5-18.【Side:ディーナ】簡単なお仕事を受けたはずなのに
ここまで出番が少ない、商店の若手女性幹部の登場です。
何やらよくわからない事態になっているようにしか見えない、ドゥルケン男爵家。
ユキエなる存在から出された条件は正しいものだったようで、わたしが束ねるヴァレッツ商会の支店に、デリンジャー伯爵家からいろいろな注文が寄せられるようになった。今のところは当たり障りのないものが多いけれど、大きいことを仕掛ける前の手付けみたいなものかしら。
それはいいのだけれど、そのデリンジャー伯爵家から使いがあって、大至急の話があるという。それも、わたしを指名で。
わたしも一応支店長という身分、それに対して大至急ということは、緊急性が高く、相応に重要なものに違いない。それなりの利益も見込めるだろうけど、それ以上に、今後お付き合いいただくためのいいステップになるだろう。逃してはいけない。
「それにしても、指定場所がどうして、こんなとこなのよ」
商談する際、第三者からの目をそらせるために、目立たない場所、意外な場所を指定することは、決して珍しくない。個室のある料理店や宿屋を使うことも多いけれど、単なる御用聞きのついでのように見せ掛けて、地味な民家でこっそり打ち合わせをするということもある。
でも、王都の中で、王宮以上に目立っているここ、大聖堂を指定してきたというのは、さっぱりわからない。そんな大げさな場所にしなくても、定期的に礼拝に訪れる教会で部屋を使わせてもらってもいいだろうに。大聖堂という場所は、信者が日常的に礼拝する場所じゃなくて、重要な儀式なんかの時に使う。
「タチの悪い依頼、なのかな……でもまあ、内容も聞かずに断るわけにはいかないよね」
大聖堂ともなると、玄関の脇に門番さんが立っている。神父さんとお手伝いさんが居るだけの庶民的な教会とは違うのだ。話はすでに通っているようで、ドゥルケン男爵家のレオノーラ様というと、すぐに中に案内してくれた。
大聖堂といっても、礼拝所を始めとして、お祈りをするスペースばかりじゃない。神官様とか貴族様とかが集まって打ち合わせをする機会も多いから、会議室や広間なんかの部屋も当然用意されている。
わたしが案内されたのは、割と小ぶりな部屋だった。部屋の中には、レオノーラ様と、もう一人、えらい立派な服を着た神官様。
「わざわざの足労、すみません。実は、この場で、あなたに注文したいものがありましてね」
男爵家令嬢としての言葉遣いであり、振る舞い。レオノーラ様“本人”が話されているとみていい。
この場、というのがちょっと気になるけど、急を要するものなら、それは後回しにすべきだろう。
「いえ、お気になさらず。それで、どのようなものを」
「ええ、家紋クロスをお願いしたいのだけど」
家紋クロスとは、自家の家紋を布に織り込んだもので、各貴族が独自に作ることができる。王様からは、家紋の入った短剣が下されるけれど、そんなものを身分証明に使うわけにはいかない。王様に謁見するときに、刃物なんか持ち込めるはずもないし。それの代替品として、布を使うのが一般的だ。
家紋を持つのは貴族の特権で、しかも各家に一つと、厳密に定められている。これは、爵位が上がっても下がっても、変わることはない。その家紋を提示できるのは、各家が正式な一家構成員として王家に届け出た者のみで、それ以外の者が家紋を見せるのは、重罪になる。
貴族家では、それだけ重要なものなので、家紋を入れた用品を作るのは、国の紋章官が指定した商店と工房に限られている。それも、どのようなものに、どのような紋章を入れて、誰が取り扱ったかまで、きっちり記録して、定期的に届け出ることになる。かなり手間がかかるけれど、その分だけ実入りも大きい。
エグナー家の家紋クロスは、一年ほど前に受注したことがあるし、当時のデザイン控えも残っているから、製作自体はすぐ終わりそうだ。そうなると、クロスの材質と、家紋の大きさだけ確認すればいいか。
「承りました。以前ご注文いただいたものと同じでよろしいでしょうか」
「いえ、新しい家紋なの」
「…………はい?」
思わず間抜け声が漏れてしまう。貴族様にしてお得意様に見せる顔じゃないけれど、これは仕方ない。
家紋が付いたものは、その家に居る者が直接作る、あるいは指定者に発注しなくてはならない。これには一切の例外がない。だから、貴族家の当主なり子女なりが打ち合わせの場に座って、使用人が細部を確認するというのが多い。
それでも、必死に頭を回す。
レオノーラ様の隣に座っている、身なりのいい人の家紋だろうか。それなら、レオノーラ様が具体的に説明する、とか。いやいや、それなら、その人から先に、簡単でも依頼の言葉があるはず。さっきのセリフでは、レオノーラ様が発注しているとしか解釈できない。
そうなると。
「ええっと、レオノーラ様がエグナー家から離脱されて、新しい家に移られるということでしょうか」
「いいえ、エグナー家にはそのまま残るわ。それともう一つ、別の家に籍を置いているのよ」
「…………はあ?」
「こちらが、もう一つの家の紋章。それで、わたしが一人だけでこれを作成するのは、どうかと思ってね。こちらの主教猊下にお越し頂いたの。証人になっていただくために」
「…………」
ごめんなさい。何をおっしゃっているのか、さっぱりわかりません。
いえ、こちらも商売人ですよ。お客様からご要望があったのなら、明確なルール違反がない限り、しっかり務めさせていただきますよ。しかも、家紋を扱うとなれば、責任重大ですから、確実にご用意させていただきますよ。
そこから先は、純粋に、手続き事項の確認だけを、事務的に進めるしかなかった。それはもう、淡々と。
首を突っ込むのが危ない案件なのかもしれないけれど、本能的に何かを察知したのかもしれない。
「納期が、短いですので、これで、失礼、いたします……」
工房に指示を出したら、今日はもう休もう。




