三冊目
僕は今、散歩中に自分を吸い込んだ店の座敷、この店の店長と二人で茶を啜っていた。
「あの、そろそろ僕がここに吸い込まれた理由を説明してもらっても……」
「ああ、悪かったね、お茶に夢中で忘れてたんだ、先ずは何を話すにしろ私か怪しい者でないと示さなければね。私は九尾苑と言う、よろしくね」
九尾苑と名乗った男は妙に上機嫌だ、語尾にハートマークが付いていてもおかしくない程度にはテンションが高い。
「さて、天狗攫いについてだったね。天狗攫いってのはまあ妖版の誘拐とでも思ってくれればそれでいい。ただやっぱり妖版だ―――人間のそれとは少し違う。天狗攫いは天狗が子供を連れて色々な場所を連れ回されるなんてよく聞くが、君の場合は違ったみたいだ。残念だったね、富士山とか行けなくて。今回は別の場所に送るだけ送って後は放置―――勝手で自由で迷惑な天狗だよ。迷惑って言うのは君だけじゃないんだよ、こちらとしても君が突然現れて驚いているんだ。仰天している。まあ私がどれ程驚いたかなんてどうでもいいんだが、驚いた事実だけは分かって欲しい。おっと、逸れた位置から話を天狗攫いに戻そうじゃないか。めでたく天狗攫いの被害者になった君だが、残念な事にしばらく家には帰れないと思ったほうがいい。親御さん達は焦るだろうがそれは私にはどうにも出来ないんだ。まあ一生帰れないなんてことは先ずないから安心するといい」
言うと―――九尾苑さんはお茶を一口啜り、一気に喋り、乾いた口に潤いを取り戻す。
これがマシンガントーク、初体験だ。
体験した感想としては、小説とかで文字だけで出されたら読む気をなくしそう。
「大丈夫です、俺は一人暮らしなのでしばらくは田舎の両親は気づかないですよ」
嘘を言った、田舎の両親など存在しない。
両親は去年交通事故で帰らぬ人となった。
僕はそれを内心まだ認め切れていなかったのか咄嗟に田舎に両親がいるなどと言う嘘を言ってしまった。
しかし九尾苑さんは納得したようだ。
嘘で騙し通せたと思って安心していた次の瞬間、九尾苑さんの様子が変わる。
茶を置いて、手には九尾苑さんの直ぐ側に置かれていた杖が握られている。
「運がいい、この事件唯一の加害者さんが自らから足を運んできた」
店の扉がガタガタと音を鳴らして震え出す
ガタガタガタガタ、台風でも吹き荒れているような。
そう、風が吹き荒れているときになる音だ。
そういえば、天狗と言えばあの団扇を持っていたではないか、人心、炎、雨、風、雷、其れ等全てを自由自在に操る団扇、羽団扇を。
何故僕は、こんな有名な話を忘れていた。
風に耐えきれず店の扉が吹き飛んだ。
「ここだったかな、儂が飛ばした餌の居場所は」
扉の向こうから現れた存在は日本人ならば誰もが知る天狗の風貌と完璧に一致していた。
真っ赤な顔に、長い鼻と同じく底の長い一本下駄。
壊した入り口を潜り店に入ると、残酷な笑みを浮かべ天狗は言う。
「どうだった儂の作った入口は、さぞかし良い出来だっただろう。それこそ―――そこの小狐の結界など人間が触れれば一度で壊れる程度にはのう」
天狗は九尾苑さんを睨みながら言うと、強く握った羽団扇をこちらに向けて振るう。
すると、突如として現れた業火。
「暖まるじゃろう! 山をも灰燼と帰す業火。寝床を追われた小狐如き、骨も残らなかろうよ!」
天狗はケタケタと笑いながら言う、しかし何故だろう。
かつて見たことのない量の炎に包まれて尚、僕は焼ける痛みどころかサウナ程度の息苦しさすら感じていない。
「私達が焦げているかどうかも嗅ぎ分けられないその長鼻は飾りかい」
次の瞬間、突如現れた紫の炎の玉が僕達を包む炎を全て吸収する。
「ほう、狐火か。小狐の遊び道具には過ぎた術じゃ」
「そうでもないさ、この火は僕によく馴染み動かしやすい。サイズも小狐にはちょうどいいしね」
九尾苑さんは言い終えると杖の持ち手を握り引っこ抜く。
ただの杖ではなかった、仕込み杖だ。
鞘から抜かれて抜き身となった刀を無造作にぶら下げて、九尾苑さんは言う
「実は仕込み杖なんだ、カッコいいでしょ。浪漫溢れるこの刀で今から君を切るから瞬き厳禁、余所見すんじゃないよ、天狗」
「刀を抜いて強気になるなよッ! たかが小狐如きの太刀筋で儂を切れると思うたか!」
天狗は声を荒立てて言う。
しかし―――九尾苑さんの態度は毅然として変わらず、それが天狗の精神を逆撫でしてるようだった。
「すまない、訂正しよう。瞬きをしなくても、君程度なら見ることも叶わない。先祖の呪い、その身で受け止めろ」
言い終えた直後、天狗の体には一筋の切り傷が。
勢いよく血が噴き出したと思えば、次はその患部から石となり、石化が広がる。
「そうか、その刀! かの災害と共に消え去ったと思って居れば、貴様が隠し持っておったのか! 次会うときは、それも狙い、貰い受けるとしよう!」
天狗は最後に負け惜しみののうな言葉を残して完全な石像となった。
僕が目の前で起きた奇奇怪怪な出来事に呆然としていると、九尾苑さんが僕に向かって何かを投げる。
「ほれ、持っておくといい」
僕が咄嗟に受け止めた物は天狗の持っていた羽団扇その物であった。
僕は九尾苑さんが守ってくれていたおかげで怪我一つなかったが、それでもこの団扇の危険性は目の当たりにしている。
僕は暴風や業火を自由自在に操る危険物を慌てて九尾苑さんに返そうとするが受け取ってはくれない。
「君が今回天狗に狙われたのは偶然じゃない、理由がある。それを解決するまでは君はまだこちらに居るべきだ―――君も不都合はないらしいしね。どうだろう、君の狙われたのは原因は私にも関係がありそうでね、先ずは私は住処の提供と自分の身を守る手段を提供したいのだけど、君はどうしたい?」
羽団扇どころか住み込みまで押し付けられてしまいそうだ。
本来断りたいところだがまた今回のように攫われたら今度は運良く助かるとも限らない。
この人は未だ僕に二度しか選択肢を与えていないと言うのに、両方に断ると言う選択肢を付けちゃくれないようだ。
「期間は分かりませんが、よろしくお願いします」
今日を機に、変わる。
日常は、非日常へ。
僕の毎日夕方に散歩するような日常は、どうやら今をもって終わったようだ。