5-3.生まれて初めて言ってしまいました
《え……》
ちち、おや、ごろし。
その言葉は、すぐ目の前にあるトビアスの顔にクラクラきていたわたしの頭を、一気にクールダウンさせる。
《ゆっきーの思いの丈は、まあ、わかるよ。この世界に来て、最初にできた、大事な友人のことだしな。でも、それをゆっきーが実行するというのは、とりもなおさず、レオノーラ嬢に対して、自分の義父を殺さしめることとイコールなんだよ》
《そ、それは……》
《レオノーラ嬢が、義父であり叔父である人物に対して、どのように評価していたか、どのような感情を抱いていたか、それは知らん。でも、その人物がどのような下衆だろうと、その娘に手ずから殺害させるとなれば、彼女は一生さいなまれる可能性がある。これは、わかるよな》
わたしは、イザベラを救うには、きれいな手段では間に合わないと考えている。この考えが妥当だって論理的に説明できる自信はないけど、現時点で取れるベストの手法だという結論に迷いは無い。イザベラだけが赤い血にまみれるなんて、そんな運命自体、少しでもねじ曲げたい。だから、わたしの手が汚れるのは、百も承知の上だった。
でも、わたしは、自分が自前の身体を持っておらず、レオノーラのものだということを、完全に失念していた。
《そうか。わたしの取る行動は、そのまま、レオノーラの行動なんだ……》
《だな。外面だけじゃなくて、内面でも、な》
《そだね。少なくとも今は、そういうプラットフォームに固定されているんだって、認識しておかないと。うん、頭に血が上りまくってたな。反省、反省》
大きい手で、頭をなでなでされる。こそばゆいけど、限りなく心地いい。
《ただまあ、もし俺がゆっきーの立場なら、やっぱり、問答無用でぶち殺しにいったと思うぜ。自分の立ち位置ってやつは、冷静かつ意図的でなければ、そうそうわかるものじゃないから。気に病む必要はないさ》
《いや、慰めてくれなくても》
《ホンネだぞ。いや、どうかな。俺だと、腰が引けてたかもしれない。少なくとも、トビアスとして生まれてこの方、そこまで義憤を抱くような友人なんて、俺には居なかったから》
なんだろう。
すごく物騒な会話をしていたのに、縁側でお茶でもすすりながら、二人でのんびり日なたぼっこしているような感覚になる。
いや、言葉なんかなくてもいいかな。ただ、わたしと彼の、この二人だけの空間さえあれば。
でも、そうはいかないんだよね。この状態が永続するはずないし、させたくない。やっぱり、自前の体がほしい。
《意識があるだけじゃない。五感もあるし、運動もできる。そのくせ、それを受けるセンサーは、パスは、デバイスは、自分のものじゃなく、他者のもの。すごく厄介だよね》
こてん、と、上体をトビアスの方へ傾ける。わたしの肩が、彼の二の腕にあたる。あったかい。
《でも、これぐらいなら、許してほしいな。幽霊じゃあるまいし、肉体的欲求を断ち切るなんて、わたしには厳しいよ》
《肉欲から離れられません、って、確かにそうかもな》
その略語の作りはよろしくないぞ。
《否定はできんが、こんな女に開発してくださりやがったヤツに言われたくはないぞ》
ムードのかけらもないやり取りだけど、こんな言葉のキャッチボールが、わたしの心をゆったりと癒やしてくれる。
でも、現時点でできるのは、ここまでだ。
肉体はあるけれど、それは、わたしをこの世界へ引き込んだ人間のもので、要は単なる仮住まい、居候だ。
肉体がないならないで、それなりに楽しんでいくことはできるかもしれない。でも今のわたしは、自前の肉体はないのに、肉体ありきの存在だ。幽体離脱したり任意に憑依したりといった、都合のいい術はなさそうだし。
《そういえば、被召喚者自体に関する、信頼できる情報は、今のところないのね?》
《あ、ああ。被召喚者のその後については、いろいろな記録を探っても、何も出てこないに等しいんだ。ある程度信頼できそうなものは、禁呪みたいなものを使って殺されたとか、召喚者と被召喚者の相性が余りにも悪くて数日で狂死したとか、そういうのだけで、ゆっきーとレオノーラ嬢のように、曲がりなりにも安定した状態になっているケースが見当たらない。だから、被召喚者はどう扱われるべきなのか、その見当がつかないんだ。だが》
《“前例がないことは、やらない理由にも、できない理由にもならない”、でしょ》
たっくんが、好んで口にしていた言葉だ。
実際に仕事をしていく分には、前例がないことよりも、ろくに調べもせずに前例を無視して進めてしまい、後から理屈の帳尻を合わせるのに四苦八苦する方が大変なんだけどね。前例がないことをやるのって、お偉いさんの手柄にできる場合は、意外と話が早く進んだりするって聞いた。手間が増えることは確かだから、やり方を間違えると、同僚や部下から総スカンを食らうらしいけど。前例にとらわれるな、なんてのは、往々にして現場泣かせになる。
何にせよ、記録がない、ということは、何を意味するか。社会的事情により抹消された可能性もあるけど、それ以上に、記録に残すことがはばかられるような大きい影響を及ぼす原因になり得ると危惧されて、最初からなかったことにされたとも考えられる。
そうなると、召喚術が一定程度成功していることを明らかにすること自体が、危険と判断しておく方が安全なのかも。いや、成功と失敗を分けるしきい値がどんなもんなんか、わからんが。
他に考えられる理由としては。
《被召喚者が、召喚先での観念では理解不能な方面に突き進んでしまい、記録できなかった、というところかな。それなら、明日は我が身だから、注意しないと。死ぬわけにいかないから。だって》
また、体の奥底から、こみ上げてくる。
まずい。良いことではない。抑えるべきだ。少なくとも、今、するべきではない。ダメ。
でも。そんな理屈は、そう伝える理性は、あまりにも非力で。
《だって、わたしは》
そしてわたしは、決定的な言葉を、口に出していた。
《トビアス。わたし、ユキエは、トビアス・カウフマン、あなたが、好きだから》




