

 青い髪の男を守るように、強固な腕で懐くように、男を囲う影が黒い色を増していく。それにも構わず、男は続ける。

「この身一つ、滅びのためならば幾らでも捧げますよ。幾らでも貪るがいい。この身を掲げ、私は必ずこの胸を裂く悼みを晴らしてみせよう。アクロイド、貴様も道連れに、だ」

 恨みがないと言われれば、と、アクロイドは目を閉じる。だが、思い起こすのは真っ直ぐで愛らしい笑い声ばかりだった。だが、その愛らしい笑い声も彼が月日を重ねれば無に帰すのだろうか。

 自身の名はせいぜい大都市の片隅を揺るがすだけで、この名では迫る嵐から誰も守れない。

 ふたりを守る盾にすらなれないのだ。その無念がこの身を焦がすなら、仕方ないのかもしれない。アクロイドはもう一度、目前の男を見据えた。

 その目には移ろう揺らぎはなく、争いの火種の兆しが爛々と燃えている。

「わかったよ、思うがままやるがいい。きみの無念を晴らすがいい。私も私を薪にして、晴らしてやるさ」

 その決意は、暗い道への第一歩。

 その宣言は、茨の道への入り口。

 その、宣誓は、揺らめく灯から目を背けるための最終手段。

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