4-19.男爵令嬢の姉の方の目的を確認しました
馬車を出すというフリーデの申し出を断り、屋敷街をイザベラと二人、てくてく歩く。
トビアスが居るビルジー侯爵家屋敷に向かうルートとは違って、デリジンジャー伯爵家からドゥルケン男爵家屋敷へとたどる場合は、繁華街を通る必要がない。人通りはあまりないけれど、各屋敷の前には必ずといっていいほど門衛が控えているし、自分の屋敷の周辺で何かあった場合には、すぐにすっ飛んでくるらしい。
「そっか、上位貴族だと、屋敷には門衛がいるんだ」
「下位貴族どころか、そこそこ裕福な平民でも、屋敷を構えているなら門衛は置きますよ。……普通なら」
最後の一言、小声なのに、しっかりと力を入れているイザベラ。つまり、どっかの男爵家は、普通じゃないってわけね。
「門衛を雇うにしても、仕事をしっかりできる方となれば、それなりの給与を支払う必要がありまして。当家の適正な収入や支出を考えれば、そういう方を雇うことはできないはずなのです。自然なことなのですよ」
「はず、ですか」
つまり、表に出せない形で得た収入は、表に出せる形では使えないってことね。あんな報酬とかこんな報酬とか。
ともあれ、このあたりでは、治安という面ではさほど心配する必要はないとのことだ。そして、話を誰かに聞かれることも、心配しなくていいという。
「それで、クラウスナー卿のことですが。ユキエは、どう思いましたか」
何度も何度も説得した結果、やっと様付けを取ってくれるようになったイザベラが、真面目な顔で話しかけてくる。
「能力とか人柄とかじゃなくて、申し入れへの対応ってことだよね。うん、それなりに期待はしているし、そこそこは信用してくれているけれど、とても信頼できるとは思われていない、というところかな。あるいは、フリーデとトビアスの間に、わたしたちが入ることで、何かしらの譲歩を引き出させるためのジャブと思われているかも」
現体制に対して大いに不満を感じていたとしても、良くない意味で注目されて話題沸騰の男爵家から、あんな提案が出てきたわけで。まともな人間なら警戒するのが当然で、たとえ相手を的確に評価したとしても、その日のうちに信頼まで持っていくのは無理だろう。
「だから、エドガー様については、協力者として頼るのではなくて、最後まで敵に回さないようにするのが肝心だと思う。手の内をある程度さらしてしまったわけだからね。トビアスの話だと、フリーデなら手綱の加減はわかるらしいから、そこは彼女に一任かな。フリーデの負担が大きくなりそうなのが気がかりだけど」
首謀者といえる中心メンバーをこれ以上拡大させるのは、情報漏えいや内部分裂などのリスクが増大する一方で、これといったメリットがない。それでも、潜在的な同調者を確保しておくことは重要で、風向きが変わった時に乗ってくれる者を囲い込むことは、中長期的にも欠かせない。そういった貴族家へのパイプを使えるのは、今のメンバーではフリーデだけなので、責任が重大になる。
イザベラも、実に多様なパイプを持っているらしいけれど、表にできないタイプの付き合いで、半ば脅迫のようなことになりかねないから、おいそれと使うわけにはいかない。だからこそ、フリーデに“押し付ける”ことになる。堂々とトビアスの隣に座れる彼女に対して思うところが……ないとは言えんな。
ポジティブな付き合いはフリーデに、ネガティブな付き合いはイザベラに頼むことになるか。後者はあまり頼らないようにしたいけどね。
「そうですね。ただ、クラウスナー卿は堅実かつ誠実な方ですし、複数の他家後継者を前に約した内容を違えることはないでしょう。一応、証拠も取っておきましたし」
「証拠?」
「ええ、ここに、振動玉というものがございまして」
ポケットから、大きめのビー玉のようなものを取り出す。そういえば、データを録音したり録画したりする技術が実用化されているって話だったっけ。
「ごく簡単に説明いたしますと。このように平たいものは、音声だけを記録します。この他に、音声と合わせて映像も記録できる、球形のものもあります。理屈はよくわかりませんが、空気の振動をこの装置が感知して、内部に刻みを作って記録するらしい、です」
なるほどわからん。記録メディアとしては書き込み専用、CD-Rみたいだね。
けっこうお値段が張りそうな気もするけれど、そのあたりは承知の上なんだろうな。男爵家の家計は事実上彼女が仕切っているみたいだし。
「でも、ああいった、力を持っている人に対して、ああいったやり取りをした経験ってなかったから、交渉としては相当に甘かったかなあ」
「わたくしもそう思います」
「バッサリいうね」
「まあ、わたくしの視点は、ちょっと特殊ですので。貴族的な会話術というより、仕事の上で学んだやり取り」
「ああうん、わかった」
まあ、刃物ジャラジャラで相手を追い詰める交渉術とか、ベッドの上で相手を手玉に取る交渉術とか、そんなんだよね。確かに、参考にはならんな。
「それでも、ビルジー侯爵家王都屋敷に居る私兵団を掌握していることをはっきり示したのは、いいけん制になったでしょう。クラウスナー卿は、協力への疑問は何度も問われておいででしたが、最後まで否定されなかった。武断派の卿には、ビルジー侯爵家の軍事力を適切に指揮できれば、王都の制圧は難しくないことはお見通しでした。その上で、少なくとも、敵対しない言質を取れた。十分に及第点です」
「方法と目的については、おおむね良かったとは思うんだけど。結局、信頼されるに至らない理由って、話をややこしくしてきたレオノーラが不在だったことにもあるんだよね」
愚痴っぽく話すと、イザベラは苦笑する。
「さきほど少し触れましたが、昨夜、本当に久しぶりに、姉上とお話しする機会がございまして。これも、ユキエが、わたくしの心を溶かしてくれたからだと思います」
「いやいや、わたしは単に、生きるために必死だったってだけだからね? あなたがレオノーラと対話できたのは、自分の力だからね」
切っ掛けは作ったかもしれないけど、背中を押したわけじゃないし、レオノーラについてイザベラに話しこんだわけでもない。イザベラがわたしと話すことで、いささかなりとも自信を取り戻した結果に過ぎない。
「しかし、レオノーラがそれほど思慮深い人だとは思わなかったわ」
「そんなことありませんよ?」
「へ? だって、さっき」
「ああでも言わなければ、短慮な娘がひっかき回しただけ、と言われるのがオチです。姉上はむしろ、思い込みが激しくて、止まれない性格です。事実は曲げていませんが、受け取る側が実際とは乖離した印象を持ったとしても、それは解釈の範囲です」
「なんちゅうことを」
わたしの隣でクスクス笑う美少女に、黒い影がつきまとっているように見える。
「それにしても、アイゼン王国とのつながりの件、あの二人とはいえ、明かしてよかったの?」
「ドゥルケン男爵家の由来を追えば、関係があることにはすぐに到達できます。現時点における公式関係は、先方で現役の貴族を調査、整理すれば、それほど困難なく把握できます。さらに、アイズィーニオ王国の間諜を捕縛せずに追跡すれば、彼らが何を監視しているかもわかるはず。聞かれていないから答えていない、という程度のもので、そもそも機密事項でさえないのですから」
なるほど。誰も考えもしないから、聞かないし、調べないのか。
「んで、それが、レオノーラとイザベラが共に備えている知識だった、と」
「いえ、姉上は確かに知っていましたが、わたくしも知っているとは思っていなかったようで、驚いていましたよ? 姉上もわたくしも、叔父上、つまり姉上から見れば実のお父様から、お伝え頂いたことですが」
「ちょっと、そういう情報を共有しないで、こんなことを進めちゃ、いかんでしょ」
「まあ、それが、姉上らしいところでして」
ダメダメやな。
「それはそれとして。レオノーラが目指すところ、いや目的は、結局何なの?」
わたしがこの世界に召喚されて、いまだに教えてもらっていない、しかし、一番肝心なことだ。
この問いに対して、イザベラは口元を緩めて、微笑を浮かべながら。
「姉が目指しているのは、この国――ユリデンを、他国に奪わせないこと、です」
ユリデンでは、王位継承権のありなしは規定されているが、その順位は定められておらず、王太子の選定は王の専権事項だ。一応、血縁で王に近い者が優先されるものの、絶対原則ではないため、跡継ぎをめぐってのお家騒動は、ほぼ恒例のことになっている。
当然だが、有力な王位継承者には、影響力を大きくしたいという貴族家が取り入ろうと接近する。王宮内が混乱をきたす程度ならまだしも、子女を王宮へ送り込み、ハニートラップを仕掛けて既成事実で嫁入り、なんていう、えげつないことも多々あったようだ。レオノーラが王太子の愛人なんてうわさをあえて広めたのは、これを逆手に取ろうとしたのだろう。実際には、男の肌に触れたことのない生娘らしいけれど。
それを避けるために、少なくとも直接は、王宮へ直接影響を与えることのない、他国と縁の深い王族や貴族の子女を求め、有力継承者の夫人に迎え入れることが増えていったのだという。
「貴族たちにとっても、他国とつながりがある者が王になる方が、都合がよいのですよ。貴族に対して王家が強大な力を及ぼすことがなくなりますから。さらに、有力貴族にとっては、その力をもって王家に有利な条件を引き出しやすいですし、いざとなれば他国へ寝返ることも容易になりますから」
「売国奴養成制度やんけ」
血縁関係が濃い親族よりも、血縁がほぼない他国出身者を優遇して養子にするとか、江戸時代の外様大名なんかでいくつも例があるけど、あれは徳川家と譜代家臣団というヘゲモニー政権があって、そこから警戒心を持たれないようにする措置だ。明確な従属的地位にあるわけでもないのに、独立性を弱める措置を取る理由がない。
イザベラは苦笑し、そういう認識を持つ人も居ないわけではないのですけどね、と言いつつ、続ける。
「他国と縁のある者が王位につけば、その家門はおろか、他国と利害関係を共にする政策を採ることが明らかです。単に、共通の利害をもって同盟政策を採るのなら問題ありませんが、実際には一面的な利益誘導、それも、国益よりも家門の利益を優先することが一般的になります。先々代の王など……」
露骨に顔をしかめる。
「王領内で、罪の軽重を一切考慮せず犯罪をなした“と判断された”者、およびその家族を全員逮捕し、逮捕者が多いからという理由で、通常の刑務所でない収監所に。その収監所から、なぜか、ダルス帝国へ向けて、三日間にわたって大量の馬車が向かっていきました。一日目には男性、二日目には女性、三日目には子供が乗せられていたそうです」
「それって……」
「犯罪者を更生するための処置を行う、という名目だったそうですが、実際には、人身売買そのものですね」
当時の帝国は、農地開拓に力を入れていたため人手がすぐにでも欲しく、また皇帝が好色で女あさりを趣味にしていたから、という。子供がどうなったのかは……いや、知ったからといって得られるものはないし、気分が悪くなるだけだから、想像はやめておこう。先々代ともなれば、今からできることなど、何もありやしない。
「このような愚策、単なる一暗君の暴走で済ませていいはずがありません。結局のところ、王家が自分たちを消極的に防衛しようとした結果、国が従属的な立場に追い込まれていったわけですから。もちろん、こういったことは氷山の一角で、帝国だけではなく、ミリューデュ王国に対しても同様の動きはありました」
「ミリュー……?」
「あ、ミルーデン王国のことです。それはともかく、実態としてはアイゼン王国男爵家後継者、名目としてはアイズィーニオ王国公爵位としての自負をお持ちの姉上が、両国の影響力を苦々しく思うようになったのは、必然です」
なるほど、レオノーラなりに、この国のことを憂えてはいたわけか。もっとも、彼女のパースペクティブは、イザベラのそれとは異なり、他国から独立して制度的に固まった“国家”ではなく、属人的な王家を元にした緩やかな王国で止まっているのだろうが。
でも、単身で、それも無理を通して権力の地位についたとて、コスト(リスク)とベネフィット(リターン)のバランスが悪すぎる。身を捨てて浮かぶ瀬を求めるような筋でもあるまいに。
だいたい、婚約者の後釜についたとなれば、レベッカ嬢、ハーマン家=ファイゼルト侯爵家に同情が集まり、結果的に、帝国の影響力が一気に高まる可能性が高い。もちろん、帝国派――そういうものがあればの話だが――にしても一枚岩ではなく、その内部で権力抗争があるだろうから、そんな単純に話が進むはずはない。政治史の分岐は、一番近いところで観察していた者でさえ想像もできない方向へ進んでいくのが、常だから。
そしてまた、少なくとも先々代の国王の時点で従属的外交を強いられてきたなら、王宮内も、有力貴族の間でも、すでに外国勢力と密接な関係を有し、その関係が固定化され、縁を切るなど考えも及ばない状態になっている者は多いはずだ。つまり、この王国の権力機構で位置を占めるには、外国、つまりダルス帝国およびミルーデン王国との関係によって決定づけられる。そして、それらのバランスを保つことが、国としての実態を保つための最低限の条件になり果てる。
そんな彼らを、例え王権のトップに就いたからといって、切り捨てることができるのか。
「いえ、いろんな条件を考えれば、やっぱり無理な策ね。むしろ、トップという位置で政策を実行しようとするなら、意見に賛同する勢力を一定程度集める必要があるし、どこかで妥協しなきゃ。妥協というのは、高度な政治的判断力が必要で、権力闘争はおろか組織運営さえ未経験の者にできるものじゃない。それに、その過程で、外国勢力の排除自体、骨抜きになるわね」
トップダウンによる独裁的組織運営というと、トップが思うままに組織を動かせると思われがちだが、とんでもない。権力を行使しようとしても、その権力行使が認められる条件が整っていないと、遂行できないのだ。
圧倒的な武力、途方もない経済力、岩盤のごとき支持基盤を全て備えていれば別だが、そんな理想的な環境が、そうそうできるはずもない。そもそも、そんな環境で全てを進めれば、必ずや何らかの反動がくる。
強烈なカリスマ性を備えている場合なら、それを支えに、個人独裁で政治を運ぶこともできなくはないだろうが、それも長いこと続けることなど、ほぼ不可能に近い。長期政権を維持できた独裁者は例外なく、政策もさることながら、天才的な調整能力を備えていた。サラザールにせよ、チトーにせよ、利害を異にする多様な勢力を上手に束ねられていたからこそ、最晩年まで独裁権力者で居続けられたんだ。それに加えて、独裁者の宿命と言える猜疑心を、その驚異的な精神力で抑制できたという面も大きい。
でも、そんな政治家は、そうそう出てくるものではない。
「はい。控えめに見ても、短慮に過ぎます。それでも、ひとまず話は聞いてくれましたので、暴走する心配はないかと」
「確実に、納得したのかな? その場だけ、ってこともあるよ」
ここが肝心だと思う。面従腹背というのは大げさだけど、その場ではわかったようなそぶりを見せても、実際には反発する。あるいは、その場では理解したつもりでも、独りになって考え直すと、結局元の考えに戻ってしまう。よくある話だ。
「自信を持って言えます。あの時の姉上は、少なくとも話をしている範囲内では、嘘は言っておらず、重要部分での隠し事もしていませんでした。当然、言いたくないこともあったでしょうけれど、個人独裁が不可能であること、局所的な武装蜂起が必須かつ現実的に可能であることは、完全に同意できたと確信します」
それならまあ、大丈夫でしょう。
そういえば一つ、ものすごく大事なことがあったな。わたしは、あえて声を潜める。
「ところで、例の、あなたの“切り札”のこと、レオノーラは知ってるの?」
「わたくしの“地位”については、さきほど申し上げた範囲についてのみ、認識されています、とだけ」
「そ、か。じゃ“使い所”は、もう決まったね」
「ですね」




