5-10.【Side:トビアス】焼け棒杭を自覚
「何だと!」
レオノーラ嬢の発した“王国軍と武器兵糧の売却”という情報に、思わず反応してしまった。
ビルジー侯爵家では、王国軍をリストラされた連中を多く雇用している。兵士は、いわば同じ釜の飯を食った間柄だから、離職後も残留組と良好な関係を築いていることが多いので、戦力としてだけでなく、情報収集ルートとしても非常に有用だ。
そういう次第で、軍の内部情報などは、かなり詳細に把握してきたつもりだが、それでも寝耳に水だ。当事者不在、現場無視のまま、はるか上の方で勝手に進められていることなのだろうとは思うが。
国防に関することなら、情報が漏れる前に迅速に決定、執行する必要はある。しかし、上層部への根回しさえしないのは、やはり異常だ。
そして、周りの視線が、自分に集中していることに気付く。
「……いえ、唐突に大声を発して済まない。しかし、その情報は確かなのかね」
彼女は、こちらをちらりと見ただけで、視線を再びハーマン卿に移す。自分が話している相手はこちらだ、今は黙っていろ、ということか。
「出所については申しかねますので、確実に納得いただけるであろう回答はお出しできません。しかし、少なくともわたくしは、ほぼ確実だと踏んでおります。また、この愚案を持ち出したのが」
「ダルス帝国の手先、ということか」
そう口にしたハーマン卿の表情は、苦虫をかみつぶしたようになっている。自分が把握できなかったことに、忸怩たる思いなのだろう。そう思っていると。
「いえ、ミルーデン王国です」
「……」
何だって?
この展開は予想外だったらしく、ハーマン卿もポカンとした顔になっている。失礼ながら、外交官を務める貴族の顔ではない。
一方、イザベラは、何やら非常に難しい顔になっている。いや、考え込んでいる。新しい情報を得て、頭脳をフル回転させているといったところか。人の能力をめったに褒めることのない有希江が、天才と評した逸材だし、俺程度の頭脳では付いていけない思考を巡らせているのかもしれない。
しかし、確かにつじつまはあう。ミルーデン王国の国内は非常に追い込まれた状態になっており、国王が政務を放棄して久しく、先のめどが立たないという情報はある。極めて優秀な隠し球が居るという説もあるが、本当にそんな者がいれば、暗黒時代を長らく続けるはずはなく、国家が空中分解するのを防ぐための“おとぎ話”に過ぎないと見るべきだろう。
そういう状況下なら、ローリスク、ローコストで外国へ向けて謀略戦を仕掛けるのは、理解できる。戦闘行為を伴わない軍事侵攻。楽なものだ。
レオノーラ嬢は、出されているお茶を一口すすってから、淡々と話を続ける。
「この施策が実施に移されるかどうかは、未知数です。しかし、多くの者にとって、それが実施されるかどうかはどうでもよいのであり、そのような発表による混乱そのものに期待を寄せているのでしょう。直接的な外部からの介入などもなく、内戦さえも起きず、ただ、王国の幹だけが空洞化する。一方で、社会に根付いた貴族制自体は、何の揺るぎもない。そうすれば、例え貴族を統括する者が、現在の王家から別の王家へ移行したとしても、ほとんど混乱がなくて済みますわ」
「……」
「残念ながら、我が王国を支える幹は、完全に腐朽しております。政治の腐敗といえば、汚職だの隠蔽だのという次元のことが真っ先に浮かびますが、そのような瑣末なことではございません。また、特定の奸臣が権力を動かしているわけでもございません。現在の王権は……」
そうか、読めた。
彼女にとって、ダルス帝国の動向とか、ハーマン卿の立場とか、そういったことは、あくまでも前座。
そうではなく、王国の体制自体が完全に根腐れを起こしており、このままでは、他国がごく自然に併呑してしまうことを伝えようとしていたわけか。
「しかし、そのような施策を提案したところで、反対する声も当然上がろう。それによる混乱も、その、ミルーデン王国の謀のうちかね?」
「そこまでは存じませぬ。ですが、現在の国家財政は、恐らく相当に逼迫しているはず。現在のような平和な状況下では、軍隊など経費がかさむものを整理するというのは、文官にとって魅力的な提案でしょう」
暴力装置は、権力を担保するための必須ツールだ。場合によっては、軍事力を背景とすることなく、巧みな外交をもって、それに変えることができるかもしれない。しかし、超人的な能力を持つ外交官を確保し、活発な活動を不断に展開していく必要があるし、そんなことは現実的ではない。
「特に、王太子殿下が軍を毛嫌いされているという面もございます。同調する者が多数派を形成する可能性は十分にございます」
軍の中に入れば、王太子の威光といっても、単なるお飾りにしかならないし、自分の命令を聞かせることができない。エドガー様から聞いた話では、剣などの訓練で自尊心が傷つけられることもあって、王太子は軍の視察など一切しないらしい。アホか、と思うが、宮廷というコップの中が世界の全てという連中にとっては、そういう価値観こそが本来のものなのだろう。ただ、上に立つ者は、その権力を内部だけでなく外部に向けなくてはならないので、権力者としては失格だが。
「事態が紛糾する場合、反対する者に対して、王太子の意向に刃向かう不敬者、という評価が下されましょう。また、陰謀論も活用されるかと。例えば、有力領主貴族による謀略であり、彼らの動きによって混乱が発生、といったシナリオをこしらえ、王宮で役職を得ておられる有力貴族家を失脚させる運びになると予想されます。ヴァルジン伯爵家、ミールディン伯爵家等がターゲットと思われます。ビルジー侯爵家は中央での足がかりがそもそもないので処分しようがないですし、デリンジャー伯爵家は他家との付き合いが少々あるという程度の上に軍事力が強いので手を出せないでしょうが」
レオノーラ嬢は、俺の方にちらりと目を向ける。にらんでいたように見えたのは、気のせいだろうか。さっきの意趣返しなのか。
しかし、大した洞察力だ。そして恐らく、ある程度固定化している組織に対して、陰謀を仕掛ける力もあるのだろう。今の王宮は、陰謀での政権転覆などあまり意味がないから、そういう手法を採らないだけで、末期症状に至る前であれば、レオノーラ嬢の行動は違った形を取ったに違いない。
その先には、有希江が抱くような現実主義に即した、あるいはイザベラが夢に描いているような、新しい世界が開けるわけではない。ただただ、現状の閉塞を打開するための手法として、自分の活動を位置付けている。
長期的な視野を持っていないのか、見せないのか。底が知れない。謀略家なのか。
そして一つ、わかったことがある。この姉妹は、通常の貴族では手にしようがない情報を手にしているが、その収集経路が根本的に異なる。
イザベラについは、彼女の言をそのまま受け止めるなら、それほど難しいものではない。彼女がいわば情報組織のトップを務めており、忠実な配下が、場合によっては自分が動いて情報を集める。それを整理、分析するのは、基本的に自分が行う。幹部と手足の役割分担が明確だ。
一方のレオノーラ嬢は、ミルーデン王国などというものを持ち出してきたことを考慮すると、彼女が音頭を取って収集した情報によるものとは思えない。種々雑多な情報をいったん大量に受け入れて、それをフィルタリングして利用している……いや待て、そうじゃない。
そうなると、ツリー状の組織ではなく、リゾーム状のネットワークに参加していると考えるのが妥当か。
恐らく長期にわたって作られ、維持されてきたもの。そして、一般の人間は、そこに参加することも接触することもできない。いや、その存在を気取ることもできない。そんな、組織化されていないネットワークがあるのではないか。
単なる妄想かもしれない。しかし、商人のネットワークなど、多様な属性に応じて、種々のグループが重層的に形成されていることを考えれば、レオノーラ嬢の切り札の一つが、ネットワークへのアクセス権そのものなのじゃないのか。
……ダメだ、考えがまとまらない。
どうも、朝方に有希江とあんな会話を交わしたせいか、頭の中が煮詰まっているような気がして仕方がない。
特に、レオノーラ嬢の発言の一つ一つが、いちいち癇に触る。その顔で、その体で、そんなことを言うな、と。
思い出の彼方に追いやった感傷が、執着として巻き戻ってしまったのかもしれない。
いや、もう言い逃れはすまい。間違いなく、俺は、再会した有希江を求めている。だからこそ、プロポーズまがいのことを口にしたのだろう。何の打算もなく。
「……まずいな」




