5-12.【Side:ギュンター】逡巡、困惑、そして白旗
レオノーラたちが対峙する形になったファイゼルト侯爵家当主、ギュンター・ハーマンからの視点です。
大臣という高官の役職を拝命している以上、当面の業務に対応するのは当然すぎるほど当然のことだ。部下から出される資料にしっかり目を通してサインをする。陛下や宰相、侍従長から指示や問い合わせがあった場合に適切に対処する。部下への業務を適切に割り振る。いずれも、当然やるべき仕事である。しかしこれらは、最低限のものだ。しっかりこなしていれば、大臣としての職務を全うしているということにはならない。いわば、本試験受験資格となる予備試験を通過したという程度のことだ。
その先にあるより重要なことは、大臣としての職責を果たすために必要となる、情報の収集と対応だ。
表に出ているトラブルに対処するのは現場の仕事だが、諸々のトラブルを起こさないようにするのは現場の奥に居る者の仕事。もちろん、日常的な警備や点検は現場が行うが、そこで発生した課題を整理分析し、施策の重要度と緊急性を軸に優先順位を設け、予算と人員を確保し、執行を手配する。これは、組織上層部の仕事になる。これらを怠れば、現場で適切な対応などできない。
だからわたしは、配下へ指示をする時には、その前に必ず、話をしっかり聞く。これは、聞き入れるということではない。情報の選別を配下に任せず、それを自ら行うことで、彼らへ無用な責任を負わせないようにするためだ。無用な仕事任せは、必ずや事なかれ主義に、事態の隠蔽に、そして、無気力かつ怠惰へ至る。これは、いろいろな役職を経てきた経験則によるものだ。そしてまた、上官として下した判断を、配下へわかりやすい形でしっかり示す。そうすれば、いい意味での安心感を持って、業務を着実に遂行できる。
それでも、わたしのさらに上の役職、上の業務になれば、そうとはならない。
――貴様は、わしの言うことに従っていればよいのだ。口出しは無用。細かい事は貴様に任せる。
確かに、間違っていない。決定するのは彼であり、わたしはその指示に基づいて、適切に対応するのが仕事だ。提案することは可能でも、それは権限には入っていない。執行だけでなく個々の判断についても、部下に委ねるというのは、効率という面でも人材育成という点でも、一理ある。
だが、そこには、面倒なことに関わりたくない、という本心が、透けて見える。それは、政治がらみも含めた多くの要素がごちゃごちゃ入り組んでいるという意味での問題案件に限らず、単に、作業という意味での仕事を増やしたくないということだ。
しかし、決定に際しては、当然のように判断が伴う。その判断の材料となる情報を提示するのは、官僚として当然のことではないのか。そしてまた、その判断を示すことで、彼の業績になるのではないのか……いや、そのような業績など、そもそも、必要ないのかもしれない。
宰相という地位は、臣下の中では、侍従長と並んで最高位。いわば、上がりの役職だ。
その一方で、具体的な権能がそれほど多いわけではなく、大臣や将軍への指揮管理が中心の業務になるから、利権としてのうま味は少ない。もちろん、付け届けやら何やらはあるだろうが、それは大した額ではないだろう。そういう立場だから、金銭面で強欲さを発揮すれば、失うものが大きすぎる。
そういう者が向ける欲といえば、名誉しかない。
現在、この国は、少なくとも表面を観察している限りでは、平和そのものだ。長き期間にわたって、他国との戦争はおろか、国境紛争さえ存在しない。無視できない固定費が発生する常備軍は、守護者としての敬意を集めるどころか、税金泥棒扱いされている。そしてまた、他国との摩擦自体、少なくとも表面上は何も発生していない。
そういう時勢であるから、対外関係の業績は、名誉につながらないのだ。
名誉は、王族の判断基準で、王族が満足するようなことを成した場合に、その発生要件が満たされる。そこには、臣民の視点は求められない。軍人勲章だけは別だが、そもそも軍人自体が忌避される傾向にあるのだから、これは無視してよいだろう。そうすると、判断すべき王族の見識しだいで、名誉なるものが決定されることになる。
これは、王族がその立場に応じた倫理観や世界観を備えていれば有効に機能するが、もしそうでない王族が力を持った場合、下劣な結果にしかならない。名誉を得ようとするなら、単なるイエスマンにはならず、しかし、王族が個人的に望む形で見える成果を用意すればいいのだから。
そのためには、長期戦略が排除されるのはもちろん、王族が客観的な判断をできないように誘導することになる。その中には、特定の王族だけが、甘い汁を吸いつつ、チヤホヤされるような状況になることもあろう。
何のことはない。この国における名誉というものは、王族の資質が低下すると同時に、王室自体を壊していくものに成り下がっている。
この国の大臣は、折に触れ、王家に仕える者として、という言辞を用いる。それは間違っていない。しかし、そこに込められた“王家”とは何か。生身の人間たる個々の王族の集合体という以上に、どのような意味があるのか。
とどのつまり、この国の高官が忠誠を誓うべき相手は、何なのか。何のために仕事をすべきなのか。
現在の宮廷を見ていると、そのような思いが止まらない。
だからこそ、今の仕事をしていて、思う。外交ができる人間が欲しい、と。
相手の足を引っ張る能力を持つ者は居る。それも意味のある能力ではあろうが、たいていの場合、それは個人的に留飲を下げるためにのみ使われるといって過言ではない。相手をおとしめて自らを高く見せる。貴族間ではいろいろとけん制をすることもあるが、明確な醜聞でも出さない限り、家柄が逆転するわけでもない。実利も何もないが、それだけのことだ。
ところが、外交となれば、そうはいかない。相手の弱点を把握するのは当然でも、そこを突くのが必ずしも得策とは限らない。そもそも、相手を攻撃するのが正解でないことも多い。重要なのは自国の利益の確保であって、他国の損失ではない。短期的に、長期的にどうすべきかを予測して行動しなければいけない。それが、外交のために必要な姿勢だ。
そういう人材がいないかと探していたのだが、本日、偶然にも会うことができた。
ただし、相手を引き込むことなど、まずできそうにないという、非常によろしくない形で。
その人物は、レオノーラ・エグナー。ドゥルケン男爵家令嬢にして同家次期継承予定者。十六歳という年齢のため、義父が後見人のような立場で当主を務めるが、すでに彼女が主体的に事実上の当主として活動していることも多い。かつては王立学校で優秀な成績を修めていたが、義父の行動その他諸々の事情で、自主退学している。
そして、レオノーラ嬢は、王太子殿下のお気に入りである。殿下の婚約者はわが娘レベッカなのだが、殿下はレベッカのことなど目もくれず、レオノーラ嬢に熱を上げている。少なくともここまでは、複数の立場からの証言が時期をずらして寄せられており、事実とみるべきだろう。
ところが、レオノーラ嬢が、具体的にどのような活動をしているかについては、よくわからないことが多い。殿下と昼間から、いかがわしい行為に堂々と励む。高位貴族の令嬢に無礼を働き、それを注意されると殿下に告げ口して彼女たちの立場をなくさせる。殿下に頼み事をして、国庫からの支出でプレゼントをねだる。その他、耳にする醜聞には、枚挙にいとまがない。
それなのに、裏付けが取れ、事実と判断できる活動は、ほとんどないのだ。
唯一わかっているのは、レオノーラ嬢が、複数の若手官僚や若手軍人に声をかけていること。パーティーの場だったり、執務室や訓練場だったりと、場所はいろいろあるため、男をあさりに来たと見なされ、目立つからだろう。ただし、レオノーラ嬢が話しかける相手は、家柄の上下はあるものの、概して、役職に恵まれない者たちだ。色事での男を捜すのではなく、人材を探しているとみるのが自然だが、他の者の目につくこともためらわないという点が気になる。自分は近い将来、人を使う立場になるので、使える者を見出そうとしているということを、隠していない、と読むのが妥当だろうか。
わからない。陰謀をなさんとするなら、これ見よがしに行動を明らかにする意味はない。自分に危害がないことを示そうにも、すでに悪名が広まっている以上、疑いの芽を増やす意味もない。
端的にいえば、行動に一貫性がなく、意図が読めないのだ。
単なる愚者の短慮と片付けられれば簡単だが、愚者なら愚者なりに目的を持って行動するはず。刹那的な快楽なり虚栄なりといった下劣なものであろうと、目的があるはずだ。しかし、レオノーラ嬢には、目的が見えない。観察しても、理解できない。
そういう対象については、直感的判断に頼って処断するのも、悪い手ではない。それなりの経験を積んでいるのであれば、直感が示す選択肢の正答率はそれなりのものだろうから。
その考えに従えば、彼女は抹殺するのが妥当だろう。幸い、現在の当主は愚鈍で有名だし、妹はそもそも遊び歩いているのみらしい。
しかし、ドゥルケン男爵家といえば、その祖先は、隣国であるアイゼン王国の係累で、祖王から授爵した家だ。王位継承権こそ失っているものの、王族としての身分は保ったままだったはず。現在の当主がどのような立場を有しているかまではわからないが、今でも同家には、アイゼン王国と何らかの関係があるものと見ておくべきだろう。アイゼン王国自体が、この国にどうこうしてくる可能性は高くないと思うが、他国が攻撃してくる口実にはなる。
そして、現時点で、王太子殿下が執心の人物だ。この時期に彼女を害せんとすれば、当家が真っ先に疑われるだろう。
結論として、手を出すことは不可能だ。
そのような者と相対することになったが。
――わたくしの考えでは、卿の行動選択は、正解だと存じます。
肝心の用件について、何ら明確に申し込もうとせず、こちらの状況についてあれこれと突いてくる。礼儀も何もないが、意識をある角度へと誘導させようとする話法として有効だ。
わたしは、この時点で、レオノーラ嬢を“男爵家令嬢”ではなく“貴族家当主”と扱うべきと考え直した。
そして案の定、王国軍解体というカードを切ってくる。この情報自体はわたしもつかんでいないものだったが、現今の王宮の動向を考えれば、予想しうる内容ではあった。
しかし。
――この愚案を持ち出したのが……ミルーデン王国です。
何だと?
わたしは、これでも外交官だ。諸外国の動向だけでなく、他国との人や財の動きなどについては、しっかり把握しているつもりだ。でも、そのような話は初めて聞く。
大臣という立場の者としてあるまじきことながら、表情を繕うことができなかった。
それだけではない。
――多くの人間が集結しておりますが、彼らは大半が壮年男性。武器は持っておりませんが、武器として使えなくもないものを使っております。そして、これが一番重要なことですが、ミルーデン語が使われているとのことです。
彼女の言を信じるか否かは別として、その情報を否定できる、すなわち評価できるだけの材料が手元にないのもまた事実だ。
われわれにとっての仮想敵国としては、軍事上で切実な状況にあったダルス帝国が重要で、ミルーデン王国は特に危険視されていない。なぜなら、ミルーデン王国の状況は、財政、家臣統制の両面で非常に悪く、軍を組織、動員できる余力はなかったはずだから。そしてまた、わがユリデン王国に境を接する諸侯においても、それだけの軍事力はない。そこまでは確認できている。
しかし、ユリデン王国から利益を得るのなら、必ずしも、軍事行動を起こす必要はない。占領するなら、少しずつ人員を入れていけばいい。
ミルーデン王国に接する地域の経済が好況なのは、恐らく隠し鉱山によるものだろうが、その採掘に必要な要員をミルーデンが送り込んでいると考えれば、つじつまが合う。かの国では、被差別民が奴隷同然として酷使されているというから、彼らを使っている可能性が高い。もし事態が悪化すれば、彼らを捨て駒にして逃げてしまえばよい。あるいは、ユリデン王国内の都市へと追いこみ、暴動を起こさせることもできる。
そして、ユリデン王国から利を吸い上げるのであれば、ダルス帝国と目的を共通にできる。秘密同盟が締結されている可能性もあるだろう。
もちろん、これらはあくまでも推論だ。具体的な根拠があるわけではない。しかし、わたしが把握できていない情報をつなぎ合わせた場合、そのような帰結に向かうことには、何ら不自然さがないのだ。
それは、レオノーラ嬢の発言の信ぴょう性に結びつくものではない。ないのだが、彼女の発言について、それを考慮しないという選択肢は取れない、ということにはなる。
厄介な者を敵にしているものだと思ったが。
――わたくし共は、味方になってほしいですとか、協力いただきたいですとか、そういう要望はいたしません。敵になるなとも申しません。ごく短い間だけ、我々に対して直接関与なさらないでいただきたい、とだけ。
力を貸せというのなら、彼らの目論見を知ることができる。衝動的なものではなく、恐らくは中長期的な展望を持って動こうとしているように見える。場合によっては、その野望を阻止するために、刺し違えることだってできよう。
しかし、そういうことは望まない、と言われれば、踏み込むこともできない。
交渉としては、完敗だ。
――報酬は?
もう、このように言うしかなかろうよ。
レベッカがとがめるような声を発するが、わたしの力量は、この程度のものだ。
そして、事が成った後――どのような“事”なのかは最後まで言わなかったが――について聞かされた時、驚くべきことを言い残した。
これは、座して結果を待ってよいものではない。彼らが手を下す間もなく、当家が崩壊していく様が目に浮かんでしまう。
直ちに、背景となる事実関係を整理しておかなければ。
頭のいい人が、余計なことまで考えてしまう例。ロジやネゴに強い一方で政局勘には弱い、能吏によくあるパターンの人です。
相手が有希江だったら、存外話が合って、ガッチリと握手できたかもしれませんが、あまりにも間が悪かった。




