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4-6.天才美少女が新体制のイメージを披露しました

「へえ、ルソーの降臨ねえ。絵が上手なのか。やっぱり、一見すると素朴だけど、瞑想めいそう的というか異国的というか、そんな雰囲気で」


「アンタ、わかって言うとらんか。アンリ・ルソーじゃなくて、ジャン・ジャック・ルソーの方だよ」


 そういやたっくん、講義サボってしょっちゅう美術館に行ってたな。美術方面の知識も感性もさっぱりなわたしには退屈だったし、無理してまで付き合うことはほとんどなかったけど。


「……おお! 『社会契約論』の方か」


「素で勘違いしてたんかい。いや、今話すべきなのは、トビアスの知識とその由来でしょうが」


「あ、そうだったそうだった」


 おい。イザベラったらかわいそうに、話に付いていけずにポカンとしてるじゃないか。彼女は、どっちのルソーも知らないんだから。


「イザベラ、置き去りにして済まない。ところで、俺の……いや、ビルジー侯爵家について、何か知っていることはあるかな」


「ビルジー侯爵家ですか。わたくしはこれまで接点がありませんでしたので、信の置ける者から聞いたことがあるわけでも、自分で調べたことがあるわけでもない、単なるうわさ程度のものしか存じませんが。地道ながら新しい手法を領地経営に取り入れて、領地支配を盤石のものにしており、そこに目を付けられたデリンジャー伯爵家のクラウスナー卿が、子女をぜひ婚約者にと申し込まれたとか」


「なるほど。まあ、婚約者のフリーデは、後ほど直接紹介するとして。実は俺は、召喚なんかには全く縁はないけれど、この世界ではかなり特殊な存在でな」


「特殊な存在、ですか」


「ここから話すことは、俺、有希江、フリーデ、そして俺の弟の四人しか知らないことだ。俺の親にさえ教えていない。だから、絶対に他言無用としてほしい」


「わかりました」


「俺は、確かにユリデン王国のビルジー侯爵家領で生まれ、育っているが、実は前世というか、別の世界で生まれ育った記憶を持っていてな。地理的にも、時間的にも、何ら関係ない、全く別の世界の」


「……」


 さすがのイザベラも、ポカンとしている。そりゃそうだよね。


 ここで、たたみかけるように話を続けることもできるけど、トビアスは少しずつ間を開けて続ける。


「このような話など、聞いたこともないと思うし、信じられないのも無理はない。いや、思慮のある者なら、その発言自体を検討して、真意をくみ取ろうとするだろう。分別のある者なら、発言者自体の判断能力自体について、吟味しようとするだろう。でも、事実なんだ。いわば、転生者だな」


「転生者……」


「そして、俺が持っている転生元の世界は、まあ少なく見積もっても、物質的、技術的には、こことは比較にならないほど高い水準にある。俺は、その元の世界の価値観と知識を元にしながら、領地経営を進めている。もっとも、急速に変えようとすると、世間から必ず反発が出るし、そもそも理解者がほとんどいない状態になる。それでなくても侯爵家跡取りなんて立場じゃ、守るべきものも多くなるから、漸進的な改革しかできないけどな」


 イザベラは、リアクションに困っている様子。頭が追いついていないというより、どう反応すべきか、どんな言葉を返したらいいのか、迷っているようだ。


「……そのお話だけうかがうと、ユキエ様と共通点が多いように思われます。わたくしからは、ユキエ様の発想や言動が、まるで未来からお越しになったように思われますので」


「ああ、それは当然だよ。だって俺は、前の世界で有希江と同じ世界にいたんだから」


「…………………はい?」


 いや、さすがにその回答はないわ。


「つまりね。わたしが召喚された元の世界と、トビアスが記憶として持っている前世が、同じなの。それで、わたしと前世の彼は、二十年に及ぶ恋人同士で、ずっと同居していたんだ。だけど、彼が事故で亡くなって」


「いや、それから先は、俺が話すよ。ともかく俺は、前世で死んだ後に、その記憶を引き継いで、この世界で生を受けた。一方、有希江は、元の世界で生きていたけれど、この世界へ召喚されて、その魂というか、意識がレオノーラ嬢の体に入った状態にある。だから、俺と有希江は、共有している知識と経験がある。そういう次第だ」


「……」


 イザベラは、わたしたち二人の顔を交互に見て、黙っている。ただ、理解はできても、得心がいかないという風情だ。


「……つまり、お二方は、この世界に来られる前に経験された共通のものをお持ちで。でも、こちらにお越しになった経緯と、現在に至るまでの境遇は全く異なる。そういうことでしょうか」


「うん」「ああ」


「そうですか……」


 何とも言えない表情になって、黙り込む。いろいろと言いたげだけれど、わたしとトビアスの関係が、それぞれの立場上、非常に微妙なものになっていて、コメントができないのだろう。


「それで、本題に戻るがな。イザベラが望ましいと思える世界って、どういうものか、教えてほしい」


「望ましいと思える世界、と言われましても……漠然としておりますが、そこに住んで生活している人々が、理不尽な暴力的支配や脅威を受けることなく、その日を安心して暮らすことができ、明日に対して希望を持つことができる世界、ですね。あまりにも一般的ですが」


「いや、貴族家の子女で、そういう回答ができる者は、まずいないぞ。俺が言うのもなんだが、貴族というものはそもそも、そういう支配形態を正当化しなければ……暴力的支配、脅威……ひょっとして、君は」


「ストップ!」


 トビアスが図星を突いてしまうのでは。そう感じたわたしは、イザベラの肩に手を回しながら、彼の前に手のひらを突き出す。


 イザベラが彼に対して何の遠慮もなくなり、気の置けない関係になれば別だが、そうでないなら、彼女の過去を、あるいは現在進行形の闇を、むやみに掘り出すものではない。


「そうか、わかった。済まない。それでは、次の質問。それを実施するために必要な政治は、現実的に可能な範囲で、いかになされるべきと思うか」


「……。正確に、いえ、適切に回答するために、確認させてください。その質問は“いかに行われるべきか”であって“いかにあるべきか”ではない、ということで、よろしいのでしょうか」


 おお、なかなか鋭い。前者なら政治体制の大枠を変えないことが前提になるけど、後者なら現状の体制を打破した上での新体制も含まれる。回答の向きが大きく変わっていくのだ。トビアスは特に意識していなかったようだが。


「ああ、漠然とした質問で悪かった。“いかにあるべきか”と考えてくれ」


「それでは」


 ここでイザベラは、わたしに話した内容を、さらに踏み込みながら説いていく。


――人民は、王や領主の私有財産から解放され、個人として尊重される。長期的には、全人民があまねく法的権利を享受し、貴族特権はこれを段階的に廃止する。


――国およびその財産は人民のものであり、国は人民の意思を反映して統治される。


――法は国王を含めて全ての者がその支配下に入り、国家運営も全て法の下に行われる。このため、通常の法より上位の法を定める。


――権力は国に集中させるが、国の権力は複数機関に分立させることで、責任の明確化と暴走抑止を図る。


――国王は王国の代表として君臨するが、国王単独での政治的意思決定は絶対に行えないものとする。


――国王を筆頭とする行政機関は、職掌に応じて組織を設け、社会的必要性に応じて増減させる。財務、内務、外務、教育、軍事、農業および経済、監査、人事といったところ。各組織の長は大臣が務める。後二者は他の機関から独立させる。


――行政官および軍人になる資格は、身分に関係なく、能力のみをもって採用基準とする。


――立法は、国王=行政機関とは別の合議制組織によって行われる。組織は、高階層者によるもの、民選者によるものの二つに分け、最低でも年一回は召集される。


――国は、その領土の範囲内で他の権力から完全に独立した上で、国民をはじめとする諸財産を保全する義務を負う。


――地方支配体制は、当面は領主による地方支配を地方官という名目で認めつつ、徐々に官僚体制へ組み込み中央エリートの候補生とする。


――地方領主の急速な経済的没落は、周辺諸国や反政府勢力との結託を招きかねないので、財務統制や教育などを通じて中央支配を進めつつ、人材の中央志向を強めていく。


――人民の法的地位は、王領住民は直ちに、他の地域の者は段階的に、自由民に格上げする。これも、急速な変革は、領主と密接な関係にある住民の経済的困窮に直結するので、地方財政への悪影響を考慮しながら、漸進的に行う。


「……とまあ、このあたりですね。ただし、政治制度はあくまでも装置で、その変革は手段に過ぎず、目的ではありません。手段のために人民が苦しむのでは、本末転倒。本来なら、漸進的改革によって実現していくべきと考えますが、それでは絶対に実現できません。王族・貴族・平民という上下方向、中央・地方・諸外国という水平方向の両面からの圧力で、即座に瓦解します。これを解決するには、ある程度、急進的な方法を採らざるをえないでしょう。そしてまた、そういう方策をとれる時機は、そう多くはありません」


 その続きには、今がチャンスだ、という言葉が続くのだろうが、さすがに危険ということだろう、ここでいったん間を入れる。


「ただ、これはあくまでも、わたくしが自分の頭の中で適当に思い付いたことを、かなり雑な理論の元に作ったもので、妄想の延長のようなものです。ユキエ様にお褒めいただいたためにお話しさせていただきましたが、わたくし自身、構想にはできても、戦略といえる段階ではありません。それに、ご説明させていただいた最初の部分は、ユキエ様からお教えいただいたものを基礎としていますので」


「念のために言っとくけど、わたしが具体的に教えたのは、日本国憲法の十三条と十四条ぐらいだからね。後は、彼女が自分で編み出したもので、ちょっとコメントを加えただけだから。それに、政治変革は手段に過ぎず目的ではない、なんてこの年齢で断定できる逸材、二十一世紀の日本にだって居ないわよ。少なくともわたしには、無理だった。ルソーの降臨、というの、わかるでしょ」


 黙って聞いていたトビアスが、重苦しそうに声を出す。


「当然だとは思うが、この内容、俺たち二人以外には、誰にも口にしていないだろうな」


「もちろんです。まあ、危険思想と判断される以前に、狂人と思われるだけでしょうが。王都勤務の官僚や軍人に、開明的な方が数名おいでですが、そういう方々は、事態を単純に整理づけた上で、急進的な集権化が可能であることを前提とされておいでです。しかし、わたくしの方法は、理念としては主権在民、方法としては領主貴族制を維持しながら順次集権化していくものです。急進的な集権化など、理念先行の愚策と考えます。まあ、理想主義的な方には、中途半端なものにしか映らないでしょうから」


 いやいやいや、あなたの発想、ここでは、多分世界一急進的なものだと思うけどね。


 俗に、天才と狂人は紙一重、という。これを、天才も狂人も実際には似たようなものだ、と解する人が多いけど、わたしは違うと思う。


 これは“天才も狂人も、その発する言葉は常人には理解できない”という意味だ、というのが、わたしの解釈。


 すなわち、通常の価値観を持っている者には、狂人の言葉は理解できないし、天才の言葉も理解できない。だから、この両者は紙一重だ、と。


 自分を天才だと思っている人間というのは、だいたいろくでもないものだろうけど、イザベラには、自分の才を、ある程度客観的に見られるようになってほしいな。


 トビアスは、頭をガシガシと、上位貴族の御曹司とは思えないそぶりでかきながら、ボソッとつぶやいた。


「最末期のポーランド・リトアニア共和国か……」


「へ?」


 トビアスの口から、思いも掛けない言葉が出てきた。


「何それ?」


「ポーランド・リトアニア共和国五月三日憲法。ポーランドという国家が、ロシア、オーストリア、プロイセンの三国に切り取られて消滅する直前に、いわば最後のあだ花として制定されたやつ。立憲民主制と議院内閣制を両立させつつ、都市民や農奴の地位向上を図り、それと並行して、地方領主を順次国に引き込んでいくという政治体制。法の支配の明記では世界初、公共の福祉という概念の提唱も世界初かもしれない。地方有力領主の拒否権乱発で機能不全に陥っていた国家を存続させるために、特権階級を弱体化させつつ市民階級を引き込むという、いわば捨て身の策だ。まあ、農奴制の維持、そして勢力均衡型国際秩序の維持を求める勢力からは、とんでもない危険思想だったから、短命に終わったけど、それでも一年持ったのは、大したものだとは思う」


「知らなかった……」


「まあ、高校世界史レベルじゃ、ポーランド分割ぐらいしか出てこなかったんじゃないかな」


「それにしても、どうしてそんなことを知ってたのよ」


「俺ももう、詳しいことは思い出せないけどな。一応法学部だったし、法制史みたいなのもちょっとは勉強したんだよ。成文憲法としてはアメリカ合衆国憲法に次いで二番目、立憲民主制としてはイギリスに次いで二番目、歴史的意義はかなり高いしな」


 ヨーロッパ近現代史ならそれなりに自信があったわたしだけど、これはちょっとガッカリ。しかも相手は、地球世界での歴史から完全に離れて長いというのに。


「五月三日なんてとこまで、どうして覚えてるの」


「偶然だけど、日本の憲法記念日と同じだから」


「あ」


 つい数日前まで、生粋の日本人だったのに。不覚。日本国憲法というものについては、それなりの思い入れがあるし、一家言持っているつもりだったんだけど。しかし、共和国だったり、王国だったり、よくわからんな。まあ、細かい事はいいか。


 それにしても、転生してから十何年もたってるというのに、ここまで詳しく説明できるってことは、トビアス自身が、そういう体制を一つのモデルケースとして認知しているからだろうか。


「まあ、どんな体制を求めているのかは、だいたいわかった。基本的に、そのグランドデザインをもとに“作って”いくことになるだろうな。これからは、人事、いや配役も詰める必要があるけど、それは、フリーデのお父上に会ってからだ。基本的には俺が対応することになるけど、発想自体は、あくまでもイザベラ自身に説明してもらうことになると思う。できるか?」


「大丈夫です」


 地ならしはこのあたりでいったん終了か。

近代ヨーロッパ法制史、あるいはスラヴ近代政治史に興味をお持ちの方以外には、あまりなじみのないトピックだと思います。政治的にはともかく、法制史上では大きな意義があるものです。なお、Wikipediaの記述はやや過大評価気味だと思われますので、当時におけるシュラフタ(特権的領主階級)の動向を踏まえて解釈いただくのが妥当と考えます。

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