我が父よ、汝が父である
満ちそうな月が傾いて色づいている。
廃屋に風が抜けて、ノスコンは3歳の幼子を視界に入れていた。
「3歳の幼子」はバルスドーラの白い怪物特大の地雷だ。高慢だった14歳の日に、否応なしに黒星をつけていったオリィ・ザッテが記憶の底からどうしたっていなくなってくれない。
普通なら「あらかわいいわね!」となる相手に、この大男は一瞬すくんでしまうのだ。これはもうどうしようもない。
夕暮れ。治安の悪い裏通り。保護者のいない3歳児。
その組み合わせは不自然で、ここにいたのがノスコン一人でなかったならその異様さをはっきり意識しただろう。
しかしノスコンは一瞬すくんだ。そして次にそれが通り過ぎるのを待った。
児童の服は町の子のそれよりひとまわり古風で、たっぷりしたフードと黒い縁飾りが祭の晴れ着のように顔を隠している。ちらりと見える肌がひときわ白い、というか、青白い。
ノスコンがそこまで見てしまっても、幼児はいなくならなかった。
こちらを見ていたし、こちらも見ずにはいられなかった。
それでもこの察しの悪い男は、幼子を無視したいと思ったし、ついに無視できなくて
「何だ」
と零してしまった後ですら、去ってほしいとしか思わなかったのだが
幼子は
「ちち」
と言った。
「我が父。」
ノスコンはそれを文字通り受け取って、異様さに怖気付いた。
自分はこの子の父親じゃない……
小さい子が迷子になることも、大人を親と間違うことも、まああるだろうなどとは微塵も思わなかった。
幼子の青ざめたくちびるが真実「お前は私の父親だ」と告げている。
そんな真実は受け入れがたくて、青年は呻いた。
「おまえは」
それに幼子ははっきりと答えた。
「汝が父。」
ジェノ・ダークと同じ黒い瞳で、まっすぐにこちらを見つめながら。
ここに至ってノスコン・ダークはついに異変に気がついた。
はじめからずっと警戒していたのは僥倖だった。全身の細胞が全力で「逃げろ」と言っている。脳からパスへ通る魔力に熱がこもったのははじめてだ。
「汝が父祖、アグマートは」
幼子らしからぬ言葉に恐ろしいまでの威をこめて
「贄を、あわれみ」
破壊的な力が迫る。
「父の顔を、見に来た」
一時間の詠唱でもかなわないだろう奇跡を、全力のノスコンは反射的に可能にする。精霊への使役は完全に完了している。肉体が、ほどける。
それですら間に合わない。爆発がしたたかに身を打った。
閃光。
反響。
振動がわずかに天空都市全体に記録され、
廃屋に残る塵はひとつもなく、一袋の甘草の飴は溶けて炭になっていた。
<続>




