3-10.中世から近代への大跳躍を提案されました
ここからしばらく、国民国家をはじめとした、各種社会科学系の用語および概念が多く出てきます。後ほどの用語解説が肥大化するかも。
なんですと? この娘、今、何て言った?
「この国の、独立と、保全? 王でも、王家ではなく?」
「はい。この国、です。王はもちろん、王家も替えはききます。しかし、国は、替えがききません。そこに民が住み、動き、生きる。民が国を支える、と言いますし、それは間違いではありませんが、不十分です。正しくは、民が国を作り、国を支え、国の動きを決める、です。民が、王民、領民であることを否定はしませんが、それだけでなく、国民であるべきです。王国は、王の国家である以前に、民の国家なのです。そして、国家は、他の勢力から独立しているべきなのです」
民の……国家……。
うーん、この世界における、国なるものに対する意識、ひいては帰属意識の単位がわからなくなってきた。
二十一世紀日本の一般的な理解に照らしてみると、国民国家という概念が生まれたのは、どんなに早くまでさかのぼってもヴェストファーレン条約締結時の主権国家体制確立時、一般的には十八世紀末における国民主権論の台頭時だ。彼女のいう“民の国家”というのは、まさに後者の意識だろう。
そうすると、フランス革命前後にやっと出てきた――それも、ドイツ、スウェーデン、オーストリア、ポーランド、ウクライナあたりの地域に限定される――概念が、この世界では生まれていた、ということ?
わたしが思い込んでいた、中世ヨーロッパ世界もどきとは違うのかもしれない。いや、でも、立法権や徴税権を与えられた領主支配を前提とした封建制なんだよね。それも、血族世襲による貴族制を前提とした。そうなると、社団国家状態じゃないか、というのが妥当な推測だろう。
すなわち、北宋以降の中華王朝のようにエリートの世代交代が発生するものではないだろう。中央政権が脆弱なフランス・カペー王朝初期状態なのか、中央政権が相対的に強力で地方領主が手を出せない江戸幕府状態なのか、中央政権を支持する貴族が相互にけん制し合ってデッドロック状態のハンガリー・アールパード朝状態なのか。
いずれにせよ、国家とか、国民とか、そういう概念が自然に出てくる余地はなさそうに思える。
南宋の朱子学みたいに、自分たちの文明を体現する王朝をこそ、正統性を有する存在とするケースもあるし、これも広い意味でナショナリズムと言えなくもないけど、この世界でも、そういった、国家認識を前提とした独自文明優越論があるのだろうか。
いかんいかん、考えが飛んでしまった。
「……その考え方の妥当性を検討する前に、答えて。国家や国民といった概念は、この世界で広く受け入れられているものなの? いや、民衆レベルではいいとして、支配者上層部や知識人の間だけでもいいんだけど。そうでなければ、そもそも受容されるのは不可能よ」
彼女の口から出た言葉には驚いたけど、この世界の共通認識がわからない限り、判断のしようがない。数学のような論理判断を行うわけではないのだから、社会的に受容、いや、認容される余地のない概念は、単に異端視されるのみで、役には立たない。
研究者にこんなことを言えば、曲学阿世と言われるかもしれない。でも、学問の自由、言論の自由が全面的に保障されている世界であっても、受け手が確実に拒絶する発表は、慎重に行うべきだ。少なくとも、時機を見誤ってはいけない。社会認識が前近代的な社会なら、なおさらだろう。
ただ、彼女がこういう概念を提示したことには、興味がある。だから、却下はしない。これは、わたしなりの返事ではある。
「"国家"については、広く認知されている概念ではありますが、理解はされていると思います。ただし、現状では、国家は他に従う者を持たない最高権力者が自由に扱うことができる私有物というのが大前提ではありますが」
「……うん、もっと単純に聞こう。国家を国王の独占物としないという考えについて。この世界において、あなた以外の人間が認識している可能性は、あるかな?」
この娘の発想がかなりすごいものであることはわかった。褒め言葉として。
だからこそ、イエスかノーかというシンプルな質問に切り替える。
「ありますが、それは、領地を“保有”している地方領主ですね。地方領主は、それ自体が“国”としての機能を有していますし、その自立性が高ければ高いほど、王権の抑制を歓迎しますから、そういう意味で、王の権力を相対化させたい、しかし自分の権威の拠り所とするために残してはおきたいと考えてはいるでしょう」
ん、せやな。
せやけど、ちゃうねん。
天然、というわけではなさそうだな。核心に触れる回答に敢えて答えずに、わたしがどこまで踏み込んでくるかを見ているということか。
「……ごめん、そうじゃない。さっき“民が国を作り、国を支え、国の動きを決める”って言ったよね。それは、国王にせよ、領主にせよ、固定化された特定の為政者が権力を独占的に掌握することを否定する発言だけど、それを支持、いや、聞いたことがある人って、他に居るかな? つまり、その発想は、貴女が独自に見つけ、独りだけで抱えているものかな?」
ここまでハッキリ聞けば、もう逃げられないだろ。
その意図が伝わったのか、それまでポーカーフェイスを貫いていた彼女は、口角を上げる。
「わたくしの提示した概念を、ごく自然に受容できる。貴女が召喚される元の世界は、ある意味、わたしが理想として考えているものを、部分的にでも、体現しているのかもしれません。……ふふっ。……ぜひ、詳しくお聞きしたいところですが、それはさておき」
右手を口に添えて目を細めながら、クスクスと笑う。無邪気というより、好奇心が前に出てきたようだ。
「質問の答えですが。純粋に、わたくしが、独自に考えたものです。どなたにもお話ししておりません」
「そうだろうね。この世界に来てまだ三日目だから、断定はできないけど、それを真顔で言っても、狂人扱いされると思う。そもそも、教養のある人ほど、自分の思考回路に収まらない発想には、拒絶反応を示すものだから」
教養の無い人なら、偉い人の言うことはよくわからんとスルーするか、悪魔の陰謀だみたいな思考に入るかだろうけど。
彼女は苦笑いしながら。
「さきほども申しましたが、わたくしは何ら教育訓練を受けておらず、教養と呼べるものは身に付けておりません。せいぜい、多少の読み書き計算ができる程度です。ですが、屋敷という籠の中の鳥、ろくにやることもありませんでしたから、“世界”を作る“人”について考える時間があった。それだけのことです」
それだけ、の一言で終わらせるのは、かなり違うと思うの。
「ここまで質問攻めにしておいて、わたくしが具体的に“この国の、独立と、保全”のために、自分なりに考えている“なすべきこと”をお話ししないのは、誠実ではありませんわね」
ここで彼女は、真面目な表情になる。最初の頃の、感情を全く読み取らせない表情ではなく、真剣さがうかがえる顔になっている。
「現在のユリデン王国は、社会経済状況が安定しているにもかかわらず、政治状況が末期症状、いえ、制度疲労の状態を呈しております。悪徳政治家を排して解決する、そういう段階ではないのです。これを解決するには……わたくしが念頭に置くのは、領主権力の弱体化と中央政権への権力集中、中央政権による法秩序下での統制と国民意思の確実な反映、そして、民に対して国民であると意識させることです」
「なっ!?」
「統治の前提になるのは、国家中央への権力の全面的な集中と、国家中央内部での権力の分散でしょう。内部での権力は、司法の独立は当然として、執政と、立法を別立ての機関にして、責任を明確にして相互に牽制させるとか。立法は合議制の機関で参加メンバーは国民が選出、そうですね、異なる社会階層から選出する二つの組織に分けて暴走を防いで」
「ちょ!?」
「また本来、地域のことは地域で決めるべきですが、国家としての一体感がない状態で自治権を拡大するのは、国防の面からも危険です。国防には、軍事力と経済力だけでなく、国家内部の結束力、安定性も必要ですから。そのためにも、王その他の象徴性を高めて求心力を強化して」
「はっ!?」
「ただ、領主権力を一気に削減すると、彼らの軍事力自体がさほど高いものではないとはいえ、経済力には侮れないところもあります。ですので、領主としての社会的地位は保全した上で、中央政権への忠誠確認を担保としつつ、中央の出先機関化を図る。続いて、領主配下の民の権利を、王直轄領の民と同様にまで引き上げ、税負担等は国内で均一にする、といった措置が必要でしょう。農地に縛られている農民は、ひとまず法的に自由民へ格上げの後、労働力として自由に移動できるような措置を取ることで、経済活動の活性化を見込めますね」
「まっ!?」
「ただし、それだけでは、単なる王権強化に留まります。王にせよ領主にせよ、国なり領地なりを私的支配する状況を打開するには、被支配者だけでなく支配者、すなわち権力者をも拘束しうる規範が必須でしょう。そのためには、支配者が定める法ではなく、いわば上位法とでもいうべき規則を用意して、それを国王およびその下にある国民に支持させる。悪法を法にしないための制度的担保は必要でしょうが」
彼女の顔が、じんわりと赤くなっている。一気にまくしたてて、興奮しているのだ。そう、まず間違いなく、これまで口にすることがなかったことを。
「制度的には、国民が法を作り、法が装置を作り、装置が秩序を作る。国王も官僚も軍も、すべては装置であって、国を統治するのはそれらの機関ではなく、あくまでも国家。そして、装置はそれぞれ権力を分散させる。有事の決定には時間がかかっても、その際には国民の意識高揚で対処。……まあ、妄想といってよいでしょうが」
「いや、妄想なんかじゃないよ……」
それって、要は国家法人説だよね。どうしてそんな発想が出てくるのよ。
「もちろん、本来ならば実態を伴わないはずの“国”という容器を、人がその身を委ねる単位にすることについて、論理の飛躍があることは、承知の上です。それでも、それを単位として、いわば排他的独立を維持しなければ、法が実効性を持つことはできないと思います。例え、その実態が、幻想的な共同性であっても」
いや、ちょっと待ってね。そこは、幻想(illusory)じゃなくて想像(imagined)にしようね。こちとら元日本人だ、『共同幻想論』と『想像の共同体』を一緒くたにされては、激しく困るわ。
「まあ、無才無能と言われているわたくしが、明確な根拠も定かでなく、空想的に織り出したものではありますが」
「冗談言わないでよっ!」
思わず、大声を出してしまう。
「それだけの概念を、自分だけで考えついて、自分だけで作り上げて! それのどこが、無才よ、無能よ! 確かにね、わたしも、元の世界で、そういった知識は身に付けた。でもそれは、何百年もの時をかけて、何十人何百人の、偉大な思想家、偉大な学者が、考え抜いた蓄積があってのことなの! それを、後追いで整理して、頭にぶち込んだだけなの! あなたみたいに、独りで考え抜いたものじゃないのよっ!!」
つーか。
異世界で、立憲王政だの、法の支配だの、そんな発想を聞くことになるとは思わなんだよ。それも、独りぼっちの小娘の口から。
自分の頭で、いろいろなことを考えて、でも誰にも話すことができなくて。
そういう、溜まりに溜まっていたものを、ぶつけてきたんだろう。
どうせ相手は被召喚者だ、後腐れもないだろう。でも、相手は意外にも、その内容を理解してくれたようだ。だから、自分の考えをあらわにすると、溜まっていたものが、あふれ出して。
こっちだって、社会科学諸分野ごった煮系のとこで勉強してたんだ。少なくとも表層的な概念については、言いたいことは理解できる。だから、彼女が望むなら、参考になる助言程度ならできるだろう。頭の中だけで考えた理論と、歴史という実践録を踏まえた理論じゃ、全く違うから。
わたしは、いつの間にか、目の前の少女に手を貸さなくてはいけない、そんな風に思うようになっていた。
「だから、お願い。そんなに、卑下しないで。あなたは、ほぼ間違いなく、この世界で」
――不世出の天才。
そう言いかけたけれど、わたしはその言葉を飲み込んだ。
その言葉が、彼女に余計な重荷を背負わせ、彼女を苦しめる可能性を、半ば本能的に感じたから。
だから、言い換える。
「……大事な、そして、必要とされる存在なのだから。少なくとも、わたしには」




