5-4.好機が二度同じ扉を叩くと期待してはならないのです
わたしは、この世に生を受けて二十二年間、愛の告白なんかした経験がなかった。理由は単純で、気が付いた時には思い人がすぐ脇に居て、両思いなのがわかりきっていて、その思いをそれぞれが確信していたから。そして、二人とも、その思いを疑うことなんか、一度も無かったから。
でも、今は違う。
今のわたしには、意識があり、知識があるだけじゃなくて、元の世界そのままの自我がある。
そして、今の思い人は、目の間に居る、トビアス・カウフマン。彼は、その前世では、わたしの最愛の人だったけれど、あくまでも別人だ。それでもわたしは、たっくんへ向けていた愛情を、そのままシフトさせるような形で、トビアスを愛していると、自信を持って言える。
機種変更ならぬ肉体変更か。うん、文字で書くと、割と最低だな。
だけど、最大の障壁になっているのが、肝心のわたしに、自前の肉体がないという点だ。
そもそも、今のわたしが何ものか、と問われても、答えようがない。わたしがここに居る、そう言うことはできても、それが客観的に認識されているわけではない。物理的にも、社会的にも、わたしという人間は、この世には存在していないのだ。
いや、純粋に魂だけの存在というなら、まだいいのかもしれない。元カレを守護する幽霊女、とかね。でもこれだと、エンディングが十中八九悲恋で終わるか。あるいは、牡丹灯籠とか、死霊の恋とか……いや、ヤンデレ化して精を吸い取るような真似はしたくない。
とにかく、物理的に存在していないはずのわたしが、誰もが存在を認識できる人間に対して、特別な感情を抱く。その延長として、社会的な関係を構築したいと思う。
うん、無理があるよね。どうやっても。
ぶっちゃけ、わたしがトビアスに告白したところで、彼を軸にした人間関係には、いかなる影響も及ぼすことはできない。
なぜなら、トビアスは、この告白に対して、誠実に対応することが“できない”から。
単純に切り捨てるなら別だけれど、それ以外の選択をするすべは、現時点ではない。そして、彼がそういう選択を取らないことに、確信があった。
本来、告白というのは、感情の発露を、一方的にぶつけるものであって、その限りでは単方向性といえる。しかし、愛の告白というのは、そうではない。特定の対象に思いを告げると共に、その返答を促すものだ。即答を求めるかどうかは別として。
しかし、わたしがトビアスに向けた告白は、そうじゃない。それは、誠実な対応をしようにも、返答“できない”のだから、回答の“保留を強制”させることになる。
我ながら、卑怯な手だ。言いたいことだけいって、後は、回答できるまでわたしをずっと見ていてね、意識し続けてね、ってことなんだから。
《あなたが“今の”状況で何も言えないことを知ってるのに、こんなことを言うって、我ながら、ひどいとは思う。でもね。わたしが、わたしの感情が、今、ここにある、それは確かなの。その感情は、言葉として口に出さないと、残らないの、伝わらないの、固まらないの。だから、だから。わたしは、実利も何もないけど、あえて告白する。トビアス、あなたが、好き》
彼に対する思いを伝えたいのではない。それについては、トビアスはもう十分にわかってくれているはずだ。そうではない。わたしが伝えたいのは、今のわたしが彼に思いを伝えようとする、その熱意そのものなんだ。いや、熱意なんていうきれいなものじゃないか。妄執とでも表現していいかもしれない、そんな、多分に汚れを含んだものだろう。
そして、なぜだろうか、今言っておかないと、きっと後悔する。今言わなければ、少なくとも今の環境では、もう口にできない。そんな予感、いや、確信があった。人生でチャンスというのは何度もあるものじゃないってのは、それほど長いこと生きてきたわけじゃないわたしでも、さすがにわかっているつもりだしね。
もちろん、まだまだ、言いたいことはある。もし、この世界で、わたしが自分の肉体を手に入れたら、その時は、って。でも、無理に空手形を出させても、お互いに辛くなるだけで、意味ないし。
《一方的に、こんなことを言って、ごめん。返事は、いらない。今は。だけど、わたしは、トビアスから返事をもらえる資格を得るために、全力を尽くすから。だから、その……これからも、よろしく》
口を挟ませる隙を相手に与えずにポンポンと言葉をぶつけるのは、わたしがよくやる手法だ。でも、今回は、ひと言ひと言を、ゆっくりと。自分で自分の言葉をかみしめるように。
《あー、思い返してみても、面と向かって、好きだ、って言ったこと、ほとんどなかったかも。たっくんのことを“好きな人”とはよく言ってたけど》
目を見て、好きだだの愛しただのと言った記憶はない。大好きなたっくんのためだもん、とか、愛するたっくんのために一肌脱ぎますか、とか、だいたい、そんな言い方だったよ。
《いや、記憶が正しければ、しょっちゅう言ってたぞ。毎晩のように、ベッドの上とか、ソファの上とかで》
《……》
トビアスは恐らく、少し甘ったるい雰囲気になったのをどうにかしようと、いささか下品な言い回しを持ち出したのだと思う。でも、この場面では、逆効果だった。
《あ、怒った?》
《違う。その……ちょっと、まずい。……スイッチ、入りかかってる》
まだ夜も明けきらない、暗い空間。大好きな人と、二人きり。耳に入るのは、お互いの声と吐息だけ。
うん、お膳立てが完璧に整っちゃった。
そしてわたしは、自前の肉体は持っていないけれど、自分で使える肉体は持っている。そして、神経を通して五感に触れられる。そうなれば、まあ、反応しちゃうのは、仕方ないよね。
すごく、ものすっごく、名残惜しいけど、すぐ脇に居るトビアスから、すすす、と距離を取る。そうしないと、彼を押し倒しそうだったから。今の体勢なら、貴族様だろうが、婚約者がいようが、そんなの関係ねぇ、ってなるから。間違いなく。
《あー》
《まあ、こういう面でも、やっぱり自分の体じゃないって、実感するわ。ぬーっ、がーっ、ふべんーっ!》
両手を顔の前に持っていって、パタパタとあおぐそぶりをする。この程度で、火照った顔をクールダウンできるとも思えないけど。
空気を入れ替えようとしたのだろう、トビアスが立ち上がる。
《なにか、メシでも食ってくか? ハラ減っただろ》
《悪いわよ、こんな朝早くから。だいたい、料理人さん、やっと起きてくるかどうか、って時分でしょ》
気楽に会話してると忘れがちだけど、ここは侯爵家の邸宅だ。専属の料理人がいてしかるべきだろう。見えだけじゃなくて、食事の安全を確保するためにも。上級貴族なら、毒殺とかの危険もあるし、信の置ける者じゃないと怖くて使えないだろうから。
《その程度で料理人の手を煩わせるほどのことはねえさ、俺が作るよ》
《俺が……って、あんた、侯爵家の跡取り息子でしょうが》
《知識だけじゃなくて、肉体で覚えたものも、不思議と残っていてな。電子レンジはもちろん火力調整できるコンロもない、刃物はナイフだけで包丁もないで、けっこう苦労したけど、時々は自分で料理するんだよ》
なんだろう。心の中が、ふわっと暖かくなっていく。
そうだよ。わたし、こういう会話を求めてたんだよ。
二人きりの空間を作っていられることは、もちろん嬉しい。でも、それ以上に、二人だけでやり取りできる、何気ない会話が、今のわたしには、かけがえのない宝物なんだ。
そして、こんな会話ができる相手って、やっぱり、他には考えられないんだよ。
《そしたらさ、一緒に作ろ? 久しぶりに》
元の世界では、どちらの家も共働きだったから、自然と二人で料理してたからね。好物だけじゃなくて、得意不得意だって、しっかり覚えてる。
器具や材料は物足りないだろうけど、たっくんと一緒にキッチンに立つのって、すんごくアガるんだよ、これが。やっぱいいもんだよね、共同作業。罰ゲームはいらん。
《いや、できんのならうれしいけどさ。彼女……レオノーラ嬢、刃物を使えるのか?》
《……あ……》
だー! もー! もどかしいったら、ありゃしねー! 空気の共有さえ、体感できないとは。
つくづく思ったよ。えっちなこと抜きにしても、肉体を介在させずに愛を貫くなんて、わたしには無理だって。
《二人きりになれる機会があるなら、それでも十分に幸せなんだろうって、思ったけど。ダメだな。どんどん欲が湧いてくるよ》
油に熱が通る香りが、ぎゅわっと鼻に伝わってくる。この世界で可能な調理法がどんなのかは知らないし、そもそも油の種類さえわからないけど、これだけで、一気に“日常的な食事”に引き戻されて、食欲が出てくる。
そう、五感を通じて得られる感覚や欲望、つまり官能は、自分のものと認識できる、いや、してしまうんだよ。
それなのに、その認識を基にした行動が、問答無用で制約される。やってられんよ。
まあ、この世界をあーだこーだすることと、わたしが自前の体を入手することをバーターにすると思えばいいか。仕事内容と報酬のバランスが今一つだとは思うけど。




