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 ぼう、と夕筒のことを思い出す。

 お祈りもしてもらうのを忘れたし、蝶々を見せるのだって忘れていた。

 こんなに忘れやすいほうだったかしらと蝶々さんは心配になる。そのうちに村の衆のことも忘れてしまうのではないかと戦々恐々としてしまう。可愛らしい子供たち。大きくなった子供たち。

 蝶々さんにとってはかけがえのない宝だった。


 蝶々を見せていない、と言えば矢代にもまだ見せていない。

 村の衆は皆蝶々を見れば笑ってくれるし、宝来のおじさまだって笑ってくれる。ひょっとしたら矢代もあの固い顔を崩して笑ってくれるのではないか。

 蝶々さんはこの思い付きに楽しくなってくる。


「ねえ星乃尾、矢代に蝶々をみせたら驚くかしら」

「驚くんじゃないかね」

「そしたらちょっとは仲良くなれるかな」

「そいつはどうだろうね、あれは頭が固そうだから」


 おしゃべりする相手がいないのは辛い。

 今日、夕筒と話している最中に何度引き留めたことか。恥ずかしいことに、そんなにさみしいのと笑われてしまった。

 矢代ともちょっとは仲良くなれるといいなあと蝶々さんは眠る間際に思う。


 朝餉を食べて、しばらく縁側で日に当たる。

 星乃尾も一緒だ。ぐたりと体を伸ばすさまはまた可愛らしい。すっかり屋敷に馴染んでいる。

 庭では今日も矢代が刀を振るっていた。


 矢代が休憩にと縁側を振り返った。

 慌てて蝶々さんは懐から紙を取り出す。いつものように、ふぅと息を吹きかけてアゲハにして飛ばして見せる。

 矢代はなんの反応もしなかった。


 おかしいな、と蝶々さんはアゲハを矢代の方へと向かわせる。

 アゲハ相手に矢代がのけぞる。

 刀が一閃、アゲハは真っ二つになった。

 ひらりひらりと紙が落ちる。二つに分かれた紙が舞う。


「化け物……!」


 蝶々さんはそれが自分に向けられたものだとすぐに気付かなかった。

 いままでずっと同じことをしてきて、いままでずっと喜ばれてきたのだ。

 矢代の目つきがきつくなる。

 その目が責める。

 なにが悪いのか分からないけれどここにはもう居たくなかった。

 自室に戻り布団を引っ張り出して潜り込む。


 化け物、と呼ばれた。蝶々さんはその言葉は知っていた。

 古今東西化け物というのは退治される話が多い。

 蝶々さんが化け物ならば、いつかあの刀で叩き切られてしまうのだろうか。

 蝶々さんは、化け物なのだろうか。


 護衛役と言っていた。誰から誰を守る護衛役なんだろう。

 矢代が蝶々さんを退治するというのなら、守られるのは誰なんだろう。

 どうしてここに来たんだろう。どうして蝶々さんの日常を奪ったのだろう。

 枕を濡らした蝶々さんは、その日一日布団から出なかった。


 蝶々さんは伏せることが多くなった。

 なにをする気にもなれない。なにもしたくない。星乃尾が心配そうに声をかけてもろくに返事もできやしない。

 ただ蝶々さんはいつかの日常に帰りたいとそれだけを考えている。

 夕筒に会いたい。

 せめて夢の中だけでも会って話を聞いてみたい。


 そんな折に、宝来のおじさまが訪れた。

 忙しい人だけれど、極稀にこうして顔を見に来てくれる。ならばせめてと吹き寄せ文様の着物に袖を通す。お守り代わりに星乃尾を連れて座敷に顔を出せば、久しぶりに温かい顔に出会った。


「蝶々のお姫さん、久しぶり。おじさん久しぶりだから屋敷間違えたかと心配しちゃったよ」

「宝来のおじさま、お久しぶりです。お元気そうで何よりです」

「蝶々のお姫さんは顔色がよくねえなあ」


 頭を撫でるおじさまは、小さい頃から先代に連れられてよく来ていた。

 今では無精ひげにくせ毛をまとめた不良じみた格好をしているけれど、子供のころは可愛らしいものだった。

 蝶々さんの蝶々をよく捕まえようとして藪に頭から突っ込んだりもしていたものだ。


「おじさま、こちら星乃尾。お手紙に書いた通りわたくしのお客様なのよ」

「こりゃあ名前に負けない立派な三毛だな。蝶々のお姫さんは猫が可愛いかい?」

「ええ、可愛らしいわ」

「宮中にも猫がいるぞ。同僚の式神でな、なにかと世話を焼いていて見てると面白いんだ、これが」

「まあ、猫が世話を焼くの?」


 宝来のおじさまは蝶々さんの気を引けたのに気をよくしたのか、もう少し話してくれた。

 猫は少年の格好をしている式神で金色の目をしていて、あるじがぼーっとしているとちょいちょい注意を引くらしい。眠らないようにだとか、他の人に後れを取らないようにだとか、猫にしては随分と気が回るそうだ。


「そうそう、式神で思い出した。星乃尾っていうのは蝶々のお姫さんが付けたのかい?」

「ええ、そうよ。似合っている?」

「ああ、似合っているとも。でもな、名前っていうものは大事だからそうそう簡単に付けちゃいけないぜ」


 八重、と呼ばれていることを隠し通すことにした。名前が大事なのだとしたら、付けられたことを知ったら宝来のおじさまにしかられるかもしれない。

 なにより付けた相手のことを聞かれたら答えようがない。

 宝来のおじさまは陰陽師で、国の一番偉いところに仕えている。対して夕筒は旅の祈祷師だ。胡散臭いと言われたらどうしようもないし、名前を取り上げられてしまうかもしれない。


 宝来のおじさまはそれからいくつか手土産をくれた。

 猫の根付に始まって、舶来の菓子だとか、おもちゃだとか、子供が喜びそうなものでいっぱいだった。

 蝶々さんはそれを見て辛くなる。この屋敷に子供たちが来ることはもうない。

 浮かぬ顔する蝶々さんを宝来のおじさまは心配そうに見るものだから、なんとか礼をいった。


「そうだ、蝶々のお姫さん。久方ぶりに蝶々がみたいなあ」


 宝来のおじさまは努めて明るく言って見せる。

 蝶々さんは首を横に振った。

 矢代に蝶々を切られて以来、どうにも蝶々を飛ばす気にはなれないのだ。

 頭の中では無残に真っ二つにされるアゲハがゆっくりと再生される。


「おじさん、蝶々見たら癒されるんだけどなあ」


 心配して言ってくれているのが蝶々さんにはよくわかる。昔から大事なときにはおどけて見せる人だから。

 そう、向かい合っているのは陰陽師で、人間なのだ。

 蝶々さんは胸が痛む。


「宝来のおじさま、わたくしは化け物なのですか?」

「誰がそんなことを言ったの」

「矢代に蝶々を見せましたら、化け物と言われました。わたくし、もうこの屋敷にいたくありません」


 精一杯のわがままだった。助けて欲しいと遠回りに言った。

 宝来のおじさまは珍しく真剣な顔をして事の顛末を詳しく聞いてくれた。

 話してしまえばたいしたことではないような、それでも蝶々さんにとっては大事な話。

 おしゃべりする相手もいない。

 蝶々は叩き切られた。

 蝶々さんの楽しみは皆なくなってしまった。


「蝶々のお姫さんは化け物じゃあないよ。陰陽師だって真似事はできる。ただちょっとそれが上手すぎるだけさ」


 宝来のおじさまはそういって慰めてくれた。

 化け物じゃない、その一言が染みわたる。

 気付けば蝶々さんはぽたりぽたりと涙を落としていた。

 おじさまは泣き止むまでそっと頭を撫でてくれた。


 珍しく宝来のおじさまは泊っていくらしい。

 矢代から渡された書状を見せて、とおねだりされて大事にしまってあったそれを渡す。帰るときに返してもらえばいいと告げると宝来のおじさまに感謝された。それから書状を読み始めて、なにか写し取っていた。


 おじさまのそばは矢代やおばあさんたちのそばより心地よい。なにより蝶々さんの好きなおしゃべりができる。

 声を忘れていないか心配したものの、しゃべることは思いのほか簡単だった。

 さみしい話ばかりになってしまったけれど、おじさまは最後まで聞いてくれた。


 布団に入ると、星乃尾が出ていくところだった。

 どこへ行くのか聞いてみれば、ちょいと盗み聞きと堂々と返される。蝶々さんも気になったので蝶々を飛ばして星乃尾の後についていかせた。

 これで話は聞こえるだろう。


 座敷のふすまに止まれば、中の会話がよく聞こえる。

 星乃尾もそのあたりで丸くなっている。

 中には矢代と宝来のおじさまがいるらしい。何かぴりりとした雰囲気が伝わってくる。


「蝶々のお姫さん相手にきつく当たるのをやめてくれませんかねえ」

「あれは化け物。陰陽寮はなぜ退治しない」

「化け物なものか。そちらこそ、書状を横取りしてまで武家が越権行為をしでかすなんて何考えてんだか」

「国を守るは武家の役目。陰陽寮が動かないなら我らが動くまで」


 化け物、と改めて言われて蝶々さんは泣きたくなるのをぐっとこらえる。

 二人は難しい話をしているようだった。

 昔から公家と武家は仲が悪い。陰陽寮は公家よりなので、二人の仲も悪いのだろう。まるで縄張り争いのようだった。

 どうして蝶々さんがそれに巻き込まれるのか、話してくれないかとじっと待つ。


「だいたいそちらさん、護国局は蝶々のお姫さんについてどこまで知っているのやら」

「馬鹿にするな。あの化け物は少女の姿で生きながらえる。さなぎになって何度でも少女を繰り返す。おまけになんでも蝶々に変えてしまうのだろう」

「化け物と呼ぶな。それは結果の話だろう。原因一つ知らないであの子を裁くというのなら陰陽寮は黙っていない」

「はっ、原因? そんなものがあったとしても結果は変わらぬだろう」

「これだから近代かぶれはしょうもない」


 話題が蝶々さんに移って、心臓が破裂しそうなくらい脈打っている。

 さなぎになって何度でも少女を繰り返す、そんなことは知らない。

 生きながらえる、これは心当たりがあった。周りよりも成長が遅いことを言っているのだろう。

 それは、化け物の証なのだろうか。

 少なくとも矢代はそう捉えているらしい。


「あの子は帝の罪の証。なんでも手に入ると思い込んだ時の帝に望まれて、恋人と引き裂かれて蝶となった哀れな子だぞ。恋に踊らされ恋に引き裂かれた可哀想な少女だよ」


 恋人と引き裂かれた。

 その言葉が繰り返される。

 恋も知らないのではなかったのか。

 蝶々さんは混乱する。

 そんなことは知らない。

 宝来のおじさまの言っていることは初めて聞いた。

 でも、でも。

 宝来のおじさまの声色は変わらない。

 嘘を一つも言っていないのがはっきりとわかってしまう。


「それがどうした。いつまでも古いものにしがみ続ける陰陽師らしい物言いだな。あれは化け物、処分しなければ」


 矢代の言い分はもう耳に入ってこなかった。

 蝶々さんに分かったのはひとつ。

 蝶々さんは恋を知ることを諦めなければならない。

 恋に破れたものは、ひどいことをするものだから。

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