3-6.それはあなたの仕事です
「たっくんのことを、知りたい……?」
トビアスは用事があるとかで、自分の屋敷に帰ってしまったため、今、この場に居るのは、わたしとフリーデの二人きり。
「はい。トビアス様について、知らない事がいろいろあるし、それを少しでもなくしたいと思うので。それに、トビアス様の婚約者は、わたしだから」
ちなみに、後半部分のセリフは、少しすぼみ気味になっている。文字面だけを追うと挑発的に聞こえるけど、実際には照れているようで、わたしをけん制したりするような口ぶりではない。
彼女とトビアスとの関係は、恋人同士の甘々という感情が生まれているわけではないけれど、すでに人となりをつかんでいて、一定の信頼感を抱いている。まだ二日しか見てないけれど、わたしには、そう思えた。
一応、理由はある。婚約者の前に、前世の女が登場したら、ものすごく警戒するのが普通だと思うけど、彼女からは、そういう気配が感じられない。多少の嫉妬や困惑はあるみたいだけど、わたしを遠ざけようとする意図が、全くないのだ。
このあたりを踏まえて、いささかの戸惑いを覚えながら、返す。
「別にいいけど、あまり面白くないと思うよ?」
まだ歩くこともできない赤ん坊の頃から、お互いの両親が、うちのコもあなたのコもかわいいわねえ、なんてノリで顔を合わせあっていたというから、そもそもどのタイミングをもって出会ったと判断してよいものか、定義が不可能。まあ、たっくんのあらゆることを知っている、とはいえる。わたしの人生、イコール、たっくんの人生、だから。
だから、というわけではないけれど、両思いになったのも、いつだかわからない。気が付いたらカップルになっていたし、その人生しか知らないから。愛の告白も、交際の申し込みも、プロポーズも、全く縁がなかった。
わたしは、いや、わたしたちは、恋をした経験さえない。そんなの一式、全部、すっ飛ばしていた。
そういう次第なので、第三者へ正直に話せば、自動的にノロケばかりになるし、そんな話、どう考えてもつまらないし、何の参考にもなるまい。恋愛相談への回答にだってならないだろう。
その系統の話題を捨て去った上で、彼が生きてきた経緯を話すことも、一応はできる。でも、履歴書を読み上げるようなもので、それもどうかと思うし、そもそも、当人が居ない場所で過去を明かすのも、趣味が悪い。共有した生活時間が長かったから、黒歴史を含めていろいろつかんでいるけど、そんなことを暴露したくはない。だいたい、そんなことをしたら、こっちもブーメランを食らうだろう。アイツならやりかねん。
「どんなことでもけっこう。それより、この一日だけで、わたしの心も体も、みんなあなたに縛られてしまい、人様の前に出られない身になってしまったのだから、責任を取っていただかないと」
「言い方」
まあ、あんな密談を重ねて、引っ込みがつかなくなった責任は、確かにわたしにある。トビアスはまだしも、フリーデは本来、第三者。
もし今から、やっぱ止めます、となっても、王家に対する反逆を問われるのは間違いないだろう。
「それじゃあ……」
時系列に、たっくんのことを、順次説明していくと、フリーデは目を輝かせながら聞いている。
正直、こんなことに時間を使っている場合じゃないんだけど、という思いもあるけど、この娘は、間違いなく、トビアスを支えていく覚悟をすでに持っている。その上で、わたしに頼んできた以上、むげにはできない。そういう筋は通さないとね。
フリーデの反応を聞いて、たっくんとトビアスでは、肉体的には完全に別物だということが判明。トビアスは、足は速いし、持久力もあまりないし、朝はスパッと起きられるし、と、たっくんとは明らかに違うらしい。味覚なんかは、そもそも比較対象となる食べ物が違うから、判断できないけど。
一方で、思考や行動の手順は、前世の経験をそのまま継承しているらしい。
たっくんは、情報を集めてから自分なりの考えを出すとき、脳裏に浮かんだものを、ひたすら無秩序に書き出していき、脳の出力が限界になったところで、一休みする。しかる後に、出された考えをグループ分けして整理、全体を俯瞰して戦略としてまとめる。そして、個別の考えを線でつないだ上で、需要度と緊急度で区分する。
まあ、発想法でいえば、わたしがマインドマップを作るタイプなのに比べて、たっくんはKJ法で整理していくスタイルなのだ。
「やはり、前世から頭の回転がよかったのね。それだけいろいろな発想ができるなんて、わたしにはとても無理」
「そうかなあ……」
何やら感激しているらしいフリーデの感想に水を差すのは悪いが、たっくんの発想法は、頭の良しあしとは関係ないと思う。
アイデア出しの方法にはいろいろあるけど、たっくんが取ることの多いKJ法的手法は、ブレストの要領で多数の人がいろいろな考えを出すことが前提で、単独で行う方法ではない。
一方、わたしがよく使うマインドマップ的な手法は、中心となる概念からどんどん派生させていくものだから、無秩序な意見出しには合いにくい一方で、独りでも自由な思考をまとめやすい。つまり、発想を展開させる前提が違うのだ。
これは、どちらが上とか下とか、そういうものではない。リーダータイプか、参謀タイプか、ということだろう。
フリーデにそんな説明をしてから、一言、付け加える。
「この件に限らず、たっくんって、独りで何かをするより、他人を巻き込んだり、協力させたりすることで、本領を発揮することが多いんだ。彼の前世では、その役割を、ほとんどわたしが独占していたんだけど」
ここで一言置いてから、続ける。
「この世界では、フリーデ、あなたがその役割を担いなさいな」
「ええっ!?」
「だいたい、そういう知的訓練の場で、いつまでもわたしにべったりじゃ、彼の思考は活性化されないし、どうかなと思ってはいたんだ。でも、この世界なら、あなたはトビアスの隣にずっと居る、という。なら、その役割を持ってほしい。彼の潜在能力を適切に引き出せるのは、わたしを除けば、あなたしかいないんだから」
このあたり、わたしは昔から、ドライって言われてた。
わたしとたっくんは、精神的にも肉体的にも、文字通りべったりだったけど、こと頭を使うことについては、いつも二人の世界だけで一緒に居てはいけない、成長に必要な刺激を得られない、そう考えていた。
知的営為とは、課題を設定して、論理という道具で、分析という経路で、結論へ導くことだと思っている。このうち論理は訓練によって解決できるだろうけど、課題設定、分析、結論導出は、そうはいかない。文献研究やディスカッションなどの外的刺激によって、自らを絶えずアップデートしていかなければ、成長しない。それどころか、固定観念に侵食され、固陋に陥るかもしれない。
単純にいえば、人間として伸びていくには、批判的思考が絶対に必要だ、ということだね。
そのためには、わたしたちは時折、別々に行動していた方がいい、場合によっては、全く違う人と組んだ方がいい。そう、お互いに了解していた。
どんな契機でそういう考えに至ったのかはよく覚えてないけど、大学入試に向けた受験勉強の最中、別々に机へ向かっていたことが大きい気がする。勉強の進捗や現況確認なんかも、普段は行わずに、せいぜい模試の直後に相互チェックするぐらいだった。だから、勉強する時は別々に、というのが、自然に受け入れられてたのかも。中学受験の時は、集中力がそがれるほどにはいちゃついてなかったからね。
ところが、そう告げた時のフリーデは、大げさなばかりに驚いた。
「で、でも、ユキエは、それでいいの? そんな、トビアス様を、わたしに委ねるようなの、だって、そういうのって、ユキエの方が詳しいんでしょ」
「構わないわよ。むしろ、その方がいいと思う。あなたは、彼の知的訓練についていけるだけの頭脳を持っているから。もしわからないことがあるなら、いくらでも教えるから」
これは、数十分程度話して、わたしが下した結論。わたしは、人を見る目には、正直、自信はない。その代わり、相手の知的能力に限っては、ある程度話せば見当がつくし、これまでそう外したことはない。
「それに、わたしとたっくんも、違う人間だからこそ、ずっと一緒に居られたんだよ。ほとんど同じだったら、ささいな衝突だけで、そのまま別れちゃったかもしれないし」
明確な根拠はないけど、これはわたしなりの、自然に浮かんでいた勘。話がかみ合う範囲内で違いがあるという方が、望ましい。ほどほどにケンカできる、ほどほどに話せる、それが理想だと思ってる。
「そ、そんな……トビアス様って、ニホンの中でも最高の教育を受けて、最高学府で学問を究めていたって聞くし、わたしなんかじゃ……」
「究めた、ねえ……」
大学院に行ったわけでもなく、論文一つも書いたことのないヤローが、よく言ったもんだよ。いやまあ、わたしもそうなんだけど、学問を究めたなんて、恥ずかしいてよう言わんわ。そもそも最高学府なんて、学部程度でも高いステータスがあった時代の表現であって、十八歳人口の半分が進学する“最高学府”って何だよ、とも思うし。
「その大学でも、成績が優秀で、友達など身近な人の中では、誰にも負けなかったって」
「なんやて!?」
おうおうおう、すっかり偉くなりおったもんやな。
単位を落としそうだからって、必死にドイツ語をたたき込んでやったこと、今でもハッキリ覚えていますが何か?
だいたい、文系一種から法科しか選びようがなかった分際で、文系三種から鬼規制鬼底の総合社会関係分科へ進んだ同居人に負けなかった、だと?
そうですか、そうですか。ふ、ふふ、ふふふふふふ。
今度会ったら、いったんシメたらんといかんな。
「あ、あの?」
「あ、ごめん。彼の成績に関する話は、かなり盛ってるから、話半分にしといて。それより、今のトビアスの思考力の程度、そして現実社会への応用力については、むしろあなたの方が詳しいはずだし、それを基に、彼を鍛えてほしい。トビアスがこの世界で、何かを成したいと考えているなら、その頭をビシバシと、ね」
「は、はあ」
「それにわたしは、あくまでも知的訓練の範囲についてだけ、話したのでね。それ以外となれば、話は別よ。……あなたは、いい人だと思う。トビアスの隣にいるだけの価値がある人よ。でもね、わたしだって、負けないから。この世界で、彼の隣に、居てみせるから」
ビシッ、と指をさして、宣言。行儀が悪いとかなんとか、そんなの知ったことか。
「この世界でのわたしは、ただの異邦人。でも、彼にとってわたしは、ただの通りすがりなんかじゃないんだからね」
そう告げた時、天井につるされているベルが、リンリン、リン、リンリンと鳴った。見ると、壁の先までワイヤーが伸びている。部屋の外からの連絡用のものらしい。
「……ごめん、急用ができたみたいだから、また明日、来てくれるかな?」
そう言うと、フリーデは慌てた様子で部屋を出ていき、入れ違いのように入ってきた使用人が、わたしを追い出すように、部屋の外へと案内する。
廊下を歩いていると、何やら、盗賊がどうの、ろうに入れただのと、物騒な声が聞こえてきた。
まあ、伯爵家ともなると、そういう手合いも入ってくるのだろうか。
それにしても、客人が居るところで、そういうことを大きな声で言うなよ。
大学の成績に関する主人公の独白については「進振り」で検索するとわかりやすいと思います。ちなみに主人公は、大学入学時点では社会学専攻希望でしたが、もっと幅広くやりたいと進路変更したという背景設定があります。




