5話 漫研部とのお茶会とカードギャンブラーユリカについて
そしてモンキのスタッフルームに戻り、私は急須に入れたほうじ茶をマグカップに注ぎます。
「どうぞどうぞ。粗茶ですが」
「はあ」
久松さんはお客さんとしてもてなされているこの状況がまだ理解出来ないようでした。全員分のお茶を注ぎ終えてそれぞれの定位置に座ります。
本来は勝負のためにマンガを制作すべきでしょうがお客さんを放っておくわけにもいきません。誰が言うでもなく無言のうちにお互いが了承し、時間も遅いので今日のマンガ製作は中止になりそうな空気です。
「随分と散らかった部屋なんですね」
「あー、ごめんね。私たちマンガを描いてて、その資料とかだよ。邪魔なら適当に物をどかしてね」
部長は笑いながらお茶をずず、とすすって一息つく。久松さんも様子をうかがい、とりあえず一口飲んでくれました。
「マンガですか。このご時世にですか?」
「うん。終末だらずチャンネルって人たちに誘われて投稿する事にしたんだ」
「ぶふーーッ!?」
が、突如として久松さんは勢いよくお茶を噴き出してせき込みました。気管に入ったんでしょうか。
「大丈夫ですか?」
私は取りあえずそのへんに転がっていたティッシュボックスを拾い久松さんに手渡しました。彼女はけほけほと咳き込みながらなぜかかなり動揺していたようです。
「そ、そうですか。あの終末だらずチャンネルと」
「ええ。なんだ、あなたも知ってたの」
松河原さんはにこにこと笑ってはいましたが久松さんの顔色は悪いです。本当にどうしたんでしょう。だけど彼女は軽くコホン、と咳き込んで話を続けました。
「ま、まあいいです。私の事はお気になさらず、マンガ製作をして下さいな」
「ありゃ、そう? じゃあお言葉に甘えて。マンガでも読んでくつろいでてよ」
久松さんは私たちを気遣いお茶を飲み続ける。なら私もそうさせてもらいましょう。プロットが全然出来ていなくていい加減進めないとそろそろヤバイですからね。
カリカリ、カリ……。
そしてマンガ製作が再開されます。私は相変わらずアイデアが思い浮かびませんでしたがお二方も時折筆が止まります。どうやらあちらも苦労しているようですね。
「うぱー」
「……………」
久松さんは先ほど回収したゆりキャンを読みながらこちらの様子をチラチラうかがってきます。やはり他人ばかりで落ち着かないんでしょう。人懐っこいうーぱさんは何度もじゃれついていますが彼女は相手にするつもりはなさそうです。
うーん、私も陰キャなのでコミュニケーションは苦手ですがここは連れてきた私がなんとかしないといけませんね。
「久松さん」
「……はい、私ですか?」
自分の名前を呼ばれると思っていなかった彼女は顔を上げ、少し驚いた声で返事をしました。
「私たちがオタクなのは言わずともわかると思いますが久松さんはどういう経緯でオタ堕ちしたんですか? お嬢様っぽいですけど」
私は仲を深めるため、とりあえずその事を聞いてみます。
「そうですね……元々私は女の子同士の恋愛というものに興味がありました。普通の百合系の純文学や、ネットの小説を読み漁っているうちにマンガにも手を出したんですよ。私は百合系以外のマンガは嗜みませんし、厳密にはオタクと呼ばれるかはわかりませんが」
「夢小説書いたりクイズに全問正解したりするあたり、立派にどっぷりハマっていましたけどね」
どうやら彼女は自覚がないタイプのオタクらしい。そこも初々しくていいですね。
「それでみなさんはどうなんですか?」
久松さんも空気を読んで、興味がなさそうではありましたがそう尋ねてくれました。
「私たち? じゃあまずは部長の私からかな。私はカードギャンブラーユリカってアニメで、小熊君と月兎先輩がいちゃついているのを見てそこからBL道がスタートしたの。あの作品は多くの若者をオタクにしちゃったけど私もその口でね」
トップバッターは部長が務めました。その話を聞いてああ、と久松さんも納得したように頷いていました。
「あれですか。私は原作も読みましたけど百合モノとして見ていましたね」
「ですよね! ユリカちゃんと潤子ちゃんはまさしくそうですよね!」
私はともにうがった見方で子供向けアニメを見ていた彼女に同意しました。いえ、多分制作サイドも確信犯だったんだと思いますけどね。
「ちなみに私はそれもオタ堕ちの原因の一つですが、ありとあらゆるアニメやマンガで百合の妄想をしてましたね。で、マンガを描くようになって漫研部に入ってしまいました」
「そうよね、あれは罪な作品よね。私が本格的にオタクになったのは漫研部に入ってからだけどあの作品でユリカとオルちゃんの妄想をしたし」
「さすがにあんたはマイノリティよ」
一人だけずれている松河原さんに部長は半笑いでツッコみます。犬の使い魔のオルちゃんとのカップリングなんてこればかりは制作サイドも予想していなかったでしょう。
「あと私はハメ太郎でも妄想したわね。まっぽくんとタイガちゃんで」
「変態が、変態がここにいます!」
私は大声でわざとらしくリアクションすると、
「なに言ってんの、ここにいる全員がそうなんじゃない?」
松河原さんはそう的確に指摘したので私は思わず苦笑しました。
「それもそうですね。全員同じ穴のムジナです」
「ええ、私も人の事は言えませんね。最初に手を出した文学は百合おもらしものでしたから。あれ以降聖水モノには目がありませんの」
久松さんの顔にもようやく笑みがこぼれ、お茶をすすります。だけどこのタイミングで飲むとは。色的になんとなくそれっぽいのでなかなか度胸がありますね。
「へー、関金以外にそういう性癖の人がいたなんて。もしかすればあんたが売った本を久松さんも持ってるんじゃない?」
「はは、かもしれませんね」
部長はそんな冗談を言いましたが星鳥市内に中古書店は数えるほどしかありません。その可能性も十分にあるでしょう。一時の気の迷いでハマって捨ててしまった趣味とは言え、やはりその作品を愛する人の手に渡ってくれれば嬉しいですね。
「ふふ、楽しいお茶会ですこと。豪華なお菓子も紅茶もないのに」
久松さんは微笑んでいましたが、途中、その顔が不意に寂しそうなものになります。そして彼女は黙ってコップを見つめていました。そんな彼女を見て少し不思議そうに部長は尋ねます。
「久松さん? どうかしました?」
「……いえ、私は今いる拠点の主と折り合いが悪いんですよ。なかなかに狡猾な男性で。私も人の事を言えた義理はないんですけどね」
「そうなんですか……」
私たちは和気あいあいと毎日楽しく日々を過ごしていますけど、ゾンビ映画ではほぼ確実に人間同士の諍いに巻き込まれるものです。久松さんもそういう状態になっているのでしょう。
「ですから楽しいとどうしていいか困るんです。前の世界でも趣味を語るお友達はいませんでしたから」
部長と同じく久松さんは隠れオタクだったんでしょう。お嬢様のキャラもあり、世間体も気にしていたんでしょうね。
だけどそんな彼女を見て、松河原さんが優しく言いました。
「ねえ、久松さん。あなたもここで暮らさないかしら」
「え?」
彼女は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしましたが、私もすぐに同意します。
「はい、同じ趣味の腐女子同士わいわい過ごしませんか? 私もそのほうがいいです」
「ええ、そうね! そうしましょう!」
もちろん部長も同意してくれます。ただ久松さんはあからさまに乗り気ではありませんでした。
「な、なぜ。得体のしれないこんな私を?」
「そうですね……出会ったばかりですが私は久松さんが放っておけませんから。久松さんは、昔の私ですから」
「昔の、私?」
私がそう言うと久松さんはあからさまに困惑していた。そりゃ、いきなりこんな事を言われたら困るでしょうけど今回ばかりはここで引くわけにはいきません。頑張れ、陰キャな私。
「一人きりの世界で、一人だけで作品を楽しんで。あのころはそれでもいいと思っていましたけれど、私は先代の漫研部の部長に誘われて、長谷部長や松河原さんと出会って、その毎日は色鮮やかなものになったんです。簡単に言うと久松さんといたほうが私も楽しいからですよ」
ジャンルで喧嘩する事はありましたが、漫研部のみんなと出会っていなければこのゾンビハザードの世界で死にながら生きていた事でしょう。孤独にただ生きているだけの意味のない日々を生き続けて。
彼女にはそうなってほしくなかったんです。それに私も同じ趣味の人と一緒にいたかったんです。
「……もう少し早くに言ってほしかったですけどね」
だけど久松さんはもっと苦しそうな顔になる。彼女にも彼女の事情があるのでしょう。でも、私は久松さんと一緒にいたかったんです。
「とりあえず一日考える時間をくださいな。明日には答えを決めますから」
「はい!」
どういう答えになるかわからないですけど、私はたった一つの答えを期待して満面の笑顔を返しました。
「今はお茶会を楽しみましょう。まだ話していない百合作品の魅力はたくさんありましてよ」
「ええ、長くなりそうですね!」
私たちは夜遅くまで大いに語りあかしました。彼女にとってもそれが楽しかったと思いたいです。
ただ一瞬……彼女が涙をこらえているような顔になったのが、気になりましたけど。