『ヴェードロの連中』
いと高きバルスドーラに夜のとばりが落ち、月長石の都が月光で満ちはじめる。
オリィ・ザッテは帰宅してソファに突っ伏したままだ。
「オリィ……」
ウィリィはソファの背もたれに寄りかかって姉弟子の心を案じた。
「……話、聞いたところだと、オリィの判断は間違ってなかったとボクは思うよ。ダンさんは行っちゃったけど、悪いコトとかできそうな人じゃないってボクも感じた。湖上農園の人がバルスドーラの道について詳しく知ってたってことは、なくもないことだと思う。親御さんが魔力低下で天空都市から移住した人で、叔父さん叔母さんなんかが今も町に住んでるのかも」
オリィは返事をしない。ずっと顔を伏せてぴくりとも動かない。
「お人好しな考えだ」
無遠慮にノスコンが口を挟んだので、ウィリィは視線を手元に落とした。
「なんでまあ、この白い怪物は、友の優しい心遣いというものをポキッと折るような話し方しかできないかな……」
伏せたままのオリィが文句をたれる。
「お喋りは苦手だ」
ノスコンはまるで悪びれない。
「魔術師2人がかりでそのザマか」
「規格外なあんたと一緒にされたくない。だいたいあたしにかまうのやめなさい。御前試合用結晶の開発をじーさんたちが頑張ってるのに、あんたどういう暇人よ」
ソファに顔を沈みこませていてもオリィの舌はよく回る。そして頭はそれ以上に回っている。オリィは落ち込んでる時間なんてもったいないことをよく理解している。
「……ダンって名前でバルスドーラに乗り込んできた『謎の誰かさん』の目的が御前試合なのは間違いない」
自由市場でその話題を口にしなかったら、奴はそもそもオリィ達にからんでこなかった。
「ダン・ヴェードロ……」
聞いた偽名を呟いたのは、石工ゼムだった。
「そいつは咄嗟に『ヴェードロ』と名前を偽ったんだな?」
「何か知ってるの兄貴!?」
がばりとオリィが身を起こす。
「ああ、よく知ってるとも。『ヴェードロ』。これは核心に触れるキーワードだぞ」
ゼムの瞳はオリィと同じ黒。ふたりの黒が真っ直ぐ互いの黒を見る。
「そもそも、ヴェードロは名字じゃない」
「名字じゃない?」
オリィは起き上がり、ソファの上にきちんと座りなおした。
「業界用語だよ、石工のな。バルスドーラの建材である月華石は魔術のみでは錬成されない。作成にはいくつもの過程が必要だ。まずは規定量の原料を炉にくべて、安定した第一物質に変質させこれを取り出す。この過程が一番手間がかかる。そしてこの第一物質を、石工は『ヴェードロ』と呼んでいる」
「月華石の原料……!?」
初めて聞く言葉の意味。オリィは固唾を呑んだ。対してノスコンは「それがなに???」という面持ちでウドの大木よろしく棒立ちになっている。
「一番手間がかかるから、どこの工房でもヴェードロを作り貯めておく。ところが20年くらい前だな、このヴェードロが大暴落した時代があった」
『お手上げ』のジェスチャーをして石工が語る。
「原因は需要と供給のバランスの崩れ。金が欲しいオレらが毎日せっせと作り続けたら、どんどん売れなくなって在庫が増えてった。日給で働いてた奴らは悲惨なもんで、今日明日食うのに困りだした。『ヴェードロ・ショック』ってやつだ。まあこれも業界用語なんだがな。で、人間、貧すれば鈍ずる。生きるために窃盗に手を出す石工が出始めた。ひとりふたりじゃなかった。もう盗賊団といったグループだ。オレらは奴らをヴェードロ・ショックの被害者、略しては『ヴェードロの連中』と呼ぶようになった」
オリィは膝を叩いた。
「連中は何度も逮捕されたし、何度釈放されても繰り返し盗んだ。やがてヴェードロの価格が落ち着いて、オレらにちゃんと金が回るようになってもだ。一度罪に手を染めた連中は、もう引き返すことができなくなっちまっていた……そして連中は、バルスドーラから消えた。何があったかはオレらは知らない。わかることはバルスドーラ王太子一家が崩御した大事件の後だったことだ。犯罪への取り締まりが厳しくなったことは考えられる」
「核心」
オリィはぽつりと呟いた。
「ああ、かなりのな。しかし、分かっていることは今はこれだけだ。オリィちゃんの頭がよく回るとしても、これ以上のことは所詮空想だ。浮き立って足が宙に浮けば、人間には翼なんてない。喧嘩で跳ぶのは隙を作る悪手だ。御前試合までは時間がある。焦るな」
石工ゼムの瞳の奥にも、オリィに負けない知恵の星座が潜んでいるのだ。
<続>




