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深い海の底にあるカボチャ  作者: 三日目のチーズケーキ
2/6

言葉の波



女の幸せは、どういう男と結婚するかで大きく左右される。


それは亡くなった祖母の言葉だった。


おばあちゃん、もうそういう時代じゃないのよ。と彼女は心の中で思うのだが、完全否定も出来ない自分がいた。


落葉樹の葉が落ち、裸になった木々が並んでいても寂しい気分にならないほど、お洒落なお店があちらこちらにある通りを歩いて、彼女は待ち合わせのカフェに着いた。


そのカフェの外観は葉が落ちた蔦で覆われており、一見不気味にも見えるが、この近辺では人気の有名店で、外からでも人の声が聞こえてくるぐらい、店内は人で賑わっていた。


早めに着いたと連絡があった通り、友人のあきなは先に来ていて、入口付近のテーブルでこのお店自慢のカフェラテを飲んでいた。


お互いに顔を合わせると笑顔になり、久しぶりと軽く挨拶をしてから、さやかが席に着くと、それを合図にそこからはもう止まらず、マシンガントークが始まった。


この前、行ったネイルサロンの話、会社で起こった不思議な怪談話、高校時代の先生の変な癖の話などと多岐にわたり、二人はよく笑いながら喋った。


頭の中の言葉をポイポイと出し、話があっちこっちへと飛んでいても、一ヶ月前と同じ話題を話しても気にしなかった。


注文したランチプレートを綺麗に食べながら喋るのは、なんかの曲芸みたいだった。


そして、あっという間に一時間が経った頃、特に前触れもなく、本来の目的の紹介したい男の話になった。



「そうそう、紹介したい人の写真、今探すね」と言い、あきなはスマホを下までスクロールをし、「あれっ?あっ、違っ、はい!この人!」と友人はスマホを見せてきた。


その姿は水戸黄門が慌てて、紋所を出すように見え、さやかは心の中でクスッと笑った。


さやかはスマホを受け取り、男の全身が写った写真を数枚ほど見た。


第一印象として、好きなタイプの感じではなかった。


だが、スラっとした背丈に少し重めの前髪、シンプルな服装はどことなく女子受けがよさそうで、見るからにモテそうな雰囲気が漂っていた。


そして、友人のどう?という質問に、さやかはいい感じじゃない?と上から目線で言った。


本音としては、写真数枚で判断どうこうではないのだ。もし好みだったとしても、実際、会って話してみないと何も分からない。


次に、あきなは男についての軽い情報を話した。男は二十九歳で、さやかの一個上だった。


仕事はITエンジニアで、カメラが趣味らしいと。


友人はさやかの写真を先に男に見せていた。勿論、彼女の了解は得ていた。そしたら、男の方から是非会いたいという話があった事を友人はさやかに伝えていた。さやかはその言葉を聞き慣れていた。


「じゃあ、彼の連絡先ね」と、さやかは友人に教えてもらった。

そして、彼にも教えておくねと言った。



彼はいい人だから、いい人だからと友人は会話中、何度も言ったが、具体的ないい人エピソードは何一つ出てこなかった。結局、紹介された男の内情の多くは、謎が多く残ったままだった。


その後、二人は追加注文をし、またあれこれと話を続けた。


婚約中のあきなの旦那となる彼氏の話やハネムーンの予定も聞いた。

結婚の予定を控えた友人は終始、笑顔が多くて幸せそうだった。



そんな自慢話ととれる話を聞いて、嫌な気分になる人もいると思うが、さやかは古くからの友人の幸せを願っており、むしろ幸せのお裾分けを貰った気分だった。


そして、終始笑い話をして、またすぐ会おうと約束をすると、二人はその場で別れた。楽しく、有意義な時間だったとさやかは思った。




その後、さやかは一人になるとカフェから近くの大きな本屋に行き、まずトイレに入って、誰にも見られないように鞄に入れておいた自前の歯ブラシで素早く歯磨きをした。


それから、小説のコーナーに行き、今月発売したお気に入りの作家の本とあと適当に近くにあった短編集も一冊買ってみた。


本を読む時間はめっきり減った。

他に手軽な娯楽が沢山増え、本を読む時間を他に使うようになってからは短編ぐらいが丁度良かった。

短編集のタイトルは「産声」だった。

さやかは友人たちに何らかの影響を受けて、その本を手に取ったのではないかと後で心理的な面で思ってしまった。

後日、その短編を全部読んだが、思っていたものとは違い、あまり好みではなかった。



さやかは本屋を出た。

そして、スマホを見ると、先程、あきなから紹介してもらった男からもう連絡が来ていた。


さやかは軽く文面を見てから、返事をせず、スマホをコートのポケットに仕舞った。


彼女は考えていた。


私と相性がいい人なんて、そう簡単に見つかる訳はないと。だから、結婚相手はしっかり探した方がいい。


その為、出来るだけチャンスは掴んだ方がいい。


だけど、そうしているうちに、時間が過ぎ、段々とハードルが高くなっていく。ある程度の妥協も必要な事は分かっているのだ。



さやかは夕方に予約していた歯医者に向かった。


数ヶ月に一回、定期的に歯のクリーニングをしていた。


ビルの二階にある歯医者へと階段を上り、フロアに着くと、歯医者へと続く、重厚な扉を開けた。


待合室は老若男女、様々人で混んでいた。


さやかは空いていたL字型のソファの端に座るとすぐに、さっき買った本を読んで時間を潰そうと思った。


だが、一ページ目を開き、読もうとしたところで、タイミングを見計らったかのように、診察室から子供の大きな泣き声が聞こえてきた。


さやかは診察室のドアを見てから、集中できないだろうなと判断し、すぐに本を閉じ、代わりにスマホを手にとった。


このタイミングで男に返信をしようかと思ったが、まだ乗り気になれずに夜でいいやと思った。




歯のクリーニングが終わり、さやかは歯医者を出た。


口の中ではどこか腫れぼったい違和感が残っていた。


人がいない通りに立ち、スマホで時刻を確認すると、一時間は経っており、陽は既に弱くなっていた。


さやかは今度、スーパーに寄って帰ろうと思った。

そう考え、来た道を戻ろうと歩き出した瞬間、後ろから男に声を掛けられた。


いきなりの声掛けにさやかは驚き、ビクッと肩を上に上げ、素早く振り向いた。


歯医者があるビルを出た時、通りに誰もいなかったと思っていたからだ。


声を掛けてきたのは、パッと見、七十代ぐらいに見えるおじいさんだった。


最初、顎に立派な白髭を蓄えているのが視界に飛び込んできた。


そして、さやかは言葉を発する前に、次に深い皺がある目元を見て、身なりを見てしまった。


そのおじいさんは、黒のハットを被り、黒のツイードジャケットの下に、柄物のオレンジ色のシャツを着ていた。


さやかはその服装を見た瞬間、普通の人ではないなと思い、また体が固まり、本能的な恐怖を感じた。ここまで無言で数秒が経っていた。



「あぁ、いきなり声をかけてすみませんね」とおじいさんはさやかの泳いだ視線がちゃんと定まってから、優しくも野太い声で言った。



さやかは何も言わず、軽く頷いた。


「あの、これ落としましたよ」とおじいさんは言い、手を伸ばしてきた。


さやかはよく現状が理解できないまま、目線をおじいさんの手にやると、おじいさんはハンカチらしきものを握っていた。


さやかは反射的にハンカチを受け取ろうと手を伸ばした。


だが、「あっ、これはわたしのじゃないです」と途中で気づいて言った。


「あぁ、そうですか、てっきり、失礼しました」とおじいさんは小さく笑いながら言った。


確かに、深い紺色であるという点では、今さやかの持っているハンカチと同じだった。


だが、そのハンカチにはいくつものカボチャらしき絵が薄く描かれているのが目にとれた。


歯医者に来た誰かが落としたのかもしれないとさやかは瞬時に思い、歯医者が入っているビルを横目で見上げた。



その間、ニ人の間に微妙な空気が流れていた。


さやかは車が側を通り過ぎる音を聞くと、おじいさんの方を見て「では」と言って、軽い会釈をし、足早にその場を去った。




さやかは夕方に自宅に戻った。


部屋の明かりをつけ、カーテンを閉め、帰りに寄ったスーパーで買ったものを冷蔵庫に仕舞うと、着ていた服を着替えて、テキパキと家事をこなした。


帰宅してすぐ、ゴロゴロするのが昔から好きではなかった。


ささっとご飯を作って食べて、お風呂に入った。お風呂から上がると、またテキパキと化粧水や保湿液をつけ、ストレッチなどの日課をこなした。



とりあえず、やる事を一旦済ますと、さやかはスマホを手に取り、今一度、友人のあきなに今日のお礼の返事を送った。


そして、紹介された男にも、勢い任せで簡単な返事をした。


すると、スマホを置くこともなく、男からは数分足らずで返信が来た。


すぐ返信が来ると、その後無視する訳にもいかないと思い、また返信をした。


それが何度か続くと、そのキャッチボールをさやかは面倒に思った。

速く届くボールを受け取り、時間を置いて、放物線を描くように投げ返した。



その時、恋の駆け引きは苦手なのよ、なんて歌詞の曲があったよなと思い出した。



そして、男の返信の早さに、さやかは会う前から、ちょっと違うなと思ってしまっていた。


ある所で区切りが付くと、もう寝るね。と律儀に連絡をし、パソコンで映画を見てから、ベッドに入った。


だが、その映画の内容はちゃんと頭に入って来なかった。




今よりもっと若い頃は、異性との連絡の取り合いも、もっとワクワクしていた記憶を思い出していたからだ。



今は上っ面で、テンプレのような内容のやり取りで、新鮮味もなく、心の揺れ動きもなかった。


そう考えると、どこか虚しく思え、それ以上、考えるのをやめてしまった。


もう何も考えたくない、さやかはベッドに入り、目を閉じ、思考が及ばない世界に行きたかった。


歳を取るにつれ、乾いていく心が彼女自身、怖かったのだ。





彼女は暗闇の中にいた。


しばらくの間、そこで立っていた。


辺りは真っ暗で何も見えないし、鼓膜を震わす音は何もないようだった。


ここはどこだと彼女は思った。


防衛本能からなのか、危険を回避する為に、彼女は肩を竦めて立っていた。


しかし、そのまま立っていても何も変化がないと段々と分かってきた。


それならと、彼女は腰を落とし姿勢を低くし、足の指の先で何かを探るようにして、ゆっくりと慎重に前へと進んでみることにした。



そこでやっと、彼女は靴を履いていない事に気がついた。


足裏で受ける感触はひんやりとしたきめ細かい砂のように感じた。


しばらく慣れないきつい体勢で進んでみた。


だが、どこまで進んでも真っ暗のままだったし、本当に前に進めているのかもわからなかった。

そう思うと、次第に気持ちが焦り始め、怖くなってきた。



「えっ、なんで?ここどこ?ここどこ?」と心の声で言った。



彼女は首を振りながら辺りを見渡し、とにかく光らしきものを探し求めた。それは無意識に近い行動であった。



このまま暗闇の中を彷徨うのではないかと思うと、さらなる得体の知れない恐怖が増して来た。



ゆっくりと進んでも、進んでも、一向にして、視界に変化は何もなかった。



しかし、この不可解な状況に対し、彼女は数十歩程度進んだ辺りで、これは夢だと夢の中で気づいた。



そう理解できた途端、彼女は早く目を覚ましたいという思いが溢れた。



「夢だ!夢だ!目を覚ませ!目を覚ませ!」と彼女は心の中で願った。




だが、その夢は彼女の両足をしっかり掴んで離さなかった。



彼女はまた怖くなり始め、暗闇の中で何かを叫ぼうと口を開いた。



すると、口から大きな気泡がボワっと出てきた。



そして、反射的にここは水の中だと彼女は気づき、慌てて口を閉じ、両手で口を覆った。



息を止めると呼吸ができず、すぐに苦しくなった。



彼女はそのままパニックに陥り、必死にもがいた。だが、どうにもならなかった。



しばらくもがき続け、息止めの限界に達したと思った時、何故か、普通に鼻呼吸ができている事に気がついた。



その事にハッと気がつくと、安堵の波が内側からやって来た。


その後で、自分が愚かに思えた。


そして、呼吸を整え、激しく脈を打っていた鼓動が落ち着いた所で、今度はゆっくりと口を小さく開けてみた。



そしたら、また口からポコポコと気泡が出てきた。



その気泡は素早く上へ上へと上がっていった。



そう言えば、その気泡の姿は暗闇の中のはずだが、なぜかはっきりと見えていた。



すると、気泡の先、遥か遠くの方で、キラキラと光る水面らしきものが今度は目に入った。



その時、ここは深い海の底だと彼女は思った。



私は深い海の底にいる。そう思い始めたら、身体が急激に冷え始め、硬直し出した。



彼女は上を見上げたままだった。



目線の先にあった気泡はあっという間にほとんど見えない距離まで行ってしまったようだった。



彼女はよく分からない状況への恐怖を押し込めようと、上を向いたまま目を閉じた。



だけど、目を閉じていようと、視界はそんなに変わらなかった。



遥か遠くに揺らめきがあるかないかだけだ。



体温がみるみる下がっていくのを感じていた。



彼女は気を落ち着かせる為に一度、深呼吸をしてみた。


口呼吸を避け、鼻で吸って、鼻で吐いた。



そしたら、恐怖が少し和らぎ、身体の中に熱が発生し、身動きの自由が戻った気がした。


それを何度か繰り返した。


これは夢だと理解できているのだが、彼女の意思が夢をコントロールする事はできなかった。



彼女は目を開け、再び海面と思われる輝きを見た。


そして、その体制のまま、一歩後退りをしようとした。



すると、今度は何かにつまずき、バランスを崩し、勢いよく尻餅をついた。



その反動でまた口から気泡がゴボゴボと出た。



彼女は口を抑えずに、腰を抑えた。


そして、つまずいた場所、つまずいた原因の場所の方向を見てみた。


その原因は気泡と同様に、その姿も何故かちゃんと見えていた。



それは、とても大きく、真っ二つに割れたカボチャだった。



深い緑の厚い皮があり、中身は場違いのように思えるほどの鮮やかなオレンジ色だった。



彼女はそんなカボチャを見つめた。


こんな所にカボチャがある訳がないと思い、彼女は瞬きをしてから、目を擦り、本当にカボチャなのかと凝視してみた。



姿、形はカボチャなのだが、深海生物にも見えない事はなかった。



なんなの!この夢!と、この状況に嫌気が差し、彼女は立ち上がろうとした。



その時、今度はジャラジャラと足元から音が聞こえて来た。


彼女はハッと思いながら、自分の両足を見てみた。


そしたら、右足首にさっきまで付いていなかったはずの、足枷が付いている事に気がついた。



彼女は素早く息を飲んでから、膝を曲げ、鎖に触れ、その厚い鎖を手に持ってみた。



鎖はなかなかの重さだった。



彼女は今度、見えない鎖の先を確かめる為に、力一杯に鎖を繰り寄せると、その足枷の先はカボチャに刺さり、彼女と繋がっていた。



それを見て、何故か彼女は少し笑ってしまった。



「なんで?」と。






さやかは目を覚ました。




ぼんやりと見える視界、部屋は薄暗かった。



身体は汗だくで、額に前髪が張り付き、足元が少し高くなっている違和感で、枕が足元にあるのが分かった。



いや、それはさやかの方がいつの間にかに逆さ向きになっていたのだ。



それは視界に映るもので理解できた。


そして、ふいに手を目尻に持っていくと、汗ではなく、目から涙が流れた形跡があるのが分かった。


さやかは濡れた両目を寝間着の袖で拭った。


それから、汗ばんだ上半身を起こし、四つん這いになり、ベッド横のサイドテーブルで充電していたスマートフォンに手を伸ばして時刻を確認した。



時刻はいつもの起床時間より随分早い時間だった。



だが、さやかはまた横になる事はせず、ベッドから降りると、そのまま窓際に向かい、カーテンを開け、窓を開け、裸足でベランダに出て、街の様子を眺め出した。


それはいつもなら朝一ではしない行動だった。

だいたい、出勤日は一日中、カーテンを閉めたままなのだ。




さやかは頭の中で夢の記憶をまだぼんやりと引きずっていた。



真っ暗闇で、音のない世界の中にいた自分を。



だから、この行動はちゃんとした日の光が見たい、街の音を聞きたかった為の行動からだった。



外では太陽は少し顔を出しており、静寂に包まれ、蒼い街を優しくなで起こしているような朝陽のべールが見えた。


さやかはその風景をじっと眺めた。



しばらく眺めて満足すると、さやかはベッドに戻り、一旦、腰を下ろした。


汗で濡れた体が朝の冷えた空気をまといとても寒かった。


だが、さやかはそのまま目を閉じ、夢の細部を思い出そうとした。


深海にいた前に何処かにいて、何かを見ていたはずだが、既にその記憶は消えてしまっていた。



今でも思い出せるのは、深い海の底にあるカボチャぐらいだった。


巨大なカボチャ、そのシュールな姿が再び頭を過ぎると、彼女はまた笑みを浮かべた。


さやかは立ち上がり、まずお風呂場で温かいシャワーを浴び、それが終わると服を着替え、二度寝する事なく、少し早いが朝の支度をし始めた。


毎日の日課としての顔の点検もちゃんとした。


そして、いつもより早い時間帯に家を出た。





それから数日、さやかは平穏な日々を過ごした。


同じ時間に起き、同じ仕事をし、同じ時間に寝た。


食べた物だって、そう代わり映えはしなかった。


しかし、何も変化がない事はなく、明日、連絡先を交換した男と会う約束をしていた。


人は早いと思うかもしれないのだが、さやかは早くはないと思っていた。


実際に会って、どういう人なのかをいち早く確認した方が、時間の無駄にはならないと思っていたからだ。




そんな中、平穏な日々を遮る電話がかかって来たのは、久しぶりに仕事が遅くに終わり、クタクタになった状態で部屋の扉を開け、丁度、玄関に入った時だった。



着信音が鳴り、スマホをカバンから取り出し、画面を見た。


その着信相手は友人のあきなからだった。


さやかは画面に表示された名前を見て、何故だか不吉な予感を感じとった。


こんな時間帯にあきなから電話が来るなんて、随分久しぶりの事だったからだ。


そして、電話に出た。


「もしもし、さやか、遅くにごめん……」とあきなは開口一番、泣いているような声でそう言った。


さやかはその声に驚き、「どうしたの?」と反射的に聞いた。しかし、さやかのその問いからしばらくの沈黙があった。


「彼と別れたの」とあきなは鼻をすすりながら言った。


そして、電話の向こうで声を必至に押し殺して泣いているのが分かった。



「彼と別れた」さやかはその突然の報告に対して、上手く言葉が出てこなかった。



あきなとあのカフェで会ってから、まだ一週間も経っていなかったはずだ。


そして、あの時のあきなは終始笑顔であり、幸せの最中にいたはずだった。


それを思い出すと、今の状況を頭の中でうまく整理が出来なかった。


長い無言が続いた後、「そう」とさやかは小さな声で言った。結局、適切な返答が見つからなかったのだ。


「うん、そう」とあきなは言った。


電話越しで友人はずっとすすり泣いていた。よく状況が呑み込めないまま、


「今から会いにいっていい?」とさやかは聞いた。


「ごめん、来なくていいよ、大丈夫だから……だから、結婚式はないの……ごめんね、またね、じゃあね」と言われ、そのまま一方的に電話を切られた。


さやかはそれでもその断りを無視して会いに行こうかと迷い、しばらく玄関で立ち尽くした。




さやかは仕事で疲れた頭を必死で回転させていた。



あきなの彼氏がマリッジブルーになったとかで、ただ大喧嘩しただけではないのか?と単純にそう考えた。


だが勿論、真相は何一つとしてわからない。どうすればいいのだろう?と考え、とりあえず、あきなに簡単なメッセージを送ってから、靴を脱ぎ、部屋に入った。



さやかはリビングに入っても、しばらく立ったままだった。



あきなの泣き声を聞いたのは十代以来だった。


あきなの泣いている姿を思い出そうとしても、やはりこの前、会った時の笑顔が頭の中で思い浮かぶだけだった。



さやかはあきなに今すぐ会いにいき、優しく抱きしめるべきなのだろうか?と思ったが、考えれば、考えるほど、よくわからなくなっていた。



そう考えている内に、あきなからメッセージが届き、「またちゃんと話すね。いきなりごめんね」と書いてあった。



さやかは今一度、文面で「今から会いにいってもいい?」と送ったが、あきなからの返信は早く、丁寧に断られた。



十代の頃の私なら問答無用であきなの元へと走っていただろうが、今、私たちはもういい大人なのだ。



さやかはそのやり取りが一旦終わると、手を洗い、服を着替えた。



その夜、さやかはすぐには寝付けなかった。



穏やかな海は前触れもなく、いきなり荒れはじめた。



私はその様子をどこから見ているのだろうか?と思ったのだった。


読んでいただき、ありがとうございます。

 

続きます。

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