26.祭り
早めに昼食を食べた後、髪を染めて変装をした。お忍びでお祭りである。護衛を付ける、付けないでかなりもめたが、アデルやリカルドにもお祭りを楽しんでほしかったから護衛はなしとした。変装しているから大丈夫と言い張る。アデルはお祭りで悪い輩が出るだろうからと最後まで心配していた。でもせっかくだからリカルドとお祭りを楽しんでほしかった。全くの1人ではなく、フレイはもちろんいるから大丈夫というと、そりゃフレイ様は命がけで守ってくれるだろうけど、とぶつぶつ言っていた。
私は紺色の髪にかんざしを付ける。濃い髪色なので銀の鎖が映え、先に揺れる琥珀玉がかわいい。すごく嬉しくてわざとゆらゆら揺らしてみたりする。
「よくお似合いですよ」とマリアが鏡を持って色々な角度から見せてくれた。
変装のためやや濃いお化粧をしてもらう。おお、やっぱりすごい出来!別人だし、美人だ!
準備ができた頃、フレイがお迎えに来た。変装のためか眼鏡をしている。
おおっ、私以上に美人だ!メガネ男子、意外と好みかもしれない。
雰囲気が違うのはいつもの青を基調としたローブではなく、白いシャツに黒いズボン、腰にはベルトで剣というシンプルな普段着だからというのもある。お仕事人間のフレイは年中ローブを着ているから、それを脱いだだけでも変装だ。そしてこれもまたいつもと違い、少し伸び始めた髪を緩く結わえている。それがまたよく似合っていた。お化粧していないのに私より美人って納得いかないなーと少しやさぐれた気分になる。
フレイは私を見てふわっと笑う。
「とてもおきれいです。紺色の髪もよくお似合いで、変装しているのにむしろ愛らしくて目立ってしまいそうですね」
などと歯の浮くようなセリフを言うので私は固まってしまった。フレイってこんなキャラだったっけ?きっと結界が強化されて浮かれているのかもしれない。そもそもご自分の方がオキレイデスヨー
準備ができたら2人で歩いて街に出る。人出が多すぎて馬ではむしろ動きにくいと考えてだ。はぐれてはいけないからと今日も手をつながれる。さすがに今日は本当にはぐれてしまいそうだったからおとなしく従った。
街はどこもかしこもお祭りの雰囲気だった。普段は特に何も装飾のない家が、色とりどりの旗や花で飾られている。人々の服も結構派手な色が多く明るい。あちこちで大道芸をしている人や動物がいたり、広場では皆踊りを踊っていたりする。音楽も流れてきていて笑い声、話し声も途切れることなく陽気な雰囲気だ。飲食店が多いところになるとお酒も出店で出ているため、治安維持のため騎士たちが頻繁に巡回をしているようだった。
私はとても楽しくて、一つ一つ大道芸を見たり、小さな楽団による音楽も聞いていたり、時間をかけて街を回る。
「うわぁ、かわいい!」
いつもは普通に売られているお菓子が、様々な色の小袋に入れられて並べてある。よく見るとお菓子の包みもキラキラとしたカラフルなアルミっぽい。女の子たちがお店にたくさん群がっていて、それが何のお菓子なのかさっぱりわからないけど、勢いで買ってしまう。
その隣では髪紐が売られている。2本くらいを絡ませて結ぶのが流行のようで、お店の人がいろいろな合わせ方の見本を見せてくれて、一緒に見ていた女の子たちが買うように私も数本の髪紐を買った。
さらにその隣では果物が売られている。もう楽しくって果物なら普段でも買えるのに、大好きなブルーベリーを見つけて一袋買ってしまった。
私が一向に先に進めないのを見て、フレイがさすがに「この通りだけで日が暮れてしまいますよ」と言った。出るときにマリアに持たされた籠の中はすでに買ったものであふれ始めている。少し重くなったなと思っていたら、フレイが代わりに持ってくれた。
「だって楽しくって!売られているものもなんだかいつもと違うし!」
「さすがに果物は同じですよ?」
「きっといつもよりおいしいの!」
通りを進みながらさっき買ったばかりのブルーベリーを一つ食べる。
「甘い!ね、ほらいつもよりおいしい!」
はい、と言ってフレイの口にも入れてあげる。「そうですね」と言ってフレイも合わせてくれて笑う。
「あっちは何だろう?」
進む先に人だかりができている。背の低い私には全く見えないけれど、フレイには何となく見えるようで「拳闘のようです」と教えてくれた。わっと歓声が上がる。勝負でもついたのだろうか。
「ここは酒の入った者たちも多そうなので避けていきましょう」
フレイがそう言って私の手を引いて遠ざける。
「あ、アヤ様?」
「え?どこ?」
「あ、ほんとだ、アヤ様だ!」
巡回をしていた騎士たちが口々に声を上げた。一緒に討伐に行った人なのか、訓練で見知っていた人たちなのかはわからなかったけど、数人が私を見つけて駆け寄ろうとしてきた。それにつられて他の街の人たちも「アヤ様だって?」とざわつき私を見る。
「ばれてしまったようですね」
フレイがさっと手を引いて私を逃がす。うまく人混みの中を走り抜けて騎士たちを巻く。私も基礎訓練をしているだけあって、どこまでも走ってついていく。こんな時に訓練の成果が出るとは思わなかったけど。フレイは振り返りながら私のペースに合わせて走ってくれた。
だいぶ走ったためどうやら市街地は抜けてしまったようだ。
「大丈夫ですか?」
10分ほど結構な勢いで街を走り抜けたけど、フレイは息も上がってない。研究者のはずなのに一体どんな研究をしていたら心肺機能を高められるのだろう。
「ここから少し上がったところに見晴らしのいいところがあります」
「ここ?」
少し日も傾いて薄暗くなってきたから、木の生い茂る道は薄気味悪く見える。フレイがどこに持っていたのか小さなランプを出してつけた。
足元が照らされて問題なく上がっていける。少し行くと小高い丘から街並みが見えた。夕日がだいぶ沈みかけている。いつの間にこんなに時間が経っていたのだろう。楽しい時は本当に一瞬だ。
「よくこんなところを知ってたのね。王都を探検でもしていたの?」
「…幼馴染とよく王都の中を見て回っていました。一緒にクルクラから王都に来て共に騎士見習いになった人です。とても活動的な男で、私は彼のおかげでいろいろなことを知り、体験できました」
その人は魔物討伐で亡くなったという友人だろうか。
「休みのたびに私を外に連れ出してくれました。外に出てぱっと目についたところを今回の目的地、として毎回探検するのです。おかげで崖から落ちかけたり森で迷子になりかけたり怪我も多かったのですが、私が治せるので歯止めがかからなくて」
懐かしそうに笑う。
「いつでも楽しそうにしている人でした。あなたによく似ています。ころころとよく表情が変わっていくので見ていて全く飽きませんでした。楽しい時に笑うということはあの人に教えてもらったのだろうと思います」
楽しいことの少なかったクルクラでの生活で、唯一に近い友人だったらしい。
でももういない。
今は優しく笑って隣に座っているこの人は、今までどんな人生を送ってきたのだろう。私がぼんやりと過ごしていた人生より遥かに辛いことが多かったのではないだろうか。
「他にもおすすめのところってあるの?」
「ええ、夏至の夕日がちょうど尖塔に刺さるように見えるところや、あなたの好きなシロツメクサが一面に咲き誇るところ、餌を付けずに釣り針をおろしても魚がかかるほどいる海岸、いつか魔物が見つけたら入ってきてしまうだろう城壁の穴とか」
「それは埋めなきゃ!」
思わず突っ込んでしまう。そして2人で大笑いする。
「さすがに当時の騎士団長に伝えて埋めてもらいました」
それはそうだ。今も開いていたら昨日までの大襲撃で大変なことになっていただろう。
ふとフレイを見て髪紐が取れていることに気づいた。麻紐のようなもので適当に結わえただけだったから、走った時に外れたのだろうとのことだった。さらさらだから麻紐くらいだとすぐ取れてしまいそうだ。
「そうだ、さっき私、髪紐を何本か買ったから結わえてあげる」
かわいい、と思って数本勢いで買っていたのだった。籠の中からごそごそと手触りだけで革紐を出す。暗くなってきていて色はもうよく見えない。
フレイが座る後ろに回り、手櫛だけで整えて結わえてあげた。少し横に流そうかと思ったけどまだ短くてさらさらとほどけてしまうので、真後ろで結わえた。
次はほどけないようにと少しきゅっと結び目を作る。
「痛くない?」
「ええ、ありがとうございます」
髪を下ろしていると中性的な印象だけど、結わえると見える首まわりがそれほど細くなくて、男性的な感じになる。
街を見下ろすとあちこちに街灯が灯り始めている。
「もう少しするとあちらの方でもっと明かりが灯ると思います」
寒くないですか、と聞かれる。そういえばだいぶ寒さが和らいできている。冬自体それほど厳しくはなかったけど、緩やかに春に向かっている感じはしていた。
「この国は1年の終わりとか、始まりとか、そういう時の行事ってないの?」
もうすぐ春ということは一体いつが年末でお正月だったのだろう。
「1年の始まりは夏です。太陽が最も高く上がる時が1年の始まりになるので」
ということは夏至かな。6月22日くらいのイメージなのだろう。元の世界とはほぼ半年ずれているようだ。そもそも1年が365日かどうかもわからないけど。
「元の世界では1年の始まりは冬の間にあったの。年末は家族皆でこたつっていう机の形をした暖房器具の中に入って、冬の果物を食べながら机の上で書き終わらなかったお手紙をせっせと書いたりしてね。年が明けたら友達や家族と初詣って言って、神殿みたいなところへお参りに行くんだよ。私も友達と行きたかったけど、親が18歳になってからって言うからまだ友達と行ったことがなくて。再来年からは行けるからずっと楽しみにしてるんだ」
いつもは忙しい両親も、年末年始はたいがいどちらかが家にいた。お正月は家族で過ごすものだというから初詣も必ず親とだった。いつからか兄や姉は友達と行き初めて、私もと言ったら大学生になってから、と言われたのだ。
まだこちらに来て数か月なのに、元の世界の習慣が昔のことのように思える。だいぶこちらの世界になじんできたのだろう。
「初詣の時は着物っていう民族衣装を着てね、お賽銭を投げてお祈りするんだよ。その後はおみくじっていう占いみたいな紙を引いて1年を占って、露店で売られてる鈴カステラを買って食べて、お猿がくるんと1回転するような大道芸を見て、金魚をすくって…」
懐かしくなって少し景色が潤む。フレイが頭をなぜてくれるとかんざしがしゃらっと音を立てた。
「…楽しそうですね。こちらでは神殿に行くのは怪我や病気か、神に祈りたいことがある時くらいなので。それほど皆が一斉に来たら、私たちはどうやって対応していいのか全く見当がつきません」
「…神主さんはあんまり見かけることがないから、きっと頼まれた祈祷とかだけしてるんだと思うけど。巫女さんっていう女性の神官がおみくじとかお守りを売ってくれてね。そうそう、その巫女さんたちがすっごくかわいい衣装を着ていて、女の子は絶対皆一度は着てみたいって思ってるはず!」
「こちらの女性神官も衣装を愛らしくしたら、もっと参拝者が増えるのかもしれませんね」
「えー、やましい理由の男の人ばかり来そうじゃない?」
「…それは困りますね」
だいぶ暗くなってきた。そろそろ帰らないとと思っていたら、少しずつ街の中央に小さな明かりが灯り始めた。
「…始まったようですね」
いつも祭りの時は天灯が飛ぶのだと教えてくれた。天灯ってなんだろう。
徐々に街の中央の明かりが増える。その中から1つ2つ空に上がり始めた。
「上がってる…?」
光はどんどんと上に上がっていく。ぱらぱらっと上がり始めたかと思うと急に上がる数が増える。その場だけ急にオレンジの光に包まれて、街がぼんやりと染まっている。
テレビで見たことがある。これはタイ北部のお祭りと同じ、紙でできた灯籠を飛ばすものだ。
「きれい…」
かなりの数の灯籠が上がっているようだ。暖かい琥珀色の光がいくつもふわふわとゆっくり上昇している。
「王都の祭りだけの行事です。今までの嫌なことを灯籠に託し、空の彼方へと飛ばすのだそうです」
「へえ、そうなんだ…ねえフレイ、今度のお祭りの時は一緒に飛ばしに行こう?」
月明りは頼りなく、お互いの影がうっすらと見えるくらいだ。ここらへんかなというところを探り、見つけたフレイの手をきゅっと握った。
少しでもこの優しい人の辛かった過去が、この灯籠で和らいだならいいなと思う。
そのまま2人で灯籠の火が見えなくなるまでずっと夜空を見ていた。