4-16.男爵家の立ち位置とその役割を確認しました
4-16.男爵家の立ち位置とその役割を確認しました
「「……」」
トビアスも、フリーデも、口を半開きにしたまま、声を出せない。
これまでのイザベラの身のこなしや言動、あの二人組の存在などから、情報収集を手掛ける隠密のような活動を、あるいは盗賊の活動あたりを考えていたのだろう。彼女が時折見せている、いささか自虐的ともいえる言動の背景に、そういった非合法の活動があるだろう、という程度の考えは抱いていたに違いない。
しかし、殺人、売春、そういった“仕事”のインパクトは、隠密だの盗賊だのとは、まるで違う。
「まあ、こんなことをいきなり話されても、どのように受け止めればいいのか、わからなくなるとは思います。まずは、我がエグナー家……ドゥルケン男爵家について、ご説明致します」
そしてイザベラは、とつとつと話し始めた。
――エグナー家が、隣国、それもフリーデのデリンジャー伯爵家領と隣接し同家が交渉窓口となっている、アイゼン王国、現地発音でアイズィーニオ王国の王族分枝であること。
――エグナー家という家名は、アイズィーニオ王国からユリデン王国へ派遣された王族が隠密行動をする際に用いたもので、潜入当時に王都が混乱した際、その呪術の際で平定に成功、その功で男爵に授爵。
――ドゥルケン男爵家は、授爵の経緯が極めて特殊であることから、王都詰めとなり領主貴族になり得ない一方、初代当主が修得していた技能の独占的な継承を認められる。
――レオノーラ・エグナーはドゥルケン男爵家継承権第一位にして、アイゼン王国、現地でのアイズィーニオ王国からオルティレッリ公の称号を受けており、イザベラはその継承者となっている。なお、レオノーラの義父にしてイザベラの実父であるエグナー家当主には、オルティレッリ公爵家の地位は認められていない。
――オルティレッリ公爵家には、遺伝的技能として呪術、後天的技能として暗殺術がある。両技術を同一人が継承したこともあったが、現在では、レオノーラが前者を、イザベラが後者を継承している。
――呪術は防御的に、暗殺術は攻撃的に、いずれもオルティレッリ公爵家を守護するための技術であり、通常は行使しない。ただし、同家の他、当主の判断で守るべきものの安全や尊厳が侵害を受けている、あるいは受けるおそれがある場合は、行使しうる。
「姉上……レオノーラの行使した呪術は、現状を打開するための知恵、すなわち頭脳を求めた結果です。ユキエには、大変なご迷惑をおかけしておりますし、それについて弁明の余地はありません。しかし、当家のおきてには、何ら抵触しません」
なるほど、ユリデン王国のドゥルケン男爵家ではなく、アイズィーニオ王国のオルティレッリ公爵家として見れば、レオノーラは当主ということになるのか。で、ユリデン王国内では何ら法的権限を持たないとはいえ、家の中では当主と扱われると。道理で、冷遇されてはいても、腫れ物に触れるような扱いだったわけだ。
そうすると、イザベラは訓練だけしていた……いや、例の二人組への接し方を見ると、少なくとも、潜入については、ずっと早くから動いていたことになる。
イザベラの性格的に、そういう伝統のようなものは、積極的に否定して廃絶させることはあっても、存在を認めつつもなし崩しに軽視するようなことは、考えにくい。つまり。
「暗殺術は、ドゥルケン男爵家先代当主にしてオルティレッリ公爵家先代当主であったわたくしの叔父上、すなわちレオノーラの実の父親から、直々に訓練を受けて身に付けたものです。それは、厳しい訓練でした」
彼女の瞳が、どことなく小さくなった気がする。
「しかし、叔父上の体調が悪化し、ほどなくして亡くなると、わたくしの実の父がドゥルケン男爵家当主となりました。彼は、家長として振る舞っておりますが、アイズィーニオ王国からは彼の爵位継承は認められずにレオノーラが襲爵、現時点での後継候補はわたくしとされています」
つまり、アイズィーニオ王国からは、イザベラの父親はお呼びでないと評価されているってことか。国中枢同士の直接のやり取りすらない遠隔地の王国まで、どんだけ悪名が鳴り響いてるんだよ。
「つまり、当家の情勢を正確に把握できる程度に、アイズィーニオ王国……当地でのアイゼン王国は、高度な情報網を有しているということです。大使や常駐外交官がいないにもかかわらず、です。これについて、我がユリデン王国の王宮中枢は、全く危機感を抱いていないようですが」
ドゥルケン男爵家の次期当主がどのような者かを知っているということは、男爵家の居所である王都に情報収集者が常に居る、ないしは出入りしているということ。その情報収集者が、ドゥルケン男爵家の情報のみを調べているはずはなく、その大宗は国策の背景や結果に関する各種実態だろう。
フリーデの顔色が、明らかに変わる。アイゼン王国との玄関役、言い換えれば最前線にあるデリンジャー伯爵家としては、爆弾を落とされたような新情報なのかもしれない。
「ど、どうして……どうして、さきほど、父の居た場所で……」
「重要な情報ではありますが、これを知っていること自体が、わたくしとレオノーラにとっては、身を守るための情報でもありますので。信を置けない第三者に知られることがあれば、二人そろって葬り去られる可能性も、十分にあります。そしてまた、当方から先手を打たなければならない状況は、わたくしは避けたい」
「う……」
確かに。監視対象になっているということは、裏を返せば、監視されるだけの意味をその身に帯びているということになる。そして、イザベラとレオノーラという二人の少女は、アイズィーニオ王国にとっても、ユリデン王国にとっても、積極的に保護すべき理由は、国益に照らせば、恐らく、特にない。害せられたら、それを口実にアイズィーニオ王国が動くことは考えられるが、二人を外部から積極的に守る意味も意思もないだろう。
そう考えれば、初対面の人間、それも、自分の味方になってくることが保障されない立場の人間に、おいそれと話せるものでもない。当然の判断だ。
「そもそも、ドゥルケン男爵家を授爵している当家も、王宮の立場からは、アイゼン王国の手先と見なされるでしょう。わたくし共にとっては、ユリデン王国の王宮も、アイズィーニオ王国の王宮も、味方にはならないのです。わたくし共が行動する場合、そのような視点で判断されることを前提に、そして逆手に取るべきなのです」
「逆手……」
フリーデが、悩み顔になる。
「ここ王都から見て、アイゼン王国の拠点都市は遠く離れていますから、我々に何かあったとしても、即時の軍事侵攻は不可能です。ですから、アイゼン王国側の軍事活動が観測されない限り、わたしくたちが蹶起したところで、大きなメッセージは出し得ません。ダルス帝国やミルーデン王国なら」
イザベラの腰を、肘で軽くつつく。その先の言葉は、慎重に選ぶべきだ。たとえ、この二人が相手であっても。
「その二国が同じ状況であれば、それを口実に、軍に限らず、さまざまな展開を仕掛けてくるでしょう。ですが、少なくとも短期的には、我々は脅威にはならず、そして、何かあった際には、アイゼン王国を敵と認定することができる、ということになります。しかし」
イザベラは、二人の顔を見る。トビアスは泰然自若とした姿勢を崩さないけれど、フリーデは、早く続きを、という表情だ。
「そもそも現状、ユリデン王国には、アイゼン王国を敵視して行動を起こすには、利益はもちろん、名分も何もありません。関わらずにおくべきですし、波風を立てねば気が済まないような方も、まあ居ないでしょう。それなのに、わたくしたちが、動く。当然、アイゼン王国に意図があるだろう、と判断します。その瞬間、他国の動向は、頭から抜け落ちます。……レオノーラが王太子に接近し、ダルス帝国を背後にうかがわせるファイゼルト侯爵家令嬢を袖にさせようとしたのは、こういう背景があったためです」
「あ……」
「理解いただけたかと存じます。王太子一派の愚行は、事情を把握している上層部に限っていえば、外交関係が希薄だった第三国との関係を示唆させることで、帝国の介入をけん制し、重心を変えた形で勢力均衡を維持するという狙いもある、といえるのです。あの王太子に、そのような深慮があるとも思えませんが、止める者が出なかったのは、これが理由でしょう」
「ほお……」
トビアスが、感心したような声を出す。恐らく、イザベラのことを、頭でっかちタイプの娘だと思っていたのだろう。いやいや、この娘さん、現実社会の分析能力は、大したものなんですよ。
「事情を把握していると思われる者は、恐らく二名。まず、国軍総大将の、エルヴィン・ルックナー」
総大将ねえ。どっかで聞いたことのある名前を組み合わせたみたいだね。まさか、二つ名が“海の狐”とかじゃないだろうな。この世界、他にも転生者とか居るのかもしれん。
トビアスに目を向けると、特に微妙な表情をしているわけではない。まあ、こちらの世界にすっかりなじんだんだろうな。
「そしてもう一人、外務大臣、ギュンター・ハーマン」
「え」
わたしは思わず、声を出してしまう。
「それって、現時点で王太子婚約者の、レベッカ嬢の」
「はい、お父上ですね。対外戦略や軍事戦略は宰相の仕事ですが、個別の対外交渉はハーマン卿の仕事なのです」
宰相が本部、大臣が現場ってところなのか。でも、交渉だけってことはないよね、さすがに情報は仕入れているはずだし。
「ハーマン家のルーツは王族だったっていうけど、その当時から外交畑だったの?」
「いえ、違うわ。もともと数字に強く、農作物の収穫や食糧生産が得意分野だったはずよ。イルムガルト様を迎えられたあたりで儀礼分野の幹部官僚になって、レベッカ様が王太子殿下の婚約者になった後に財務担当次官、そして今年から現職。失礼ながら、外交での実績はほぼないに等しいわ。ダルス帝国との諸協定も、前任者やその前が作成、締結しているから」
このあたり、フリーデはさすがに詳しい。
「そうすると、ドゥルケン男爵家のことはあまり気に掛けていない……いや、レオノーラが派手に目立つ行動を取っているから、裏取りはするだろうし、そのあたりはわかってるか。むしろ、ダルス帝国派と見なされるハーマン卿は、アイゼン王国とつながりのあるドゥルケン男爵家には手を出せない。そして、レオノーラの行動の背後に、自分の敵対派閥がいて、帝国への接近を妨げている……」
「はい。つまり、レオノーラの行動によって、国内の派閥が均衡状態になり、不安定ながら小康状態になります。王権を回復するには、何よりも国内が分裂していないことが重要ですから、あまり褒められない方法でも、策としては悪くありません」
「敵を作らなくても味方が誰もいないなら、相互けん制でデッドロックにしちまえ、ってか。それに賭けるというには不安があるけど、いけそうではあるね。それを、レオノーラが考えていたと?」
「わたくしは、そう判断しています。姉う……レオノーラは、権力を掌握した後の展開予測こそ粗だらけでしたが、そこまでの過程は、かなり綿密に組んでいたようです」
ふうん、これまで間接的に得てきた情報では、彼女は割と単純で突き進むタイプかと思っていたけど。
そんなわたしの内心を読み取ったのか、イザベラが苦笑して、説明する。
「姉上は、目標が明確で現実性がある限り、実にしっかりした計画を立てられる方なのです。それも、条件や状況が変化した場合に備えて、複数の類型を用意して。今回の計画も、暗号で書かれてはいたものの、読み取ってみると、計画の緻密さに驚きましたから。もっとも、それ以降が、とても、その」
「まあ、権力奪取は手段であって、目的じゃないものね。……それで、レオノーラは短期戦術で能力を発揮するというのはいいとして、突発的な状況変化には、対応できるタイプ?」
イザベラは、うーん、と少しうなってから。
「恐らく、ある程度はできるかと思います。集めた情報から、急な変化を感じ取った場合、すぐに決断できる方かと。ですが、例えば自分の身に危険が急に及んだような場合、冷静に対処できるかは、よくわかりません。ただ、全く想定していない展開になると、慌ててしまう傾向はあります」
「決断力はある、冷静さはあまりない、か。やっぱり、象徴にはできんな。そうなると」
「ですから、わたくしでは、無理ですって!」
エルヴィン・ルックナーの名は、“砂漠の狐”ことエルヴィン・ロンメル、“海の悪魔”ことフェリクス・フォン・ルックナーの合成です。某国の軍人で、陸軍と海軍のそれぞれの分野で伝説的な存在を組み合わせるという、安直なネーミング。もっとも、この国に海軍があるかどうか、そもそも海に面しているかどうか、そのあたりは、この期に及んでも決まっていません。




