3-20.【Side:イザベラ】生まれて初めて友達ができた
「こ、ここ、どこ……」
姉上は、本当に久しぶりに正面から臨むことになったわたくしよりも、この部屋の方が気になるようだ。
そういえば、この部屋の存在は、姉上に教えていなかったから、驚くのも無理はない。
わたくしにとっては、ここは唯一の聖域だ。いえ、最後の、といっていいかもしれない。この部屋の内では、外にいるわたくしとは違う、別のわたくしでいることができるから。
どちらが真の自分なのか、そう考えたこともあったけれど、それは愚問。どちらも、わたくしそのものだ。どちらが望ましいか、どちらが本来あるべきか、そういう問いなら答えを出せるかもしれないが、それに目を向ける気は起きない。
いずれにせよ、ここは、わたくしにとって、自分がそうと認めた者に、今と判断した時機に対してのみ、導き入れる。そういう空間。
それなのに、出会ってすぐのユキエ様を、何のためらいもなく案内したのは、なぜなのかしら。
不思議と機嫌がよくなり、鼻歌などうたいながら、姉上にお茶を出す。
「これ……いったい、なに……」
「本ですよ」
顔を引きつらせながら、四方の書棚を指さす姉上に、素っ気なく返す。もちろん、それは何の答えにもなっていないけど、そもそも問いに意味があるわけでもないから。
わたくしも席に着き、姉上にゆったり微笑む。
「さて、単刀直入にお聞きします、姉様。姉様が目指しておられる“目的”は、どこにあるのですか」
「……」
「姉様が選択なさっている手段と、わたくしが進めるべきと思っている手段は、異なるのでしょう。目標も、恐らくかなり違いがあるはずです。ですが、“目的”が同じ、あるいは近いのなら、わたくしがお力になれることもあると思います。それなら、わたくしは妹として、姉様のお役に立ちたい。……わたくしのような者が、姉様を姉と呼ぶのは、おこがましいとは承知しておりますが」
直球で切り込む。さきほど、ユキエ様が質問した時のパターンを参考にして、さらに畳み込む。
「もし姉様が、ご自分の名誉欲や権勢欲のみを頼みに進んでおられるなら、わたくしにはお止めするすべはありません。しかし、見通した先に、姉様が求める目的があるなら、そして、それが手段や目標、要するに方法を変えて実現できるなら、その“途中の方法”について、ご相談させていただけませんか? それとも」
ここで、真顔になる。
「“無才無能なわたくし”では、お役に立てないのでしょうか?」
数刻前までのわたくしなら、こうは言わなかっただろう。
でも、ユキエ様は、おっしゃってくれた。
わたくしは、この世界で、大事な、そして、必要とされる存在なのだと。
だからこそ、この言葉を選んだ。
「……ったく。そんな言い方されて、それでもあなたを袖にしたら、わたしがバカみたいじゃない」
姉上はため息をついてから、話を続ける。
「わたしが最終的に目指すのは、単純なことよ。ここ、ユリデン王国を守ること。今の王国は、他国の、ダルス帝国とミルーデン王国の介入ありきで成り立っていて、誰も彼も、鼻薬を嗅がされて、他国の影響下に置かれている。今は二国間でけん制し合っているから何とかおさまっているけど、風が吹けばすぐに倒れるわ。それを変えていきたい。――それだけよ」
やはり、そうか。
「その志は、まことに立派なことですけれど、姉様単身でどうにかなるものでもないと思うのですが」
「だからこそ、わたしでないとできないのよ。さすがのあなたも、わたしの才のことは、知ってるでしょ?」
「……呪術、ですね。わたくしは詳しく存じませんが、魅了術、あたりでしょうか……」
その可能性は、考えないでもなかった。
財力も人脈もない人間が、単身、権力中枢に入っていけるはずがないし、収まるわけがない。しかし、権力者を問答無用で味方に引き入れられる方法があるなら、話は別だ。それを行使すれば、身の安全を確保している限り、何でもできるだろう。
しかし、魅了術など、禁忌の術に決まっている。
「でも、施術そのもの自体、危険があるのでは」
「大丈夫よ、副作用などないし、効果も確認済みだし。王太子殿下が真っ先に効いたのは偶然かもしれないけど、その周囲も、すぐに効果が出ているし」
「それで、口づけをしたり、肌を重ねたりすると、効果はさらに増すと」
「な、なななな、なんでそ、そ、そんな、は、は、はれ、はれんちなこ、ころ、し、しな、しなきゃ」
あー、姉様、そっち方面はからっきしだったけど、今もなのか。女好きで有名な王太子に対しては、体を張って籠絡していたかと思ったのだけど。もっとも、呪術を使う方がよほど破廉恥ではあるか。
「そこまでしなくても、何度か目を合わせれば効く、というところですか」
「そうね、三日連続で顔を合わせれば、もう確実よ。それこそ、足をなめろと言えば完全に従うぐらいには、支は……、調きょ……、慕ってくれるから。男も女も身分も関係ないから。美少年を囲うことだって夢では……う、うへ……」
本音というか、私欲ダダ漏れです。
「姉様、よだれ……」
「……はっ! と、とにかく! この能力を適切に行使するなら、強力な王権、それも他国の力を必要としない王権を作れるのよ。わたしの目標は、それよ」
目標はなかなかけっこうなんだけれど、過程も工程も穴だらけ、実現するのは難しい、いや、無理。
王族や政権幹部を統率できるのですか。軍隊を指揮できるのですか。官僚を使えるのですか。外交はできるのですか。経済は回せるのですか。そして何より、民を支配して、最低限でも反乱を起こさせないぐらいには安定した政権を保てるのですか。
言いたいことが山ほどあるのだけれど、一気に話して、全否定されると思われると、口を閉じてしまわれるだろう。
ここは、ちょっと角度を変えて、それが実現不可能であると自覚していただくように向けてみますか。
「呪術を行使して、権力を掌握できることは、わかりました。しかし、味方が増えると、姉様に忠誠を誓う者は増えても、忠誠の対象は姉様個人になるはずです。国家を支配するには、個人を支配するだけではなく、統治という、面倒臭い作業が継続的に必要ですが、呪術を使えるのは姉様だけですね……」
質問ではなく、あえて独り言にしてみる。これも、ユキエ様が使っていた話し方だ。
「大臣級、上位貴族、幹部官僚、上級軍人、他の宮廷詰めの者や重要人物、財界要人、他国外交官、このあたりの人数が三百人ぐらい、関係者も含めて千人程度として……施術に要する時間、そして効果が薄れる際に再施術をするサイクル……施術の作業だけで他の業務は厳しい……でも、一度使い始めたら、二度と止めることはできない……」
何とか聞こえる程度の声を出し続けていると、姉上の顔色が徐々に悪くなっていく。
統治に求められる、継続性という観点を、お持ちでなかったのだろう。
「で、でも、どうすればいいのよ……ここまで来たら、もう、引き返せない……」
「いえ、まだまだ挽回できますよ。確かに、パーティーでの婚約破棄宣言自体は、今になっては取り消しようがありませんが、それを逆手に取れば、政権奪取と国家新体制の樹立は、現実的に十分可能ですから」
「え?」
「どうせ、例の会場には、王国上層部、有力貴族、その他賓客、そういった要人が全員集まることは確認済みです。その場で、上層部の悪行を糾弾し、それが個人的なものではなく国家的、つまり制度的なものだと訴え、その場で武力制圧のうえ王都を軍事占領、暫定政権樹立の流れを作れば」
「!?」
姉上の顔色が、明らかに変わる。とんでもなく大それたことを、という意識が先立っているのだろう。
いえ、姉上の発想の方が、ずっと危険だと思うのですがね。
失礼ながら、姉上の精神力で、個人独裁を実現するのは無理でしょうから。そもそも、重要案件を全て自分で判断できる独裁者なんて、能力的にも体力的にも、想像できません。
「ご安心ください、この室内の音を、外部から把握するのは、まず不可能ですから」
「いや、そうじゃなくて。イザベラ、あなたって、そんなことを考える娘だったの?」
「ええ、何もできない分、割とどうでもいいことばかり、年中考えておりましたので」
これは、何ら飾ることなき、わたくしの本心だ。
「……でも、そういうどうでもいいことでも、他の方の手に触れることで、役に立つこともありましょう。失礼ながら、今の姉様は、立場的に追い込まれていて、そのためにお考えが複雑に絡まって、結論が遠くなっていると思います。それを解きほぐすための手助けになればいいな、と」
「……どうして、わたしに、そこまで……」
「わたくしにとって、姉様は、今となっては、この世でたった一人の肉親であり、家族ですから。それ以上の理由は、必要ございません」
たった一人の、と言ったところで、自分の体がこわばるのを感じる。姉上もそれがわかったようで、そこで一瞬目を開いたけれど、そこは流してくれた。
「はあ……まあ、わかったわ。いずれにせよ、ダルスとミルーデンの両国をけん制できるのは、わたしたちだけだからね」
「はい?」
どういう意味だろうか。
いえ、わたくし本人には、姉様にも明かしていない、秘密がある。ユキエ様には示唆することを言ったし、察していたようだけれど、それでも具体的なことは誰にも、何も言っていないはずだ。
背筋に冷たい汗が流れ、表情を変えずに、ただただ、言っている意味がわからない、という顔を見せていると。
「エグナー家は、アイゼン王国男系血族の末裔。三代前の方は、王国から密使として派遣された王族で、たまたま王都が混乱したときに、その呪術の才で平定に成功。それによって、ユリデンの国王陛下から男爵位を賜ったわけ」
「……」
「初耳でしょうね。代々、“本来の”当主にしか伝えられていなかったらしいから。でも父上、わたしの実の父の方だけど、遺言として残されたの。“これは、弟には絶対に話すな、気付かせるな。もし、このルートを使う時に協力者を求める場合は、イザベラを頼れ、彼女なら大丈夫だ”とね」
「……」
この件を知っていたのは、わたくし自身、叔父様から直接うかがっていたからだ。事情をお話になったうえ、レオノーラを頼む、と。
でも、叔父上が、わざわざ姉上にまで念を押してくださっていたとは。
「父上は、当主を継承された弟のことを、その器にあると認めておられなかった。でも、イザベラ、あなたのことは、高く買っておられたのよ。そして、最後にこう言われたわ。“あの子には、厳しいことばかり押し付けてしまった。でも、これからはお前が、実質的に当家を担うことになるだろう。くれぐれも、弟には気を付けろ”と」
「……」
「声も出ないか。まあ、仕方ないね。それで、父上が言われたのは、ユリデン王国の男爵家とは関係なく、アイゼン王国からの爵位、いえ、王族に準ずる地位を今でも持っているの。その称号が」
「オルティレッリ公当主、レオノーリア・ディ・ロレンツォーニと、その従妹、イザベッラ・ディ・ロレンツォーニ、ですね」
「へ?」
顔色もそのままに、淡々と、しかしハッキリと、その名を返す。
「し、知ってた、の……?」
「はい。わたくしも、叔父上からいまわの際にうかがいまして、わたくしの母上からもまた同様に。そして、父上は、アイゼン王国としては、すでに居ないことになっている、とも」
姉上は、つぶれた紙袋のように、気の抜けた表情になった。
「なによ、もう。知ってたんなら……って、こんなこと、おいそれと言えないか。だからこそ、この地位を使って、と思ったのだけど」
「現時点ならともかく、王太子殿下の婚約者になってからアイゼンへ個人的に連絡を取ろうとすれば、自動的に内乱罪ですよ。それに、万が一の場合に援軍を要請しようにも、距離的、時間的に無理です。今回、たまたまデリンジャー伯爵家とコネを持てましたが、これも姉様がご自分でなさったわけでもないですし。やはり、アイゼンとのつながりは表に出さず、迅速さを最優先にする強攻策が妥当かと」
「うん、わかった。いろいろ、無理があったわ。そして、ここにきたら、もう引き返せないって、こともね」
「王太子殿下の下で、アイゼンでの地位を活用するなら、正式に結婚する時機なら、効果はあると思います。ユリデンの王家からすれば、いわば爆弾を抱え込んだようなもの。しかし、アイゼンの王室係累を理由に離縁すれば、それはアイゼンに対する明白な宣戦布告です。ファイゼルト侯爵家の令嬢への婚約破棄などよりも、はるかに大きな効果がありますから。そうなると、抑止力としては機能するでしょう。ただし、宮廷内での発言力は、恐らく低下するでしょうが」
「うーん」
「やはり、事をなすには、それだけでは切り札にはならないでしょう。ただ、姉様が核になることは、悪くないと思います。そのためには、姉様が何らかの形で被害を受けていて、同情を集められる存在になればよいでしょうね。王都限定なら、流言もすぐに効果を出せそうですし」
「はあ。……あなたが、そういう事を言える娘だなんて、思わなかったわ。わたしが気付かなかったのか、あなたが変わったのか……」
「多分、わたくしが変わったのだと思います。姉様が召喚なさった、ユキエ様から、いろいろとお教えいただきましたから。……わたくしのことを、大事な、必要な存在だ、と、明言されたユキエ様から」
わたくしがこう言うと、硬い表情が続いた姉上の顔が、ふっと緩んだ。
「何よ、そんな、友達ができました、みたいな顔して」
「とも、だち……」
ともだち。
これまで、わたくしには、分不相応と思っていた存在。
そうか、ユキエ様は。
まだ、出会ってから、数時間ぐらいお話ししただけだけど。
わたしにとって、ともだち、と、そう言っていい、言いたくなる、そういう存在だったのか。
「そっ……そう、そうなんですね……こんな、わたくしにも……おと、もだ……ちが……」
思わず、両目から溢れ出たものは、雫ではなく、水流になって、テーブルを濡らす。目に映るものが、ぐにゃりと歪んでいる。正面に座っている姉上がどのような表情をしているのか、それもわからない。
姉上が最後につぶやいた言葉は、わたくしにはよく聞き取れなかった。
「……友達なんかに、なっても、ねえ……別の涙が増えるだけなんだけどな……だって、彼女は……」
和解した姉妹の出自の秘密が、明らかに。彼女たちの行動に影響を与えることは当面なさそうですが、結束できるための象徴にはなりそう。
自己評価がやたらと低い天才少女、その詳細な背景は、よっかめ。で判明します。あわせて、彼女が併せ持つ裏の側面も出す予定です。




