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4-29.【Side:イザベラ-2】銀のタナトスは明日を望んで方向転換を図る

今回と次回は、かなり長くなっています。それぞれ分割すると合計で六編近くになってしまうので、やむを得ずにこうしました。

次回含めて二回続けて、内容がかなり、いや、非常に重くなっています。ご承知おきください。

 よく晴れた空に輝いていた日が傾いて、影が長く伸びていく。


 そこは、ある男爵家屋敷の離れ。ドゥルケン男爵家のそれよりも、かなり大きい。いや、あの家が小さいのか。ま、どうでもいいことだけど。


 目の前には、かつて一人の男だった物体が、ゆったりした椅子に腰掛けながら、両の腕をだらんと下ろしている。


 こういう状態になることを、動かなくなる、と表現することがあるけど、それは間違いで、今でもいろいろなところがぴくぴくとうごめいている。


 でも、意思をもって動くことは、未来永劫えいごうない。


 この、何ら使い道のない肉の塊を作り上げたのは、他ならぬわたくし。この肉の塊は、もはや男ではない。いや、男としての機能を失わせたのではなく、人間としての、生物としての機能を丸ごと失わせたのだ。


 血の臭いはしない。させない。優れた嗅覚の持ち主なら、気配を容易に察知するし、それは発見までの時間を短縮させてしまうから。


 体にいくつかある急所を的確に捉えれば、それで生体活動はたやすく停止する。苦悶くもんを抱かせるいとまもない。別に、楽にさせるといった配慮ではなく、極めて実利的な理由だ。


「任務完了、撤収」


 行き掛けの駄賃とばかり、ここへ来る途中で、別の依頼も完了しているから、今日は二件続けての“処理”になる。人間は、自分の周囲に人通りが皆無だと警戒する。しかし、ある程度人通りがある場合、人の目があると思って警戒を緩める。もっとも、通行人は意外と人の顔など見ていないんだけど。だから、それなりの人が居る場所で、急に胸の発作が起きて倒れたように見える。鼻つまみ者が一人、衆目見し通りで急死。それ自体は目立つけれど、直接の原因は意外と目立たない。


 これまで手に掛けてきた人数は、二桁代後半にもなるだろうか。いちいち記憶などしていられない。失敗した事例などは次回に生かす必要があるから、もちろん覚えているけれど、実績としては記憶も記録も無い。そんなこと、意味が無いから。


 わたくしの武器といえる技術は、殺人術。これを活用して、依頼を受けて目標を殺害する、いわば殺し屋というのが、わたくしの裏の顔の一つだ。ただ、殺し屋というのは俗称に留めるべきだろうから、依頼者と接触する時などは、殺人屋と自称している。


 わたくしとて、一般論としては、人の命を奪うことを好ましくは思わないし、それが人の道に反すると判断すべきだろうし、そういう倫理観が望ましいと考えている。


 だから、依頼があっても精査してからでなければ基本的に受けないし、自分から進んで相手を仕留めることもない。


 殺人鬼になっていないことをもって、人間としての心は、まだ失っていないとはいえるだろうけど、自分が職業殺人屋であることに変わりはない。ろくな死に方はしないだろうし、死後だって、どのような神が審判を下そうが、わたくしは全会一致で地獄堕ち(おち)確定だろう。弁護のしようがあるはずもない。


 それでも、これは、わたくしが幼少期から身に付けてきた、家伝の技術を使った、大事な仕事の一つだ。


 ドゥルケン男爵家自体は、下位貴族の中でもさらに零細貴族だから、貴族世界での派閥抗争は無関係。ルーツを知れば、むしろ関係を持たずに敬遠しようとするだろう。貴族のような身分の者なら、荒事にあえて首を突っ込む必要は、特にないはずだ。


 でも、ドゥルケン男爵家には、代々、二つの“力”が伝えられている。


 その一つが、呪術。詳細は、実際に行使できる者に口伝で知られるのみで、行使できない者には知ることができない。そしてまた、先天的な適性があるようで、血族でも適性がない者は、どれだけ修行を積んでも行使する事はできない。わたくし自身がそうだった。


 この呪術の力については、比較的広い範囲で知られている。あの家には、得体の知れない能力の持ち主が居る、と。だから、ドゥルケン男爵家にちょっかいを出す勢力は、まず居ない。一族のうち、誰が呪術を使えるのかわからないから、一族全員を滅しない限り、呪術で報復される危険があるのだから。実際に、それだけの能力があるかどうかは別として。


 結果として、術士の存在が、当家保全のための強力な抑止力になっている。


 もう一つが、殺人術だ。


 わたくしが受けていた時には、暗殺術と呼ばれていたけど、この技術を使うのは、必ずしも暗殺に限らない。暗殺とは本来、政治的、社会的、宗教的、あるいは何らかの集団において鍵となる要人を殺害するもので、その要人が殺された事そのものが周知されることに大きな意味を持つ。しかしわたくしは、生まれてこの方一度も、この定義に該当する暗殺を行ったことはない。だから、殺人術で十分だ。


 こちらは、表だって語られることはない、いや、そもそも知られていない。当然といえば当然だね。呪術については、どのような効果のある力なのか、術士本人でなければ知り得ない。でも、殺人術は、誰でもある程度の予想は付く。それに、殺人屋は、どのように言いつくろったところで、殺人犯だ。依頼を受けて行う殺人など、依頼者が誰であろうと、犯罪にしかなり得ない。


 だからこそ、ドゥルケン男爵家の一族に、殺人の技能を持つ者が居ることは、伏せられており、知る者はほとんどいない。だいたい、当家といえば呪術という印象が強く、殺人と結び付くことはまずないだろう。


 他国由来という特殊な経歴を備えた家だから、抑止力となり得る力と、問答無用で行使できる攻撃的な力の二つを、代々伝えてきたのだと思う。こんな技術、次代に伝えたくはないけれど、伝えなければいけないのだろうか。そんな家は嫌だなと思いつつ、そのくびきから逃れることのできない自分を思うと、そういう希望を実現することはできないのか、と思ったりもする。


 そして、殺人屋として仕事を重ねていくと、裏社会とのつながりが自然にできてくるし、殺人屋や暗殺者とも間接的ながら連絡を取れるようになってくる。


 これに加えて、わたくしは、自前の隠密部隊を持っており、裏社会と日常的にやり取りしている。


 依頼は、おおむね、こういう裏社会経由で入ってくる。今回の仕事も、そういう依頼の一つだ。


 何でも、貴族家同士の派閥争いがあったところ、当事者の中に穏健派と過激派がいて、さらに内通が疑われたりして、要はごちゃごちゃになっているらしい。その上で、事態をややこしくしており、なおかつ外道な行動を繰り返す輩が居て、こいつが派閥を超えて迷惑をまき散らしているので、処分してほしい、というものだ。


 内部抗争なんか、当事者同士で勝手にどうぞと思うし、こちらに飛び火しないのなら、黙殺する。そんなのに介入する義理も、利益もない。依頼人との打ち合わせの場から去ろうとしたとき。


――お願いします。このままでは、孤児院がつぶされてしまい、五十人からの孤児が路頭に迷うのです。他の方にはみな断られてしまい、あなたしか頼れる方が居ないのです。技術だけではなく、事情を精査して受けてくださる、銀のタナトス様しか。


 孤児が路頭に迷うというのは穏やかでない。第三者が大きな被害を受けるのを防ぎたいというのが第一の動機では、断るに断れない。しかもそれが、弱者の代表ともいうべき孤児に及ぶとなれば、なおさらだ。


 ちなみに、タナトスというのは、この仕事におけるわたくしの二つ名だ。銀髪をまとった、死の神、ね。お似合いですね。


 話をさらに聞いてみると、仲の悪い二つの貴族家、どちらの屋敷がより大きいか、より立派かということで争いになり、屋敷周辺の土地を買っては、屋敷の拡張に走ったという。くだらない話だけど、貴族同士の争いって、だいたいこういう低レベルのものから始まるものだ。


 それでも、土地の買い取りや立ち退きが円満に行われているなら、別に問題はない。少なくとも、第三者にとっては。


 その土地の中に、孤児院があったらしいのだが。


――その孤児院が、土地を買おうとした貴族と仲の悪い貴族が支援しているところでして。孤児院に手を出すのはさすがに体面が悪いからと、土地だけ確保して屋敷内に孤児院を置く形にしようとしたところ、くだんの人物が介入致しまして。


 ああ、当事者の貴族には弱みやエサを適度にちらつかせて、孤児院には脅しすかしで、小銭を稼ごうというわけね。不動産を売買すると、そういうゴロツキが湧いてくるからねえ。


――いえ、もっと悪質なのです。どこで用意したものか、孤児院が巨額の借金をしているという証文を、院長に押し付けましてね。貸主が、支援者とは別の、やはり土地を買おうとしている貴族と対立している貴族家で。間違いなく偽造書類なのでしょうが。


 見覚えのない巨額の借金が書かれた証文、ね。どっかで聞いたような話だな。例のヤツとつながっているのか、あるいは案を拝借したのか。いずれにしても、ろくでもないやり方ではある。


 孤児院の院長も、出るところに出るというか、両勢力の貴族間に相談すれば、ケリがつきそうなものだけど。貴族側だって、表沙汰にしたくはないんだろうし。


――それが、さっさと支払え、支払わないと孤児たちが泣くぞ、と。単なる脅しではなく、その日から、数日ごとに一人ずつ、孤児が消えているんですよ、それも女の子ばかり。さすがに、こんな外道を放置しておくのは、と。


 女の子の拉致か。法以前に、人間としてアウトだな。


 それで、両派閥の貴族家が一時休戦して、急きょ、こいつの処分を依頼することにした、というわけね。このクズ野郎も一応男爵、当事者の貴族たちも、直接は手は出せないから、こういう汚れ役にお鉢が回ってきたってわけだ。


 わかりました、引き受けましょう。ただし、さすがに男爵家当主の襲撃となれば、彼の処分一人で手一杯ですが、拉致されたとみられる女の子は、大丈夫なのでしょうか。


――確保されている場所は、突き止めています。あと三日は大丈夫ですので、それまでにお願いできれば。


 期限は非常に重要な条件になるので、そういうのは、受諾する前に言っていただきたい。後出しは非常に困る。今回は依頼内容の重大さに鑑みて、条件の変更要求などはしないが、今後は注意してほしい。


 まあ、そんなやり取りがあったわけで。


 目標は、屋敷の離れに引きこもっている。他の貴族家が、本腰を入れて消しにかかっている可能性を、察知したのかもしれない。


 離れの出入口には警備員が三人常駐しているけど、その警備員を見ると、特に訓練を受けてきた様子はなく、チンピラがきちんとした服を着ているだけのように見える。内部への潜入は難しくなさそうだ。難しい場合は、中から外へ出られないように処置してから、火を付けて蒸し焼きにする方法がある。外道貴族なら、誰も助けやしないからね。もちろん、火を外に出さないように注意して、周辺に被害が広まることのないようにする必要があるので、面倒ではある。苦しみ抜きそうだけど、わたくしの力量では、そんなことまで配慮する余裕はない。


 人の出入りはほとんどない。食事は一日二回、使用人が二人で持ち込み、一時間後に下げる。時間帯は、朝と夕方だ。


 まず、昼間に屋敷へ潜入して、間取りをつかんでおくと共に、逃走経路を複数確認しておく。当日の人通りや天候によって、無事に逃げおおせる可能性は大きく変わってくるけれど、あらかじめ調べておかなければ、臨機応変に対応することなどできやしない。


 事前調査の後に、方法を検討する。目標は、一応暗殺に注意してはいるみたいだけど、その注意は屋敷本邸からの攻撃に向けられているように思える。潜入して観察していた時には、食事を運んできた使用人に毒味をさせ、彼らが退去してからおもむろに食べ始めていた。毒殺が気に掛かっている、見方を変えれば、食べている最中でも、気が張り詰めているということになる。まあ、使用人の間でも、恨みを買っている可能性があるのか。どうしようもないね。


 そうすれば、襲撃するのは、食事を終えた直後だろう。もともと人間は、生理的欲求が満たされた直後、脱力して、気が緩むものだ。食事にせよ、排泄にせよ、性行為にせよ。そこを狙うとしよう。


 そして当日は、予定通りの作業を、予定通りにこなすだけだ。糸で首を拘束して声を出せなくしてから、急所を三カ所、太い針で突き刺す。これで完了。刃物は、血が多く流れて、露見するのが早まるから、今回は使わないでおく。武装していた場合だったら、多分ナイフで刺していただろうね。


 物語などでは、首筋をかき切ったり、場合によっては首を切り落としたりするシーンが描かれる場合があるけど、それは絵的に派手というだけで、目的を達成するには意味のない作業だ。もとより、殺害を完了しても、現場から無事に逃走して、初めて成功になる。意味のない作業に時間を費やしてはいけない。


 もっとも、目標を徹底的に苦しませてほしい、といった依頼もある。それを受けた場合は、少なくとも数分間は意識がある状態を維持させる。比較的簡単なのは、胸から喉にかけての器官を破壊して、呼吸機能を極端に低下させること。ゼーハーという荒い呼吸はしばらく可能でも、十分程度で確実に絶命する。その直前まで意識はあるし、しかし声は出せない。ただ、こうすると難易度が跳ね上がる。報酬も高くなるので、そこまでして望む人はあまりいないし、それなら社会的に塗炭の苦しみを味わわせる方を選ぶだろうし。


 さて、ここまで、ほとんど音は出していない。監視役が離れにすぐ近接して立っていれば気付いたかもしれないが、そういう者はいない。脱出の際にヘタを打たなければ、まず大丈夫だ。遺留品に気を付けて、その場を立ち去る。


 周囲に人影も、また追ってくる気配もないことを確認しながら、当初予定通りのルートを走り抜ける。


「ここまで来れば、もう大丈夫か」


 暗殺術自体は、先天的なものでも何でもない。もちろん、身体能力が一般人の平均程度はないと無理だけど、それでなければ、一家相伝の知識と訓練によって、後天的に修得できる。才能などというものの手助けは必要ない。


 あの修行は、もう二度と思い出したくもない。どのような言葉で表現していいのかさえ、わからない。過酷という言葉さえ、生ぬるく感じられる。


 最初の頃は、自分の身を守るため、姉上の身を守るため、それを目的として、護身術を身に付けるためのものと思っていた。だけど、いつしか、相手を捕縛して、逃走を食い止めて、建物に潜入して、知られぬうちに相手へ物理的に接触して。そして、今となっては、立派な殺人屋に仕上がった。


 ソロで活動できる殺人屋として独り立ちしてからは、依頼を受けて、それを淡々と処理していくようになる。どこの組織にも属していない身だし、身内の呪術という強力な抑止力もあるから、依頼を選ぶことができるのも大きい。そう考えれば、案外、本職だったのかもしれない。


 殺人屋として完全に一人前になったのは、慎重を通り越して、臆病になってからだろう。殺人屋に限らず、侵入や潜入などの行動は、時間と労力、経費を惜しまずに調査と準備を重ねた上で、実行するものだ。事態が切迫しているわけでもないのに、急ぎで依頼されることもあるが、そういうのは内容のいかんを問わず、却下している。


 そして、わたくしは、自分が行ってきた殺人屋稼業を、否定する気はないし、後悔もしていない。むしろ、矜持きょうじを持っている面もある。


 理由はいくつかあるけれど、最大のものは、いたって単純。だって、貧富貴賤を問わず、どのような者であろうと、必ず迎えるのが、死。死の前には、どのような人間も、平等だ。殺人屋は、その業に応じて、死を繰り上げるだけだ。


 死をもって償わせるわけではない。そんな資格はない。この世に存する理から逸脱した者を、その理の中に回収する。その理からは、王だろうが、貴族だろうが、平民だろうが、賤民せんみんだろうが、いや、執行待ちの死刑囚だろうが、逃れることはできない。それが、人間である限りは。


 殺すだけなら、誰にでもできる。しかし、理の命に従って死をもたらすのは、その覚悟を決めた、殺人屋の特権だ。権力者の命による者が死刑執行人、そうでない者が殺人屋、ただそれだけなのだ。そして殺人屋は、死刑執行人とは異なり、成立の経緯も運用の基準も甚だ怪しい法もどきに縛られることなく、ただ理によってのみ動く。人に指弾されようと、天に指弾されることはない。牽強付会けんきょうふかいと言われても、あまり反論できないけれど。


 また、暗殺が世界の歴史を変えることはない、ユキエはそう言ったけど、わたくしには、一件の暗殺が世界を動かす可能性は否定できない。利害関係が錯綜さくそうしていて、ほんの少しの衝撃で爆発するような地域で、要人を暗殺すれば、それをきっかけに、大戦争に発展することが考えられる。その結果、苦戦した国、完敗した国には、必ずや大きな変化が起きるだろう。原因にはならなくても、契機にはなるはずだ。


 ただし、それによって流れる血の量は、暗殺で直接流れる血の量とは比較にならないだろうし、この世に地獄をもたらす。例え、政治に、社会に一大変革をもたらすものであっても、それを選択していいのだろうか。この世の矛盾が解決される契機だとしても、それが世界内部に居る構成員として許されるのか。大量殺人を前提とした社会変革など、後の世には歴史家が客観的にその意義を高く評価するかもしれないけど、その時に一度きりの人生を送る人々へ、一方的に地獄を押し付けるわけだ。そんなこと、誰にも実行できる権利などありやしない。


 だいたい、殺人屋による殺害という方法自体、既存の社会秩序を規定する法やら何やらでは、救われない、最低限の権利さえ守れない、そういう人が取ることのできる、最後の手段であり、そこに最大の存在意義があると、わたくしは思う。社会通念上、非もなく追い詰められている者が、救われることない矛盾、それが、殺人屋という職業を成り立たせている。人を殺害するという、反省も償いも認めることのない、苛烈な処置によって。


 特定の人間が愚行を成して、他の者に大きな、切迫した危険を与えるのは、時代を超えて起きうるものではあろう。それでも、実行するのが個人、あるいは比較的少数から成る集団なら、本来、殺し屋による処分など、社会秩序の面でも、効率という面でも、賢明な方法ではない。それに、殺し屋に依頼する報酬を用意できない者には、最後の手段さえも取れないということにもなる。殺人屋だって、プロが仕事として依頼を受ける以上、報酬なしで動くことはできないしね。


 やはり、どのような者であっても、社会規範に違背した行為をすれば、法的な制裁を受けるという形で対応すべきだろう。制裁の内容は、身分を問わずに一律というものにはすべきでない。むしろ、身分が高いほど、その罪を重くすべきだ。そしてまた、権力による法の恣意しい的な濫用らんようを防ぐためにも、行政機構とは独立した司法機構がその任を負うべきだ。そういった制度を担保しなければ、殺人屋という職業の持つ意味は大きいものであり続けるし、需要がなくなることはない。


 法と理が大きく乖離かいりしている以上、その間隙かんげきを埋める“装置”が求められるのは、必然だ。それが、法の限界によるものか、理の無道によるものかは、わからないけど。


 この仕事で、少なからぬ収入を手にしているわたくしの、自己弁護的解釈と言われれば、その面は否定できない。


 だからといって、法をより理に近付け、制度を整備して、それが社会の中で定着したとしても、殺人屋への需要がなくなることは、ないのかもしれない。


 私的領域における無節操な非道、暴行、さらには殺人が見過ごされることは、容易に想像できる。そういう行為が忌まわしいと社会が認められば、かえって潜在化することは避けられない。


 暴力により虐げられた者には、救いの手が差し伸べられにくい。それどころか、社会からのはみ出し者という評価で、つまはじきにあうのがオチだ。


 そういう者に対して、最後の手段として、残る可能性はある。


 その場合、殺人屋ではなく、復讐ふくしゅう屋とでもいう形になるのかな。身体的抹殺より、社会的抹殺に重点が置かれるのだろうか。


 それはそれとして。


「やっぱり、疲れるわね。やっぱり、仕事を週に二つ入れたのはきついわ」


 殺人屋だからといって、必ずしも殺害のみが仕事というわけでもなく、盗賊としての依頼も多い。具体的には、潜入しての物品窃取、証拠品等の改ざん、小規模な破壊など。情報収集という依頼はなぜか皆無だが、その方面は別途諜報ちょうほう員が居るのだろう。


 ともあれ、安全性その他諸要素を考えると、盗賊としての活動の方が、よほどもうかるし、需要もある。何より、人殺しに比べて、精神的な消耗がまるで違う。王宮の宝物庫とか印璽保管室とかになれば別だけど、一般的に、殺すよりも盗む方がずっと楽だから。


 ただ、くだらない、いや、下劣な依頼があまりにも多いので、事前に精査するのが大変ではある。


 第三者に依頼するとはいえ、人から物を盗むのと、人を殺害するのと、どちらが心理的な負担が大きいかと問われれば、後者に決まっている。殺害というのは、さんざん逡巡しゅんじゅんを重ね、他の選択肢も検討して、正当化できる理屈を練り上げて、最終的にその結論に落ち着くのが普通だろう。したがって、動機や目的をきちんと説明できる依頼がほとんどだ。自分で殺害するならまだしも、他者に殺害を依頼するなら、衝動的、短絡的に行うことは、まずないといっていい。


 一方、盗みの依頼については、本当につまらないものも多い。競合店の売り上げ金を盗んでこい、ごく普通の借金の証文を燃やしてくれ、どこそこの貴族夫人が生意気にも持っている高価な宝石を取ってきて、等々。冗談じゃない。殺し屋としての仕事ならともかく、そんなくだらない仕事、捕まる危険をおして実行する気にはなれない。だいたい、事前の調査や準備だけで、報酬額を超えかねない。


 もっとひどいのは、外道な依頼だ。


 どこぞの男爵令嬢を拉致してくれという依頼があって、調べてみたら、本当の依頼主は令嬢の恋敵で、彼女をならず者に引き渡してなぶり物にした揚げ句、どこぞへ売り飛ばす計画だったり。どこやらの工房に保管してある鍛冶道具を盗んでほしいという依頼について、裏を取ってみたら、某伯爵家から王家へ献上する品をその工房に発注していて、献上不可によって当主を自死に追い込みたい別の貴族家がバックに居たとか。


 まあ、この手の依頼は、まず間違いなく貴族関係、それも、貴族間の嫌らしい争いによるものだけどね。家同士だったり、家人同士だったり、さまざまだけど。


 もちろん、狙われる側が、言葉も出ないような、畜生そのものの振る舞いばかりという例も、たくさんある。説得力のある理由を伴う依頼があれば、だいたい四分の三ぐらいの比率で、力ある者が影で非道に走っていることに対して、被害者が悲鳴を上げているものだ。


 ホント、盗人稼業なんてやっていれば、貴族という特権階級が、どれだけ醜い面を抱えていて、裏では隠すこともなくそれを見せているか、よくわかる。わたくしも一応は貴族家の端くれ、大きな顔などできる立場でないのは百も承知だけど。


 だからなのかしら。盗人が目標として狙うのは、金を持っているはずの豪商や豪農ではなく、貴族が多い。そして、すとんと納得がいく。


 妙な腐れ縁になってしまった例の二人も、その口だ。貴族は弱者をいたぶる悪者だから、そいつらから盗み取るのに何が悪い、と言い放っている。


 まあ、人間の始原から文明の発展へという過程を考えれば、財産それ自体が盗みであり、財産を子孫に残すのも盗みだともいえる。ユキエは私有財産を当然視していたし、それは権力による恣意的な収奪を防ぐ目的なのだろうけど、そもそも、私有財産の絶対的尊重というのは、論理的には根拠が希薄に思える。単に、それを否定した場合の社会秩序が維持しにくくなるから、という消極的な理由しかなさそうに思えるけれど。ユキエの世界では、どのように説明されていたのか、興味があるわね。


 いや、彼女たちの行動原理は、そういうのではない。単に、商人や農民といった平民から盗むよりも、貴族を相手にする方が、盗みをする時の心理的障壁が低いというだけのことだろう。貴族を悪役にして、悪役相手ならそれに刃向かうことは許される、という論理か。素朴だけど、そのままでは、あまりにも危険。


 それだけ、貴族という階級が、民から目の敵にされているというわけだ。


 もちろん、一方的に憎悪の念を向けられているばかりではなかろう。敬愛される機会も、当然あるはずだ。人が抱く感情というのは多面的かつ流動的で、同一人物が同一対象に向けるものであっても、その時々によって愛にもなれば憎にもなる。


 しかし、そろそろ、憎の感情が、振り切れつつあるように思えてならない。


 お世辞にも余裕があるとは見えない人から、なけなしの財産を差し出して、あの鬼畜貴族を始末してくれ、と涙ながらに求められる依頼が、最近増えてきているから。


 本来、殺人屋という職業は、それがどれだけ社会的に価値があろうと、唾棄されてしかるべき存在。いや、そう評価しない社会は、血塗られた、救いのないものだろう。


 でも、殺人屋を倫理的に非難するだけでは、弱者からの搾取を前提とする社会が続くことになる。換言すれば、社会や経済の矛盾を、特定の反社会職業に転化、隠蔽いんぺいするわけだ。


 一方で、殺人屋の活動だけでは、権力の暴虐は止められないし、その根源にもなっている、富の偏在を防ぐことなどできない。しょせんは、個別案件に対する対症療法に過ぎないのだから。


 あの二人組は、盗賊稼業による富の再分配を目指して、それを少しでも実現させようと真面目に思っているようだが、少し考えただけでも、そんなことには意味がないのは自明。上流部分での収奪構造を維持したまま、下流部分での均衡を求めるのは無駄もいいところ。


 結局のところ、身分制度による特定階層の無条件保護を撤廃し、身分制度自体を段階的に消滅させていくしかないだろう。


 しかし、弱者を貴族から社会的に解放するだけでは、たちまちのうちに、その弱者が経済的に困窮、転落するのも確かだ。弱者といえども、貴族から一定程度保護されていることには違いない。奴隷だって、主人から食事を与えられているわけで、無計画な解放は、奴隷の野垂れ死にを招く。


 社会を変えていくとしても、人が生きていくための自由と、人を生かしていくための保護と、その均衡を図らなくてはいけない。難題だ。


 理屈の上ではそうなるけれど、そんなことを説いて、人が動くはずもない。納得してくれるのは、恐らく、ユキエただ一人だろうから。


 それでも、例え一時的であっても、人を絶望から遠ざけられるのであれば、わたくしが振り下ろす死神の鎌は、大きな意味を持つはずだ。


 だからこそ、わたくしは、理の通った依頼ならば、体が言うことを聞く限り、受け入れ続ける。


 まあ、依頼といっても、げんなりするものばかりではない。


 変わったところでは、殺害でも窃盗でも工作でもなく、襲撃それ自体が依頼という例があった。


 ある意味、あの時が一番危なかったと思う。


 裏の訓練を受けている者が組織的に警備しているところを、単身で忍び込み、一太刀交えてからすぐに撤退する、という、それだけ聞いたら意味不明な依頼。


 確かに報酬は大きいし、その場で返り討ちにあわない限りは危険はないらしい。でも、相手の練度は相当に高いだろうし、成功率が高いようには思えない。


 恐らく、万全の体勢で警備していても攻撃が加わる、ということで、対象に心理的な影響を与える、ということなのだろう。


 そして対象は、財力にあまり余裕のない、歴史だけはある伯爵家の王都屋敷だった。ビルジー侯爵家が抱えているような、訓練を積んだ自前の私兵ではなく、あちこちから裏の者を集めているのだという。傭兵団のような表の者じゃないそうだが。


 その伯爵家の名前を聞いて、わたくしの頭に、ピンと浮かんだ策があり、提案をしてみた。


――報酬は提示額の三割だけで構わない。その代わり、相手に対してメッセージを一つ増やしてほしい。“下位貴族家への借金の過大請求を全て取り消せ。銀のタナトスより”と。


 それが取り入れられて一週間後。


 夕日に包まれた当該伯爵家で、繰り広げられた死闘を何とかやり過ごしたわたくしは、王都内にある行きつけの宿屋へ転がり込んでいた。


 もう、一歩も動けなかった。その夜には、他にも用事があったのだけれど、全部キャンセルして。


 仕事そのものの達成感もさることながら、懸念材料を払拭できた安心感で。


 あれも、もっと賢い解決法があったんだろうけれど。


 それから二週間後、別の現場で、その相手と共闘する羽目になったのだから、この世界も狭いものだ。


 でも、そろそろ、頃合いなんでしょうね。


 この先、どうしても、敵味方関係なく、血が流れる。


 そして、絶対に、その手を血に染めさせてはいけない人がいる。


 そのために、わたくしは、自分のこの“腕”をこそ、最大限に使おう。


 恐らくそれが、わたくしにとって、この世でなせる、最大の、そして最後の存在意義だろうから。


 だからこそ、わたくしは、担ぎ上げられるような存在になってはいけないのだ。


 体の中も外も、すっかり汚れきっているのは事実。一度知られれば、身分の上下を問わず、信任を瞬時に失うのは間違いない。


 でも、一番大事なのは、そこじゃない。


 わたくしが、自らの手であやめたのが、どこの誰だったか、それは今でも覚えているし、あの時のもろもろの感覚、忘れようがない。


 しかし、人を殺すことに慣れていくと、そのうち、強制されて行うのではなく、自分の技能を生かすために、どんどん人を狩っていくようになる。報酬を受け取って、自発的に、粛々と仕事として行っていくようになる。


 一族の技能を引き継いだといったところで、個々に暗殺を命じられたところで、稼業としての殺人屋そのものを求められたわけではない。


 そして得た金は、どうなったか。


 六割が隠密部隊への給与や経費、四割がエグナー家の生活費だ。生活費の比率が随分高いが、最近では、経済観念に乏しい姉上が、諸々の工作に使っている分が増えているけれど、一番大きいのは、わたくしが買ってもらっていることになっているドレス等々、自分に還元される部分。そのドレスの目的といえば、自宅で夜に着せられる服で、自分で望んでいるものでは決してないんだけど。


 結局、人を殺して得た金を、犯罪組織の維持に、近親相姦の性行為用具に使っているわけだ。


 こんなことを何年も続けてきた、十五歳の小娘を、誰が推戴しようというのか。


 辛い目にあってきた不幸少女は男に人気が出る、ユキエはそう言うけれど。それは、一時的には正しいかもしれないけれど。


 でも、メッキというものは、簡単に剥がれるものだ。そして、そこから、サビが一気に広がっていく。そうなれば、さび落としと塗り直しを対症療法的に繰り返すことになる。


 だいたい、わたくしが辛い目にあったといっても、それは、現在の政治体制や政治権力から直接抑圧を受けた結果ではない。王族や上位貴族からイジメに遭ったというなら、同情を受けることもあるだろう。しかし、そういう経験には、心当たりはない。あくまでも、純然たる私的領域の中で行われたものだ。


 だからこそ、こんなわたくしは、表に出てはいけない。


 むしろ、ユキエを始めとした、新しい指導者たちを、守り、支えていくのが、分相応だろう。


 それなら、殺人者という看板は、もう不要だ。殺人屋稼業からは、足を洗おう。そして、護衛と諜報の技術を磨いていこう。


 具合のいいことに、これまで抱えていた依頼は全てやり終えていて、手元に残っているものはない。いい機会だ。


 今後の収入をどうやって確保するか、という懸念もあるけど、最悪、ユキエ経由で、どこかに寄生させてもらおうか。


 何をやらかすかわからない、面倒くさそうな弟子も取ってしまったことだし。


 遠からず、報いを受ける時がくるだろうけれど、せめて、この国の果てを、見てみたい。


 ユキエと、わたくしと、皆さんと、一緒に作り上げる、新しい国を、この目で見たい。


 そういう願いを抱くことができる資格が、わたくしに残されているのかは、わからないけど。


「もう一回、服と体を洗わないといけないか」


 血の臭いがまだこびりついている。次の仕事に支障が出るから、ひと風呂浴びるとしましょう。


 もっとも、両の手にじっとりと染みついた血は、すでにわたくしの肉の一部となっているのだろう。そして、この体が朽ち果てるまで、わたくしに残りつつけるのだろう。

依頼を受けて人を殺していくごとに、人の感情や行動を批判的に見据えて、それが思考の材料になっていくという設定。十五歳の天才少女が生まれた背景です。

彼女の振る舞い自体は職業テロリストそのものですが、そのテロ行為自体にはパフォーマンス性が全くありません。したがって、ストーリー上の立ち位置は、あくまでもファンタジー世界におけるアサシンです。

糸使いというレア能力はあくまでも補助用途で、メインは近接での針やナイフですが、二十世紀後半に生まれていたらM16を携行していたかも。

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