3-8.妹さんとのお話に入りました
ヤバい。
へーわこっかにっぽんで生まれ育ったわたしには、初対面の人間から、それも自宅で、急所にナイフを向けられた経験はない。
異世界ヤバい、超ヤバい。
いや、違くて。現状、とてもまずい状態、という意味で。
気付いたら、目の前の小娘は、左手だけでなく右手にもナイフを持っている。いつの間に取り出したのか。右腕は脇を締めて少し引き気味、刃先の延長線上には、わたしの胸と腹の境界が。
「いま一度問う。お前は誰だ。沈黙には、相応の仕打ちをする」
ひええ。
ゆきえちん、ぴんちっ。
相手に気付かれないうちに懐に飛び込んで刃物を突きつけるとか、その刃物がいつの間にかもう片手に増えているとか。本職の方ですか?
いや、リアル本職の方って、刃物を使うのは意外と苦手って聞いたんだけどね。親分が懐にドスを入れて、なんてのは、古き良き時代の話で、ブンタさん亡き時代ではあり得ないらしい。せいぜい、ゆびづめごちゅうい!あたりの使い道だとか。古い時代ではあっても、良き時代だったのかという疑問はあったけど、リアル本職の方の前で聞き返す勇気は、高校生だった当時のわたしにはなかった。
あ、また現実逃避してしまった。ここはひとまず、さっさと答えないとピチューンだ。
「わ、わたしは、ですねっ、その、レオノーラ、さんに、しょ、召喚、されまして、ですねっ」
「召喚……?」
小娘の顔からは、感情というものが全くうかがいしれない。その表情は何も変わらないけれど、声に若干の揺らぎが感じられる。ただし、それが、どのような方向へ揺らいだのか、そういうのは見当がつかないけど。
ひとまず、相手に、わたしの声を聞こうという意志があることを感じて、話を続ける。
いや、彼女は最初から、わたしから話を聞き出そうとしてはいたけど、いきなりナイフじゃ、そんな余裕出んわ。
「はい、成し遂げたいことがあるということで、わたしが召喚されました。わたしは、モリ・ユキエといいます。こことは異なる世界の――一介の平民、小市民です」
そもそも、平民なんて概念自体、二十一世紀の日本では歴史用語になってたけどね。実家の近所に、祖先が旗本家というクソジジイが居て、二言目には、これだから平民は、って言ってたから、わたしにはなじみがあるけど。ヤななじみ方だな、おい。
「疑っているなら、レオノーラの部屋にあるテーブル、そこに、彼女の日記があります。それを見ていただければ」
「……」
こんなことで、いや、こんなところで、死にたくない。
召喚された日は、もうどうなってもいいや、どうせ自分も死んでもたんなら、たっくんの居ない世界で長生きする意味なんかないわ、って思ったこともあったけど、今は違う。
だって、この世界でずっと生きていく理由が、そして、意欲が出てきたから。
だから、ここは、こびることなく、しかし、相手が望む情報が適切に伝わるように注意しながら、言葉をつなぐ。
小娘は、右手のナイフをしまってから――どこにしまったのかは見えなかった――、わたしの喉元へナイフを突きつけている左手を自分の胸元に引き寄せ、レオノーラの部屋へ入れ、というジェスチャーを見せる。
わたしが素直に部屋へ入ると、彼女は後ろ手に扉を閉めた上で、壁に向かって両手を挙げろ、と。うわお、ますます初めての経験が重なっていく。ドキドキする。ワクワクはないけど。
その姿勢で、かれこれ三十秒もたっただろうか。
「失礼しました。こちらを向いてください……ただし、足は動かさないで……」
さっきまでの有無を言わさない、冷たい声から一転、気弱な声が耳に届いた。
体の向きを変えて、彼女に再び向き合うと。
「ほんっっっっっっとーに、済みません! 姉が無理やり、それも、貴女様の意思確認さえせずに召喚してしまい、あまつさえ、何の説明もせず、放置しているとは! お許しいただけるような事ではございませんが、姉に替わりまして」
「あ、いえいえ、いいですいいです。本人ならともかく」
「そういえば、まだ、名前を申し上げておりませんでした。わたくし、当家当主次女、イザベラ・エグナーと申します」
「あ、丁寧なごあいさつ、ありがとうございます。改めまして、わたしはモリ・ユキエ、ユキエがファーストネームです。ニホンという国から参りました」
ぺこぺこ。ぺこぺこ。ぺこぺこ。ペコちゃん人形化。いやあれは頭を振るだけで下げないよな、赤べこに近いか。
お礼合戦になると引っ込みがつかなくなって、話が進まないから、適当なところで、頭を上げて下さい、と言って打ち切る。向こうからでは止められないだろうから。
彼女は十五歳で、レオノーラとは数カ月ぐらいの年齢差だという。実の父も母も違うしね。
「それでは……実は、姉の行動が通常とは大きく異なっているため、いったい何が起きているのか、とは思っておりました。最初は、別人が替え玉として振る舞っているかと思い、あえて泳がせながら警戒しておりまして」
わお。まあ、あれこれ家捜しみたいなことしてたからね。心当たりはありまくるわ。我ながら、けっこう無防備だったと、冷や汗が出てくる。
「ですが、自分の周囲を、厳しくも面白そうに観察しながら移動。さらに、庶民しか行かないような店舗に立ち寄る。どう見ても姉には見えない一方で、一般的な貴族家の子女としての行動からもかけ離れている。この情報を得た時点で、少なくとも姉と“異なる人”が“悪意なく”行動していると考えるのが妥当です。さらに、ビルジー侯爵家へ招待され、歓談の機会を持たれる。姉ならばあり得ない行動ですし、替え玉ならなおさら」
「あり得ない?」
姉は、まっとうな手段で、初対面の人の懐に飛び込めるような、器用な人間ではありません、と言いつつ、話を続ける。
「ビルジー侯爵家は、中立派の大物、というより、中立でありながら、軍事、経済の両面で大きな力を持っており、どのような立場であれ、味方に引き入れられれば非常に心強いのです。しかし姉は、そういう上位貴族につながりを持とうとしなかった。しかし貴女は、それを抵抗なくやってのけた」
「それは、単なる偶然なのですが」
「きっかけは偶然かもしれません。でも、姉なら、邸宅の門前で尻込みしているか、すぐに追い返されていたでしょう」
「……それなら、昨日だけじゃなくて、今日のわたしの行動もわかっているのでは?」
「現時点では“報告”を受けていないので、詳しくは。ただし、デリンジャー伯爵家の馬車が向かった先を考慮すると、恐らく、ファイゼルト侯爵邸へ向かわれたのかと。例の件を収めるための打診、でしょうか」
お見通しか。それなら、この場である程度手札を明らかにする方がいいだろうな。
ちょっと気になるキーワードが出てきたけど、それは後で聞くことにして。
「ところで、ずっと“わたし”を監視していた、ということ?」
「モリ様ではなく、姉を、ですね。現在、姉が取っております行動は過激かつ危険な方法でして、敵が非常に多いのです。その中には、権力をお持ちの方もおいでなので、姉に接近しようとする不審者を確認し、必要に応じて現場で“対処”するように“指示”しております」
なんだろう。気になるキーワードが、さらに増えている。
これって、少なくとも現時点では話すつもりはないけど、容易に察することができる言葉を出して、それ以上は踏み込むな、という警告だろうな。
口調はおどおどしてるけど、理路整然としながら、わたしがすでに知っていることしか言わない話しぶりをみると、単なる天然、ということはなさそうだ。
「なるほど。それなら、わたしが、少なくとも当面、何を目指しているかは、把握しているということでいいのかな」
「……」
「さすがに“求めているもの”を教えるわけにはいかないけどね。“目指しているもの”なら、教えることもできるよ。別に、対価が必要なものでもないし」
「……」
彼女は、胸の下でゆるめに組んでいた腕をパッと左右に広げて。
「この場で立ったままで長話も失礼ですので、これから、わたくしの部屋へご案内します。そちらでしたら、誰にも感知されずにお話しいただける設備になっておりますし、保安だけでなく、抵抗も可能な装備もございますから」
うん、ツッコミどころ満載だけど、聞くな、ってことだよね。聞くなよ、絶対に聞くなよ、ってことじゃないよね。
後で聞いた話だけど、彼女はわたしとの間に、ごく細くて頑丈な糸を張り巡らせていて、わたしが飛びかかったら血の海ができる、殴ろうとしたら腕がちぎれるようにしてあったそうな。
その時、無事で良かったです、と、ニッコリ笑ってたけど、こっちはちっとも笑えねえよ。
日本を「平和国家」と表現する場合、それは日本国憲法が宣言した、全世界に及ぶ平和的生存権保障を目的とした平和希求の理念に基づく国家体制を指します。日本の治安がよく戦争状態と無縁、という意味ではありません。もちろん、主人公はその意味はわかっています(平仮名書きにしているのはそのため)。




