7.第一研究室
本日2話目です。
私は昼食のために一旦自室に戻ることになった。基本的に部屋食らしい。フレイは先ほどの図書館の食堂で食べるようだ。
「ご希望の中庭をご案内して部屋に戻りましょう」
そう言って行きとは違う通路へ行く。温室のついた中庭があるそうだ。噴水もあるというから王様に会うときに見えた中庭はそこなのだろう。回廊を少し歩くと見えてきた。低木で通路が作られていて、花壇もある。木々に遮られて少し見えにくいところにベンチもあった。これなら本を読みながらうたた寝したところで目立たないだろう。小さめの噴水の周りは昼間の太陽が真上にあるため、陽がさんさんと当たって水しぶきが綺麗だ。よく見ると噴水からは水路があり温室と思われるガラス張りの建物に流れ込んでいる。誘われるように私は温室の扉を開け中に入る。
もわっとした温室独特の湿気を含んだ空気。でも甘い花の香も含まれていて気分は悪くない。2階の高さまである温室の中は緑にあふれている。王妃様が好きで整備させている温室らしい。ここでお茶会をしたり、お一人でのんびり過ごされたりするのだそう。嫁がれて今はいない王女様もここが好きで、お二人でよくここに来られていたそうだ。
これから寒くなる季節には温室がよさそうだと思ったけど、王妃様が過ごされる場所なら遠慮した方がいいのだろう。
「もうよろしいのですか」
私が立ち上がるとフレイが聞いてきた。うん、と答えて自室へと向かう。
「ご気分がよろしければ午後からは少しずつ講義をしていきましょう。昼食が済んだころお迎えに参ります」
講義は資料もたくさんあるから研究棟でするとのことだった。今日は魔導士団長の都合がつかなかったため魔法訓練はない。明日からは午前中が座学で、午後に魔法訓練の予定ですと説明を受けた。魔法は知識やイメージが大切らしく、座学も欠かせないらしい。この世界の人も手放しで魔法が使えるわけではないようだ。簡単な薪に火をつけるくらいのことならすぐにできるが、基本的には勉強し訓練を受けて使えるようになっていく。しかし全員が訓練したら使えるというわけではないようで、魔法にも向き不向きがあったり、使える種類も違ったりする。
まるでスポーツのようだ。私はテニスをしているが、実践でラケットを握ってコートに立つものも重要だけど、ルールや戦術を知ることも大切だ。基礎訓練のように体づくりもしないといけない。誰でもラケットに球を当てることはできるだろうけど、球を相手コートに打ち込んだり試合に勝ったりとなるとそれなりに訓練が必要だ。
ん、それなら魔法を使うのにも体力がいるのかな。それならどこかランニングできるようなところを教えてもらおう。
部屋に入るとちょうど教会の鐘が鳴って正午を知らせてくれる。机にはすでに昼食の準備がされていた。席に着くとパンとスープ、サラダに魚料理が運ばれてくる。朝食を摂るのが遅かったけど、意外とぺろりと食べられた。さすが私。食欲のかたまりだ。
食べている間に図書室から本が運ばれてきた。司書の若い男性が運ぶようだ。聞くと普通はこれほど早くは運ばないらしい。この国を支える結界の魔法使い様だから優先させていただきました!と頬を上気させ答えてくれた。ああ、この国って素晴らしい!
食べ終わった私はフレイが迎えに来るまで本を読むことにした。マリアがお茶を淹れてくれる。
本を読み始めると周りの世界が消えて、自分一人の世界になる。次々とページをめくり手をかざす。私は小さなころから本が大好きだった。人と遊んだり外で走ったりするのも好きだけど、時間があればすぐに本を読むような子供だった。特に読書の時間に制限がなくなる雨の日は好きで、テルテル坊主をひっくり返して祈っていたこともある。私の理解力はいまいちだった気がするが、自分で言うのもなんだけど記憶力は優れていた。読んだものは片っ端から覚えていって人に話すのが好きだ。フィクションもよく読んでいて、解釈の違いを友達と論じたり、登場人物の誰がかっこいいと恋バナをしたりするのも楽しかった。歴史や地理、物理が好きだった私はそういった関係の本を読み漁った。歴史は日本はもとより西洋も好きだ。地理の興味の範囲は全世界。いずれはお金を貯めて地理の資料に出てくるような主要なところにはすべて行ってみたいと思っていた。だから旅行記なんかも好きでよく読んでいた。
私の人生はおおむね本とテニスでできている。そんな私が異世界で読んだこともない魔法の本を手に入れて、読まずに置いておくことなどできない!ええ、できませんとも!
そう思っていつも通り本の世界にのめりこんでいたら、「集中されているところ大変申し訳ございませんが」と肩をゆさゆさと揺らされ本が閉じられることで現世に戻ってきた。
「本はまた後ほどにしていただいて、講義に参りませんか」
フレイだった。結構手荒な人だなぁと思っていたら、マリアが呆れたように「15分ほどずっとフレイ様が話しかけておいででしたよ」と言った。初めは控えめに、徐々に声を大きくし、それでも反応がなくどうしようかと悩んでおられた、と。最終手段として本を閉じるという手に出たらしい。
私たちは先ほどの図書館の近くを通り、中央神殿の方に向かう。隣同士ではあるけれど城壁によって隔てられていて一旦小門を出る。通路はずっと屋根がついており、雨の日でも困ることはなさそうだ。
元々は城壁もなく同じ敷地内だったらしい。教会は一般人の出入りも多く、王城の防衛機能を高めるために城壁が作られ、別の敷地となったらしい。
この街の歴史としては、結界の塔を守るために周りを囲ったのが始まりだ。人が増えてきたため徐々に範囲を広げて、最終的には大きくなった街全体を囲った。いわゆる城塞都市だ。王都はどうやら半島にあるらしく、付け根のところを高い城壁で、水際は低い城壁で囲ってある。その後街の人口が増え悪事を働くものが出始めたため、後から城の周りだけをさらに壁で囲ったという流れのようだ。
「地図を見ながらお話した方がわかりやすいと思います」
中央神殿の敷地内にある研究棟へ入る。その中に研究室は3つあり、フレイの所属する結界を研究している第一研究室へと向かう。ちなみに第二研究室は魔法について、第三研究室は魔物などについて研究しているらしい。結界や魔法に関しない、例えば農業や法律などについての研究所はもう少し離れたところにある王立大学にある。大学まであるとは結構広い王都なのだろう。
研究室に入ると大きな広間があり、たくさんの研究員がいた。机や椅子がランダムに置いてあり、複数人で話し合いをしているところや個々で資料と向き合っている人がいる。入って正面に大きな窓があって明るい。左右には扉がいくつもあり、室長室や資料室などが並んでいるようだ。
「注目!」
研究員がフレイの合図に気づいて、大きな声で皆の注目を引く。活気のあった部屋が一瞬で静まる。右の奥では若い人が扉をノックして人を呼んでいた。あそこが室長室なのかな。しばらくすると室長と副長と呼ばれる人たちが出てきた。室長は1名で、副長はフレイを含め2名体制らしい。
「こちらが新しく来られた結界の魔法使いのアヤ様です」
フレイが室長に紹介してくれる。室長はだいぶ高齢なのだろう。髪もひげも真っ白だ。おでこはやや髪が後退していて広め。右手には杖、左手は腰の後ろにあてていてふぉっふぉと笑っていそう。ああ、これは仙人だ。きっと白い雲に乗ってさっそうと現れたり、霞を食べたりして暮らしているのだろう。
横にいる副長は女性で、小さくて丸っこくてかわいいおばあちゃんだ。にこにこしていて昔あったアニメのスプーンを背負ったおばさんみたいだ。いくら小さくてもスプーンのおばさんまでは小さくはなくてちゃんと人間サイズだけど。
そもそもフレイって一体何歳なのだろう?
この2人と一緒に副長として働いているならば、実は若く見えるだけでかなり年上なのかもしれない。やはり様付けと敬語は続けておいた方がよかったかもと軽く後悔した。
「ふぉっふぉ、アヤ様。お会いできて光栄に存じます」
2人が私に頭を下げる。
「いえ、あの、こちらこそよろしくお願いいたします」
日本人の私は年長の2人より深く頭を下げると、また仙人の室長がふぉっふぉと笑った。やはりこの笑い方は仙人だ。
「お聞きかもしれませんが、結界の強化はなかなか骨の折れるものです。まあ気長に行きましょう」
気長でいいのか??急がないと結界が強化される前におじいちゃん、死んじゃうよ?
なんて不埒なことを考えてしまった。
「これからアヤ様はこの研究室に出入りされるため、皆もよく手伝うように」
室長が皆にそう告げ、研究員たちが一斉に頭を下げた。そしておもむろに私を室長室へと案内する。護衛は室長室内を一通り見た後、部屋の外で待機をする。室長室内のソファに室長と副長、私とフレイで腰かけた。使用人がお茶を淹れてくれる。この世界、やたらお茶が出てくるため私のトイレも近い。でもトイレはあちこちにあって清潔なため日本にいるように困ってはいない。
「アヤ様は漆黒の魔法使いなんですな。儂も長く生きておりますがお会いするのは初めてですよ」
結界はだいたい50年ごとに強化が必要で、そのたびに結界の魔法使いが送られてくる。約800年前に結界が張られ、それ以降繰り返されているため今回は16回目の強化となる。室長は強化の立ち合いが2回目だ。出会った結界の魔法使いは10人目とのことだった。この研究室では昔から20代後半から30代の者が副長の1人となり、結界の魔法使いを支えるようにしているらしい。そうすると2回目に立ち会うときに経験を次の若い副長に伝えることができる。そうやって代々知識と経験を受け継いできている。
なんだ、フレイは見た目が若いだけじゃなく本当に若くてアラサーなのか。でも今副長ということは次期室長なのだろう。やはり偉い人には違いない。
「漆黒の魔法使いは過去に3人いると聞きました。具体的にはどのようにすごかったのですか?」
何度も言われる漆黒の魔法使いについて聞いてみた。
「まずお1人目は結界を張った英雄の1人でした」
創造者も言っていた、魔物を殲滅するのではなく共存することにして結界を張ったのが約800年前。その時にいた結界の魔法使いは3人で、1人が漆黒の髪と瞳、あと2人は赤みを帯びた金髪とこげ茶。漆黒の魔法使いはヨシツネと名乗り30歳前後の男性だったらしい。
ちょっと待ったーっ!
それは多くの日本人が知っている有名人ではなかろうか??800年前というと西暦1200年前後。鎌倉幕府が「いいくに(1192)作ろう鎌倉幕府」ということで1192年設立だったはず。計算としては合っている。ヨシツネは義経だ!頼朝に追い詰められた後、殺されたのではなくこちらに来ていたのか。
一緒にいた金髪男性はフリードリヒと言い、皇帝だったらしい。68歳で最年長。よく知らないけど名前的には西洋ヨーロッパ、それもドイツ系の偉い皇帝なのだろう。1200年代にあったのはドイツではなく神聖ローマ帝国だったはずだ。その皇帝だったのだろうか。
最後の1人のこげ茶の男性はベネゼという名前で、19歳と若いのに橋を架けたことがあるという人物だった。アヴィニヨンの橋?ヨーロッパかな。さすがに知らないな。
その3人がこの国の戦士と共に魔物に占領されかけていたこの国を奪回し、結界を作って今の状態に持ち込んだ。ヨシツネとフリードリヒ、この国の戦士がかなり強く、この3人が中心となって戦いが行われた。のちにその戦士が塔を守る街を作り、初代国王となった。
詳しく言うとフリードリヒが総指揮、ヨシツネが遊撃隊の指揮、初代国王がこの国の友軍の指揮。結界の塔の建設にベネゼは尽力し、また戦後にこの戦いを本にまとめたのもベネゼだったらしい。彼らの熱い友情の話は後世にまで語り継がれ、この世界で一番有名な本となっている。
「2人目は450年前のノブトラ」
それって武田信玄のお父さん?あの人幽閉されていて暇だっただろうから何でもしただろうな。
「3人目は150年前のイサミ」
1850年あたり?明治時代に入る前だ。幕末なら…新選組の近藤勇だろう。むっちゃ強そう。
3人ともキャラが濃い。濃すぎる!その3人と比べて4人目でがんばらなければならない私は一体何者なのだ?どうせなら私じゃなくてハンマー投げのごつい人とか、柔道の柔ちゃんとか、ラグビーの祈る格好の人とか、他にもいっぱい濃い人はいたでしょ!
誰と自分が比較されているのかを知ると、思わず遠い目をしてしまう。私が結界の強化をできないもしくは弱かった場合、漆黒の魔法使いの評判を下げてしまう。歴史好きの歴女としては、彼らの名声を傷つけてしまうなんて許せない。この国の人たちの期待も大いに裏切ってしまうこととなる。
「アヤ?どうされました?知っている人たちなのですか」
フレイが心配そうに私をのぞき込む。「なんとなくは知ってる」と答えてため息をつく。「すごい人たちで元の世界でも名を残していた人たちだから」
私が話を聞きながら急に元気をなくしていったのが疲れたからと思ったのか、室長からは「疲れているようだから今日も早く休んだ方がいい」と自室に帰るよう促された。
帰り道、送ってくれているフレイに聞いてみた。
「漆黒の魔法使いはどの人も剣術をしていて、身分もあってね。何かと秀でている人たちだったからこちらでも成果を出せたし、元の世界でも名を残せたんだよ」
私はただの学生で、まだ元の世界でも何も成していない。やらなければならないお仕事だけが大きくのしかかる。
自分でもわかるほどうつむいてしまっているし、とぼとぼと歩いている。なんだろう、この情けない生き物は。
「自信がない…」
「自信がないのですね」
「うん…」
とぼとぼと歩く私に合わせてゆっくりと歩いてくれる。フレイは優しくてまるでお兄ちゃんのようだ。10くらい年上だからまさにそんな感じ。でも実の兄の方はもう少し怒ったりもするかな。
さっきはあんなに色々知りたいと思いながら歩いた道。知りたくて知ったのに、知らない時より自信もないし身動きすらできなくなっている。
「ですがまだ何も始めていませんよ。自信をなくすどころか、自信をつけることすら。色々と思い悩むより部屋に帰ってからまた読書でもしませんか」
読書!
うつむいていた顔も思わず上げてしまう。なんて甘美な響き!心配そうにのぞき込んでいたフレイの口の端が上がる。
「知識をつけ、作戦を一緒に練りましょう。今までの3人は男性で戦士ですが、あなたは女性で学生です。その違いを踏まえた作戦が必要でしょう?私は意外と策士なのですよ。きっとあなたと一緒に満足のいく作戦を練ることができます」
「作戦…」
「そうです。過去の人たちに遜色なくあなたが目的を達成するために」
どうですか、とフレイがこちらをのぞき込んでくる。
あー、もう私のバカバカ。今まで貯めた知識も何のためにあるのよ。想定外のことにどれだけ対応できるか試されているのだ!正攻法じゃなくてもいいから、何かしら少しでも結果を出しに行かなきゃ。最初から満塁ホームランを狙わなくても、アメリカに行った細身の有名な外野手のように内安打でも何度も打てばいい!次につなぐことが大事なのだ。
むしろこの状態は面白いのかもしれない。ヨシツネの第二の人生、ノブトラの暇つぶし、イサミの武勇伝。こんな風に彼らのことをさらに知ることができる。歴女としてここは押さえなければいけない点じゃない!そう、歴女の好物だらけ!私、行ける!まだまだ進める!そしてあわよくば彼らを上回って見せる!
がっつりテンションが上がったところで部屋に着く。そのテンションのまま「ただいまー!」とマリアに飛びついた。マリアは少し後ろによろめいたものの、見事に私を受け止め切った。
「また明日午前中に参ります。午後はアンドレア殿の魔法実践についての講義です」
「今日と同じ研究室ならお迎えに来なくても私一人で行けるから。9時くらいに行ったらいい?」
「そうですね、9時で構いません」
「あの…さっきは励ましてくれてありがとう!」
気分も上向きだったから全開の笑顔で言うと、フレイがふっと目を細めて優しそうに笑った。
「お役に立てたならよかったです。それでは失礼いたします」
よし、気合入れて本を読むぞー!
その日はそのまま一気に2冊を読み切ったのだった。
義経さん、素敵です。