3-3.ファイゼルト侯爵家の悪役令嬢と直接対面しました
わたしたちは、ファイゼルト侯爵家のレベッカ嬢と会談の場を持ち、婚約破棄宣言とその後の対応について協議をする予定になっている。
わたしの正体を話しているトビアスやフリーデはいいとして、会談の真っ最中に、わたしの体の持ち主であるレオノーラの意識が前面に出てくるのは危ない。この点を危惧していたけれど、昨日ギルベルトが調べてくれたところによれば、片方の意識が前面に出ている時にもう一方の意識が出てこようとしても、表の意識がそれを強く拒否すれば、抑え込むことができるそうだ。気合で対応することになるのか。わたしの精神力はそんなに強くないんだけどな。
ファイゼルト侯爵家の屋敷へは、フリーデと共にデリンジャー伯爵家の馬車で向かう。それほど移動に時間がかかるわけでもないし、わたしの感覚では普通に歩く方が気楽に思えるけど、上位貴族の家族が家の外を移動する場合は、馬車を使うのが当然、まして他家の屋敷を訪問するのであれば、それなりの態度でなければいけないらしい。非公式だし、当主が出るわけでもないのに。めんどい。
協議する具体的な内容は先方には伝えてないけど、“近々起こると思われる変化に対応するためにご相談の機会を頂きたい”という名目になっている。“近々起こる変化”というのは、当然ながら、婚約破棄の一件だ。
デリンジャー伯爵家領が接しているアイゼン王国は、ここユリデン王国とはほとんど往来がない。それでも、数十年前までは、一年ごとにそれぞれ両国の使者が行き来していたが、現在では、デリンジャー伯爵家と、先方の有力貴族の間のやり取りが、事実上の使者往来となっている状態という。もっとも、そういう為政者間での接触もほとんどなく、民間人の移動の方がまだ多いそうだ。
何かあれば、その都度王城へ問い合わせをするが、実際には、ペラ一枚紙の報告書を送るだけらしい。つまり、デリンジャー伯爵家が王国から外交権を受託、掌握しているようなものだ。しかも、外国と接していることから、一定の軍隊を保有する権限があって、隣接するビルジー侯爵家と連携して共同演習までやっているらしい。いいのか、それ。
しかし“近々起こる変化”に備えて、外交および国防の両面から、ダルス帝国とのパイプを持つファイゼルト侯爵家に意見をうかがいたい。中立派のデリンジャー伯爵家は切羽詰まった状態ではないものの、今後ともファイゼルト侯爵家と接点を持っておきたい、と言えば、不自然ではない。
昨日、三人で顔をつきあわせて、こういうシナリオに至った。
トビアスが同行することも検討したが、格下とはいえ同じ地位の侯爵家、それも領地経営に専念していたはずの家が出てくると、聞けるものも聞けなくなると考え、ここはフリーデに任せることになった。
ところが、困ったことがある。
それは、わたしに、交渉や折衝の経験が皆無ということだ。
一般論としての議論なら、いくらでも経験がある。こちとら、小人数授業中心の学科に在籍している大学生。ディベートも、ディスカッションも、ブレーンストーミングも、かなりの場数を踏んでいるし、それなりの自信はある。議論には、必要となる知識を前もって整理したり、論点を瞬時に見極めたりするだけでなく、適切なタイミングで核心を突くための瞬発力が求められるし、そういう訓練は積んできた。ディベートなら論理、ブレストならアイデア出しが中心になるので、頭の使い方は全く違うけど。
でも、社会人経験が全くないわたしに、一国の運命を変えるような大事についてネゴるのは、なかなか厳しい。ゴネるのなら簡単かもだけどな。
そもそも、こちらには、現時点で切れるカード自体がない。
そうなると、今日できるのは、基本的には顔合わせ程度が関の山、もしうまくいけば情報共有、となる。まずレオノーラの知識および当面の展開について説明し、その際の相手の反応を見て、今後の展望を考えるということになるだろうか。
そして、一つだけ、事前に決めておかなくてはいけないポイント。それは、“レベッカ嬢と話す人物”について、どう伝えるか、ということだ。
わたしは、たっくんを引き継いでいるといえるトビアス、彼との関係が深いフリーデやギルベルトに対しては、レオノーラと自分の正体を抵抗なく明かした。トビアスに日本人だった記憶があると知ったのが切っ掛けだったけど、それだけじゃない、わたしと彼の間に、何かがある、と感じたのかもしれない。いや、そう思いたい。
でも、レベッカ嬢は、トビアスと特に関係があるわけでもなく、この世界における第三者でしかない。フリーデも世間話をした程度で、顔見知り程度の仲だという。
そもそも、召喚だの、複数自我の同居だのといった説明が、通る保証も確証もない。理解してくれるかもしれないけど、ここでのるかそるか的に決めるのは、時期尚早だね。
これについても、三人で協議した結果、わたし=有希江の存在はあえて明らかにせず、あくまでも男爵令嬢レオノーラとして接することにした。レベッカ嬢がレオノーラのいつもの態度を知っていて、不自然に思ったのなら、その時は二重人格とかで逃げ切る。あながち嘘でもない。間違っても、異世界から召喚されたなんてことは、口外しない。
そして、トビアスとの関係は、一切口にしない。聞かれた場合も、フリーデと同席した場で会ったことがある、で押し通す。これも、間違ってはいない。主客転倒だけど、主と客を判断できるのは当事者だけだから、知ったこっちゃない。
そんなことを頭の中で整理しているうちに、馬車はハーマン家邸宅に到着する。
お屋敷の建物は、W.M.ヴォーリズのスパニッシュ・ミッション様式を思わせる、寄せ棟屋根にシンメトリー構造。個人邸宅でこの玄関はどうなのよ、という気もするけど、それ以上に、異世界でこんな建築物を見ると、かえって違和感が出てくるのはなぜだろう。中学高校時代、似たような建物を毎日見ていたんだけどな。
馬車を降りて、ぼーっと建物を見ていると、フリーデに袖を引かれる。いかんいかん。
まっ、現時点で考えておくべきポイントは、だいたいつぶしたはず。後はその場のノリでいこう。
そんなふうに考えていた時期がわたしにもありました。
玄関に案内されて、ふむ、ここがあの女のハウスね、なんて言っている間はまだ良かった。
応接室で向かい合うことになったファイゼルト侯爵家令嬢、レベッカ・ハーマンは、そんな意識で向かい合える相手ではなかった。
王国を左右する立場にある貴族、そして王族に加わる者だからだろう、王者らしいオーラを放っている。高慢とか、健気とか、そんな表層的な振る舞いで判断されるべきではなく、自己の立ち位置を考慮して責任と影響力を見極め、その都度どのようにするべきか、そして判断する尺度をどこに置くべきか、それを冷静に考えられる胆力を備えている。
何よりも、彼女自身が、そのような力を備えた存在であることを、この場で、わたしに対して、隠そうとしていない。隠していない、ではなく、隠そうとしていないというところがミソだ。一定の警戒心があると伝えつつも、全面的な敵認定しているわけでもない、というところだろう。
貴族家子女って、こういうものなのか。
いや、フリーデも、上位貴族令嬢として立派に振る舞っていると思う。立ち居振る舞いから言葉の使い方から、いい意味でお嬢様らしさを随所に出しているし、出るところに出れば気品と威厳を出すのも、この場でわかった。
でも、目の前に居るレベッカ嬢の放つオーラは、フリーデのそれとは、全く違う。フリーデより一つ年下だというのに、物腰は優雅で気品があり、姿勢から指先ひとつの動かし方まで、育ちのよさをのぞかせる。いや、それだけではない。単なる貴族令嬢としてではなく、王妃候補として厳しい訓練を受けてきたためだろうか。わたしというイレギュラーな存在を認めながらも、表情一つ変えることなく、ピンと伸ばした背筋も動かすことなく、ひたすらりんとした態度を変えない。
ああ、これは、利害調整程度のネゴでは、そもそもテーブルに着いてもらえないだろうな。わたしは一目で、そう判断する。
もちろん、彼女を、いや、ファイゼルト侯爵家を取り込める目算には変わりはないし、それなりの自信はある。ただ、初対面で、この場だけで丸め込むのは、まず無理だな、と。
こうなれば、嘆願だの条件闘争だのは、逆効果だ。軽いジャブだけで引き下がりつつ、次のチャンスへの足がかりを引き出しておくのが最善手だろう。
そんなことを考えながら、簡単にあいさつ、そして、レベッカ嬢とフリーデの会話が続く。こう言っては何だが、実務的なものも理念的なものも出てこない、茶飲み話程度のことばかり。貴族家の会話ってこんなのかよ。うん、ラノベのファンタジー世界に出てくる貴族連中の会話って、やたらと腹の内を探るか、単なるバカ話で終わるの両極端だったな。
レベッカ嬢は、最初のあいさつの時点で、わたしの対応を見て、ごくわずか、違和感を抱いたようなそぶりを見せた。まあ、腐っても一応貴族令嬢のはずなのに、中身は作法も何も知らんド平民だからね、仕方ないね。
そして最後に、フリーデから、わたしの方に話を振ろうとしたところで、レベッカ嬢が口を開く。
「エグナー殿。貴女の目と態度を見れば、清冽で、強い意志をお持ちなのはわかります。お話をうかがうに足るお方ということも、わかりました。そもそも、そうでなければ、才女と名高いフリーデ嬢が信を置くはずがございませんわね。……ですが、貴女の世界は、今では、余りにも小さすぎる。固めるべきところを、ご覧になってから、お越し頂ければ」
「ですが」
フリーデが上げた声を無視するように、レベッカ嬢は続ける。
「貴女とデリンジャー伯爵家の間では了解されていることなのでしょう。しかし、貴族家相互の交流は、家単位で行われるものです。当家も、デリンジャー伯爵家も、そして、貴女のドゥルケン男爵家も」
なるほど、それが理由になるか。
「そして、それをご理解いただけるなら、この三名での会談に、意味が出てくることがおわかりになるかと思います。……恐れ入りますが、本日のところは、お引き取りを」
ん?
んんん?
そうか!
「本日は、お時間をいただき、ありがとうございました。また、貴重なお話、大変参考になりました。……」
ペコリと頭を下げ、簡単な挨拶を添えてから、フリーデと共に退出。
そして、帰りの馬車の中で。
「あれで良かったの?」
「うん。表面的に見れば、単なる門前払いだけど、むしろ、思っていた以上の収穫があった。今のままでは話をする意図はないけれど、条件がそろえば話を受けるという意味だし、あの反応を見れば、むしろ前向きの姿勢だと思う。それに」
「それに?」
「……ん、詳しくは、お屋敷に着いてから話すね」




