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 蝶々さんがさなぎになり切る前に、屋敷の主人は空き部屋に布団を敷いて上げた。

 蝶々の群れは気付けばいなくなっており、残されたのはおばあさんが二人と刀を振り回す矢代がひとり。錯乱しているようなので、眠りのお香を焚いて家のものに回収させた。

 夕筒は蝶々さんのさなぎの部屋の前にちょこんと座り動かない。仇なすものから守るように気を張っている。


「邪魔するぜ、刀禰(とね)の坊ちゃん」


 宝来の長が訪ねてきたのは翌日だった。蝶々の大移動はすぐに耳に入ったらしく、朝議もそこそこに屋敷へとやってきた。

 屋敷の主人である青年、刀禰も朝議を休んだのでお互いさまでもある。


「ご足労をかけてすみません」


 刀禰の家は長く続くが大きな家ではない。

 陰陽寮で一番大きな宝来の家と比べるのもおこがましいほどだ。

 宝来の長が来るというのなら、刀禰の長が直々に相手をすることになる。

 刀禰は緊張する。

 なにせ相手はやり手と名高い若くして長となったその人なのだから。人がいなくて長になった青年とは立場が違い過ぎる。


「まずは蝶々のお姫さんの様子見をしたいんだが……通してはくれんか」

「今は気が立っておりますゆえ。せめて武家の方が大人しくしてくださればよいのですが」

「矢代か。あれは頭が固いだろう」

「ええ、すでに何度も衝突しております」


 蝶々さんが意図せずつれてきてしまった三人のうち、おばあさん二人はそんなこともあるだろうと納得してくれた。

 神秘と日常の境のない世代の方だ。話が早い。

 厄介だったのが矢代と名乗る武家の方で、それは化け物だから切らねばならぬの一点張りで夕筒の不況を買った。


「どこから手を付けるか、頭が痛いな」

「陰陽寮のほうはなんと」

「護国局に付け込ませるな、と。手段は問わないと来た。投げっぱなしだ」

「護国局ですか……」

「思うところでもあるのかね」

「できれば解体したいくらいに」


 刀禰の家にも護国局の噂は回ってきている。なんでも神秘殺しを専門にする武家の集まりだとか。

 神秘を扱うのは陰陽寮の特権だ。

 それを文明開化と銘打って勝手に荒そうとしている。頭の痛い事態だった。特に、猫の頭目と片眼を交換した夕筒を抱える身としては刀禰にとっては敵対関係にあると言ってもいい。


「まずはあんたと話を通した方がよさそうだ。あの猫は普段は従順なんだろう?」

「大人しく気が利く子ですよ」

「あんたの次が矢代と猫だな。まったく面倒な話だ」


 刀禰と宝来の長同士で話し合って、護国局の解体、そこまで及ばないなら勢力をそぎたいという話にまとまった。

 なんでも蝶々さんがさなぎになるにはまだまだ時間があったらしい。それを追い込んだのはひとつに矢代の存在もあっただろうと。

 また刀禰もかねがね気にしていたことを口にする。自分の式神を名乗る夕筒を人間として扱いたいが、護国局に目を付けられるだろうと。即座に頷かれて刀禰はなんとも言えない気分になる。


「猫が蝶々のお姫さんに接触したのはあんたの差し金かい?」

「家人の話を聞いたのでしょう。宝来の秘密のひとつでも握ればうちの格も多少はあがるだろうと。馬鹿げた話ではありますが」

「なんだい、聞いてくれたら教えたのに。ま、普段なら話すこともままならんか」

「宝来は格が違いますからね」


 矢代と夕筒を呼ぶのには難航した。

 矢代は陰陽師と話すことなどないと頑なにさなぎを狙い続け、夕筒は部屋の前から動かない。

 しかたなく、宝来の長は秘伝の書を持ち出した。時の帝が書かれた、宝来に蝶々の姫を託すとの期限のない勅命である。矢代はしぶしぶ従い、夕筒は部屋を星乃尾に任せて四人顔を突き合わせた。


「文明開化のこの時代に神秘など馬鹿馬鹿しい。所詮は化け物ではないか」

「蝶々のお姫さんは村とうまく馴染んでいた。それを壊して駄目にしたのは護国局だろう。ああいうものは、そっとしておいたらいいんだよ」

「それにどれだけ金をかけた。生きているだけで罪ではないか」

「先に罪を犯したのは帝の方。ほら、ここ勅命にあるでしょ?」

「そんな昔のこと、いまを生きるものに関係あるものか」


 宝来の言うことに矢代は全く耳を貸さない。

 これには刀禰も夕筒も顔を見合わせて渋面を作った。宝来もほとほと呆れたという姿勢を見せる。


「猫の坊ちゃんはどう見る。少なくとも人間よりはよく見えるだろう」

「あれは蝶々とお嬢さんが重なっているだけだよ」

「重なっている、ねえ。別れることもあるのかい」

「ある。別れれば、蝶々はきちんと天女として孵る」


 夕筒が当たり前みたいにいうことは、宝来にとっても初耳だったらしい。てんにょ、と口だけ動かして繰り返す。

 夕筒はそんなことも知らないのかと不思議に思う。

 蝶々は孵れば天女になる。よく世の中に広がっている伝承である。

 刀禰も初耳で、目を輝かせている。子供みたいだと夕筒はあるじを諫めるか迷う。

 意外なことに矢代がひるんだ。化け物を切るのに抵抗はなくても天女を切るのには抵抗があるらしい。

 それに付け入ったのは宝来と刀禰だ。


「矢代。今切ればお前は天女殺しになるかもしれないなあ」

「天女は吉祥の証。殺せばどれだけの大罪になるか」

「この時期にさなぎになったのなら、孵るのはきっと正月だ。天女として孵ればよい象徴となるだろう」


 矢代は二人に散々脅されて、ついには刀から手を放した。

 一度屋敷に帰って頭を冷やすと言い残して去る。あの調子ならまた来るな、とは宝来の見立てである。

 夕筒の廊下暮らしは変わりそうもない。


 帰りがけに宝来は蝶々さんのさなぎを見ていった。読んだことはあるけれど初めて見ると呟く宝来もやはり子供のようだ。

 夕筒は見世物じゃないと怒ってさっさと帰してしまう。


 再び宝来が来たのはその一週間後の夜だった。

 今度は刀禰と夕筒に話があると部屋にあつめ、夕筒は廊下に星乃尾を置いて話し合いに参加した。大人二人が酒を酌み交わしながら近況を話すところで、一人黙々と夕筒は夕餉を食べる。


「だからな、夕筒といったか。猫の坊ちゃんを人間にしとかなきゃいけない」

「なに、突然。なんで今更人間なんかに」

「蝶々のお姫さんがさなぎから孵るとしてな、もし天女でも少女でも一つでも多く後ろ盾が欲しい。だったら刀禰の弟子に任せて、刀禰の弟子の手柄は刀禰のもの、刀禰の手柄は陰陽寮のものにしておきたいんだ」

「護国局から守るってこと」

「そうだ。付け入る隙は少ない方がいい」


 それにまあ、他にもあるんだけどな、と心の中で宝来は続ける。

 ことの顛末を聞いて思ったのだ。

 もし、もし蝶々さんが記憶を持ったまま生まれ変わったとしたら夕筒は人間である方がいい。式神のままではできないことが多すぎる。

 護国局と聞いて矢代を連想した夕筒は、しぶしぶながら宝来の案に頷いた。


「そういうことなら、仕方ないね」

「宝来の長殿、ありがとうございます。夕筒はいままで何度もこの話を断ってしまって」

「あるじがだらしないからだよ。せめて朝議でうたた寝するのやめてよ」

「夕筒、そのようなこと言わないでください」

「夕筒はよく面倒をみていたものなあ」


 それからは陰陽寮の話になったので夕筒は早々に退散した。

 宝来と刀禰の長同士は年が近いせいか気が合ったようだ。

 宝来から見繕うから嫁さんを貰えと刀禰に言い、刀禰は刀禰で宝来の家族の話をほほえましく聞いていた。

 夕筒は冷える廊下で星乃尾を抱く。


「悪かったね、こんなところで」

「なに、出来の悪い弟分の面倒をみるのも役目さね」

「八重お嬢さんのさなぎはどう? 順調?」

「覗いてごらん」


 夕筒は誘われるままにふすまを開けて、中をのぞき込む。

 真っ暗な部屋の中ではうっすら白く蛹が見える。

 右目を閉じて、猫の左目で眺めれば中身がなんとなくわかる。下の方に集まってきているのが八重のお嬢さん、上の方に集まっているのがくだんの蝶々なのだろう。

 別れれば天女になると言ったものの、正直少しばかり不安だった。でもうまくいっているみたいだと夕筒は満足してふすまを閉める。


「この分なら綺麗に別れそうだね」

「ああ。別れるだろう。夕筒が心配することもない」

「星乃尾が心配することもない」


 星乃尾はしばらく黙ってしまった。

 その背を撫でる。ふわふわの毛が芯まで冷えてしまって、申し訳ないことをしたと心から思う。

 星乃尾はいつだって夕筒の味方で、蝶々さんの味方でもあった。


「お前、人間になるのだろう?」

「そうみたいだね。なったところでなにも変わらないよ」

「そうかい」

「星乃尾。起きてお前がいなかったら、八重お嬢さんはがっかりするからね」


 夕筒は星乃尾をぎゅっと抱きしめる。

 恋に破れた母親に捨てられ、猫の頭目に育てられた。星乃尾はその時からの付き合いだ。

 どうしても名前で縛るのが嫌で、蝶々さんに頼んでつけてもらった名前。姉のような三毛猫には大層でよく似合っている。

 どうかいなくならないで、夕筒は祈りながら抱きしめる。いつまでも甘えただね、と星乃尾が笑う。

 星乃尾が笑うところを夕筒は久々に聞いた。


 ひと月なんて普段は飛ぶように過ぎるのに、ふすまの前では時間が止まったみたいになる。

 時々宝来が来て様子を見ていく。ついでに刀禰と酒盛りをする。酒を飲みに来ているのか蝶々さんの様子を見に来ているのか分からないくらいだ。

 おまえさんのあるじは最近うたた寝を止めたな、と言われて夕筒は少しうれしくなる。あるじの成長はうれしいものだ。


 大晦日と正月が近づけば陰陽師は忙しくなる。

 猫の手も借りたいくらいなのに、夕筒はじっと動かない。

 宝来の来る機会は減り、刀禰が帰らない日も続く。矢代はあれ以来見ていない。


 大晦日があと少しに迫ったころ、さなぎはそろそろ孵るだろうと一人と一匹の間で意見がまとまった。

 そこで星乃尾に頼んで宝来に告げてもらう。刀禰には夕筒から伝えた。

 ほどなく宝来も刀禰も通うようになり、いまかいまかと待つ日が続く。


 大晦日の夜半、宝来も刀禰も無理を言って陰陽寮の当番を抜けてきたらしい。

 さなぎには筋がひとつ入っており、あと少しで孵るところだ。

 そこで思わぬ乱入者が来た。


「やはり化け物を討たねば、討たねばならぬ」


 スパンとふすまを開けたのは矢代だった。

 目の下に隈をこしらえて、護国局でなにを吹き込まれたのだろう。

 もう言葉が通じない。ぶつぶつと繰り返すのは化け物を討つ、それだけだった。

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