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幕間の貴公子

 地位が上がった結果、自身に充てがわれた部屋の片隅にある古びた机と朽ちるような色合いがした椅子を視界に入れた。

 第二王子直筆の勅令の指示が記された紙を持つ手が僅かに震えているのをはっきりと感じることができた。その震えはどのような感情から湧き上がるのか、その感情をどう呼称すればよいか、自身には皆目見当がつかない。

 こういう部屋は空気がよく濁る。空気を洗浄するために太陽が射す窓ガラスはある。

 だが今は淡い光が白い布を通してろ過され、僅かに差し込むのみだった。太陽も疾うの昔に沈んでしまい、仄暗く輝く、少し欠けた丸い月が小さく映る。

 錆びれた偽銀で作られた装置を押すと丸く光る小さな灯火だけが視界を確保できる。これだけが宵闇の中であっても自身の視界を保つ唯一の手段だった。

 何も無い机の上に勅令と記された紙を置いて開き、僅かに目を見開く。

 女物の衣服の仕立ての設計と記載されただけの指示が目に入る。

 ああ、と、思わず感嘆が吐息のように漏れる。

 感動したのだ、純粋に。

 なんと心優しい兄。

 なんと美しい兄妹愛。

 端から見ても、誰が見ても美しい完璧な御伽話を見せつけられているようで、終いには声を上げて笑いたくなった。

 セイシェル・ハイブライト。ハイブライト直系の血を引きながら、アイシアに後継を譲って第二王子に転落した理解不能な人間。

 セイシェルの事が理解できない。傍らに立つ青い髪の男、リデルはセイシェルの得体の知れない選択をとる様に苦悩した。

 そして、理解できないと苦悩するあまり、セイシェルの胸元に煌めく十字架を見つめながら罪の限りを吐き出した。流れる血の限りを吐き尽くした。それでもまだ血が足りないと吼えるのだ。

 この身が燃えるような怒りに心を灼かれながらも、仄かに光る煌めきが眼裏に散りばめられて離れてくれない。

 この胸を焦がす憎しみだけがしがみついた理由なのに、心に灯るのが太陽のような眩さばかりで胸が引き裂かれるように痛む。

『貴方の罪は、その欲を捨て去ることです』

『例え、どのような暗き路でも、誰かを愛する想いを捨ててはなりません』

 暗き路で果てるまで、焼き尽くしてやる。

 この身が尽きるまで燃やしてやる。

 あの大地を更地にして、己の抱いた夢ごと消し去ってやる。

【己の築いた栄光が忘却されてしまうなら、己の築いた栄光によって齎されたもの全ても忘却されなければならない】

 根付いた恨みが、決して赦さないと叫んでいるのに、自身に宛てがわれた温もりが、絶対に離したくないと慟哭している。

 首に巻き付いた痣が、いい加減報われてほしいと悼み、衝動が止まらない。

 荒野に曝された記憶の中にある全てが吹き荒ぶ嵐のように激しい痛みを伴いながらも、朝焼けの太陽が目に焼き付いて離れなかった。

『きみはひとりなの? わたしもひとりなんだ。ねえ、いっしょにここで暮らそうよ』

『ありがとう、さようなら』

 手慣れたように素早く口付けをして、首に巻き付いた掌に力が入る。

 早く、告げなければ。

 これだけは、告げなければ。

 そうでなければ、君は永遠に苦しんでしまう。

『君の、名前が、知りたいんだ……』


「レイ」


 朝焼けの太陽を思わせる、正しく希望の光。

 それが、傍らにいた人の名前らしい。

 ああ、いつも。

 いつも吹き荒ぶ嵐の中にいたはずなのに。

 いつしか蒼穹の下で歩くような心持ちになっていたのは。

 そうか、ずっと、君がいたからなのか。


『いい、名前だね』


 だからこそ、生き延びた。

 だからこそ、もう一度目覚めた。

 目覚めた時、すでにあの子はもういなかった。

 太陽の生き写しはどこにもいなかった。


 ただ、人々に縋る艷やかな振る舞いをする少女の影だけが未だ鮮明に描かれる。


「レイ・ハーバード」


 忘れられない面影が、怒りを強めていく。

 忘れ得ぬ人の痛みが、恨みを深めていく。

 添えられた掌が、悼みを湧き起こす。


 気づけば、勅令を出された設計図を机の上に置いて、自身の口元に笑みを刻んでいた。

 窓から照らす月明かりはあまりにも弱く、到底自身の元まで届くことはなかった。

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