4-8.伯爵家ご当主に挨拶しました
「エドガー・クラウスナーだ。トビアス君、息災のようで何より」
「エドガー様、お久しぶりでございます。こちらは」
「お初にお目にかかります。レオノーラ・エグナーです」
「同じく、初めてのごあいさつを失礼致します、ドゥルケン男爵家当主次女、イザベラ・エグナーでございます。クラウスナー卿におかれましては」
トビアスのあいさつに続けるようにして、わたし、そしてイザベラが頭を下げる。様になっているイザベラの姿勢には、ほれぼれする。何の教育も受けてこなかったと彼女は言うけれど、とてもそうとは思えない。まあ、平民視線での判断だけど。
「ああ、よいよい。私的な、それも、あまり表に出すべきではない話題が主なのだろう。改まったあいさつは無用だ」
エドガー様は、ぱっと見た限りでは、温厚な紳士というイメージ。ただ、国境で組織だった軍を指揮する有力諸侯だ、単なるいい人に務まるとは思えない。単なるいい人ってのは、要はどうでもいい人なんだ。王宮内の権謀術数とは無縁らしいから、貴族としての処世術はそれほどではないかもしれないけど、政治家としての力量はまた別だろう。
そして、わたしたちにとって重要なのは、そちらの力量の方だ。
トビアスが説明を始める。
「本日、お時間をいただきましたのは、他でもございません。エドガー様もご招待されておいでの、例の国王陛下誕生日祝賀パーティーの件でございます」
そういえば、パーティーというからには、何らかの名目があるはずだよね。どういう名目なのか知らなかったよ。
国王の誕生日といえば、形式上は私的なものでも、主要貴族の代表者はもちろん、国内外の有力者、さらには外国の者までいろいろ集まるね。ここで、事実上国のトップにある者が宣言するとなれば、国を代表しての声明となるに決まっているわ。純粋に内輪向けなら別だけど。
うん、本当に警備がザルなのか、そこはキッチリ確認しておかんといけないね。
「お聞き及びとは存じますが、そのパーティーの場で、王太子殿下が、ファイゼルト侯爵家のレベッカ・ハーマン嬢との婚約を破棄される旨を宣言し、代わって、こちらのレオノーラ嬢を婚約者にされると表明される予定です。この件、わたくしも当初は出所不明のうわさ話と一笑に付しておりましたが、実際に会場の手配に加えて設営準備まで進んでいること、レベッカ嬢の王妃教育が事実上中止同然になっていること、ファイゼルト侯爵夫人のバックであるダルス帝国の動きが慌ただしいことを考慮すると、実行は確実と考えるべきです」
「ほう」
デリンジャー伯爵家も、綿密な情報収集を行ってはいただろうけれど、この分野については、トビアスの方が強いし自信がある、とは彼の言。根拠についても、確実に裏を取ってのことなのだろう。
「もともと、王太子殿下とレベッカ嬢の婚約は、王家からの要望があって実現したというのは周知のことですが、なかでも、今は亡き王妃陛下が強く望まれ、国王陛下がこれに同意する流れで決まったとか。王太子殿下から見ますと、親の息がかかったレベッカ嬢を疎ましく思い、それと無縁の下級男爵家の子女を選んだ、という“理由”が考えられます。婚約破棄を堂々とリークしているのも、恐らくそれが背景にありましょう」
え、レベッカ嬢が婚約した背景は、親のゴリ押しで、王太子はそれを快く思っていなかったってこと?
それなら、今度のような横車も、わからんではない。単に、恋心で目が曇っているだけで、こんな暴走はしないだろうとは思っていた。
つか、そういう大事なことは、打ち合わせの段階で教えてくれ。あの場で隠しておくような話じゃないだろ……いや、違うな。それはブラフで、実はたいしたことのない情報ということだ。そのぐらい、アイツなら判断できる。
「決定権者と動機を考慮すれば、外部からどのように干渉しても、少なくとも婚約破棄を撤回させることは不可能でしょう。強引かつ手荒な手段を採らない限り。もっとも、そういった手段を採るだけのメリットが誰にあるかというと、誰にもないでしょうが」
イザベラには口が酸っぱくなるほど念押ししたけどね、そういう手段は、やめといたほうがいいよ。ダメ、ゼッタイ。
「これが実行された暁には、現体制下におけるユリデン王国は、大きく動揺します。それは、間違いなく、避けられません。したがって、わたくしたちが取る行動について、路線を決めておくべきです」
「ふむ、それが重要であるのは承知しているがね。彼女たちが同席している理由を聞きたい」
そう、ここまで、トビアスはあくまでも一般論を軸に話を進めた上で、最低限の共通認識を示しただけだ。ここからいよいよ、どのような展開を提案していくか、というステップに入る。
「ごもっともです。まず、こちらにおいでのレオノーラ嬢ですが、彼女が生まれたエグナー家は呪術師の家系で、彼女にもその能力がございます」
「今回の意図……いや、目的を遂行するための手段として、その呪術を行使したということかな?」
「それに関しては、妹のわたくしからご説明差し上げます」
トビアスを遮るように、イザベラが軽く挙手をする。
エドガー様は特に表情を変えないが、なぜトビアスの説明ではだめなのか、また本人ではなく妹に話させるのはなぜか、そういう疑問が頭に浮かんでいるはずだ。
実は、このやり取りは、予定通りだったりする。最初のうちは、渦中の当人には口を出させず、外部から説明をさせていくという作戦だ。
「姉のレオノーラが行使できる呪術は、いくつかございます。各術の行使法や効果等については秘密になっておりまして、わたくしは術者ではないため、詳細は存じませんが、姉が今回使ったのが確実なのが“魅了術”と“召喚術”です」
「召喚術?」
さすがに初耳だったようで、エドガー様が眉を潜めるが、イザベラは構わずに続ける。
「まず、魅了術につきまして。推測ですが、洗脳というよりも、術者に対して、無条件に信頼し、強い親愛の情を抱く、というところのようです。被術者の体質によっても異なるようですが、三日連続で顔を合わせる程度で、十分に相手をトリコにできるそうです。そして、少なくとも現時点では、何ら副作用のようなものも見つかっておらず、肉体的には安全と。社会的にはもちろん別ですが」
「ふむ、それを悪用して」
「ええ、通常の価値観であれば悪用に他なりませんし、それを利用した結果は、客観的には悪事そのものでしょう。厄介なのは、そういった悪をなしている者に限って、自分は善のために敢えて泥を被っていると考えているところです。そして、その発想の延長ですでに使われているのが、召喚術です」
相手に口を挟ませず、どんどん話を進めていく。
イザベラって、話のさせ方が、なかなか面白いわ。単に、主導権を渡さないだけではなく、その場その場で文脈を理解するのに必要な最低限の情報だけを出して、とにかく先へ進ませる。これによって、中途の細かい疑問点などに口を挟ませず、全体像や大きな課題をクリアにさせる。
こういう手法をどこで磨いたのだろう。人を丸め込むのはまだしも、前提条件を明確かつ都合良く説明するのは、意外と難しいんだけど。
「この召喚術の結果、姉の体には、レオノーラ・エグナーの体には、彼女に加えて、もう一人、別の方の人格が入っておられます。そう、レオノーラの召喚術によって、他の世界から無理やり召喚された方の魂が。――ユキエ様、お願いします」
「ええ。……改めまして。さる三日前、レオノーラ嬢によりまして召喚されました、森有希江と申します。ご挨拶が遅れました点、お詫び申し上げます。なお、わたくしの正体につきましては、フリーデ嬢、トビアス殿、イザベラ殿についてはご存じです」
「……」
エドガー様は、表情を一切変えない。しかし内心では、事態をどのように理解すべきかつかみかねて、戸惑っているに違いない。
イザベラとわたしだけならまだしも、娘のフリーデ、そして自分が認めたトビアスの二人までが同意しているわけで、何らかの策を含んだ荒唐無稽なものではない。しかし、イザベラやわたしが話した内容自体が摩訶不思議なもので、それを裏付ける傍証自体が何も存在しない。
このような場合、人間がとる行動は、おおむね三つのパターンに分けられる。一つ目は、それまでに得られた情報から推測される仮説を基本に、その時点で合理的に得られた結論を当面の前提として、話を進めるパターン。二つ目は、それまでの情報の正否や虚実が判断できないことを理由に、そもそも結論に至る条件が不足しているとして、何も言えなくなるパターン。三つ目は、思考を放棄して、えいやの判断に逃げるパターン。
政治家など、発言した内容によって足をすくわれる立場にある者は、自衛策もあって、ほぼ確実に二番目になる。しかしエドガー様は、意外にも一番目のパターンのようだ。
「確かに、ある程度会話を重ねていけば、君がレオノーラ嬢のそれとは異なっている、そう判断できるかもしれない。しかし、残念ながら、それだけでは根拠としては乏しいだろうし、現時点で話している君が、レオノーラ嬢とは別の者として対応することはできない。単純に、レオノーラ嬢の中に、二つの人格が同居しているだけと考えることも可能だ。実際、そういう例があると聞いたこともあるのでね」
そうきましたか。疑っているとは一言も口にせず、判断材料に欠けるため信を置けないという返答。納得いけば見解を変えることもやぶさかではない。そういう意味だ。
さて、ここからは、単なる説明ではなく、交渉のプロセスに入るわけだ。




