白い怪物のトラウマ
いと高き月長石の都、天空に悪魔住まうバルスドーラについて。
二つ名にあるとおり都市の建材は不透明な月長石に似ている。白く、艶があり、なにより光の角度により闇夜に月が照るような強い反射がある。
天空都市の航行をさまたげぬよう、見た目に反して驚くほど軽い。そのため強度は二の次ということになっている。
「ウワァアアアアァアアアアァアアァァアアアアアアアアアアァアアアアアアアアアアアア!!!!!」
長老マルクの住宅から、書記官ダークの母が商う薬草店まで、それはもう一直線に、土煙があがって、新しい道ができあがっていく。
「いや見事ですな」
「次回の都市計画で彼の力を借りれませんかな」
「……愚息ハ不器用デスカラ」
書記官ダークの胃はそろそろ穴が開きそうである。
「アアアアアアアアアアァアアァアアァアアア!!!!!!」
白い巨体がドアの真横に大穴を開けて、そのまま真っ直ぐ階段を駆け上って、ドカン!という音とともに……静かになった。
あかがね色の内巻きセミロングが愛らしい、看板娘のリインナ・グロースは、二階を眺め、それから出来たてほやほやの大穴を見つめて言った。
「おばあさま、やっぱりショーウィンドゥをこっちにして、出入り口をそっちにした方がよくないかしら?」
「まあ父ちゃんが王宮から帰ってきてから考えようかね」
なんとものどかな都市随一の魔力怪物、ノスコン・ダークの家庭の日常である。
ノスコンの一つ年上の従姉妹のリインナは、2年前から書記官資格取得を目指して叔父の家に住んでいる。頭脳明晰才色兼備。恋人はいない。日々美しい微笑みで町の若者たちをそわそわさせているが、それは外向きの顔であって、身内には遠慮がない。「めんどくさぁ」と書いたような顔で、二階のノスコンの個室をのぞきこんだ。
無駄にでかくて白い、いい大人が、ベッドにうつ伏せて枕を頭に被って、何かウンウン唸っている。
「あんた、また、ねえ……」
ノスコンはがばりと起き上がった。
「お前は!負けた!ことが!あるか?!!?!?」
何を言いたいのか全くわからない。
「俺は!!!負けた!!!!!!!」
なおさらわからない。
いい歳して負けた経験がない人間がいるか?ああ、いるのかもしれないな。この人間ブルトーザーに正面きって勝てる奴はなかなか思いつかない。
「負けたの?」
「負・け・た!!!!!!」
ノスコンはことさら重大に強調した。
まさか?
リインナはこの従兄弟の日常のデストロイヤーっぷりをよく知っている。
冷静に考えて、ドラゴンでも連れてこなければそうそう負けるとは思えないのだが。
従兄弟の頬は怒りに赤く、反して目の下は真っ青ときた。色素の薄い皮膚が透けて激情にかられているのはまるわかりだ。
「……あれは10年前だった」
ノスコン・ダーク14歳という、最も多感なある日に。
「そうだ、あの時も長老会の連中がなんだかんだ言って俺を呼びつけていたんだ。長老マルクもいた。そしてアイツを連れていた!」
黒い巻き毛、同じ色の愛嬌ある瞳、そしてまた黒々と右頬に十字星の形に並んだ4つのホクロ。
「じーちゃん、アレをぶっころせばいいの?」
「ぶっとばすくらいにしてくれるかな?」
「オリィ・ザッテ!あのクソ生意気なメスガキが!俺を……俺を負かしたんだ!!!」
吐き捨てるように叫んで、枕に頭突きをくらわせた。詰め物の羽根が爆散して二階の床に穴が開いた。
<続>