4-20.生まれてこのかた一番の負の感情が湧きました
またまた、非常に胸くそ悪い話になります。要旨は、タイトルそのままなので、苦手な方は読み飛ばしていただいてけっこうです。
「そういえば」
どうしても気になったことがあったので、引き続いてイザベラに聞いてみる。今回の作戦では特に重要というわけでもないけど、イザベラ個人についてのことともいえる。
「ずいぶんとレオノーラのことが好きなのね」
「はい、わたくしには、過ぎた姉です」
なんだろう、この違和感は。
イザベラは自分の姉を、過剰といえるほどに持ち上げている。でも、その背景にある感情はといえば、素直かつ無邪気な敬愛には、到底見えない。むしろ、姉を失いたくない、姉とのつながりを切られたくない、そういった切迫感を募らせ、こじらせているように思える。その結果が、責務としての、姉の称揚という結論に至っている、そんな風に見えてならない。絆が呪縛に転化しているとでもいえばいいだろうか。
「失礼ながら、呪術という技能や貴族的な教養といったところを除いて、レオノーラという人間にそれほどの魅力を感じる要素が見当たらないんだけど」
まあ、直接会話をする機会があったわけでもないから、判断できる材料もないんだけどさ。
イザベラは、数回の会話程度でしたらその反応で当然ですよね、と言ってから。
「この国には、こんな言い回しがありまして。“姉よりすぐれた妹などこの世に存在してはいけない”と」
「……」
「男の手も握ったことのない姉ですが、そちら方面の技量を磨いてもらって、真の力に目覚めてもらおうと思ったこともありましたが」
「……」
ツッコミを入れるべきなのかどうか、わたしには判断できん。過去にも転生者が居て、そういった情報を持ち込んだんだと思うべきかね、やっぱし。
「でもそれって、イザベラが“こうあってほしい”という、願望としての姉だよね。レオノーラという、いわば“生の姉”も、それだけすぐれているの?」
「一人の人間が、面識のある他者を的確に評価するというのは、難しいこと、いえ、ほぼ無理なことです。個別の要素に分解して評価するのが精いっぱいでしょう。結局、それほど説得力があるわけでもない、主観的な好悪で決まってしまうものです」
ぶっちゃけ、客観的に高く評価できるものではない、でも自分は大スキ、ということね。
「わたくしの叔父上は、厳しくも大変に優しいお方でした。とにかく厳しく育てられましたから、当時のわたくしは、それはもう、鬼をにらむように、畏れと嫌悪の二つの感情を抱いていたものです。でも、今ならわかります。わたくしの精神力と成長余力を見極めながら、寄り添っていたのだと。呪術の訓練と貴族としての作法を鍛えられていた姉上とは違って、わたくしに対しては、わたくし自身を継続的に観察していましたから」
さっき、レオノーラには呪術を、イザベラには暗殺術を教えたって言ってたけど、呪術の才能以外での潜在能力は、イザベラの方がはるかに優れていると見抜いていたんだろうな。過度に厳しく育てられた子供は、その育った環境を正当化するために、権威主義的に振る舞う傾向があるものだけど、イザベラにはそんな気配はかけらもない。彼女の叔父のバランスがよかったためだろう。
「そして、わたくしの母上は、むしろ逆で、優しくも大変に厳しいお方でした。社交界で求められるような張り付いた表情など必要はない、人の心を読むのは武器にはなるけど必須ではない、それより、自覚のあるなしに関わらず人が望むものは何か、その公約数たる倫理や法は妥当なのか、それを支える権威は正当あるいは有意義なのか、それは従うべき価値があるか。そういったことを常に考えなさい、と」
子供に教える話じゃないな。イザベラが、社会思想的な方面で、異常なまでの興味関心を示して斬新な発想を繰り出しているのは、母親仕込みなのか。
「さらに、くしくも、二人ともこのように言われました。王族でも貴族でも平民でもない、どこにも属さない、超然とした存在になるのだ、と。そして、姉を守る、守れる人間になれ。姉一人守れずに、人を守り、世を守ることなど、できるはずがない、と。身近な者を守ることの重要性が、しっかり頭に入りました」
「それはそうだけど、ね。姉って、そこまで親愛の情を持てる対象なのかなあ」
そもそも、実の姉じゃないじゃん、というのは、飲み込んだ。
一人っ子だったわたしには、その感覚はちょっとわからない。いや、正確には弟ができたけど、十六歳もの差があるから、自分の子供みたいなもんだし、事実上一人っ子といっていいよね。
で、姉妹関係の実態といっても、元の世界では本当にまちまちで、一般的にこうだとまとめることなどできそうになかった、そう結論付けて問題ないでしょ。兄弟ならある程度傾向が見られたみたいだけど。
「ただ、まだ幼かったわたくしは、一般論、つまり抽象化した命題を処理することができませんでした。その言葉を単純に、姉を脅威や危険から守るべきと解釈して、そこから姉を少しでも遠ざけたいと思ったのです……具体的には、あの男から」
「!」
これまで、頑として、実の父親のことを口にしてこなかったイザベラが、最初に出した。
“あの男”と。
彼女は、自分の血族に対して、常に温かみをもって呼んでいた。レオノーラには、姉上、と。同じように、叔父上という時、母上という時、いずれも、そこには肉親に対する親愛の情が確かに含まれていた。
しかし、実の父親については、これまで一度たりとも口にしていなかった。
「今から思うと、あれが歯車を狂わせることになってしまったのかもしれませんね」
それだけで、だいたいの見当はついた。
元の世界での知識では、実子と義子がいる場合、親による性的虐待の対象になるのは、大半が義子だったはず。それなのに、レオノーラという義子を差し置いて、イザベラという実子が犠牲になった。
父親がレオノーラを襲おうとしたものの、イザベラが身をていして守り、その場で身代わりとなった。これに味を占めた父親が、イザベラを虐げることに夢中になって、虐待を続けてきた。そんなところじゃないかな。
彼女のレオノーラに対する、半ば強迫的なまでの守護意識は、これが契機とみてよい。ここまでして守ってきたのだから、という意識。
「一度弱みを見せてしまえば、逃げられません。それでも、叔父上と母上の両方から、いまわの際に、レオノーラを頼む、と言われたのです。その姉上を盾にされれば、姉上に手を出さない条件として従えと言われれば、屈するしかありませんでした。おかげで、闇の技術も夜の技術も、一流と自認できるほどになりましたが」
そうか、そちらも父親からの強制から始まったのか。
イザベラの父は、権力抗争の渦中に身を置くほどの役どころではないらしいし、それなら政敵を抹殺する必要などなさそうだ。それでも、あえて彼女に命じたとなれば、新しく強力な道具を手に入れたら使いたくなる、そんな心理で、彼女を“使った”としか考えられない。
いかに恵まれた環境で育ったとて、生きている以上、煙たく思ってしまう人は出るだろうし、恨みたくなる人は出るだろうし、場合によっては憎む対象だって出てくるだろう。そういった相手に対して、ごく気楽な気持ちで、彼女に命じた様子が、目に浮かぶ。
命じられた方は、気楽とは程遠かったに違いないのに。自分の技能を、自分の意思に、そして亡き師匠である叔父の教えに反する形で使う。それも、人を殺すという、人倫に触れる最大のタブーを、強要される形で。
「最初の頃は、純粋といいますか、単純だったんですよね。人を手に掛けて、刃物に引っかかる骨の感触、吹き出す血の臭い、ビクビクという肉の蠕動。そういう、自分の行為の果てを目の当たりにして、一番最初は、吐くし、失禁するし、それはもう、体じゅうからあらゆるものが出てくるようなありさまでした。それでも、任務完了を報告して、証拠となる遺体を持っていくと、よくやった、さすが我が娘だ、と言われて。それが、うれしかったのですよね。愚かしい限りですが。あの男が褒めた相手は、イザベラ・エグナーという少女ではなく、自分にとって使い勝手のいい道具でしかなかったですのに」
ごめんなさい、こちらも気持ち悪くなってきました。骨とか血とか肉とか聞いただけで、なんだかもう。元の世界では、しょっちゅう魚をさばいてたんだけど、身体レベルで経験を棚に上げられるんだから、人間って身勝手ですね。
「さすがに、暗殺の対象などが日々出てくるはずはありませんから、殺人やそれに類する命令は、ここ半年ほどはありません。飽きたのかもしれませんけれど。ですが、夜の世話は、今でも続いています。加齢によって、だいたい週に二日、一晩で五回程度に減ったので、翌日もだいぶ楽になったのですが。懇意になっている方へのお世話を命じられることもありますし」
週に二日、一晩五回で、減ったって。翌日がどうの以前に、そんなに負担を掛けられたら、体が壊れるよ。わたしも高校生の時、一晩に七発くらったことあったけど、翌朝足腰が全くたたなくて、タクシー呼んで学校に行ったという経験がある。ハッスルした明くる朝、男はゲッソリ女はツヤツヤ、なんてのは男が勝手に作った幻想で、男はスッキリ女はガクガクってのが実態だよ。いや、気にするべきは、そこじゃなくてだね。
「先日、“もうすっかり、心も体も、わしのものだな”と言われましたが、その通りなので、どうしようもありません。絶対的な支配・被支配の関係ですけれどね」
もう、我慢できない。
「殺さないの?」
こんな言葉が、自分の口からすらっと出てきた。数日前までは考えられなかったことだけど。この世界に、よく言えば順応、悪く言えばまひしているのも確かだけど、並んで歩いている親友の境遇に照らし合わせて、その発想がごくごく自然につながったんだ。
罪刑法定主義? そんなの知ったことか。この世界には、人権なんて概念は存在しないんだから。いや、どこかの天才少女の頭の中には、ひょっとして芽生えているかもしれないけど。
「姿を見ると、目が合うと、自然に体が動くんですよね。お願いします、わたくしを思うままにお使いください、という感じで。逆らえないのではなく、そういう気が全く起きなくなって、その意に沿うように、心身が規定されているようで。本当、すっかり、心も体も、ですよ。紙の束を渡されると、目標は誰か、期限はいつか、場所、方法、諸々を、瞬時に検討できるようになりましたよ。服を着せられると、腰を撫でられると、自然に下半身が湿ってくるようになりましたよ。ふふ、我ながら、理想的な奴隷に仕上がっておりますわね」
いかん。もう、何て言えばいいのか。言葉が出てこない。
「せめて寝ている時ならと、刃物を持って、あの男の寝室に忍び込んだ事は、一度や二度ではありません。それでも、何もできませんでした。枕元まではたどり着けても、そこから先は、体が動かないだけでなく、感情も動かなくなるのです。頭の中に、濁った煙が充満するような感じになって。でも、一度刃物を手にして、得物を前にしているからには、それを振り下ろすしかないのです。気が付けば、こうなっていました」
イザベラが、フロントボタンを外した下、鎖骨の周辺には、無数の切り傷、刺し傷が連なっていた。
「そういえば、昨日……その、手首、見ちゃって……」
「ああ、あれは、それなりに理性が残っている時ですね。もう何もかも嫌だ、と思った時ですから。胸元の方は、意識といいますか、そもそも自分がどのような行動をしているか何もわかっていない時のもので、気が付いたら自分が血まみれで倒れていた、という時のものですから」
胸元を直していくイザベラの顔は、あっけらかんとしており、表情には一点の曇りもない。これが自分の日常です、感情を動かすほどのものではないのです、と語っているかのように、穏やかだ。
これまで受けてきたあれやこれや、全て丸めて、体の中で飲み込んでいるのだろう。そう、自己防衛策として。
「……」
「……あの?」
わたしは、その時の自分の気持ちが、自分の表情がどうなっていたのか、わからない。
ただ、黙って、イザベラの体を、抱きしめていた。
他に誰も居ない路上で。
「……」
「……ユキエ?」
「……」
「……」
らちがあかないと踏んだのか、イザベラがわたしの腕から、するりと抜け出て。
「申し訳ないのですが、これから用事があるというのは、本当の事なのです。これから二時間後から四時間後の間に、二人を始末する予定です。それから裏街路で、男の方を相手にしてきます、今日は六、七人ぐらいでしょうか。連続での仕事は疲れるので、それぐらいが限界でしょうね」
「……」
「大丈夫ですよ、いつものことですし、この程度で体を壊すことはありませんから。帰りは、明日の明け方になります。それでは、また」
「……」
背を向けて、とことこと、自然体で去って行くイザベラ。
彼女の後ろ姿が見えなくなってから、わたしの足は、トビアスの居る、ビルジー侯爵家屋敷へ向かっていた。
主人公がキレました。




