3-18.【Side:レベッカ】上位貴族令嬢は絶望的状況下をどう見るか
わたくし、レベッカ・ハーマンが王太子殿下の婚約者に内定いたしました後、王宮にて行われました正妃教育は、想像していた以上に厳しいものでした。
王国や王家の一員として必要となる教養を修得することは言うまでもなく。
貴族家のそれとは比較にならない、多種多様な礼儀作法や、ダンスの技術を中心とした社交の場での振る舞い。それも、王家の伝統や格式に基づいたものなので、背景や前提知識も頭に入れる必要がございます。相手の家格に応じて、どのように振る舞うか。言葉遣いだけでなく、相対する時の腕の構え方なども、細かく決まっているのです。
政治的な事についても、王家を守るために身に付けることはたくさんございます。さまざまな貴族家から、非公式に多様な打診を受けることもございますし、そのような場合に対応すべき基準や方法を知っておくべきですので。
意外なのは、王家内部の事に関する教育が、ほとんどなされなかったことです。主人との関係や役割分担、王国とは別のプライベートでの活動や資金、侍従や侍女など家事使用人の処遇など、知っておくべきことは多いと思われるのですが。正妃教育というものは、公人としての職務に対してのみ行われ、私人としての行動には関与しないのでしょうか。
それはさておき。
正妃教育の過程で、わたくしも、王太子殿下とお顔を合わせることは多々ございましたが、殿下は常に、表情を変えずにご対応なさいました。
臣下ではなく、王家の人間と見なされる立場では、このように振る舞われる。最初は、そのようなものだと思っておりましたが、何度かお目にかかることがあっても、そもそも、わたくしに対して、関心をお示しになることが、ほとんどないのです。
殿下が女性に対して無関心、というわけではございません。侍女の方々ならともかく、目に止まった貴族家の令嬢を見て、お声をお掛けに、いえ、強引に口づけをなさったり、ご自分の判断で利用できるお部屋へ引き込まれたりすることも、何度か目にしたこともございます。殿下がなされていることの中には、王族として好ましい行動とは思えないことも多々ありましたので、その都度おいさめ申し上げておりましたが、わたくしの振る舞いがお気に召されないようで、叱責されることが多く、打擲されたことも幾たびかございます。
逆に、女性のほうから、殿下へ無警戒に、あるいは意識的に近付いたり、物を差し上げたり、場合によっては、恐らくは貴族でなくともはしたないと思われる行動をされる事も、度々ございます。この場合も、殿下の婚約者として、女性に対して注意させていただきますが、やはり殿下の御不興を買うことが多かったのです。
もともと、殿方と交際したことはおろか、懸想したこともないわたくしには、婦人としてどのように振る舞うべきなのか、よくわかりませんでした。それゆえ、殿下にご心痛を与えていたのでしょう。そう思っておりました。
いえ、そう思うことで、自分で自分を安心させようとしていたのでしょう。
そうしているうちに、わたくしの耳に、二つのうわさ話が入ってまいりました。わたくしの耳に届いてもかまわない、いえ、あえてわたくしに届くようにお話しされる方が増えてきた、というのが、正しいところでしょうか。
その一つが、わたくしの態度が非常に悪く、王太子殿下がそれを気に掛けておいでだ、ということ。正直申しまして、心当たりが一切ございません。もちろん、至らないことは多々ありますし、そのために精進しておりますが、態度というレベルで指弾される事はないと思うのですが。
もう一つがより重要で、殿下が気に掛けておいでの下位貴族の子女に対して、わたくしが継続的にいじめを行う。具体的には、わたくしの取り巻きを使って追い込んだり、持ち物を破損させたり、階段から突き落としたり。どれもこれも、根も歯もないことですし、そのようなことをする理由もございません。
そういったうわさが広まってから、次のうわさが出てくるまで、そう時間はかかりませんでした。
そう、殿下はわたくしとの婚約を破棄なさり、そして、ドゥルケン男爵家の子女、レオノーラ嬢を新たに婚約者にされる、といいます。
わたくしの心中、落胆と不安があったのはもちろんですが、それだけでなく、安堵と希望も同時に感じました。
あの王太子殿下と添い遂げ、王室を支えていくことに対して、日々、自信をなくしておりましたから。
一方で、気になる点も、もちろんございます。
たとえわたくしに心当たりがなくても、わたくしの不行跡を理由に婚約を破棄されたとなれば、当家が名誉を失うことは確実です。
それに加えて、母上は帝国皇女ですから、帝国との関係が悪化するのも避けられないでしょう。そして、外交担当が、他ならぬ父上ですから、巧みな調整などができるのか、そういう面でも不安もございます。
他の方がその責を負ってくださるなら、それでけっこうなことだと、気楽に流せるようなものでもないのです。
結局、正式発表がなされるまで、少なくともわたくし個人ができることは何もないのですが、王宮内の空気もしだいに変わってまいりまして、わたくしの王妃教育メニューも、随分と少なくなってまいりましたし、教育係の方も、気が抜けたような態度を示されることが増えてまいりました。どうせ教育する意味がないのなら、やるだけ無駄、ということなのでしょう。
ただ一つ気になったのが、レオノーラ嬢、あるいはドゥルケン男爵家の動機が、よくわからないことです。
男女の機微について存じ上げないわたくしですが、それでも、殿下側はともかく、レオノーラ嬢側には、殿下に思いを寄せている気配が全く見えません。むしろ、殿下とお会いした後に帰られる際は、毎度うんざりしている表情を見せているとのことです。だからといって、他の男性とお付き合いされているわけでもなく、無節操な振る舞いというわけでもないようです。
あるいは、殿下と近しく、次期高官候補とされる方とのつながりを求められているのかと思えば、そのような気配もございません。パーティーでの行動を拝見すると、下位貴族の子息、あるいは出世が望めなさそうな官僚や軍人などと歓談されていることが多く、そういった方々には、家門や派閥での共通点が全くないのです。権力欲にかられているというわけでもないようです。
いろいろ調べようかとも思いましたが、母上にたしなめられたことを思い出します。
「あの家に近付いてはなりませぬ。レオノーラ嬢の能力はともかく、妹御のイザベラ嬢は、絶対に敵に回してはいけない方です。お会いすることがあっても、世間話以上のことをしてはなりませぬよ」
レオノーラ嬢との面識はございませんが、イザベラ嬢とは、直接お会いしたことがございます。ただ、貴族令嬢としてではなく、使用人同然として、他の者に紛れた彼女が、わたくしに接してきた、いえ、すれ違いざまに、ポツリと話されただけでしたが。
――姉が暴走するかもしれない。“当家で”けじめをつける。御身には絶対に傷を付けない。ただし、御家の“内”には気を付けられよ。
ゾクリとするすごみを感じました。まだ、レオノーラ嬢が、今回の件で目を引くようになる、少し前のこと。わたくしからこの女性の正体について尋ねられた母上が、その顔を真っ青にしたのです。
だからこそ、不可解なことの多い今回の件でも、わたくしは、ドゥルケン男爵家にはあえてコンタクトを取らなかったのです。
そして、婚約破棄がすでに広く知れ渡るようになり、その“実施日”が間近となった時期になって。
才女と名高い、デリンジャー伯爵家のフリーデ・クラウスナー嬢が、そのレオノーラ嬢を連れて、当家へおいでになるというのです。
どうして。今さら。どのような目的で。
体の中に、いろいろな感情が、煮えたぎるように湧いてまいります。
ですが。
レオノーラ嬢と実際にお会いすると、わたくしが事前に予想していた印象が、大きく変わっていくのを感じました。
わたくしも、貴族家の者ですし、最近は王宮にも出入りしておりますから、浅ましい欲望に満ちている者の目、何かしらの下心のある者の目、そういったものは幾たびも見てまいりましたし、これからも接していくことになるのでしょう。
しかし、レオノーラ嬢には、そういう気配は全く感じられず、むしろ、凜とした強い意志を感じました。
彼女が求めるのは、色欲でも、権威でもない。
そう確信したわたくしは、だからこそ、彼女が途方もないものへ目を向けているように思えて、底知れない恐ろしさを感じて。
自分でも、思いも掛けないことを、口にしておりました。
「貴女の世界は、今では、余りにも小さすぎる」
いったい、誰のことを言っているのでしょう。
言葉が漏れ出た瞬間、外見的には彼女に向けていながら、実際には、自分自身をたしなめているものだ、と。
そして、なぜか、発言を一切許していない彼女に対して“助言”をしておりました。
「貴族家相互の交流は、家単位で行われるものです。当家も、デリンジャー伯爵家も、そして、貴女のドゥルケン男爵家も」
その瞬間、わたくしは、悟りました。
――今、わたくしは、何かにすがりたいのですね。
正妃候補としての厳しい教育を受け、どこに出しても恥ずかしくない女性と言われ。
でも、そのような鍛えられ方をしても、それが、人間としての力量の向上に、寄与しているわけでもなく。
自分ではなく、自分の外側にまとう“装飾品”の使い方を、学んでいただけ。それも、その装飾品の目利きも、意味も理解できないままに。
結局のところ、自分に対する自信のなさを、認識させられることとなりました。
レオノーラ嬢は、ほとんど何も言わずに、退去されたのですが、最後の一言に、わたくしは凍り付きました。
「……次にお目にかかる時に同席されるのが、お父上なのか、お母上なのか……恐らく、それによって、お話の内容が変わると思います……」
当家において、父上は政府高官であり、ご自分で実務をなされておいでですので、とにかく多忙です。屋敷にお戻りにならない日も、珍しくございません。屋敷にお戻りになってからも、書斎でお仕事をされている日も多いのです。大臣職におられる方は激務なのです。
一方、母上は出自が帝国ということもあり、他の貴族家とは、いわば付かず離れずの距離感を保つ必要があります。父上が大臣職におられるということもあり、公式の場では母上が当主代行として出席なさることが多いのです。また、公式非公式を問わず、パーティーやお茶会、舞踏会などの場には、好む好まぬに関わらず、出席がほぼ義務のようになっております。
このような事情がございまして、父上と母上は、行動時間がずれていることもあって、すれ違いが続いておりました。ひとえに、多忙が原因なのです。
そして、わたくしが王太子殿下の婚約者に内定したところ、お二人の仲は、完全に悪化してしまいました。
「あの娘には、王家の思惑などに左右されない、普通の貴族家令嬢になってほしかったですのに! どうして、どうしてまた!」
それ以来、最低でも朝食だけは共にされていたお二人は、顔を全く合わせなくなってしまいました。
この事情は、当屋敷内でも、一部の使用人しか知らない事実です。対外的には、多忙ではあっても、仲の良い夫婦ということになっております。
ところが、レオノーラ殿は、間違いなく、この件を知っておられる。カマをかけたようには見えません、わたくしにも、その程度の観察力はございます。
どこから、という以前に、レオノーラ殿が、次に、どのように出るのか。
背筋に薄ら寒いものを覚えました。
これから、わたくしは、どのようにすればよいのでしょうか。
レベッカは賢明な少女ではありますが、良くも悪くもいいとこのお嬢様で、貴族的価値観から逃れられず、柔軟性に欠けます。この点で、フリーデには大きく及びません。このため“高貴な者のオーラ”は出せますが、主人公のようなタイプには、二度目は通用しません。
この先、フリーデやイザベラあたりの引き立て役になってしまうかも。




