人形一人目・酒場の怪
アルセリアが主人公以上に主人公です
黒い団服に金色の髪は良く映える。キリッとした気が強そうな金色の目で、じっと一点を見詰めている。 練習用の木剣を降り下ろす。その動きは気流を生み出し、生んだ気流を引き裂き、また気流を生む。
気流は風となって彼女の腕を飲み、飲まれた腕は更なる動きを生む。
連続する動作は風のうねりを爆発させる。
嵐の中心で彼女は連続を生み続けた。
「う゛あ゛あああぁぁ!」 ……高めろ!
……速く!
……まだ!
……まだまだまだ!
残影を視認し、それを断つ。
速度を求め、停滞を許さず、遅滞を祓う。
そして、
「はああぁぁ!」
振り抜いた。最後の一閃で今まで築いた気流と、残影の全てを断った。
「はぁ……はぁ……」
息は完全に上がり、額からは珠の様な汗が落ちる。 アルセリア・クライは、手にした木剣を見る。
……まだ、遅い。
アルセリアは、解っていた。自分は女だ。女は力で男に勝てない。
勝てないのは弱さだ。そして、騎士の弱さは、
「罪だ」
ならばどうする?
答は簡単だ。力以外で勝てば良い。
だからアルセリアは技を磨き、研ぎ澄まされた技を更に鋭くするために、速さを求めた。
「だが……遅い。まだ遅すぎる」
「アルセリアさん!」
走り寄る影が一つ。
王都エルナグの少年だ。平民の生まれであるアルセリアは、町で起きた面倒事をよく受理している。 恐らく、今回もその類の話だろう。
「どうした?」
「えっと、教会の魔術師様と、良く分からないメイドさんが喧嘩してます」
……は?
言葉の最初の方は解かったが、後が解らん。
何故、侍女が教会魔術師と喧嘩をしなくてはならないのか。
「場所は?」
「酒場です」
……しまった! 何か、情報を得る手掛かりになればと思って訊いたが、逆に解らなくなった!
混乱するアルセリアに、少年が更に追い打ちを掛ける。
「そのメイドさん、昼間から大酒喰らって、完全に出来上がってまして……」
駄目だ。
状況を理解しようとしているのに、話を聞く度に理解から遠ざかって行く。
「ま、まぁ良い……行ってみれば解る事だ」 アルセリアは、少年に案内を頼み、とりあえず件の酒場へ向かう事にした。
●
アルセリアは愕然としていた。
現状を有りのまま表現すれば、
……じ、侍女が酒を飲みながら、魔術師が怒鳴っている。
白を基調に、黒の意匠を凝らした侍女服に身を包んでいる女は、銀の長髪を優雅に揺らしながら、無表情に酒を飲み続けている。
「いい加減、飲むのを止めんか!」
「何様のおつもりでしょうか? わたくしが何処で何をしていようと貴方には関係ごさりません。そんなだから良い歳してピーマンも食べれないのです」
「ピ、ピーマンは関係無いだろ!」
あ、食べれないんだ。という、野次馬の冷たい視線を浴び、魔術師は顔を紅潮させる。
無論、その視線にはアルセリアのそれも含まれている。
「と、とにかく、侍女は仕える身だろう。主はどうした?」
羞恥心ではない、別の理由で顔を紅潮させている侍女は、しかし、落ち着いた口調で言う。
「主でしたら、わたくしを探して町中走り回っておられるかと。ふふ、滑稽ですね」
それで良いのかよ! とツッコミが野次馬から飛んだ。
無論、このツッコミにはアルセリアの――以下略。
「貴様! いい加減にそのふざけた態度を改めろ!」 魔術師が怒号を上げた。壁に立て掛けてあった杖を手に取り、その先を侍女に向けた。
周囲の大気が渦を巻き、杖の先端に集まる。
「あいつ、ここで魔術を使う気か!?」
いち早く気付いたのはアルセリアだ。
腰の剣に手を掛け、踏み込む。
……こんな所で魔術なんか使えば、外の連中にも被害が出るぞ!
一瞬の内に距離を詰め、一撃でこの場を静める。
はずだった。
だが、踏み込もうと足を出した刹那、何者かにその肩を掴まれた。
勢いは死に、足が縺れて前のめりになる。
……転ぶ!
いや、転ぶ事自体は何でもないのだが、いかんせん野次馬が多い。
あまりの情けなさに、転ぶ前からアルセリアは顔を赤らめていた。
「あ、あれ?」
だが、地面にはいつまで経ってもぶつからない。
「あ、あのぉ……大丈夫ですか?」
聞こえた声は、やたらに近い。
そこで初めて、自分が声の主に抱き抱えられているのに気付いた。
「あ、ああ……あああ!」
「へ? ……ぐあ!」
何が起きたか、アルセリアには解らなかった。恐らく、恥ずかしさで頭が混乱していたのだろう。
アルセリアは、自分を抱き抱えていた黒い外套の男を、顎下から殴り上げていた。
「な、那美さん! 何らってんれすか!?」
顎をさすりながら、外套の男が言う。微妙に呂律がおかしかった理由は、アルセリアには解らない。
「元気ですね。元気の塊ですね」
侍女は淡々と、そんな事を言う。
正気を取り戻したアルセリアは、無視され続けている、魔術師を見た。
「片付き申した」
刹那、そんな声が聞こえた。
魔術師の前には、肌の白い男が立ち、件の魔術師は気を失っている。 全ての流れは一瞬だ。
「よっちゃん助かったよ」 外套の男は、まだ顎をさすっている。相当効いたらしい。
よっちゃんと呼ばれた男は、侍女の前に置かれていた酒を煽り、座る。
「まったく、宗児殿も大変でごさるな。伊邪那美殿は後先考えず行動します故」
「義経くん。若造が何を仰っておられるのでしょう」
「まぁまぁ。二人とも」
……な、何なんだ? こいつらは。
謎の侍女、外套の男、黒髪で肌の白い美青年。
それは、かなり異様な光景だった。……場所が酒場なだけに。