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彼女が僕にくれたもの

作者: そら神


 僕、井出川悟(いでがわさとる)は子供の頃、父親の仕事の都合でよく住む場所が変わった。幸い友人に困るような体質ではなく孤独に困ることはなかったけど、住む場所が変われば当然友人も、隣のうちのおじさんも、朝の通学路で狂ったように吠えてくる犬も、好きなあの子だって、すぐに変わった。

 

 最初は幼心なりに違和感や悲しさ、名残惜しさを覚えたりもしたけど、段々と慣れてきて、変化していくのが当たり前になった。

 

 だからなのかは分からないけど、住むところを自分で決めれるようになった今でも、何かが変化しないと落ち着かない、それが人間関係でも、居住環境でも、とにかくなんでも。


 流石に人間関係はちゃんとした社会の繋がりの中で生きている僕にとってはそう易々と変えれるものじゃないけど、インテリアだとか、読む小説や漫画のテイストだとか、仕事帰りによるコンビニとか、変えれそうな物はどんどん変えていった。

 

 小さい頃転勤族だったからこそ、変化にすぐ適応できる性格になったっていう恩恵はあるけど、それは裏を返せばー特に人間関係においてーなにか特定の人とか物とかに深く入れ込んだりしない⋯⋯というか出来ない性格でもあった。


 子供の頃は人と濃密な関係を築く時間がなくて、大人になった今はその能力がないんだ。だからこそ、30歳になった今の今までまともな女性遍歴がないという気がしないでもない。


「僕、とても甘い物好きなんです。でも、ほら、ケーキバイキングって男だけで行けないところとか多いから。今日は一つ夢が叶いました」


「それは良かったです」


 彼女はくすくすと笑った後、寒そうにして白い息を吐き、マフラーをより高い位置に直した。夜の街灯によって赤さがより強調された彼女の小さな唇が、マフラーに隠れて行ったその光景はなんとも言えない高揚感を僕に与えてくれた。


 彼女、小坂結実(こさかゆいみ)さんとは3ヶ月前に結婚相談所で知り合い、5回目のデートを終えた間柄だ。

 会社の同僚達が結婚について話しているのを聞いているとどうにも危機感が募ってきていた。


「どうぞこれ、使ってください」


「ありがとうございます」


使い捨てカイロを彼女に差し出す。 その時、偶然だけど少しだけ彼女の手に触れた。


「あっ、す、すいません」


「いえ、大丈夫ですよ」


 もう少し詳しく言えば、手袋越しに手が触れ合っただけで居心地の悪い沈黙がおとずれる、そんな間柄だ。


「変ですよね、もう28にもなるのにこんな何でもないことで慌てちゃうなんて」


「変だなんて思いませんよ、僕にとっては結実さんと手がふれる事だって一大事ですから」


 彼女は美人だ。多分、客観的に見ても。

 彫刻のような美しさではないけれど、全てが丸い何かでできているような、温かみのある人。


 こんな魅力的な人が、こんな恋愛の側面から見れば2流⋯⋯いや3流程度の男の手が触れただけで顔を赤くし俯くなど、これまでの僕の常識からは考えられなかった。


 まぁ、彼女が恋愛に奥手な性格なだけと言えばそれだけなのだが。


「⋯⋯悟さんは、どんな恋愛観を持ってますか?」


「え?」


 えらく急な話だった。

 見ると、彼女は僕の隣をただまっすぐ前を見て歩いていた。額を朱色に染めて、少し照れている様に見えた。

 なぜ今こんな事を聞いてきたのだろうか、全く分からない。これが経験豊富な1流の男ならわかるのだろうか。


「恋愛観ですか⋯⋯考えたこともないですね。結実さんはあるんですか?」


彼女は前に向けていた顔をこちらへとゆっくりと向かせて、真剣な表情でこう言った。


「私は⋯⋯平行線みたいな、そんな恋が理想です」


「平行線? それは交わらない2つの線っていう意味の?」


 それ以外の平行線を知っていた訳じゃなかったけど、思わずそう聞き返した。


「はい、その平行線です」


「それはつまりどんな恋?」


 そう聞くと、彼女は少し楽しそうに語り始めた。


「2本の平行な線は決して交わらないけど、交わらないなら離れて行くこともない。永遠に平行線みたいに心が近づいてくることもない、けどその代わり離れて行くこともない、そんな恋愛がしたいんです」


 自分でもえらく抽象的な話だと思ったのか、途中から自身の2つの腕で平行線をつくり、身振り手振りを交え説明をし始めた。


「でも、2人の心が近づくこともないんじゃ恋愛はなりたたなくいですか?」


「そうなんですよね⋯⋯だから、極限まで私という線から近いところで、離れて行くことも近づいてくることもないそんな線が、そんな男性が理想だったんです」


 それを言い終わると、彼女は少し俯いて まぁだからこんな年にもなって恋人も満足にできたこともないんだろうけど、と恥ずかしそうに言った。


「でも、そんな私のコピーみたいな男性、いるわけがないんですよね」


 えへへ、とまたさっきと同じように笑った。


「なにも変わらない恋はすごく退屈だと思います⋯⋯何か変化があって、そこに男女の恋が芽生えるものじゃないでしょうか?」


 平たく言えば、今言ったセリフが僕の恋愛観なのかもしれない、常になにか仲をよくするきっかけ、変換点があって、そこから恋愛が始まる。 そんな純粋な青年のような恋愛観。


すると彼女は、確かに、と前置きをした上で。


「でも、急な角度で交わった線は、交わるのは早いけど、それと同時に離れて行くのも早いです。ほら、よくいうじゃないですか恋は熱しやすく冷めやすいって。だから、ゆっくり交わって、ゆっくり、ゆっくり離れていくのが、それが一番いいって最近思います」


 僕が返事に困っていると、彼女は申し訳なさそうに目を見てきて。


「だからつまり⋯⋯えっと、5回目のデートなのに、まだ手が触れただけでダメになっちゃうけど⋯⋯それでも、もし悟さんがいいのなら、急がずに、ゆっくりと関係を築いていけたらなって、そう思います⋯⋯。人生は永遠じゃないから、離れるスピードが遅かったら死ぬまでに離れきってしまうことはないと思います」


 恥ずかしさからか途切れ途切れになった言葉だったけど、なにか僕の心にストンと落ちるものがあった。


「そうですね⋯⋯僕も、そうしてみようと思います」


 あぁ、どこか僕は急ぎ過ぎてたのかもしれない、人生はまだ長いから、ゆっくり生きて行こう。

 ⋯⋯という風には劇的に僕の心が変わる事はなかったけど、ゆっくりと今までの忙しない僕から何か変わって行けそうなそんな感じがした。


 それと同時に、そんなゆっくりと変わっていく僕の隣にこの人がずっと居てくれたらなと、そんな考えをどこか嬉しそうに歩く彼女の隣で巡らせていた。

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