戦場の案山子と鼠野郎
罪人を弾除けにしようという発想は、よくある話さ。まぁ、そんなに悪いことではないんじゃないかな。重犯罪者に地雷原を歩かせて、なんて、エコな発想だと思うよ。ただそれが、やらされる側じゃなければ、という事なんだけれど。
お察しの通り、俺はそのやらされる側にまわっちまったのさ。詳しいことはあまり語りたくないんだけど、まぁチンケな罪に役が乗りまくって、一発ロンの役満で身柄確保ってとこかな。
それで今もこんな地雷原を歩かされてるわけなんだが、あっ、アイツ踏んだな。右のお隣さんだ。派手にぶっ飛んじまった。ギリギリ影響範囲の外だったのか、幸い俺にダメージは無い。派手な爆音と土煙。そして硝煙、加えて焦げた肉の匂いが伝わってくる。
「一見すると即死だが、倒れた先は安全圏か。これは回収されるかもしれないな」
誰に語りかけるでもないが、たまにはこうやって、思ったことを口にしてみるのさ。広い原っぱでほぼひとりきり。隣近所はまぁ居るが、言葉を交わせるほど近づく事は滅多にない。ちなみに、今しがた派手に弾けたお隣さんは、俺の予想どおり、ちゃっかり回収されていた。
回収班、と俺が勝手に呼んでるのは、まぁこれも罪人なんだろう。確保済みの安全ルート上に倒れた俺たち案山子どもを回収する、妙な役割を持つやつらだ。安全ルートの上とはいえ、やつらも危険には晒される。ゆえに同じ罪人だろうと検討はつく。
「まぁそれでも、やつらが回収中にぶっ飛んだなんていう話は聞かないがね」
ほとんど死に体のまま回収された案山子がどこへ向かい、何をさせられるのか。きっとろくな事にはならないんだろうとは思うが、そこは何も聞かされちゃいない。強いて言うなら、わかっているのは『それは聞いちゃいけない』ということだ。
あぁ、案山子っていうのは俺らのような、地雷原を歩かされている罪人のうち一般的なやつらの名称、というか蔑称だよ。足がすくんで動けない。死を前にして働きたくない。俺も含めて、殆どのやつがそうだ。野原にぼうっと突っ立ってるだけに見える。だから案山子。
一般的なやつらが案山子なら、残りの変わったやつらが鼠野郎だ。鼠野郎どもは、何をトチ狂ったのか、我先にと争うように地雷原を駆け巡る。案山子が案山子で居られる事からもわかるように、実はこの仕事、ノルマらしいノルマが無い。極端な話、何もせずに安全圏の先まで行って、一日一歩程度でも進みさえすれば、それだけで許されるのだ。一応、死なない程度の飯も出る。
それなのに、なぜか鼠野郎どもは走り回る。走り回るというより、後ろで記録係が安全圏を記録出来る程度の速度で歩き回る、といった方が正確かもしれないが、いずれにせよまぁ、正直死にたがっているとしか思えない。
極端に進まない案山子の周りには、それをカバーするように鼠野郎が配置される事もある。俺は最近サボり気味。だから今、俺の左隣は案山子でなく、鼠野郎だ。
そんな事を考えているうちに、件の鼠野郎が俺のすぐ近くまで来ている事に気付く。おいおい、巻き込んでくれるなよ?
「旦那、案山子の旦那。ちょっとよろしいですかい?」
少し驚いた。俺たちは基本的に、仕事中に言葉を交わさない。言葉を交わせる距離まで近づくと、巻き込んでしまう可能性があるからだ。なのにこの鼠野郎は、無遠慮にも俺に近づいて、しかも話しかけてきた。鬱陶しいと思う反面、興味も沸いた。
「なんだ? 大分距離が近いが、巻き込みは勘弁してくれよ?」
「えぇ、それは十分注意しておりやす」
注意してどうこうという問題ではないはずなのだが、鼠野郎はそのように言った。本気でそう思っているのか、あるいは冗談のつもりでいったのかはわからない。今、笑うべきだったのかな。
「それで、要件は何だ?」
「へぇ、それがですね。案山子の旦那がこれ以上動かない予定でしたら、この先の部分、あっしが頂いても良いかと。それをお尋ねしたかった次第でして」
「それはもちろんいいさ」
仕事を減らしてくれるというのだ。俺にとって、それは得であり、全く損はない。譲ってほしいというのならいくらでも譲ってやる。でも、何が彼をそうさせるのか。普段なら気にしないし、飯時にでも訊けば答えてくれるだろう。あるいは沈黙を貫かれるかもしれないが、しかし、この時ばかりは気になった。丁度それらしい事を考えていたからだろう。だから思い切って訊いてみた。
「ところで、そんな事をして、一体何になるんだ? この仕事、ノルマらしきノルマなんてないだろう?」
返ってきたのは、思いもしない答えだった。
「仕事……なるほど、旦那はこれを仕事と考えてらっしゃるんですね」
俺は当然のように、この苦役を仕事として捉えていた。しかしこの鼠野郎にとって、それは仕事ではないというのだ。仕事でなくては、何なのだろう。俺は静かに彼の言葉が続くのを待った。
「……あっしはね、旦那。これは好機だと考えているんですよ。罪を贖う好機ということです。自分の身を目一杯危険に晒して、他者の安全を確保する。それはまるで、慈愛に満ちたヒーローみたいじゃないですか!」
俺は絶句した。彼の考えが異端であるとか、異常であると感じた訳では無い。よく噛み砕いて考えると、そういうこともあるのかと思える範囲の事だ。でも俺にはそのような考えは全く無かった。ゆえに、一瞬言葉を失った。
「旦那、さっぱりわからねぇって顔してやすぜ。へへ、まぁあっしの考えの方がおかしいのやも知れやせん。それに、他の鼠が同じ考えとも限りやせん。分かってくれとも言いやせんし、旦那には旦那の考えがある。たまたま利害が一致して、あっしがちょろちょろする。それだけの話ですよ」
——だから、あんまり深く考えなさんな。彼はそう言い残してそそくさと立ち去った。その影は既にかなり小さく、今彼が踏み抜いてしまったとしても、俺は影響の範囲外だろう。
「罪を贖う好機、か」
鼠野郎が受け持ってくれたので、俺の今日の仕事はもうアガリだ。でも彼の言葉が耳に残る。俺が鼠野郎のように駆けずり回っても、彼女はもう帰ってこないし、彼女を殺めたこの手が、血まみれの幻影から解放される訳では無い。そんな事わかっている。わかりきっているのだが。
一歩だけ。そう、今日はあと一歩、鼠野郎が残していったこの僅かな隙間だけ埋めてやろう。それが何かの贖罪に、あるいはなるのかもしれないと。俺は重い重い一歩を踏み出した。そして。
カチリッ
「……あぁ〜、やっちまった!」
右隣りの奴がどうだったかは知らないが、俺が今しがた踏みつけたのは踏み込んだ時に起動し、体重を抜くと爆発するタイプだろう。それくらいの知識は与えられていたから。
「贖罪ねぇ。このタイミングで来るってことは、ここで俺が吹っ飛べば、いくらかの罪滅ぼしになるってことかもしれないなぁ」
うだうだ考えていても仕方がない、ここに連れてこられた時点で、遅かれ早かれこうなる運命だったんだ。
「ええい、ままよ。男は度胸。あっけなく死ぬか、回収されて何かに使われるか、運試しといこうや!」
そして。
バカン!
以前聞いたよりも数段軽い音。しかしその威力は対人としては絶大。あがる土煙。そして硝煙、加えて焦げた肉の匂い。身体中を駆け巡る刺すような痛み。こんなの、耐えられるか……! もちろん声は出ない。そして、ブラックアウトする視界。最後に見えたのは、ぎりぎり安全圏の方に倒れる自分の体だった。
——目を覚ます。そう、俺にはまだ覚ます目があった。
「……生きてる、のか?」
呟く俺の言葉に、返事する者がいた。
「幸か不幸か、ダメになったのは腕と脚だけだったよ」
医師……? いや、科学者か? くしゃくしゃの白衣を着こなし、瀕死だった俺を救ったと思われる男。一瞬医師かと思ったが、よれきった白衣の不清潔さ、そして手術室というより研究室と呼んだ方がしっくりくる部屋の雰囲気から、コイツは科学者だと判断した。
「腕、俺の腕……付いてるが? 脚も。というか、これはどういう事だ? 思いっきり踏み抜いたはずなのに、丸っきり健康体じゃないか」
「軍の最先端医療だよ。君のそれは一見生身だが、義手と義足だ。微妙に違和感があるだろう?」
確かに、僅かながら動きに遅れがあるように思う。ただし言われなければわからない程度だ。じきに馴染むだろうという予感さえある。
「さて、これからの君の処遇だが……」
「なんです? まさか前線に立って戦えと?」
「いや、部隊こそ別になるが、君にはすぐさま元の任務に戻ってもらう。加えて、周りには何も起きなかったかのように振舞うこと」
「は?」
死ぬか実験体として弄くり回されるかという覚悟を決めていた俺にとって、彼の言葉は意外なんてものじゃなかった。
「なんでこんなことを? 死にかけの罪人を再生しても、ただコストが嵩むだけなのではないですか?」
「それは私の知ったことではないね。私は被験体が手に入ればそれでいい。軍は医療技術が向上すればそれでいい。上の考えなんて、どうでもいいんだよ」
「それは……」
「さぁ、もう行きなさい」
彼との邂逅はそれっきり。部屋を出た先は既に別の部隊の駐屯地で、あぁ、見知った顔がいくつかある。そういえば元の場所でも、手足の動きが微妙にぎこちない奴らが居たな。俺みたいに吹っ飛んだやつをローテーションでもしてるんだろうか。
誰もその事には触れないし、真実は闇の中。翌日から、といわずその日の午後から、いきなり俺は、また案山子として新しい区画に配属された。いっそ鼠野郎になってやろうか。吹っ飛んでも再生されるのなら、多大な医療費をかけまくって軍を困らせる事も出来るかもしれない。
一瞬そう考えたが、やめた。回収ができなかったり、遅れたりすれば普通に死んでしまうのだ。そうなると、本当の終わりだ。いや、あるいはそっちのルートこそが幸運なのかもしれない。踏む事が贖罪ならば、生き残ってしまう限り、罪を贖っても贖っても許されない地獄が待っているのだから。
「生き残る事が地獄なら、死ってのは何なんだろうな」
また意味もなく声に出す癖が出た。何気なしに、俺は自分の両の手を見る。血塗れの幻影は、もう見えない。元の腕と共に吹っ飛んじまった。それは罪が赦された証なのか、ただの神の気まぐれか。誰も教えてなんてくれない。俺にできるのは、ただ立ち尽くすことだけ。
こうして案山子は今日も立ち尽くし、鼠野郎は今日も走り回る。人のしがらみなんて関係ないと嘯くように、上空でトンビがひゅるると鳴いた。