9話 あなたのための物語上・迷いの森の異形の少女
昔々、とある世界のとある国の外れにある人が誰も寄り付かない深い森に、アンヌという名前の少女が住んでいました。
彼女はどこにでもいるごくごく普通の女の子でした。ただ、背中からクモの脚が生えた、少しほかの人とは違う姿をしているだけで。
けれど女の子はその見た目で人々から怖い存在だと忌み嫌われていました。迫害から逃れるため、少女は森の中のつぎはぎのような木造の古びた小屋で誰とも関わらずひっそりと暮らしていました。
「今日もお茶が美味しいですわ」
アンヌの唯一の楽しみは森の中で採れるハーブを使ったお茶を楽しみながら窓から見える一面に広がった白い花畑を眺める事です。甘い蜜を求めて薄黄色の蝶が集まり、時折森の動物もそこで遊んでいました。
ハーブティーはほんのり甘くてすっきりとしたいい香りがします。まったりとハーブの香りを楽しむ午後はそれはそれは優雅なひと時でした。
でも……とてもとても退屈でした。
ガサゴソ。ガサゴソ。
ふと花畑の茂みが揺れます。きっといつものようにキツネが遊びに来たのでしょう。アンヌは微笑ましくそれを眺めていました。
「うう、どこにもないよぉ」
「あら……」
ですがそれはキツネではありません。みすぼらしいボロボロの服を着た少女だったのです。少女は泣きそうな顔で花畑でなにかを探していました。
「人がここに来るとは珍しいですね。ですがお花畑を荒らさないでください」
「ッ!」
人は自分を見ると怖がってしまいます。少女も声のした自分のほうを振り向いてとても怯えた顔になりました。
そもそも人目を避けて住んでいるため、出来れば関わり合いにはなりたくありませんでしたが、森の生き物たちの憩いの場である花畑を荒らすのを見過ごすわけにはいきません。
「え、えと、ごめんなさい! 薬草を探していたんです!」
その少女は礼儀正しくお辞儀をし、アンヌに謝罪をしました。
「薬草ですか。私はここの森には詳しいのでどこになにがあるかは把握しています。なにが欲しいのですか?」
「え!? み、見つけてくれるんですか!?」
途方に暮れていた少女の顔はぱあっと明るくなります。汚れた服とは違いその目はとても綺麗でした。
異形の自分の姿を見てもなお少女は怯えません。どうしてなのでしょう。アンヌは疑問を抱いていました。
「ええ、勇気があるのなら私のお家にいらっしゃい。もしかしたら家にあるかもしれませんし」
「は、はい!」
ですがそういう肝が据わった人間なのだと思う事にしました。さっさと薬草を渡し森から出て行ってもらおうと彼女は思っていました。
アンヌは唯一の楽しみのお茶の時間を邪魔されほんの少し不機嫌でした。重い腰を上げ、おんぼろで建付けの悪い扉を開けます。
「よ、よいしょっと」
少女は小屋に近づき怖がる事なくアンヌのもとにやってきました。アンヌはその事が不思議で仕方なく、少女に尋ねます。
「先ほどからおかしな方ですわね。私を見ても怖がらないなんて」
「へ?」
ですが少女は不思議そうな顔をするだけです。そして、
「人を見た目で判断しちゃダメですから。それにそもそも私は目が悪いからよく見えないんですよ」
と、言いました。そしてようやくアンヌは合点がいきます。
よく見ると少女の目は綺麗でしたが曇っています。病気のせいかわかりませんが、これでは自分の醜い姿が見られるわけがありません。
「そうだったんですか……」
アンヌは今まで人間から受けた仕打ちを思い出してしまいました。この見た目のせいで、石を投げられ棒を持った怖い大人に追いかけられた日々を。
そんなとても怖い日々と比べると森の穏やかな生活はとても幸せでした。ここには悪口を言う人も、石を投げてくる人もいません。
ですがそれは、とても寂しいものでした。
「まあいいです。どのような薬草ですか?」
「あ、はい、モヒトリヨモギっていう薬草なんですけど」
「それなら持っています。余っているので差し上げますよ」
「本当ですか! ありがとうございます!」
自分を怖がらず、傷つけず、子犬のような愛くるしい彼女にアンヌは心を奪われました。
もしかしたら目が悪い彼女とならお友達になれるかもしれない。そんな淡い期待を抱いた彼女はこう告げました。
「折角です。あなたも疲れているでしょうしお茶にしませんか?」
まるで下手なナンパのようなセリフを、勇気を出してアンヌは言ったのです。
「そ、そんな、薬までもらってるのに悪いですよ!」
もちろん少女は両手を前に突き出しわちゃわちゃと動かして抵抗します。ただそれは警戒しているのではなく純粋に遠慮しているだけのようでした。
「では薬のお礼という事でなんでもいいからお話ししてくださいな。ずっとこの森で一人暮らしをして退屈なんです」
「え? そ、そういう事なら、まあ。けどそんなお礼でいいんですか?」
「まあまあ、お座りください」
少女は不本意そうでしたがとりあえず納得します。アンヌは少女を無理やり椅子に誘導して座らせ、少女の前に白い陶磁器のコップを置いてハーブティーを注ぎました。
コポコポ。愛着のあるポットからいい香りのするお茶が注がれます。
「そういえばまだあなたの名前を聞いていませんでしたね。私はアンヌと申します」
「はい、私の名前はフロウって言います」
フロウ。それが彼女の名前でした。なんて心地よい響きなのでしょう。純粋な彼女にピッタリの名前です。
「わあ、いい香りですね!」
「ええ、この森で採れた極上のハーブで淹れましたから」
コップに顔を近づけフロウはその香りを堪能し幸せそうな顔になります。そんな彼女の顔を見てアンヌもまた幸せそうでした。
「さあ、冷めないうちにどうぞ」
「はい、いただきます!」
フロウは両手でコップを大事そうに持ち、綺麗な唇をコップにつけてお茶を飲みます。そしてとても癒される笑顔をしました。
「ほああ、美味しいです!」
「それはよかったです」
アンヌもお茶を飲み、二人だけのお茶会が始まりました。
「ですがなぜこんな森の奥深くに薬草を? この薬草はありふれたものではありませんが似たような効果を持つ薬はたくさんあります。苦労して探さなくてもお店で買えばいいでしょうに」
アンヌは疑問に思った事を聞きます。この薬草は周辺ではこの森にしか生えていませんが別に万能薬ではなく、むしろこれより良い効果を持つ薬はたくさんあるのですから。
「ああ、うち、貧乏なんです。病気の母の薬を買うお金が無くて、なら森で探そうかな、と。この森には怖い怪物がいるって噂があってちょっと怖かったんですけどね」
「そう、ですか」
アンヌは寂しそうな顔をします。フロウの身の上を知ってしまったからではありません。怖い怪物の噂です。
この森にすむアンヌはもちろんその噂を知っています。迷いの森の奥深くには人を食らう蜘蛛の化け物がいるという噂です。
言うまでもなくその正体はアンヌの事です。もちろん人は食べません。
アンヌからすればその噂のおかげで人が森に近寄らずのんびり過ごせるわけですが、その話を彼女から聞きたくはありませんでした。
「ですがそんな危ない森に目の不自由なあなたもよく来ようと思いましたね」
「はい、目を治療するお金もありませんし。でも噂は噂でした。この森にはこんなに優しいアンヌさんがいましたから!」
アンヌはフロウの笑顔を見て微笑んでいましたがほんの少し胸が痛みます。自分は彼女を騙しているのですから。
もしこの姿を見られたのなら、きっとフロウは私を怖がってしまう。
でも、アンヌはもっと彼女と一緒にいたかったのです。それが悪い事だとわかっていても。
「ならばもう二つ、お話のついでに頼みごとを聞いていただけますか?」
「あ、はい、なんでも言ってください!」
恩人にお礼が出来るチャンスを与えられ、フロウは元気よく返事をします。
「まず一つ、お互いアンヌ、フロウと呼びましょう。年も近いですし」
「え、あ、はい、アンヌ」
フロウは少し緊張して恥ずかしそうにその名前を呼びました。その響きを聞くだけでとてもくすぐったい気分になります。
「それともう一つ、私は暇つぶしに機織りをするのですけれど、何分森に引きこもっているので折角作ってもタンスの肥やしになるだけです。整頓がてらそれを売りたいのですが、私の代わりに売っていただけますか? もちろん手間賃はあげますよ。戻ってくればまた薬草も準備しておきましょう」
「ええ、もちろんいいですよ!」
理由は薬草でも仕事でもなんでもいい。アンヌはフロウと一緒にいたかったのです。