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4-17.思わず彼の胸ぐらをつかんでしまいました

「無理って、何?」


 フリーデが小首をかしげる。うん、今のやり取りだけじゃ、わかるはずないよね。


 そこでわたしが、今朝、イザベラへ象徴君主の地位を打診したことを伝えると、フリーデが反応する前に、イザベラが声を出す。


「ユキエ、何度言わせるのですか。わたくしでは、求心力どころか、遠心力が働きますよ。わたくしの“身分”は男爵家子女ですが、“職業”は殺人屋であり、娼婦なのです。殺人屋として、何十人もの命を奪った者に対して、安全安心を感じられる人など、居るわけがありません。娼婦として、何千回も男の精を受け入れてきた者に対して、崇高や敬愛の念を抱く人など、皆無です」


「……」


 話がだんだんそれて、重苦しい空気が徐々に薄まってきたところ、イザベラの“殺人屋”“娼婦”という強烈な単語パワーワードに、その場が再び凍り付く。そういったことを職とする者が、おおよそどのような社会からも、忌避され、蔑視される存在ということが、再確認させられたゆえに。


「まあ、現状認識と計画にあたって、それは割とどうでもいいことです。単に、第一目標達成後の体制に関して、わたくしは表に出ない方がいいというだけですから」


「うん、まあ。でも、象徴的存在として推戴する者は、決めておいた方がいいと思う。現国王を、完全に廃位するか、名目上は存続させるかを問わず」


 この話題を続けたくないというそぶりを隠さないイザベラの意をくんで、彼女が求める流れに乗る。確かに、今はこちらの方が大事ではある。彼女がくどいほどに念を押した結果、植え付けられる印象があまりにも強烈になってしまってはいるけれど。


「具体的な条件を整理しようか。国民の間で階層を問わずに支持を得やすく、旧体制の悪弊に対して無縁または批判的で、新体制への変革路線に近い立ち位置で、伝統的な価値観も継承できる、そんなとこかな。それで、全部とはいかなくても、こういった条件をかなり満たしている人って、心当たりはある?」


「心当たり……うーん、それにあたるとなれば、やはり、レベッカ様、かな」


「彼女では無理ですね」


 フリーデの提案を、イザベラは一蹴する。


「彼女は、現王国の王族分枝であると共に、ダルス帝国の皇孫です。二国間の関係だけが強くなるように見えるのは、将来、確実に禍根を残します。現在の国王を当面残して、有期かつ一代限りの国王代理を任せるという手もありますけれど」


「確かにね。だいたい、彼女が新体制の具現者としてふさわしいかというと、微妙か。昨日話した時の反応を見れば、やはり、保守的というか、消極的な姿勢なのは変わっていないわ」


「そうなると……」


 イザベラとフリーデが、誰がどう、彼がこうと、議論をする。辺境の領主貴族とはいえ、中央との関係を備えていたデリンジャー伯爵家のフリーデは、さすがに有力者に関する知識が多い。イザベラも幅広く多様な人間を知っているみたいだけど、誰がどれだけため込んでるとか、誰が裏で悪徳商人とつるんでるとか、どの貴族が誰へ金をばらまいているおか、なぜかネガティブな方向で多くの情報を……うん、詮索はしないよ。


 二人が熱心に話し込んでいる横で、何やら思案げな顔だったトビアスが、ちょいちょい、と手招き。テーブル越しだから、こちらに移動しろということじゃなくて、耳を貸せということだね。


 どったん?と耳を寄せると、トビアスが口を近づけてくる。彼の吐息が、わたしの耳たぶに当たって。ビクッ。無意識のうちに体が反応して、ガラにもなくドキドキと胸が高まる。なんなんだ、中坊じゃあるまいし。いや、わたしが中学生の時には、もうそういう段階じゃなかったけど。うん、生娘じゃあるまいし、が正しいか。


 恐る恐る、ヤツの顔を見ると、ニタッと笑ってやがる。してやったり、って顔だ。まったくもう。でも、この表情、この世界で初めて見た。


 だけど、その顔は、ほんの一瞬で消える。いちゃつくのじゃなくて、二人だけで話したいことがあるってことだろう。


《イザベラ嬢。彼女は、聞いてほしかったんだろうな。信頼できる相手に》


 彼は、日本語で話しかけてきた。


《だからこそ、話が通じると思ったゆっきーに、べったりになった。キミにとっても、彼女が大事な友人というのは、わかる。でも、気を付けろよ》


 反射的に、何に、と問いたくなったのを、ぐいと飲み込んで。


《どういうこと?》


 気を付けろ? 何? 彼女がどうかしたというの?


《あの娘は、先を見据えているようで、自分がそこに関わることを考慮していない、いや、自分がそこにいることを前提としない先を考えている。あまりよくない意味で、覚悟を決めた目をしている。恐らくは……》


《絶望……いや、違うか。どん底からの回復期こそ、怖いもんね》


 うつ病の人が自殺しやすいのは、症状が悪化している時でも最悪の状態にある時でもなく、回復期なのだという話を聞いたことがある。悪化している状態では、死にたいと思ってもそのための行動が取れないけれど、少し回復すると行動への意欲が高まり、自殺を遂行してしまうのだとか。


《そうかもしれないが、分析はどうでもいい。目を離さないで物理的にしっかり寄り添うか、悲惨なことが起きないことを祈りつつ突き放すか。後者なら、第一関門を突破した時点で、キミの手から放して、別の誰かに委ねるべきだ。フリーデでも構わない》


 そういう言われ方をすると、弱いな。痛いところを突いてきやがった。


 確かにわたしには、こういう面で、人を見る目はあまりない。発言や行動という結果を基に、その人間の能力や指向性を判断できる判断できる自信はあるけれど、それと、目の前に居る人間がどのような状況にあるかを肌感覚でつかむのとは、似ているようで違う。組織で言えば、ある従業員を評価しようとする場合、人事の視点と、直属の上司の視点では違う。そして、わたしには、少なくとも現時点で、後者の能力はほとんどない。まあ、リーダーシップを発揮するような機会なんて、全くなかったしね。


 そして、トビアスはそれを一番よくわかっている。わたしの経歴なんか丸裸だし。


 でもね。


《わたしでは無理っていうの?》


《……》


 目はそらさないけれど、何も言葉を発しない。


 否定はしないけれど、その理由は言えない、というか。


 わたしでは、精神に不可逆的な打撃を受けた者を支えることはできないと言いたいのか? いや、それなら、フリーデ“でも構わない”なんて言わないだろう。つまり、性格的能力的にわたしでは無理というより、それ以外の条件ゆえにわたしでは無理、ということになる。


 消去法的に考えられるのは、社会的条件と肉体的条件だけど、前者は検討する意味もなく無関係だろう。身分制度を基にした差別感情を唾棄しているイザベラが、わたしの身分について気にするはずもない。


 そうなると、わたしの物理的存在が、レオノーラの肉体に同居、いや寄生していることが問題、というわけか。


 イザベラはレオノーラに対して、何があっても彼女を守る、という姿勢で終始一貫している。その姉の身体にいる限り、わたしがイザベラに対して活動できる選択肢が限定されるのは、仕方がないとはいえる。歯がゆいけれど、現状は現状だ。


《ま、そうね。わたしが、本当の意味で自分として行動できるようになってからだよね》


《いや、そうじゃないんだが》


 え?


 よくわからない。


《これは、ゆっきーよりも長い人生経験を経てしまった、俺からの忠告だ。これ以上、彼女に、深入りするな》


《な!》


 なにそれ? なんで? どうして?


 わからない。わからない。わからない。


 わたしの知っているたっくんは、そんなことを絶対に言わなかった。


 理由も、事情も、具体的なことを何も察することなく、わたしにとって重要な事を、バッサリ切り捨てるようなことなんて。


 そりゃ、命令口調でモノを言うことぐらい、あった。今夜のメシはこれにしてくれ、俺が食いたいから、とかね。


 でも、わたしの友達付き合いのようなことについて、しかも、わざわざ“忠告”なんて言葉まで出して。


 百歩譲って、長らく離れていた日本語の用法がおかしくなっているとしても、彼の表情を見れば、言葉通りの意味だというのはわかる。今のトビアスは、感情を出さない貴族仕様じゃない、素の感情を隠していない。


 厳しく、でも、言っている本人の背後には、つらい感情が垣間見える。無意味な意地悪を言っているのではない。ダテに二十年も付き合ってはいない、その程度は読み取れる。


 それなら、どうして。どうして、そんなことを、真剣に。


 混乱したわたしには、理由を確認しようと、冷静に求める余裕なんてなかった。


《どうして! どうして、そんなこと言うの!》


《すまない》


《謝ってほしいんじゃないよっ! わたし、わたしは、ただ……》


 言葉が止まらない、体を止められない。


 わたしは、トビアスの胸ぐらを両手でつかんで、顔を近づけて。


《“たっくん”に、そんな顔、してほしくないだけなんだよっ!!》

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