5-7.【Side:レオノーラ-1】姉の覚醒
「ん……あれ、ここ……広場、か……え? イザベラ?」
「あ、姉上……切り替わったのですね」
「切り替わ……え? あ……そうか、ふむ。うん? 今、朝なの? ……イザベラ、あんた、また朝帰り?」
「あはは……」
まったく、この子は。元の素材がいいのに、どうしてこう、悪い意味で軽いのだろう。週に二回ぐらいは、夜になると家の中であえぎ声を出しているし、いったい誰を引き込んでいるのやら。
あの愚かな義父の寵愛をいいことに、享楽にふけってきたのだけれど。まったく、これだけ素材がいいのに、もったいない。
いや、この子はこの子として。
わたしは、どうして、ここに居るの?
「なんで、わたし、朝、ここに……」
「どうやら、ユキエが朝帰りしたようですよ。ビルジー侯爵家のトビアス様と、いい雰囲気だったようで」
「え」
ちょ、ちょっと。あの、娘、わたしの、体で、いったい。
「あ、ご心配なく、そういう接触は何もないですよ」
「……なんでわかるのよ」
「経験豊富な人間の嗅覚ですかね」
経験豊富、って。何だか複雑ね。先を越されてどうの、じゃなくて、あまり楽しそうな感じがないのよ。家督継承など気にする立場じゃないからと、仮面舞踏会なんかに年中出入りしては、朝方にやたらと満足したほくほく顔で馬車へ乗り込む令嬢なんてのもよく見るけど、イザベラの顔はそういうのじゃない。何て言うか、一日の義務を終えた仕事帰り、といった感じで。
「……まあいいわ。それより、ここまでずっとユキエ任せにしてきたけど、今の事情がどうなってるのか、さっぱりなのよ。イザベラ、わかるかしら」
「昨日の昼過ぎまでは、ユキエと一緒でしたから、それまでのことでしたら。そうですね、外から見れば、どのような形であれ姉上としての行動になりますし……姉上とユキエの間で、外部からの情報を同時に受け取ることはできないのでしょうか?」
「うーん、できるかも……可能だとは思うけど」
「思う、ですか?」
「そう。えっとね、今の術式にもう一手間掛ける必要があるのよ。呪印を刻むのにはそれほど時間はかからないけど……そうね、やってみましょう。家に帰ったら」
今のユキエは、強い意志を持って動いているものとみえて、肝心のわたしが外部の状況を把握できなくなってきている。しかし、召喚者と被召喚者が、五感を共有すること自体は、理論的にはそれほど複雑な要素が絡むものではないし、意識が混乱するような重い副反応が起きる可能性もまずない。
そうしなかったのは、自分と被召喚者の相性がどのようなものかわからず、万が一の場合は被召喚者との関係をきれいに断ち切れるようにするため、感覚共有の手順を踏まなかったためだ。召喚者が、異なる世界から一方的に召喚された者と、当初から良好な関係を築けるなんて、あり得ない。第三者を挟むか、一定の時間を経過させるしかないだろう。しかし今回は、前者の条件により、ユキエのわたしに対する感情は、純然たる敵に対するそれではないと思うし、解禁する時期とみてよさそう。
その上で、イザベラから、現状を聞く。
ほう。ふむ。なるほど。
ごめんなさい、イザベラ。わたし、あなたの力量を完全に見誤ってたわ。
これだけ状況を把握して、誰がどのように動いて、残り時間がどれくらいで、そういうことを計算して説明できるとは思ってなかった。だって、いつも高圧的だったり威圧的だったりして、まともに会話をさせてくれなかったのだから。
でも、彼女の説明は、実に的確で、わかりやすい。多分、説明したり、説得したり、そういうのが得意なんだと思う。
「ありがとう。……そうなると第一の目標、ファイゼルト侯爵家、いえ、ハーマン家を中立の立場に引き込むべきね」
「中立、ですか? 味方ではなく?」
「ええ」
人づての話を聞く分には、ハーマン卿の評判はあまり芳しくない。陰険だとか、何を考えているかわからないとか、無表情で冷酷な事をできる、とか。しかしそれは、与えられた職務への評価を下げる理由にはならない。いや、外交という仕事を遂行するにあたっては、むしろ必須技能だ。ただそれが、単なる性格によるものか、職業意識によるものか、それによって判断を変える必要がある。
「本当に有能な人材なら、味方にするのはかえって危険よ。国にとっては必要でも、わたしたちの与党に入れるべきではないわ。むしろ、わたしたちの行動を適度に監視させつつ、敵に回さないように、つまり敵側に絡め取られないように保つ方がいい。まあ、わたしたちが、本来の“国益”に沿うものだと思わせること、味方にせよ敵にせよ国の益にならない者を相手にしないように頼むこと、この線でいくべきだと思う」
「……なるほど。職業意識、ですか。……為政者について、そういう視点を持ったことはありませんでした」
鋭いわね。
今さらながら、この子と満足に会話をする機会がなかったことを、残念に思う。
「職人をみればわかるけど、仕事の結果というか成果物というか、要は自分が作ったものの質に妥協できない、って人は多いわよ。そう、仕事の結果に対してプライドを持つという人ね。経過に対して矜持を維持するなら、なおよし。でも、貴族なら、地位と身分に対してだけプライドを持ってるのが多いからね。そういう輩でないかどうか。いや、そういうプライドを持っていても、いわば“職業としての貴族”に対してのものならいいんだけど、実際は少数派よ。そういう人を探し出して、いろいろ口説いてはいるんだけど」
「そういうことでしたか」
下位貴族の中には、貴族が当然と受け止めている立場や生活基盤に疑問を持ち、平民的な経済観念を持つ者も出ている。官僚や軍人にも、家名以外の業績に誇りを持つ人はそれなりに居るけど、こちらは出世できないために、性格がねじ曲がってしまった人も多い。それでも、こういった価値観の持ち主は大事だし、そういう者へのつながりは維持しておきたい。
ただし、ビルジー侯爵家のように、実際に行動を起こしうる者にはアクセスしなかった。そんなことをすれば、王族周辺の主流派から危険分子扱いされるのは確実だし、そういう方面でのレッテルが貼られれば、わたしの能力を使ってもどうしようもない。あくまでも、現状への疑問を持ちつつ、合理的な手法がないだろうかと模索しているあたりの、いわば潜在的不満層を取り込もうとしてただけ。
ま、わたし個人は、王太子から愛を受けていながら、チョウのようにあちらへひらひらこちらへひらひらしている尻軽娘、と見られていそうではある。悪名でも浮名でもいいけど、わたしの方は別に構わない。わたしがどういう人に声を掛けているか、そこに目を向けて、気付いてくれる人が増えれば、ありがたいのだけど。そういう“見る目のある者”が、今後大事になっていくのだから。政局だけで動く者はいらない。
「個人への忠誠って、けっこう脆弱なのよ。そういうのは、親愛の情という段階に留めておくべきだと思うわ。まあ、思想への忠誠なんてのよりは、危なくはないけどね」
狂信者に支えられた国家。それはそれで強いのかもしれない。でも、それでいいのか、という疑念が拭えない。聖職者だけで成立する宗教国家ならいざ知らず、宗教も信念も選択できない民が、反論を許さずに前へならえを求められる、そんな有様が目に浮かぶ。そんなのは絶対に認められない。
「他にも、いろいろと確認しておきたいことがあるわね。家単位じゃなくて、人単位での行動パターンがあるし。何よりも、敵に回すことが不可避な連中、敵に回す可能性があるけれど重要度が低い連中、敵に回すと厄介な連中、敵に回すのがもったいない連中、そのあたりを整理しておかないと。工作する時間はないから、決行後に予想される行動を踏まえて、逃げ場を制限して誘導していくのがいいでしょう……って、何よ」
イザベラが、やたらとキラキラした目をこちらへ向けている。いや、そんなすごいこと言ってないと思うけど。まあ、この子の前で、こういう話をしたことはなかったけどね。
最初にわたしがやろうとしたことは、全てわたしが自分で考えたことだけど、それと同時に、誰にも話さず、口に出さず、言葉に残さず、単純に頭の中だけで完結させていた。それはそうよね。婚約破棄程度ならまだしも、その先の戦略なんかについて、おいそれと足が着くようなことはできない。文字記録を残せないのはもちろん、腹を割って話せる相手もいなかったから。
だけど、こうやって、人に聞かせようとして口に出すと、その内容が、それなりに客観的に聞こえてくる。論理に穴があったり、都合の悪いとこを見てなかったり、押さえておくべきポイントを見逃したりしていたことに気付く。
なるほど。
「一人だけで、口を閉ざしていちゃ、何もできっこないってことか……はあ、まいったね。こんな当たり前の事に、今さら気付くなんて」
軍事力を使わずに単独で王権を乗っ取るという戦略自体は、今でも間違っているとは思わない。でも、少なくとも現時点でそれが最適解でないのは明らかになったわけだし、わたしが検討ないし模索していた手法が悪手なのは、あらためて確認するまでもない。土壇場で引き留めてくれたイザベラには感謝するしかないけど、その程度のことに気付かなかった原因が、これだったとは。
いや、もちろん、わたし自身の視野が狭かったのが第一の原因だし、それについては言い訳できないけど。
ともあれ、イザベラからいろいろ情報をもらいながら屋敷まで帰る。
一休みしてから、今度はデリンジャー伯爵家経由でファイゼルト侯爵家を再訪する予定だそうだ。当然、わたしもイザベラに付き合うことになる。
支度を終えて待っていると、コンコンと部屋の扉がノックされる。
「お待たせしました」
「……誰?」
何だか、すごい美少女が出てきたんだけど。一応わたしも王宮へ出入りしていたから、淑女といわれる面々の顔ぐらいは頭にたたき込んでいるんだけど。
このお嬢さん、誰だよ。
そもそも、どうしてこんな日に来客が。そもそも、ろくに取り次ぎをする使用人がいない貴族屋敷ってのも、どうかと思うけどね。
「姉上、ひどいです。イザベラです」
「……は?」
「ユキエにしてもらったお化粧を、自分なりに真似してやってみたんですが」
え? なに? このコ、こんなんだったん?
なんというか、男を無条件で引き寄せるような強烈な色気と、よこしまなアプローチを無条件で拒絶するような清らかな気高さと。方向が完全に真逆なんだけど、その両方の雰囲気を隠すことなく出して。
そんな娘が、頬を膨らませてむーっとしているのは、年相応というべきなのかもしれないけど、何というか、いろいろと印象の格差が大きくて。
「趣味の悪い服を着てたのって、目くらましだったのか……」
「はい?」
「ううん、何でもない。それじゃ、行きましょう」
レオノーラが頭足りない娘に見えていたのは、実は単純な事情によるものでした、という結論。




